#40 サヴァン・エトワールの優雅な絶望
「ジョーンズ、ジョーンズ……」
静かに体の中の硫黄が引いていく。
最初は脳髄の、端の方から。
「ジョーンズ、ジョーンズってば!」
以下は長いので省略するが、各自# Prologosの最初の段落を参照にしてジョーンズが目覚めるまでのシーンを補っておいて頂きたい。その際には「氷河」を「硫黄」に入れ替えたようにして適時単語を入れ替える必要があるのだが、最も注意すべき点としてはフラナガンが精神のゲニウスであるのに対してジョーンズは胚胎別理であるという点だ。さて、兎にも角にもジョーンズは目覚めた、ぱっちー!と両方のおめめを元気よく開いて。花咲き乱れる草原の中で、小鳥の声と優しくなでる風を目覚ましに目覚めたような、それはもうすがすがしい目覚めだった。
「ああ、良かった。目を覚ましたね、ジョーンズ。」
「ファーザー・フラナガン!」
「なんだい、ジョーンズ。」
「私はジョーンズではなくブラックシープだよ!」
「え? ああ、ごめんごめん、ブラックシープ。」
そんなこんなを話しながら、ブラックシープは見える範囲、感じられる範囲の周辺を確認した。シープマスク越しに、目の前にはフラナガンの顔が逆さに映っていて、頬のあたりに手袋の感触を感じる。それに、どうやらフラナガンが膝枕をしていてくれていて、体はまっすぐに横になっているらしかった。それから、それから……いったいどうしてこういう状態になっているのだったか……現在の状況を思い出すと……?
「ジャスティス!」
「痛っ!」
ぱっと、ブラックシープは!
ばね仕掛けの人形のように立ちあがった!
その時にフラナガンの顔に額をぶつけたが!
今は、気にしている暇などないのだ!
「おのれ、ハッピートリガー! 良くも私を殺してくれたな!」
「は? 何言ってるの?」
黒い紗ごしにぶつけた顔を痛そうに押さえながら、怪訝度MAXな声をして問いかけるフラナガンをいつものように完全に無視して。ブラックシープのマサカー・ギアはすでにフルスロットルだった。金の蹄を振り上げて、腰を落とし、全神経を集中させて、正義の心は熱く燃え……
「おや……?」
そして、ふと、ブラックシープは。
全くもって、おかしなことに気が付いた。
「私は、死んでいない……?」
「すごいところに疑問を抱くね、君。」
ブラックシープに遅れて立ち上がって、ぱんぱんと服についた土を払いながら、フラナガンはこれもいつものように、全くもって呆れ果ててそう言った。ブラックシープは、体のあらゆるところ、特に胸のあたりと左腕を中心にぱしぱしと叩いて確かめてみるが、引き裂かれたような巨大な裂け目どころか、そこにもどこにも傷一つなかった。それだけじゃない、全てが……全てが、何か、少し、おかしいような気がした、この晴れやかな気持ち、この素晴らしい気持ち、このジャスティスな気持ち、全てが……全てが、何かおかしい、というか、正しいような気がした。正しい、けれどそれは有り得るはずのない正しさだった、正しかったはずの世界が、嘘をつかれたようなそんな正しさ。
「ジャスティス! そんなことを気にしている暇はない!」
「え? そこは気にしといた方がいいんじゃない?」
「今は、火急に果たされねばならない正義があるのだから!」
そう言いながら、ブラックシープはまたこの場所の中に、洞窟の中に、つまりダレットセルの中に目を走らせた。ブラックシープの目が持つ辞書には隙などという単語は記載されていない! まるで獲物を狙う狩人のように正確に悪痕跡をたどり……そして、やがて目当ての悪塊を見つけ出すのだ! そして、今回もやはり目当ての悪塊を見つけ出して……
「ジャスティス……?」
「君はさっきから、一体どうしたの?」
探していたのはハッピートリガー、悪の首魁
今回の事件、悪の革命の首謀者。
そして、ブラックシープを殺したはずの男。
しかし、見付けたハッピートリガーの姿は。
無残にも地に倒れ伏して。
身動き一つする様子もない。
「これは、一体どうしたということなのだ……?」
ふるふると首を振るようにして。
きょときょとと、周りを見回す。
そして、決定的なことに気が付く。
あの、赤い、海が。
赤い色をした歪みが。
消えてしまっていた。
その流出の源になっていた、赤い球体も。
王台の上で、また、曲線と、角度と、直線の。
ウエイトリーの檻に閉ざされていて。
