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#31 薄汚い私生児の円舞曲

「ブラッデスト・サニー。」

 夢の重さを吸い込んだ赤イヴェール合金の光、乾きかけた鈍い血液の色をした光に淡く照らし出されながら、アーサーは向こう側に聞こえないようにして小声でそう囁いた。それから奥の方に生えてる歯が全部虫歯になったかのように顔をしかめて、これも小声で付け加える。

「こいつはひどいな。」

 実際もってそいつはひどかった。あまりにひどすぎるし、そのひどさのせいで、アーサーが自分の独白を小声にした意味が果たしてあるのかどうか疑わしいほどに万雷の騒がしさだ。ちなみに現在のアーサーがいる場所は、岩盤に彫り抜かれたハニカムの通路、辛うじて二人通れる程度の細めの通路であって、その壁に隠れて向こう側、つまりセルの内側を覗き込んでいる。そして、ひどいのはそのセルの内側だった。

 アーサーの足元あたりから始まっている白い金属でできた筋状の床が、ドームのように広がったセルの底全面に広がっていて、その中心には装置が、つまり「鍵」が据え付けられていた。女性の頭部と、任意の内臓を混ぜた巨大な装置の周囲に、五つの肉付いた脊髄のような塔が、まるで掴もうとしている五本の指のようにして広がっている。そして、部屋中を照らし出している緑色の光の中で、アーサーがそれを求めているところの、夢を見るダレット列聖者が眠っている。まあ、ここまでならば確かにグロテスクかつ不気味かつ今夜の夢に出てきそうな光景だと言えなくもないが、別にあまりにひどすぎるという表現を使う程ではない。

 ひどいというに足るのは。

 それに付随する状況だ。

 それは、一枚の絵画にも似て。

 鮮血が、書き足されていく。

 セルの内側は、完全にてんやわんやの大騒ぎ、大乱闘の状態だった。ヴィレッジとPAINの合同部隊(以降VP)と、ホワイトローズとグールの合同部隊(以降WG)、それぞれがそれぞれを駆逐しようと壮絶な戦いを繰り広げていたのだ、なんかちょっと当たり前すぎて馬鹿みたいないい方になってしまったが、とにかくそういうことなのだ。優勢な状況なのは、どうやらWGの方らしかった、なぜかと言うと彼の鬼らは、五本ある脊髄状の塔が示すラインの内側、装置の周りに陣取って、VPを入れないように防衛している状態で、つまり装置は彼の鬼らの手の内にあるということだった。どうやらVPは到着が一歩、WGよりも遅かったらしい、全力を振りつくしてその防衛網を突破しようとしていたが思い通りにはいっていない。

 それにしても、その状況は。

 ちょっとしたことで容易に覆りうるだろう。

 それほどに、戦闘は混迷を極めていた。

 VPを率いているのはヴィレッジブラッドフィールド第二小隊長、ミズ・アネモネだった。ミズ・アネモネ、元はゴリラ・ダンディの腹心の部下の一人で、ダンディが世界各地に散らばった己の領地を預けていた三人の領主のうちの一人。フィッシャーキング事件の際にサヴァンの甘言に乗ったミズ・アネモネは、ダンディのことを裏切りズーロジカル・ガーデンを売り渡して、その見返りとしてサヴァンの右腕となった女。しかし、それははるか昔の別の話、今現在の状況とはほとんど関係のない話だ、ここでただ一つ理解しておいてほしいのは、ミズ・アネモネが他のズーロジカル・ガーデンのメンバーと同じように、人体に改造を受けて動物的な特徴を付け加えられていたということだけだ、ミズ・アネモネは非常に成功したパターンで、体の全体(顔の表側と排泄器官の周辺を除く)を甲殻類の殻で覆われている。そのためまるで常に鎧を着ているような状態であって、銃弾や斬撃ぐらいなら容易に弾いてしまう。また一定の再生能力があり、腕の一本くらいならば脱皮の際にまた生えてくる。ミズ・アネモネは部隊の先頭に立って、自ら乱戦の中心に一発ぶちかましていた。殻を纏っているには少し優雅に過ぎる動き、滑稽な蟹のダンス、天狼アリスの放つ黄色い歪みをストールのように従わせて、その甲殻的な曲線を描くバレエはよほどのことがなければ止められないだろう。そしてそのミズ・アネモネが率いているVPの部隊は、やはり全員が天狼アリスを装備していて、恐らく対ノス強化剤を注射していると思しき、一般的な人間にはほとんど不可能な体の動きをしていた。人数としてはVもPも合わせて十人(除、ミズ・アネモネ)、それほど多くてもこの狭い中ではあまり意味がないという判断で、精鋭部隊を派遣してきたのだろう。

