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#6 これは賛歌

 ベルヴィル記念暦985年2章14節。

 時計がその日付を変えて、すぐの時。

「ただいま、NHOE。」

『おかえりなさい、フラナガン神父。』

「これで、僕の自由な日々は終わりを告げるわけだね。」

『私たちに協力している限り、あなたの自由は保障します。』

「考えてみよう、この世界にはたくさんの可能性がある……「自由」という単語の解釈に関して、僕と君の間に多少の相違がある可能性についてはどうかな。考えてみて、ほら、僕にとっては、君が言った条件の下での自由というものは、残念なことに自由と呼ぶべきものではないのかもしれないよ……まあでもそれは、些細な問題さ。そんなことよりも、今はもっと重要な問題があるね。つまりそれは、これからのその「自由」な日々に、僕が何をさせられるのか、ということだよ。」

『その問題に関しては、昨日回答したはずですが。』

「そうだね、「その時」が来るまでの間は、ジョーンズ……ブラックシープと呼んだ方がいいのかな? とにかく、彼が夜ごとのブラッドフィールドをパトロールする、それに付き添うように、という命令を僕は受けている。そして、僕にできることは、全てを行うように、と。もちろん、それは覚えているよ、それに、理解もしているさ。」

『では、何か他に問題があるのですか?』

「それ以外の時間についてのことさNHOE。僕がジョーンズ、ブラックシープ、どっちでもいいけれど、とにかく彼のパトロールに付き合っていない時間について、昼の間の時間についてのことだよ。ほら、こう見えても一応、トラヴィール教会の正式な神父だからね。僕としてもその仕事があって、そしてもしも休む時には、休暇届とか色々と出さなければいけないからね。」

『ブラックシープがパトロールをしていない間に関しては、基本的にあなたを拘束するつもりはありません、「自由」にして頂いていて結構です。ブラックシープにも、ジョーンズ財団の理事長という仕事がありますから。』

「ふうん、それはありがたいね。長期休暇届を出さなくてすむよ。」

『けれど。』

「けれど?」

『一点だけ、お願いがあります。』

「やれやれ。何かな?」

『例え昼の間であってもブラックシープは、緊急に悪の気配を感じ取る時があります。』

「悲しいことに、この世には悪が満ちているからね。」

『その場合ブラックシープは、ジョーンズ財団の理事長という仮の姿を脱ぎ去って、ブラックシープとしてその悪と戦いに向かうことがあります。』

「なるほど。」

『その時にはフラナガン神父、あなたにもフラナガン神父としての仮の姿を脱ぎ去って、ファーザー・フラナガンとしてその悪の戦いに向かっていただきたいのです。』

「ねえそのセリフ、言ってて矛盾とか感じない?」

『よろしいですか? フラナガン神父。』

「いや、よろしくないところとか色々あるけれど、まあよろしいって言うしかないよね、そういう契約だし。」

『ありがとうございます、フラナガン神父。』

「どういたしまして、NOHE。」

『さて、その際に、ですが。』

「何かな?」

『そのテーブルの上を。』

「ああ、何か置いてあるね。これは腕時計かな?」

『ええ、そしてその腕時計の名前はシープ・ウォッチ。』

「そのまんまだね。」

『そしてシープ・ウォッチには、時計としての機能以外にも、色々なギミックも仕掛けてあります。内容に関してはおいおい説明していくつもりですが、今は、一つだけ説明しておきます。』

「あれ? 時計の画面が消えて、画面に羊の顔みたいのが映し出されたけど。それにすごい震えている。」

『シープ・ウォッチには、超小型の通信装置が取り付けられています。そして今、シープ・サンクチュアリからシープ・ウォッチに緊急信号を送りました。』

「あ、ここシープ・サンクチュアリっていうんだ。」

『あなたは、常にこのシープ・ウォッチを身に着けていてください。そしてその緊急信号を受け取ったら、すぐにブラックシープの下に駆けつけてください。』

「なるほどね、これが僕にとっての首輪になるっていうことか。」

『ご理解は頂けましたか?』

「まあね、少なくとも理解はしたよ。」

『それから、最後にもう一点。』

「何かな?」

『言う必要はないとも思いますが、念のため、注意しておかなければならないことがあります。あなたの頭に埋め込んだ例の装置は、ブラックシープの死によっても起動します。そのため、あなたがその装置を起動させたくないと望む場合は、ブラックシープの身に万が一のことが起こらないように、彼のことを護って頂く必要があります。』

「まあ、だろうね。」

『これで、私からの説明は終わりです。よろしいですか?』

「大体のことはね。また何かあったら質問するよ。この、シープ・ウォッチでね。これ、君との通信装置もついているよね?」

『さて、それでは。』

「何かな、NOHE。」

『今日のパトロールに向かっていただきます。』

「はいはい、解ってるよ。」

『あなたにとって、初のパトロールになりますね。』

「そうだね。」

『ファーザー・フラナガン。』

「なんだい、NOHE。」

『幸運を祈ります。』

「確かに……それは今の僕に最も必要なものだね。」


 夜が中天に昇り、世界に闇が差している。

 全ての闇は、シープ・サンクチュアリに繋がる。

 ブラッドフィールドは、パンピュリア共和国の最西部に位置している半島の上に作り上げられた都市だ。そのために当然、パンピュリア共和国から他の国々に対して開かれた港湾都市としての役割も有しているのだけれど、それよりももっと重要な役割としてはパンピュリア共和国の首都機能を挙げることができるだろう。