それにあの歌もいつの間にか聞こえなくなっていた。「蛇たちを起こす歌」、今では既に声なき亡骸となっているその歌い手達の声だけでなく、ダレット列聖者の声も……ダレット列聖者は、つまり、王台の前から、その姿を、消していた。生きているグールの姿は、一鬼もその場には見えなかった。ブラックシープは自分の知っている状況からの、あまりの周囲の変化に困惑したようにしてフラナガンの方を見て、フラナガンはそんなブラックシープに答えを指し示す。
「これは、一体どうしたということなのだ……?も何も、見ての通りさ。というか覚えていないのかい? すべて終わった、僕達が勝ったんだよ。いつものように、世界の理が指し示すとおりに、正義が悪に勝利したのさ。」
「しかし、私はハッピートリガーの悪のライフルが放つ悪のグレネードにこの心臓を引き裂かれて……」
「君ってなんにでも悪のをつけるんだね、シープだけじゃなくて。それはまあいいんだけれど、もしかしてハッピートリガーが最後の悪あがきで放った弾丸のことを言っているのかい? あれは、ぎりぎりのところで避けたじゃないか。グレイも君が横腹に開けた傷で弱っていたのだろうね、本当に危ないところだったけれど、何とか彼の犬を振り払って。それからハッピートリガーの銃弾はグレイだけを貫いて、その呆然としていたハッピートリガーを、見事に君が仕留めただろう?」
「そうだったっけ?」
「そうだったよ。」
「確かに……そうだったね、ファーザー・フラナガン!」
「もう少し自分の意見ってものを持ったほうがいいのでは?」
「しかし……では最終兵器Lは? 確か封印が解かれて……」
「最終兵器L? ああ、あの娘のことか。あの娘は見ての通りだよ、君がハッピートリガーを倒すと同時になぜか封印が復活して、全部めでたしめでたしってやつさ。これは僕の推測なんだけれど、きっとノヴェンバーが何かしたんだろうね。たぶん……」
「ノヴェンバー兄さんが!?」
「ノヴェンバー兄さん?」
「なるほど、そういうことだったのか……そう考えれば全て腑に落ちるね、ファーザー・フラナガン。」
「そう考えれば腑に落ちるも何もそれが現実だからね。あとノヴェンバー兄さんってなに?」
「なるほど、なるほど……全くもって然りだよ、その通りとしか言いようがない、いつもあなたは正しいね、ファーザー・フラナガン! 正義というものは、いつも悪に勝つものだ!」
「いや、それはいいんだけどノヴェンバー兄さんって……」
フラナガンからなされた説明で全てを納得し、この世界には元から間違いなどなく、あらゆることが正しくて、遍く正義がいきわたっているということについて、今更ながらに強く強く実感してうんうんと何度も頷いているブラックシープに対してなおも食い下がって問いかけるフラナガンだったが。
しかし、その時!
通路の方から聞こえてきて!
このセル内部に響き渡る!
無数の足音が!
「ファーザー・フラナガン! この足音は!」
「あー、別に心配する必要はないよ。ようやく来たのか。」
その足音が聞こえてきた通路の方にばっと振り返って警戒態勢をとったブラックシープに、こちらは特に警戒した様子もないフラナガンは、少し首を傾げながらそう言った。二人がそんなやり取りを交わしている間にもそのばらばらという足音はどんどんこちらへと、つまりダレットセルへと確実に近づいてきて、そしてやがてその足音の主が、全部で六人、セルの入り口にその姿を現した。
彼の、あるいは彼女達の、大部分、つまり五人は……何者なのか分からなかった、その全身は、まるで鎧のようなもので覆われていたのだ。鎧、というには少しスマートすぎるかもしれない、何かもっと別の物……体の外側を覆い、外界と隔絶している、一枚の障壁のようなもの。頭部はまるでヘルメットのようなもので覆われているが、ヘルメットと違ってどの部分もガラスのような透明さを持っておらず、従ってその内部にいる人間の顔はいかなる形でも外部から露出していなかった。首や、その他の関節の部分が少しだけ柔らかい、筋繊維のように見える素材になっていて、そのほかの部分はまるで骨のような硬質のプレートになっている。そして、背中には何か複雑な機械がつまっているらしいボックスを背負っていて、それは、どちらかと言えば、そう、鎧と言うよりも、例えば宇宙服のように見えた。ただし、その宇宙服は赤い色をしていた……ただの赤ではない、歪んだ赤、つまりアンチ・ゲニウスの赤色を。
しかし、一人だけ、そのスーツを着ていない者がいた。
一人? それは、しかし、何者なのだろうか?