 対してWGの部隊を率いているのはキューカンバーだった。キューカンバーは、ノスフェラトゥの戦闘形態(詳しい外形に関しては#17のヴァイオリンに関する描写をご参照下さい)に変形していたが、しかしミズ・アネモネとは対照的に、まるでその無粋な争いごとは自分とは無関係だとでもいうようにして。キューカンバーは、装置の上に座っていた。ちなみに、装置の形はホテル・レベッカのものや、バンクス・リバーのものとはやはり少し違っていた。大きく開かれて中にグールを捕えている、檻のような口は他のものと同じく一つしかなかったが、その口につながっている女の顔は四つほど繋がっているように見えた。大きな顔が一つと、それに腫瘍のように小さな顔が三つ繋がっている。その三つの顔には口が見えず髪が生えておらず、代わりといってはなんですがまるで巨大な目のような部分が付属していて、その眼窩には眼球の代わりに腎臓のようなものが詰め込まれていた。大きな顔の頬のあたりは全体的に皮膚が失われていて、血管のような組織がむき出しになっていて、鱗のように爪が配置されているのを見ると、まるで巨大な蛇に巻き付かれたようにも見えた。キューカンバーは、その大きな顔の頭部のあたりに腰掛けて、その頬をゆったりと撫でるようにして長い羽を揺らめかせていた。冷たく、しかしノスフェラトゥにあるまじきどこかしら面倒そうな感情を交えた視線が、戦闘の様子を見下ろしている。そのキューカンバーが率いているWGは雑種のノスが五匹(先ほどアーサーがのしてダストボックスに捨ててきた雑魚とは違って、相当訓練されているらしい、もしかしたらマウスかもしれなかった、身につけているのもキューカンバーの着ているようなスーツだ)と、大きめのグールマタが二体だった。

 天狼アリスが発する世界の断層がそこら中を引き裂いて。

 ノスフェラトゥが影でできた蜂のように空を刺す。

 PAIN所属の公社員たちがそれを避けて。

 ヴィレッジの隊員達は更に追撃を放つ。

 グールマタが巨大な砲弾を発射する。

 甲虫を固めて、ミサイル状にしたもので。

 着弾した地点でそれははじけて、甲虫をまき散らす。

 ミズ・アネモネの体に飛び散る。

 カッターのような歯を伸ばして体中を突き刺す。

 ミズ・アネモネはまるで意に介さずに。

 叫び声を上げながら、グールマタの一匹に突撃する。

 軽蔑に満ちた目で、キューカンバーはそれを見下ろす。

 まあ、つまりはそんな感じだ。

 ブラッデスト・サニー。

 確かにこいつはひどい。

「ノヴェンバーの野郎、一体どうやってあれに近づくつもりだよ、本当に何とかなるんだろうな? 俺とあいつとその助っ人ってやつだけだろ? マントファスマでも連れてきてくれんのか? っていうか何とかなってダレットさんを出したところで、そのダレットさんがこりゃ流れ弾で死ぬんじゃねぇか?」

 ノヴァンバーとその助っ人の到着を待っているアーサーは、その光景をこっそりと眺めながら、そんな感じでぶつぶつと文句をたらしていた。ちなみにアーサーは独り言を可能な限りの小声にしているだけではなく、その不平不満に満ちた精神状態も外部に漏らさないようにしていた、ここにいる他のノスたちの精神網に引っかからないようにするために、だ。この技術はアーサーがまだHOLにいた時代に受けた訓練の賜物であったが、純種のノスフェラトゥであれば生まれつき何の苦労もなく身に着けているもので、全く世の中ってやつは不公平なものだぜ、とアーサーはいつも思っている。

 そんなことを考えているアーサーのすぐ近く、さっきミサイルから飛び散ったらしいグールマタの破片、一匹の甲虫が飛んでいった。どうやら、あのうちの全部がミズ・アネモネに引っ付いたわけでなく、何匹かはそこら中に飛び散って、あたりの状況を伺いつつ随時隙をついて攪乱・攻撃するために、セルの各地に潜めて配置されるものだったらしい。その何匹かの一匹が、たまたま通りかかったらしい。

 小型カメラのようなレンズが。

 内部に埋め込まれている。

 その、カメラ、が、一瞬、だけ。

 アーサー、の、姿、を、認める。

「やべっ!」

 言いながら慌ててアーサーは、セミフォルテアを纏わせた指、人差し指と中指を刃のように指し出して、音もなくその甲虫を二つに切り落とした。甲虫は真ん中からぱっかりと割れて、透明な水銀のような液体を垂らしながら地面に落下して、動かなくなる……が、どうやらそれは既に遅かったようだった。