 ブラッドフィールドの中心には、人間たちの俗称でアップルと呼ばれるノスフェラトゥの居住区がある。そしてその周囲をベッドストリートと呼ばれている、ブラッドフィールドの人間たちの中でも、ノスフェラトゥに選ばれた人間たちが住む町が囲んでいる。ここまでが一般的に、「狭義のブラッドフィールド」と呼ばれている。ちなみに、あの有名なレストラン、ラ・コート・バスクがあるのも、このアップルとベッドストリートとの接続地点だ。

 そのベッドストリートの外側、高い高いフェンスで区切られた外側、魔学的な意味での電流と物理学的な意味での電流の双方が高圧で流されているフェンスで区切られた外側が、いわゆる「広義のブラッドフィールド」になる。金も権力も持たない人間、もしくはその双方ともに有しているが、ただ単純に選ばれなかった人間、そういった連中が住んでいる場所。そしてこの「広義のブラッドフィールド」も、更に四つの地区に分けられる。同心円状に分割して、「狭義のブラッドフィールド」に近い方から順に、比較的人間らしい生活を送る階級が住むアップタウン、比較的人間らしくない生活を送る階級が住むダウンタウン、そして、グールタウン。

 今、この時。

 そのうちの一つ、ダウンタウンの闇は。

 シープ・サンクチュアリに接続し。

 その場所に、二つの人影が、不定形の舞踏を踊る。

 片方の影は、空を舞うように飛び。

 片方の影は、地を這うように走る。

 空の方の影は、まるでしなやかな獣のような動き方で、ビルからビルを、まるで飛び跳ねる様に踊っている。それは、空の上から見下ろしている二つの月の下で……ナリメシアとアノヒュプス、実際に存在しているのかも分からない、二人の姉妹の神の名前……緩やかに些喚くように。片方のビルから飛び上がると、宙空でまるで、一つの牙がその夜を犯すように、金の光が揺らめいて消える、その後で、黒い人影は、金の羊の顔で、あっさりと、さわやかに、笑い飛ばすように、くるくると月の下を泳ぐように回転して。それは、輝く刃と、煌めく眼球のようだった、それは見まごう事なき正義の表象、その影は、ブラックシープだった。

 もう一つの人影、地を這うような人影は、それよりもはるかに不恰好な踊り方をしていた。ぜいぜいと、BGMはまるで掠れた貝をこすり合わせる海のような息遣いだ、どたどたと、どう考えても走りにくそうな革靴の音が地面を蹴り。無様に大地にへばりついていて、ただ後ろに垂らしたポニーテールだけがゆるゆると、まるで他人事のように笑っているように。それを見下ろす二つの月は、双方ともに、ほとんど満月に近い形をしている、もしかしたら、バルトケ=イセムの夜も近いのかもしれない……けれど、その人影には、そんなことは関係ないとでもいうみたいに、喘ぐような声を、ブラックシープに発する。

「ちょ、ちょっと待ってジョーンズ……」

「私の名前はブラックシープだよ、ファーザー・フラナガン!」

 まるで、草原を駆け抜ける肉食獣の。

 歓喜の声のようにして、ブラックシープは。

 フラナガンに向かって笑った。

「ブラックシープ……もうやばいから……息とか、できない……僕、死ぬから……もうちょっと、ゆっくり……」

「はっはっはっ! どうしたんだい、ファーザー・フラナガン! レメゲトンに長いあいだ隔離されていたせいで、体力が落ちてしまったのかな?」

 ブラックシープはそんなことを言っておいて、フラナガンの過去については何一つ知らなかったのだけれど、それはともかくの話として。ブラックシープは今度は、まるで片方のビルの屋上から、猛片方のビルの屋上へと、笑いながら空へと落ちていく猫のようにして、次のビルへ飛び移る。そして、フラナガンのことを見下ろすようにして振り返ると、その金色の仮面の奥で、爽快な声をして笑った。

 一方のフラナガンは、頭上をひらひらと舞うように飛んでいるブラックシープの影を、視界から見失わないようにして必死で走っていた。フラナガンにはブラックシープがやっている、曲芸のような芸当ができるはずもないので(フラナガンは特に体を鍛えているわけでもない普通の人間の肉体なので、ビルからビルに飛び跳ねるなんて死を覚悟しない限りは無理だ)迷路のように入り組んだ暗い路地を、必死にブラックシープの姿を見失わないようにして走る、という普通の方法を取るしかなかったのだ。