ある意味では、それは成熟していない女性のように見えた、せいぜい高校生くらいだろう、まるでゼティウスに浸されたようにして、あるいは実験室で育てられた烏の羽の色のように、黒く艶めいた髪は、長く長く伸びてそれの踵のあたりまで伸びている。その動きはまるで踊るように優雅で、時計のように画一的だった。その透き通ったような肌はまるで深海魚のように薄暗く残酷に滑らかで、体の上には真っ白なワンピースと、それからひらひらとはためくフードのついたマントを羽織っている。そのマントには、汚れ一つ見えなかった、まるで汚れるということを、前提としていないかのようにして。それは、少し不気味なくらいに完璧な造形をしていた、明らかに自然のものではないように……ある一点を除いては。その少女の頭部は、開かれていた。そこに露出していたのは、普通の人間のように脳蓋のようなものではなく、何か精密な歯車仕掛けのようなもので、そしてそれに寄生虫のようにして何かの回路が、幾つも幾つも、あるいはハリネズミのようにして、突き刺さっていたのだ。その回路は色とりどりに光を放ち……そして、それの目は、まるで濁ったミルクのように虚ろだった。
それの首には、鎖がつながれていて。
そして、一人が、その鎖を強く掴んでいた。
決して、それを、逃さないように。
「久しぶりだね、サヴァンくん。」
フラナガンは、その群れの先頭の人物に向かって、さも嬉しそうに挨拶をした。あるいは、何か……もっとそこには、戯れじみた嫌がらせのようなものも含まれていたのかもしれない。それはとにかく、その挨拶された先頭の人物は、さっと手を振って後ろの部隊に合図をすると、セルの入り口で立ち止まらせた。先頭の人物だけがフラナガンと、それからブラックシープの方に近付いていき……かぶっていたヘルメットを自分の頭から外した。
「……ご無沙汰いたしております、フラナガン神父。」
サヴァン・エトワール。
あるいはフィッシャーキング。
つまり足音の主は彼であり、それから彼の部隊だったのだ。ちなみにこれ以降は誰もヘルメットを外さず、誰が誰なのかを言及する機会がないと思うので今ここで言及しておくが、あの訳の分からない少女のようなそれの鎖を持っている、ちょっと大柄な感じ、一番大きいサイズのやつを着てるのがミズ・ポンゼだ。
「サヴァン・エトワール、正義の人よ! なぜここに?」
「確かあなたは……ブラックシープ、でしたね。」
ブラックシープの問いには答えずに、ただちらと目を向けてサヴァンはそう言った。それからもう一度、洗練された舞台芸術のような手つきで自分の後ろにいる隊員達にぱっと合図をすると、隊員達はセルのあちこちへと、恐らく状況の確認のために散らばって行った。状況の確認、セルの、このホールの状況は……控えめにいっても惨事だった。セルのそこら中に体の欠けたグールの死体と、それからそのグールの食べ残した、腐りかけの死体が転がっている。ホールの壁のあちらこちらには、何かの銃弾で開けられたような穴が開いていて、そして緑色と赤色の血がそこら中で入り混じって抽象画のようなものを描いていた。
一方で、フラナガンはブラックシープの言葉に「正義の人? サヴァンくんが? ふふふ……確かにその通りだね、ブラックシープ、その通りだよ」と、独り言のように、淡く呟いていた。その声は、当然サヴァンにも届いていたはずだったが、サヴァンはそれを完全に無視して、こう口を開いた。
「フラナガン神父。状況の説明を頂けますか?」
「状況の説明? 見て分からないかい? つまり、世界が救われたんだよ。ブラックシープによってね。」
「そして、私の最高の相棒、ファーザー・フラナガンによってね!」
「ありがとう、ブラックシープ。」
「Lはどうしたのですか? さっきまでメーターが振り切るほどだったオーディナリウム反応が、今は通常値に戻っていますが。」
「あの娘はあそこで眠っているよ。」
そう言うと、軽く指し示すようにしてフラナガンは王台の方を向いた。その王台の方には、隊員の内でミズ・ポンゼと少女のようなそれが状況の確認に行っていて、少女のようなそれが王台の上に浮かんでいる檻を見上げて、何かをミズ・ポンゼに呟いているようだった。ミズ・ポンゼはそれに耳を傾けていたが、やがてサヴァンに向かって「ミスター・サヴァン、既に完全な封印がなされてしまっています」と大きな声で伝えてきた。サヴァンはそれを聞いて、誰にも聞こえない程度の小さい音で舌打ちをした。