 甲虫同士は知覚のネットワークを築き。

 一匹が受けた感覚をすべて共有する。

 もちろん、そのネットワークには。

 グール自身も、接続されている。

 グールマタの一体、例のミサイルを放ったほうが、何か警戒アラームのような音を発した。そのグールマタ自体はそのままミズ・アネモネに特攻を仕掛けられたため、そちらに掛かりきりになってしまったが、そのアラーム音を聞いたキューカンバーが何かの意思を受け取ったのか、くるっと首を動かしてアーサーのいる方を向いた。

 そして。

 見つけた。

 隠れている。

 アーサー。

 ノスフェラトゥの殺意は人間の殺意とは全く違っている。人間の殺意は、例えば焚火のようなものだ、それは非常に原始的で、火打石で火をつけた先はほとんど制御のしようがない。わずかに枝を加えることによって火を大きくしたり、逆に取り除くことによって小さくしたりできる、その程度だ、対象へのエネルギーは適切に取り扱われることなく、他の存在への延焼もありうる。ノスフェラトゥのそれは、電磁誘導式のクッキングヒーターに似ている、しかも最新式のAIを搭載して、エネルギー効率はほぼ百パーセントに近い。その時に応じて好きなだけ適切にエネルギーの大きさを変えることができるし、その対象を適切に絞り込むことといったら神々が天から降り降ろすサージカルストライクのように的確だ。

 キューカンバーの殺意は。

 雷槍のようにアーサーを撃つ。

 その次の瞬間に。

 アーサーは吹っ飛んでいた。

 眼前をかける二鬼の黒い影。

 壁に叩き付けられる直前に、くるっと宙で体を回転させて、代わりに足の先で壁を蹴る。人間的な意思の部分でどうしようかと逡巡している暇もなく、ノスフェラトゥの生存本能は右手にセミフォルテアを集中させてある種の剣のように纏わせる。そして、キューカンバーの殺意に従って襲い掛かってきた二鬼の野良ノス(別に殺意によって吹っ飛ばされたわけではなく、その二鬼の野良ノスの攻撃を受けて吹っ飛んだのだ、人間だったら確かに殺意だけで吹っ飛ぶこともありうるが、アーサーに対してはさすがにキューカンバーでもそれは無理だ)のうちの一鬼に斬撃を加える。手ごたえはあった、しかしそれは細かった、同体ではない、腕だ、しかも一本だけ、切り落とせはしたが無意味だ、感触から、思った通りこのノスはマウスだと知れた、紛うはずもない、数も分からぬほど切り殺してきたこの感触。

「礼儀を知らない奴らだな。」

 斜め上から更に攻撃が追加される、腕を切り落とした方とは別のノスが、大鎌のように弧を描いて、アーサーのこめかみに向かって踵を落としてくる、速すぎて間に合わない、仕方なくアーサーは避けることを諦めてその足を手で掴む、反対の手で落下の際の受け身を取りながら、その回転を利用して、ノスの体を空気人形でも投げ捨てるように軽々とぶん回す、その体を箒のように使って、そこに襲い掛かってきていた腕、先ほど切り落としたはずだったが自立して動き始めたらしい腕をついでに払い落とす。

「初対面なんだぜ? 挨拶くらいしろよ。」

 言いながら、掴んでいたノスを壁に向かって強く叩き付ける様に放る。一方で、着地と投擲のその瞬間に一瞬だけ体の反対側に隙ができて、その隙を狙ってもう一匹のノスが攻撃を仕掛けてきた、手を五つに分かれたさすまたのように広げて、アーサーの背を引き裂くようにして撫でる。何とかセミフォルテアの移動は間に合ったので、その体を引き裂くには至らなかったが、それにしても打撃としてのダメージは防げなかった、うめき声を上げながら、床に押し付けられるようにして倒れる。

「ちっ……!」

 アーサーは舌打ちをするが間に合わない、更にもう一撃が背にくわえられる、何とか横に転がり三撃目は避けるが、その避けた先には立ち直った二匹目のノスが待ち構えていた。十字に交差する手のひらの斬撃を右の手で受け止める、その頭を切り落とされた腕が殴りつける。

「がっ!」

 今度のは半神の力の防壁も間に合わず、完全なるクリティカルヒットだった、視界が急にはっきりと明るくなる、頭蓋骨の中に凍らせたハーブティーを注ぎ込まれたかのように思考が明晰になって行く、悪い兆候だった、ノスフェラトゥは身体に強いダメージを受け生命の危機を感じると、緊急的な反応として全身の能力が最大限にまで引き出される。