 けれど、ついにフラナガンにも限界が来た。

 よろよろと、よろめくように倒れ込んで。

 そして、そのままプラスチックのゴミバケツに手をついた。ぜい、ぜい、はー、はー、と呼吸を整える様に必死に息を吸ったり吐いたりしながら、フラナガンはその場でへたり込んでしまった。その拍子に、ゴミバケツがバランスを崩してしまって、ずべしゃっと情けない音を立ててひっくり返る、フラナガンはもろにゴミを被ってしまい、そして底知れぬ悲しさを感じさせる声で呟く。

「な、なんで僕がこんなことしないといけないの……?」

「んもー、だらしないぞ、ファーザー・フラナガン!」

 ブラックシープはビルの縁に止まって。

 そんなフラナガンを見下ろして。

 また春風のように爽やかに笑った。

 今、二人はブラックシープの日課であるという、夜のパトロールをしていたのだった。ブラッドフィールドはとても広い都市であるため、とてもじゃないけれど一つの夜を費やしただけでは全てを回ることはできない(ブラックシープ一人であれば、その気になればできないこともないのだけれど)。そのため、NHOEが作成した精密、複雑、かつ正義の心に満ち溢れたパトロール計画表に従って、本日分として振り分けられた区画を二人は回っていたのだった。このパトロールに出る前は、フラナガンは、たかがパトロールだろ、と若干甘く見ていた節があったのだけれど、その見込みは脆くも儚く崩れ去ることになったようだ。まずまあ、ブラックシープの肉体能力が尋常ではなかったのだ。まるで当然のような顔をしてブラックシープに、このビルを飛んで伝っていくんだよ、と言われたときに、フラナガンは、あ、これやばい方のやつだな、という感覚の、最初の蠢動を覚えたものだった。

 そして、その感覚は裏切ることもなく。

 今のこの様に至るというわけだ。

「僕はこれでも非常に身分の高い人間なんだよ? 代々にわたってトラヴィール教会の要職についてきた家柄で、ベッドストリートに土地も持っているし、ノスフェラトゥとだって親交があるんだ。昔は信徒の皆様から盛大なパーティを開いてもらったものさ、幾つも幾つも、それはそれは壮大なパーティだったんだ。なかでもあの日の黒と白の舞踏会は、そりゃあ素晴らしいパーティだったよ……冷たくまとわりつくような雨の中で、いつものように白と黒で統一されたドレスコード、マスクをした顔は誰が誰とも分からない、まさにブラッドフィールドにふさわしいパーティだった……それなのに何で、薄暗い路地で、明らかな精神異常者を追いかけながら、頭からゴミをかぶらなければいけないわけ? これも全部……僕を陥れたやつのせいだ、僕をスペキエースだなんて嘘をついたやつのせいだ……醜い、卑しい、唾棄すべき、愛されるべきではない、異教徒……許さない、許さないよ……絶対に、死ぬことを許さないよ……」

「何か言ったかい、ファーザー・フラナガン!」

「なんでもないよ、ジョーン……」

「ブラックシープ!」

「ブラックシープ。」

 ふーっと疲れ切ったように、大きくため息をつきながらそう言ったフラナガンは、大きく息を吸いこむ関係上から、あんまりゴミにまみれてため息はつくもんじゃないな、と思った。一方で、ブラックシープはさっきからビルの屋上の、下を見下ろせる縁、つまりフラナガンのことを見下ろせる縁に立って、フラナガンの方に雨のように爽やかを振り注がせていたのだけれど、ふっと何かに気が付いたように、視線を別の方向に向けた。

 その視線が。

 鋭く、正義に燃える。

「ストップだよ、ファーザー・フラナガン!」

「いや、僕もう止まってるけど。」

 やっと少し呼吸が整って来たフラナガン神父は、ゆっくりと立ち上がって、ゴミにまみれた黒いロングコートから、そのゴミをぱっぱっと払い落としながらそう言った。ブラックシープはそんなフラナガンのことをまるで見もせずに、一心に一つの方向に視線を向け続けている。それきり何も言わないので、しびれを切らしてフラナガンを問いかける。

「なに。」

「しっ、静かに!」

 その、しっ静かに!の方がはるかに大きい声だと思いますけどね~みたいなことを考えつつも、正義のヒーロー(自称)ブラックシープには何を言っても無駄なことは明らかだったので、フラナガンは特に反論もしなかった。

「あそこを見て見たまえ、ファーザー・フラナガン!」

「あそこってどこ?」

「あそこだよ、あそこ!」

「指さされてもここからじゃ見えないよ。」

 そのフラナガンの言葉を聞くと、ブラックシープはいきなり、まるで消音された映画のように音を立てることもせず、軽くそのビルの屋上から、落下するようにして弧を描き、そして落ちてきた。闇の底に潜りこむように、まるで蹄のようにきらきらと光る金色の爪先で、ふわり・そっとフラナガンの目の前に降り立つ。それから、そんなブラックシープをきょとん、とした目で見ているフラナガンの体を、無造作に抱えるようにしてひょいっと持ちあげた(参考までに、ブラックシープの体は、フラナガンよりも小柄なくらいの体、あるいは一般的な成人男性と比べても、それよりも少しくらい小柄な体だ)。