「どうやって、あれに再度の封印を行ったのですか?」
「知らないよ、やったのは僕達じゃない。」
「あなた達じゃない?」
「ブラックシープと……それから僕が悪と戦っていたら、いつの間にかあの娘はゆりかごに戻って、また眠りについていたんだ。だから、やったのは僕たちじゃない。でも、誰がやったかの大体の見当はついているよ。こんなことができるのは、この世界で数人しかいないだろう? そして、その数人の中で生きていると分かっているのも、更に限られてくる。たぶん、ミスター・シャイニーか、それかジェントル・オーディナリーじゃないかな、聞いてみればいいよ、君はどちらとも、それなりの付き合いがあるだろう? ああ、それとあれは、もしかしてASKハンドロイドかい? 君は本当に、なんでも持っているね。」
「私のものではありません、SPBの備品です。どうやら借り出すのに、少し時間をかけすぎたようですね。」
くすくすと笑うフラナガンに。
苛立ちをにじませた口調で。
サヴァンは、そう答えた。
それから、また口を開く。
「とある筋から、リチャード・グロスター・サード及びホワイトローズ・ギャングの幹部たちがダレット・セルに集合しているという情報を入手しました。情報源自体が非常に疑わしかったこともあり、今回の作戦の協力者である夜警公社及び屍食鬼公社にはそのことを伝えませんでしたが、もしも本当だった場合の重大性を考えて、念のために私がその対応を行うことにしました。また、同じ情報源から今回の件にゲニウスが関わっている可能性があるということを聞き、これもあくまでも念のためですが、SPBが開発したアンチ・ゲニウススーツと、SPBが以前に捕獲したASKハンドロイドを作戦に使用することにしました。全てはあくまでも念のためでした。つまり、そういうことです。」
「僕に言い訳をされても困るけれどね。」
「公社の方々に言い訳をする時はもう少し違う言葉で説明します、彼らはゲニウスと言う単語自体を知りませんから。それで、リチャード・グロスター・サード及びホワイトローズ・ギャングの幹部達はどうしましたか?」
「リチャード・サードはあれ、グレイはあれ、パウタウはあれ。」
そう言いながら、フラナガンは三か所を、それぞれ順番に指さしていった。ハッピートリガーはホールの中心から少し外れたところに、グレイはホールの端の方に、そしてパウタウは王台のすぐ下のあたりに倒れていた。それぞれの場所には既に隊員達が向かっていて、ちょうど各々がたどり着いて状態のチェックを始めたところだった。まずグレイをチェックしていた隊員から「グレイ、確認しました、既に死亡しています」という報告があり、次にパウタウをチェックしていた隊員から「パウタウ、確認しました、どうやら気絶しているだけのようです」という報告が上がった。そして最後にハッピートリガーを確認していた隊員が、サヴァンに向かって「ハッピートリガー、確認しました、こちらも気絶しているだけです」と声を上げた。
「一鬼と一匹と一人のうち、殺したのは一匹だけですか。昔と比べて、随分と甘くなったのですね、フラナガン神父。」
「誤解しないで欲しいな、悪を滅ぼしたのは僕じゃない、ブラックシープだよ。僕はただ、見ていただけさ。そして彼は正義のヒーロー、無駄な殺生はしないんだ。」
「あなたの言う通りだとも、ファーザー・フラナガン! しかし……一点だけ訂正するならば、あなたは見ていただけではなく、まさに正義のためにその身を捧げ、私と共に悪と果敢に戦っていたけれどね!」
それから、フラナガンはその言葉の隅に少しだけ付け足すようにして「それに、リチャード・サードは……使い道がありそうだったしね」「何か言いましたか?」「いや、何も」。サヴァンは、暫くの間訝し気に、少し何かを疑っているようなポーズをしていたが、それは所詮ポーズに過ぎなかった、フラナガンを疑うような無意味なことをサヴァンがするわけがない、もしもフラナガンが偽りをついていたとして、誰がその裏にある本当を見抜けるだろうか? サヴァンは、ただフラナガンに対してあなたが偽りを言っている可能性があることを、知らないほど馬鹿ではないと示してみたに過ぎない。すぐに気を取り直したように、今度はこう問いかける。