 指を鉤のようにしめて。

 それを勢いよく開く。

 次の瞬間には。

 アーサーの姿は消えている。

 二鬼がその存在を感知するだけの余裕もなく、頭脳の中に鈍い衝撃が走る、まるで煮込んだ肉の脂身を急に叩きこまれたかのように思考が不明確になる、アーサーの使う精神波動だった、人間の不明瞭な思考を精神波動に乗せて対象に放つもので、その思考が純種に近いノスフェラトゥであるほど効果がある。マウスはもちろん雑種だが、純種に近い思考を持つように訓練されている、そのため、ある程度はこの波動も有効であるはずだった。

「うーん、不味いな。」

 いつの間にか通路の天井に張り付いたままで、アーサーは唸るように言う。どうやら、ほんの一時的なものとはいえ余裕ができたらしかった、二鬼のノスフェラトゥは迷妄に閉ざされた人間の思考を受けて、一瞬だけ思考のエラーをきたしているようだ。ここで判断しなければいけない、自分の立場をより有利に導けるような判断を。

 判断は思考に因ってなされない。

 戦闘本能が神経を支配する。

 その微細な電流に従って。

 アーサーはセルへと飛び込んだ。

 一人で二鬼を相手にするのは不可能だ、それに既に自分は発見されている、隠れていることによるメリットは何もない、ホールに飛び込んで乱戦に持ち込んだ方が遥かに生存の可能性は高まる。飛び込んだ時の勢いを力に変えて、ついでにグールマタに向かって一撃をお見舞いする、特攻してきたアネモネをようやく叩き伏せてとどめを刺そうとしていたほうのグールマタだ、その人間の二倍はあるグールマタは、アーサーのいきなりのフライングドロップキックを受けて、分裂回避も間に合わず横倒しにずしーんっ!と倒れる。

「よお、元気してるかアネモネ。」

「レッドハウス!? なぜお前がここにいる!」

「いやー、俺はここにはいないぜ、公式にはな。」

「ふざけるなっ! お前はベッドストリートにいるはず……」

 ミズ・アネモネがそこまで叫んだ時に、横から入り込んできたノスフェラトゥ(先ほど腕を切り落とされたやつ)の攻撃を、アーサーは受け止めると受け流すように反対側に投げた。ミズ・アネモネは即座にその方向に天狼アリスを向けて、黄色い断絶を放つ、殺せはしなくとも多少の足止めにはなるはずだ、アーサーはそれに目を向けることもなく、にっとした笑顔をアネモネに見せながら続ける。

「まあ、そこらへんは大目に見てくれよ。今のところは俺はお前らを助けている状態なんだし、お前らだって鬼の牙も借りたいくらいの今日この頃だろ? もちろんお前らを助けに来たわけじゃないが、とにかく……その、今のところは俺はお前らを助けている状態なんだし」

「……お前は公式にはここにはいない。」

「話が早くて助かるぜ。」

 アーサーとアネモネのその一瞬の交渉が終わると、二人は互いに別の方向に向かって横っ飛びに退った。先ほど倒れたグールマタが既に起き上がっていて、まるで鯰槌のようにして強烈な打撃を二人の真上に放ってきたからだ。それを避けると、アーサーは乱戦の中心からその状況を一瞥した。十一人いたVP(含、ミズ・アネモネ)の内、既に一人が赤く濡れて地の上に横たわっていた。死んでいるのかどうなのかは分からないが、あれだけの血液を失ってしまっていたらどっちにせよもう役には立たないだろう。一方で、WGの方はというと五体の野良ノスも二体のグールマタもまだ地に倒れてはいなかった。アーサーに向かって攻撃を仕掛けてきた二体のノス以外の三体と、二体のグールマタに対して十人のVP隊員という計算だ。数の上では勝っていたが、それがVPにとって有利に働いているということはあまりないようだった。

 例え天狼級とはいえ対神兵器を装備して、更に対ノス強化剤を使用していて、かてて加えて人数で優っているにもかかわらず、マウスレベルのノスに対してはやはり人間では苦戦を強いられるようだった、体の多少の部分をそぎ落としてはいるようだったが(マウスといえど雑種のため、純種と違って対神兵器を使えばさすがに再生は不可能だ)それでも致命傷を与えるには至っていない。グールマタはといえば、傷一つ与えられているようには思えなかった、実際のところはかなりのダメージを与えているはずだったが、そのたびごとにハニカム内に生息している例の甲虫が集まって来て、その部分を補って填する、つまりまた一からやり直しになってしまうのだ。