 そのいきなりのお姫様抱っこに対して、は?みたいな顔を、明らかに混乱しているような顔をしたフラナガンのことなど、まるでお構いすることもなしに、ブラックシープはフラナガンを抱いたままで、また、地面を蹴って飛んだ。去勢された猫みたいに身軽な動きだ、ビルとビルの壁の間を、その壁を軽く蹴り飛ばすようにして駆けあがって行って、手を使うことさえせずに、先ほどまで立っていたビルの天辺、屋上の縁へと、またやすやすとたどり登り上がる。

 ひょいっと、フラナガンをそこに下して。

 そして、また先ほどと同じ方向を指さした。

「あそこを見て見たまえ、ファーザー・フラナガン!」

「いや、あの、えーと。」

「見て見たまえってば!」

「あっ、はい。」

 フラナガンはお姫様抱っこだの何だのに対してブラックシープに何か言いたいことがあったような気がしたのだけれど、その有無を言わさぬ照覧強制に、別に言いたいことなどなかったような気さえしてきて、唯々諾々と視線をブラックシープの指が向ける先に向けた。その先に広がっていたのは……

「え、なに? あれがどうしたの?」

 特筆すべき点もない、ブラッドフィールドでは有り触れた光景だった、特に夜のダウンタウンには。その先は、暗く闇が沈んだ路地だった。そこここにゴミが落ちている、紙くずだの、空き缶だの。壁面には色々な落書きが書かれていて、その全てが肥大したエゴはいくらでも見受けられるが、芸術的なセンスは欠片もない、定型化した落書き、恐らく脳みそのご不自由な若い不良共が書いたものだと思われた。

 そして、その落書きの目の前で。

 二人の男が、少女を壁に追い寄せていた。

 少女は十代の後半くらいだろう、もしかしたら、前半かもしれない。妙にすーすーとしていそうな、露出の大分多い服を着ている。恐らく娼婦か、けれど服に皮とかそういう高い素材を使っているわけでもないので、ただ単純に金がない少女かもしれない。娼婦であった場合に問題になって来るのは、ヒモも持たずに夜の路地裏に立つのかという点だけれど、もしかしたらヒモと別れたばかりなのか、それか単純にこの都市のルールを知らなかったのだろう。ただ単純に金がない少女だったとすれば、そもそもなぜこんな場所にいるのかという問題があるけれど、酔っぱらった父親がもっと更に酔っぱらいたく思ったためこの少女を酒を買わせに使いに出したか、それか単純にこの街のルールを知らなかったのだろう。ブラッドフィールドの夜の街における不文法は、残念なことに違法性の認識がないことを違法性阻却事由としない。そのため、この少女が夜の都市のルールを知っていようが知っていまいが、等しく裁きの執行官が訪れることになる。

 執行官は、若いチンピラのように見えた。

 粗雑な生き方をしている、下層民という意味だ。

 フラナガンは彼らのようなチンピラに対してとても同情している、これは本当のことだ、嘘ではない。フラナガンのようにこの都市の名家に生まれて、頭脳も明晰、姿かたちも美しく(今は黒に覆われてそれは見えないが)、そしてケイト・マクロードに愛されているような人間と違って、彼ら低劣なチンピラどもは下層階級に生まれ、白痴に近い低能、姿かたちは目も当てられないほど醜悪で、そしておまけにケイト・マクロードからの愛にも気が付くことがない(馬鹿だから)。だから、フラナガンは基本的に、彼らが何をしようと、自由にさせてあげればいいと思うのだ、どうせ碌な生き方をせず、どうせ碌な死に方もすまい。まあ、本音をいえば、こんな哀れをもよおす、虫けらのような存在に、いちいち意識を向けることすら面倒だという面もあるのだが、それはとにかく、フラナガンは彼らチンピラにかかわりたいとは思ったこともなかった、実を言うと、意識の上にのぼったこともない、彼らが少女に姦を強いろうが、あるいは盗を強いろうが(恐らく両方だと思うけれど)。

 どちらにせよ、この光景は。

 特に目を引く光景ではない。

「たった一人の少女を、頑健な男が二人がかりで襲い掛かっているではないか!」

「うん、まあそうだね。」

「こんなこと、こんなこと……くっ、こんなことは、とても許せることではない……これは悪だよファーザー・フラナガン! 間違いなく悪そのものだ! 悪は罰さなければならないんだ、私たちは、彼らに罰を与えなければならないんだよ!」

 ブラックシープは新しいおもちゃを買ってもらった少年のようにして嬉しそうにそう言い放つと、ばっとフラナガンの方に振り返った。一方でばっと振り向かれようが何をされようが、フラナガン的には現在のこの状況も、あるいはブラックシープのセリフも、基本的には心底どうでもよいのではないでしょうか~なことだったので、特に反論することもせずに「あっ、はい」とだけ言った。すでにおなじみになってしまいかけている、そのフラナガンの一応は肯定を意味する返答に、ブラックシープは満足そうに力強く頷くと、たっ、とまた夜に飛んだ。今いるビルの屋上を蹴って、そして、より一層高いビルの屋上へと移る。