「残りの三鬼はどうしましたか?」
「パイプドリームは上で死んでるよ。えーと、僕の教会の、会衆席のところでっていう意味。あとで君たちが、掃除に来てくれると嬉しいかな。それからレディ・ヴァイオレット・リーンは、どこかへ逃げてしまってね。どこへ逃げたかは知らない。キューカンバーについては、僕もブラックシープも何も知らない。彼の鬼のことだし、きっとどこかで誰かに捕まってるんじゃないかな……とりあえず、こんな答えで満足かい?」
「非常に有用な情報ですね、フラナガン神父。今後の捜査の参考にさせて頂きます。それから、教会の清掃の件に関してはのちほど夜警公社に連絡を入れておきます。ヴィレッジとトラヴィール教会の間には、例の不可侵条約がありますから。」
サヴァンとしては、正直なところ残りの幹部についての情報などどうでもよく、完全に体裁を整えるために聞いただけだったため、とりあえずの回答を得られたらそれでよかったので、そんな感じでおざなりに答えてその質問を終えた。フラナガンとしてもそれ以上この会話を掘り下げるつもりもなかったので、サヴァンのそのおざなりな態度に対しては「ああ、そういえばそうだったね」、と同じくどうでもよさそうに答えただけだった。
サヴァンが興味を持っているのは。
Lと、それからもう一鬼だけ。
その内の、Lは既に手に入らない。
それならば、もう一鬼の、方を。
「さて、フラナガン神父。」
「なんだい、サヴァンくん。」
「それから……ミスター・ブラックシープ。」
「なにかな、サヴァン・エトワール!」
「ヴィレッジを代表して今回の件に関して頂きましたご協力を感謝いたします。また、ミスター・ブラックシープに関しては既にハウス・オブ・グッドネスから逮捕状が発布されており、さらにパンピュリア共和国内での賞金付き指名手配もなされているようですが、ヴィレッジに対しては捜査協力の依頼がなされておらず、またクック条約の登録犯罪者でもありませんので、内政不干渉の原則に則って行動させて頂きます。つまり、今回の殺人行為その他全ての違法行為を不問に付させて頂くということです。」
「さすがだね、サヴァン・エトワール! あなたはいつだって正義の、つまり私たちの側に立つ人間だ!」
ブラックシープはそう言って、満足そうに頷いた。しかし、サヴァンが本当に言いたいことは、別にこのことではない、もっと別のことで、そしてフラナガンもそれを知っている。だから、フラナガンはその言葉には反応をせず、続きを促すようにして、サヴァンに向かって首を傾げて見せる。サヴァンは、言葉を続ける。
「それから、リチャード・グロスター・サード及びパウタウの今後の取り扱いについてですが……彼らは、グレイやその他の幹部とは違ってスペキエース犯罪者です。リチャード・サードは等級6、緊急措置入院必要患者であり、パウタウは等級4ですが、今回の事件は主権集団転覆に関わる犯罪でした。ということは、スペキエース差別撤廃条約及びスペキエースの兵器化禁止に関するカービー規則によって、その治療権はブリスターが持つものとされます。例えフォウンダーであっても例外はありません、リチャード・サードは既にフォウンダーではありませんが。本来ならばブルーバード独立自治区までの被疑者の移送もブリスターが行うところですが、ヴィレッジ、あるいはSPBが代理で移送を行うことも許されています。となると、これからブリスターの到着を待つよりも、偶然現場に居合わせたヴィレッジ隊員、つまり私たちが移送を行うことが理にかなった行為だと思いますが、お二人はいかが思われますか?」
「さあ、僕は政治のことは分からないから。ブラックシープ、君はどう思う?」
「サヴァン・エトワールが言っていることだ、恐らく正しいのだろうと思うよ! まあ、彼はたまに間違うこともあるけどね!」
「ふうん。じゃあ、いいんじゃないかな。それに、どっちにせよ、僕がどうこう言うべき問題でもないしね。」
そう言って、フラナガンは。
紗の奥で、薄く笑った。
サヴァンは……フラナガンの、真意を測りかねた。この男が、どこまで知っているのかということも。フラナガンの、顔は、紗の奥に、隠れて、見えないから。サヴァンが、ハッピートリガーに、何を求めているのかを、この男は、一体、知っているのだろうか? たぶん、知っているのだろう、全ての、ことを。サヴァンは、何かを言おうとする。けれど、何を言えばいいのか分からない。昔から、そうだった。あの頃から、ずっと。