「何してるの?」

 フラナガンが純粋な疑問から問いかけた。

 ブラックシープは空を見上げながら答える。

「月の光がもっと綺麗に当たる場所に移動しているんだよ!」

「え、なんで?」

「こういう時にはね、ファーザー・フラナガン! 効果的な登場が重要になって来るのだよ!」

「はあ、そういうもんですか。」

 心底どうでも良いのではないでしょうか~(二回目)。フラナガンはぼけっとそんなブラックシープの方を見つめていただけだったけれど、ブラックシープがぶんぶんと肩のスナップから大きく手を振って、そんなフラナガンのことを執拗に自分のところに招くので仕方なく、ブラックシープのいる場所まで、恐る恐るビルの壁をよじ登ってたどり着いた。

 そこからだと、確かに月の光が綺麗に差し込んでいた。

 路地裏のあの場所も、とてもよく見えた。

 月に照らされて、チンピラが揃いで着ていたジャケット。

 その背に浮かび上がる、二輪の薔薇の花。

「あれ?」

「どうしたんだい、ファーザー・フラナガン!」

「あの模様、どこかで見たような……」

 言いながら、フラナガンは思い出そうとする、その薔薇の模様について。白い色をした薔薇だ、まるで逆向けた五角形のようにして、あの形は、つい最近だったはず、特に重要でもないから覚えようともしなかったこと……そうだ、思い出した。

「ああ、ホワイトローズ・ギャング。」

「何か知っているのかい、ファーザー・フラナガン!」

「ええと、まあね。色々とあって。」

「さすがだね、ファーザー・フラナガン……二年間もレメゲトンに閉じ込められていたのに、既にして私よりも闇社会に対して深い知識を有しているなんて……私も負けてられないな!」

 そういうと、ブラックシープは。

 かがめていた身を立ち上がらせた。

 月の光、シルエットが浮かび上がる。

 そして、すっと滑らかにポーズを取り。

「そこまでだ、悪党ども!」

 叫んだ!

 正義の叫びを!

 その正義の叫びに対して、少女を襲っていたチンピラの二人ははっと驚いたようにして身をすくめた。それから少女から目を離して、きょろきょろとあたりを見回し始めた。明らかに声は上から聞こえてきているにもかかわらず、二次元方向にしか思考が至らないところとか、フラナガンはそれを見つつ、大丈夫? ちょっとこの子たち頭悪すぎるんじゃない?って思ったのだけれど、それはともかくとして、チンピラたちはそこらへんにぶんぶんナイフを振り回しながら言う。

「な、何だ、どこのどいつだ!」

「どこにも姿が見えねぇ、一体何なんだ!」

「おい見て見ろ、上だ!」

「上だって?」

「あそこだ、上だ!」

「あ、あいつは何だ!」

 ようやくチンピラたちは自分たちの頭上に思い当たる。

 そこに立っているのは……ブラックシープ!

 朗々とした声で、チンピラ二人に告げる正義の宣告!

「弱きものよ、虐げられしものよ!

 その声を上げよ、正義は決して聞きのがさない!

 仮に太陽がその目を閉じていたとしても!

 あるいはこの世界に神がいなかったのだとしても!

 悪の存在は決して許されることはない!

 そう、正義は常にあなた達と共に歩むのだから!

 黒き羊にこの身をやつし!

 金の蹄で悪を滅ぼす!」

 そこまで言うと。

 ブラックシープは、空に落ちる。

 月の光の中、金の光。

 まるで、魔法のように泳いで。

 そして、すたり、と素敵に。

 チンピラ二人の目の前に着地した。

「ブラックシープ&ファーザー・フラナガン、ここに見参!」

「え、僕も?」

 一方のフラナガンは、こんな高いビルから飛び降りるのは、まあできなくもないけれど色々とアレだったし、そもそもブラックシープのアレがアレで、フラナガン的にはアレだったので、そのまま屋上で身を潜めるように屈んだままでいたのだけれど、いきなり指名があったのでびっくりしてしまった。

「僕も行かなきゃいけないの?」

「あなたがいると心強いよ!」

「えー……まあ、いいけど。」

 あんまりこういう姿、後輩の部下には見せたくないんだけどなぁ、などとぶつぶつ呟きながら、フラナガンはブラックシープのように飛び降りることはしないで、普通にビルの横についていた、非常階段を降り始めた。

 一方で。

 チンピラの二人は。

「なんだなんだ! 誰だお前は!」

「こ、こいつ、ブラックシープだぜ!」

「ブラックシープぅ?」

「お前、ニュースとか見ねぇのかよ!」

「逆にお前、ニュースとか見んのかよ!」

「ああ、俺の昔の先輩が偉くなりたきゃニュースを見ろって。」

「そうか、いい先輩だな。」

「それはともかく、こいつ、ブラックシープだぜ!」

「なにもんだよ、そいつは!」

「最近、ここらへんに現れ始めたっつー怪物だよ! 悪いことをしてる連中を、片っ端から食ってるっていう……単なる気味の悪い噂だと思ってたら、本当にいやがったのか!」

「怪物だって? こんなちっぽけなやつがか?」

「ダメだぜ相棒、そんなこと言ったら食われちまう!」

「ビクビクすんなって相棒、こんなちっぽけな奴に食われる俺様じゃねぇぜ! それにだ、要するにだ、こいつを始末すれば箔が付くってことだな!」

 そういうとチンピラ1は不敵ににやりと笑った。

 そして、ブラックシープに向かってナイフを振りかざす。

「俺が始末してやるぜ!」

「愚かな! 悪の申し子よ、正義の使者に勝てるとでも思ったか!」

 そして、チンピラ1はブラックシープに向けて襲い掛かった。チンピラにしてはなかなか身軽で、身のこなしも悪くはなかった。しかし、所詮はチンピラだ、たかが知れている。ブラックシープは観客(襲われていた少女のこと)の目を意識した、少し大げさとも思える動きで、軽くチンピラ1の頭を飛び越えると、その背後に着地した。

「喰らえ、正義の鉄槌!」

「うわぁ!」

 ブラックシープは身を落として足払いをかける。

 無様といえばあまりにも無様に転ぶチンピラ。

 ブラックシープの手の先、金色にきらめく。

 月の光に照らされて、それは鮮やかに落下を描き。

 そして、赤い鮮血がチンピラの胸から噴き出す。

「まずは一善!」

「はい?」

 その光景と、ブラックシープのその言葉に、非常階段を極力足早に下りながら、けれどそれといって駆け下りるでもなく、思わずフラナガンは声を上げた。あまりにもあっさりとブラックシープはそのチンピラ1を殺して……チンピラ1本人の言い方に習うとすれば始末してしまったのだ。いや、正確に言えば死んではいない、チンピラ1は何が起こったのかもわからずに、喘ぎ声を上げようとしていたが、心臓を貫かれているらしく、鼓動のごとに胸からはおもしろアイテムの噴水みたいにして血液が噴出する。まああと十秒も生きていればいい方だろう。

 ちょっと待ってよ、いくら何でもあれはひどいでしょ……彼にも家族だなんだが、いや、あの感じだといないかもしれないけど、とにかく彼だって法律上は人権が、いや、あの感じだと人権を取り上げたほうが世のためかもしれないけど、とにもかくにも常識と照らし合わせてみれば、何も殺すことはないんじゃないの……しかもあんなに有無を言わさず……正義もへったくれもなくない……? ていうか僕、必要なくない……? とフラナガンは常識人らしく眉を顰めつつも、ようやく階段を下り終わり、ブラックシープがいるのと同一平面上、つまりあの路地裏へと降り立った。

 一方で、チンピラ2は完全に怯えてしまっていた。

 それはそうだろう。

 目の前にいるのはブラックシープだ。

 ブラックシープの、体にぴったりと張り付くような漆黒の衣装のそこここには、チンピラ1から噴き出したべとべととした濁血が、じっとりとにじんでいて、それがまるで嘲笑っているように見えた。もちろん被害妄想だ、けれどチンピラ2はそれほどまでに恐れていた。ゆっくりとブラックシープがチンピラ2のことを振り返る。金色の羊の顔が、無表情にチンピラ2の無様な姿を見る。

「ひぃいいいい!」

 チンピラ2は駆け出した。

 とにかくここから逃げねば。

 あの怪物から逃げねば。

 よろめつつ、逃げる。

 その体が、どんっと誰かに当たる。

「あ、ごめん、道塞いじゃったね。」

「へ?」

 怯えて力の抜けていたチンピラ2の体は。

 あっさりとその場にへたり込む。

 そして、自分が突きあたった何かを見上げる。

 真っ黒な体が、闇の中に浮かび上がる。

 まるで、闇よりもなお濃い色をして。

 ゆらりと揺らめくポニーテール。

 体全体を覆うロングコート。

 この姿を、知らないチンピラはいないだろう。

 全てを包み込むような、大いなる闇のようなもの。

 ブラッドフィールドの、悪魔のうちの一人。

「あ、あんたは……フラナガン神父!」

「え? ああ、うん、僕はフラナガンだけど。」

「な、なんであんたがここに!? あそこから出てきたって話はニュースで見たけど……そ、そういえばさっき、あいつが……ブラックシープがあんたの名前を呼んでいた、そうか、つまりブラックシープはあんたの……コーシャー・カフェの殺し屋だったんだな! このブラッドフィールドにまた、あんたの支配の手を伸ばすためにあんたが作り出した怪物なんだ! だから、俺たちを殺しに来たんだ……コーシャー・カフェを裏切って、ホワイトローズ・ギャングについた俺たちに!」