「でも、彼は。」
フラナガンは、そんなサヴァンに。
まるで、ついでにとでも言うようにして。
他愛もない、冗談とでも言うようにして。
言葉を加える。
あるいは。
あの頃の。
ように。
「あまり君の役に立たないかもしれないけれどね。」
「……ミズ・ポンゼ。」
フラナガンのその言葉には反応せずに。
サヴァンは、王台を確認していたポンゼに
ようやく口を出た、乾いた声を向ける。
「ここはもういい、これ以上は無駄なだけだ、得られるものは何もないだろう。他の隊員達と一緒にリチャード・サードとパウタウを車までご案内しろ。」
「かしこまりました、ミスター・サヴァン。」
ミズ・ポンゼはそう答えると、まずは王台のすぐ下に倒れていたパウタウのそばまで歩いて近づいた。それから、鎖の先の少女のようなものに向かって何か合図をすると、その少女のようなものは……まるで発条が切れかけた人形のような動きで、あるいはいきなり糸に引きあげられた操り人形のようにして、片方の手を自分の目の前に持ち上げて指差した。その指の先、まるで鉄板の上に甘いクレープを広げるようにしてゼティウスの光、円盤状にが広がった。その円盤は、少女のようなものの指の動きに従って次第に楕円形に引き伸ばされていき、やがてそれはその上に一人、人間が横になれる程度の大きさにまで広がった。少女のようなものは、持ち上げた手とは反対の手の掌を、今度はパウタウに向かってぎこちなく差し上げる。すると、気絶しているらしく力なく地に倒れ伏していたパウタウの体は、まるでその内側から重力を喪失したような不自然な軽さでふわりと宙に浮かび、そしてゆらゆらと揺らめきながら光の台の上に体を横たえた。
ミズ・ポンゼと、少女のようなものは。
今度は、ハッピートリガーの方へ向かう。
光の台は、滑るような無抵抗でその後を追っていく。
ストレッチャーのような役割を果たしているらしい。
少女は、ハッピートリガーの体のそばでもう一枚の円盤を作り出して、そして同じような処理過程をとって、ハッピートリガーの体をその上に乗せた。二つのストレッチャーの上に、一鬼と一人が乗せられている。サヴァンの、大切な、宝物。ようやく、手に入れた、宝物。ミスポンゼは「それでは、外の車まで運んできます」「よろしくお願いします」、サヴァンと言葉を交わし。ミズ・ポンゼと付き従うような少女のようなものを一番前にして、残りの隊員の内の二人はそれぞれの光の台のそばに護衛のようにして付き添って、そして最後の一人がしんがりを守るようにして後ろについて。まるで聖遺物を運ぶ行列のように仰々しく、サヴァンの宝物を運ぶ隊員達は、やってきた通路の奥へと戻り、消えていった。
死者と、それから眠る者を除けば。
セルに残されたのは、三人。
サヴァンと、フラナガンと、ブラックシープ。
サヴァンは、また、何かを言おうとする。
フラナガンに向かって。
やはり、言葉が出ない。
何を、言えばいいのか?
この、悪魔に。
サヴァンから、全てを奪っていった。
この、悪魔に。
サヴァンは、静かに首を傾げた。まるで、この世界の全てに対して疑問を呈しているかのように。なぜ、この世界は、この男を生み出したのか? 何よりも、残酷で、何よりも、美しい、この男を。その答えがもし与えられるとすれば、サヴァンは……あの頃に戻り、きっとこの男と……永遠に出会わなかった道を、選ぶだろう……しかし、その答えは、決して与えられることはない。だから、その代わりに、サヴァンはもう一度口を開いて、こう言う。
「それでは、これで失礼いたします。」
二人に背を向けて。
サヴァンは歩み去る。
その背に向かって。
フラナガンは、声をかける。
「もう行ってしまうのかい?」
「ええ。私達にはまだ後始末が……彼らの起こした革命の後始末が残っていますから。ブラッドフィールドでの暴動は、未だに治まる気配がありません。ハッピートリガーとパウタウを護送次第、すぐにでも鎮圧に加わらなければ……」
「ああ、そのことなら。」
フラナガンは。
くすくすと。
少女のように笑う。
「心配ないと思うよ。」