「随分説明口調だね、君。」

「た、助け……殺さな……」

「いや、ちょっと待ってよ。」

 チンピラ2は、確かに自分で言った通りコーシャー・カフェの一員だった。けれど下っ端も下っ端、末端も末端の人間だ。当時も、そして現在も、ストリートで子供たちに、混ざりものの多い、安いドラッグを売りつけるという、たいした儲けにもならない仕事がチンピラ2の役割だ、当然のこととして、フラナガンが彼のことを覚えているはずもなかった。また、彼がコーシャー・カフェを裏切ったところで、フラナガンとしては、まるで気にするつもりもないことだった、どうぞご自由に、と慈悲の笑みで送り出してあげてもいいだろう。正直なところ、チンピラ2はフラナガンにとって心底どうでもいい人間だったのだ(道端の石ころにも劣るだろう、道端の石ころならば転べば怪我をする)。それなのに、目の前であまりにおびえているチンピラ2が可哀そうになって、フラナガンはその、心底どうでもいいということを伝えようとした。

 けれど。

 その時に。

「悪に救いなどない!」

 金の蹄がきらめて。

 チンピラ2の首が飛んだ。

「ただ死あるのみ!」

「ええー……」

 フラナガンが体に鮮血を浴びながら。

 困惑したように呟いた。

 音もなくチンピラ2の背後に近づいてきていたブラックシープが、その身を低く収めてチンピラ2の首を掻き取ったのだ。チンピラ1とまるで同じような顔、つまり何が起こったのか分からないとでも言っているような顔をして、その首はゆっくりと夜の空の方へと飛んで、そして同じようにゆっくりと落ちてきて、地の上にどふっと鈍い音を立てた。その首は最後の一瞬に何かを言おうとしていた、フラナガンに向かって、恐らくその裏切りに対する慈悲を求める言葉か何かだろう、けれどフラナガンはその首に注意を向けているはずもなかった。

 その代わりに。

 黒い紗の奥。

 苦い顔をして。

 ブラックシープを見ている。

「ありがとう、ファーザー・フラナガン! あなたがいなかったら、この男を逃がしてしまっていたところだよ! やはり相棒がいるというのは心強いものだね……しかもあなたという相棒がいるのは! あなたはやはり生まれながらにして正義なんだね、ノーハンズオンリーアイの見立ては全く正しかった! この男の顔を見たかい? そして声を聞いたかい? あなたの正義の心に、この男の悪がどれほど怯えていたのかを、あなたは見て聞いたかい!」

「いや、それはいいんだけどさ。」

 フラナガンはどう言ったもんか、と思いつつ。

 ブラックシープのその演説に口をはさんだ。

 ふっと二つの死体の方に目を向けて。

 すぐに、嫌悪感をあらわにして目を背ける。

「ちょっとやりすぎじゃないかな。」

「やりすぎ?」

「いや、なにも殺すことはないだろう? まあ、あっちの方は君に襲い掛かっていたから仕方がないかもしれないけれど、こっちの方なんてもう逃げていたんだし、さすがに殺すのは……それにもうちょっと、何ていうか……服も汚れちゃったし……」

 ぶつぶつと苦情を申し立てるように、フラナガンはそう言った。一方で、ブラックシープは何やらぶるぶると体を震わせていたけれど、暫くして唐突に、がしっとフラナガンの肩を両方の手で掴んだ。あんまりにいきなりのことでフラナガンはびくっと体を驚かせたけれど、そんなことはお構いなしにブラックシープは言う。

「ファーザー・フラナガン!!」

「あっ、はい。」

 金の仮面の向こうから。

 黒の紗の奥へと見つめて。

「あなたは優しすぎる!!」

「はい?」

「あなたは、あまりにも、優しすぎるんだよ、ファーザー・フラナガン……あなたの言いたいことは私にも分かる、痛いほど分かるんだ。確かに彼らも私たちと同じように、同じように一人の人間として生きている。そして悪の道へと入ったのも、彼らのせいではないのかもしれない。周りの環境がそれを強いたのかもしれない。彼らにも更生の、悪の道から正義の道へと帰る、その機会を与えるべきだ、その思いは痛いほど分かるんだ……」

「え? いやそこまでは言ってないけど。」

「けれど、それでは駄目なんだ。」

「あ、無視ですね。」

「それでは駄目なんだよ、ファーザー・フラナガン! 私たちは正義の執行者だ、その役目を、決して忘れてはいけない、考えてみて欲しいんだ、彼らの一人を私たちが野放しにすることで、一体どれだけの人が悪の犠牲になると思う? 私たちは、それを見逃すことはできない、これ以上は、悪の犠牲者を増やしてはならない。悪の根は、元から絶たなければいけないんだ。悪を皆殺しにすること、一人とて逃がさずに殲滅すること、これも、正義の行使には……これも正義の行使には仕方がないことなんだ、悪との戦いにおいては、必要なことなんだよ!」

 ぐりんぐりんと、まるで壊れた洗濯機か何かのようにして、フラナガンの肩をひっつかんで揺らしながらブラックシープはまくし立てた。フラナガンはすっかり目が回ってしまって、くらくらしながらかろうじて口を開く。

「分かった、分かったよ!」

「分かってくれたかい、ファーザー・フラナガン!」

 フラナガンのもう何か全部が面倒になってしまって言った言葉の、いつものように肯定の面だけを受け取りながら、ブラックシープは歓喜に満ち溢れたような声でそう言った。

「あなたなら分かってくれると思っていたよ、ファーザー・フラナガン! しかし、あなたのこの世で最も気高い正義の心、優しさに満ち溢れたその思いは、私もしかと受け取ったよ!」

 そう言いながら、ブラックシープは欣喜雀躍、がっしりとフラナガンに抱き付いた。フラナガンはブラックシープに対する基本的姿勢、つまりなすがまま――レット・イット・ビー――の姿勢で、ただそのハグを体で受け止めただけであった。きゅっとして小さくて固いブラックシープの筋肉質な体が、運動エネルギーの放出のせいだろうか、少しだけ温度を帯びていて、それがコートとスーツ越しに伝わってきた。

「ところでさ。」

「何だい、ファーザー・フラナガン!」

「あれはどうするの?」

 そう言いながらフラナガンが指さしたのは。

 気絶して、倒れたままの少女の姿だった。

 チンピラ二人に強姦だか強盗だか、とにかく襲われかけていた少女は眼前で繰り広げられたあまりの出来事に気を失ってしまっていたらしく、その場で頽れるようにして倒れたまま、意識を取り戻すこともできていないようだった。ブラックシープは感動の余韻からパッと抜け出せるタイプらしく、パッとフラナガンから離れると、その少女のそばに近寄った。

 片方の膝をついて。

 そして、その少女の体に触れる。

 脈をとる、瞳孔を確認する

 体に傷がないかをざっと確認する。

 手慣れた感じだ、無駄もない。

「特に怪我をしている様子もないね。気絶しているだけのようだ。」

「そう、それは良かった。」

 ブラックシープは、腰に巻いたベルトの、そこについている幾つかのポーチのうちの一つを開いて、その中から何かを取りだした。真っ黒に塗りつぶされているそれは、何かおもちゃのピストルのように見えた……口のところが大きく開いた、小さなラッパ銃のようなもの。それを二つの月がきらきらと光っている空の方へ向けると、軽く引き金を引いた。

 音もなく、打ちあがる。

 空に向かって、一つの煙の筋。

 あたりのビルを超えて、空に。

 ぼんっと、弾丸は破裂して。

 そして、あたりに光る煙をまき散らす。

「あれ何?」

「シープ・マークさ!」

「シープ・マーク?」

「私たちが悪をくじき、弱きを助けたことを夜警官たちに知らせるマークだよ! あのマークを目印にして、くじかれた悪を掃除して、助けられた弱きを保護するために、彼らが来るという寸法さ!」

「ああ、なるほど、そういうことね。」

 フラナガンは、そう言いながら空を眺めた。ブラックシープが今ポーチにしまっている、あの小さなラッパ銃は、恐らく特殊な発煙筒のようなものだったらしい。空の向かって放たれた弾丸、薬玉のように割れてその中から噴き出したらしい光る煙は、もわもわと集まって、確かに言われたように、羊のような形に見えないこともなかった。夜の下、空の真ん中で、恐らく月の光を吸い取って、それを周囲に拡散しているのだろうか、とにかくその煙は、かなり目を引くものだった。ブラッドフィールドの、ほとんどどこからでも、それを見て取ることはできるだろう。まあNHOEも色々なことを考えるものだ。

「でも、いいのかい?」

「何がかな?」

「夜警官たちを呼ぶってことがさ。」

 フラナガンはくっと首を傾げる。

 別に言う必要もないのだけれど。

「彼らは本当に信頼できる存在なのかな?」

 一応、言っておこう。

 フラナガンがそう言ったのは、別に何の理由もないことでもなかった。確かにブラッドフィールドでは、夜警局はぐしゃぐしゃに溶けた腐肉のように腐敗しきって蛆が沸いている、夜警官のほとんどが六大ギャングのうちのどこかにコネを持っていて、賄賂を受け取ったり情報を流したりしている、というのはほとんど公然の噂になっていた。そしてそれだけではない、実際にフラナガンは過去において、その六大ギャングのボスのうちの一人だったし、夜警局にも確かにコネクションを持っていたのだ。正確に言うと、夜警局だけでなく、その上部組織のアップルにもコネクションを持っていたのだが、とにかくフラナガンは、少なくとも二年前までの夜警局が完全に腐りきっていた、ということを、実際にその体を支える骨から滴る髄液の味を味わうようにして知っていたのだ。

 下手に夜警官に少女なんか渡したら。

 翌日にはテンプル・フィールズで客を取っているだろう。

「はっはっは、ファーザー・フラナガン。大丈夫だよ、心配ないさ! もう少し、夜警官たちのことを信頼したまえ、確かに彼らは正義の担い手としては頼りないところもあるが、その心には正義を遂行しようとする熱い炎が燃えているんだよ、そう、私たちと同じようにね。」

 そう言いながらブラックシープは笑った。

 まるで、無邪気な少年のようにして。

「君がいいのなら、まあいいけれど。」

「それにだよ、ファーザー・フラナガン。」

 どうでもよさそうに返事をするフラナガンに。

 軽くウインクを死ながら付け加える。

「そうでない奴らは、もうみんな殺したさ。」

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