 戦況はそんな形だ。

 そこに二体のノスが戻ってきて。

 アーサーが更に先頭に加わる。

「おい、アネモネ!」

「何だ!」

「応援は呼べねぇのか!」

「無理だ、通信が妨害されている!」

「誰か隊員を送れよ!」

「この状況でか! 賢明な判断とは言えないな!」

「あー……まあ確かにな!」

 そんなことを言いながら、アーサーはまずはグールマタを始末するために、そちらへ仕掛けようとした。アーサーはもとはと言えばHOLの諜報員だったため、グールマタに対するある程度の対処法も一応は心得ていたからだ。しかし、それはキューカンバーにアーサーを対処するように命令された二鬼のノスたちが許しはしないのだった。

「おい、アネモネ!」

「今度は何だ!」

「俺がそっちをやる、お前はこっちをやれ!」

 アネモネは二人の部下を引いてグールマタのうちの一体を落とそうとしていたが、アーサーがそう言うと、軽く指を動かしてその二人の部下に攻撃対象を変えるように指示した。それによって、アーサーに襲い掛かった二鬼のノスのうち一鬼を二人の部下が、一鬼をアネモネが引き留めることになった、これでアーサーは今のところ自由だ。

「さてと……じゃ、あのおもちゃを壊すか。」

 言いながら、アーサーは。

 グールマタの一体に向かう。

 セミフォルテアを右手にまとわせて、指先のそれを研ぎ澄まし槍のように鋭くする。グールマタに対する対処法は一つしかない、中のグールを殺すことだ。しかもできうる限り精神系統にダメージを与えて、残留思念を残さないようにしなければいけない、一定以上の残留思念を残すと、その思念の指示に従ってグールマタは動き続けるからだ。そのためにアーサーは内部で操縦するグールへの攻撃が通りやすい各種の弱点と、少なくとも損傷を与えなければいけない精神の部分をすべて記憶している。

 グールマタは現在の最重要危険因子がアーサーであることを理解すると、その巨体に似合わない素早さでその因子に対処することを始めた。今まで触れなかったがここで触れておくと、グールマタの形は操縦者であるグールとほとんど同じような姿をしている(これにはグールという種の想像力の欠如が関わっている)。つまり前かがみになっている犬のような形、かろうじて二足歩行ではあったが、どちらかと言うと両腕と言うよりも前脚といった方が良さそうな。相違点とすれば、グールの肌が苔むしたゴムのような有機物であるのと対照的に、グールマタの体は半透明で淡い光を放つ、何か特殊な鉱石で作り上げた魔法のガラスのような姿をしているということ、その内側には組み合わさって振動する骨格のような姿になった電動機や、内臓のように無秩序につなぎ合わされた歯車が回転して動いている。武器、それではその武器は? それは各種様々だ。通常状態では、水晶でできたように中に光を宿した剣を、五本の指に爪として備えている。そのほかに、まるで出来損ないのシェイプシフターのようにして、その時々で昆虫たちは群体の形状を変えて、その時々に最もふさわしい武器をまるで悪性の腫瘍のようにして作り出す。

 アーサーは、今はグールマタの近くにいる。

 十分に腕が届く範囲の中だ。

 新たに武器を構成するには時間がかかる。

 そこまでの情報を感覚で捉えると、グールマタは軽々と人間一人を掴めそうな大きさの手のひら、爪を鉤のように立てて、心臓の一拍もしないうちにアーサーのいた場所に叩き付けた。いた場所、そう、いた場所だ。過去形、心臓の一拍はノスフェラトウにとっては懐中粥の三分にも匹敵する長さ。アーサーは地を爪先で舐めて優美な跳躍、グールマタの目の前に疲れ果てたコートが淡色の虹のような曲線を、遅いかかるグールマタの手のひらが生み出した豪風にはためいてひらめく。アーサーは必要もないのに空中で一度くるっと回転して見せて、逆向いたアーサーの顔がグールマタの無表情と向き合う、アーサーは右手をアイスクリンのようにして、グールマタの頭頂部にある嗅覚器官を貫いて抜きとる。

 アーサーは手の中で握りつぶす。

 グールマタの前頭部、足先を槌のように振り下ろす。

 グールマタは声のない悲鳴を上げる。

 その体は後ろに傾き、そして大音声を響かせ倒れる。

 アーサーがグールマタの体を倒したのは、嗅覚器官を破壊された後の頭部を仔細に見渡すためだ、だからアーサーは天井に貼りついて、それを注視する。

 グールマタは、己の弱点が内部のグールであることを理解している(理解といってもプールされたデータストリームとかそういった意味合いで)ため、操縦者の位置は完全にランダムに決定される。また、グールマタはよほどのこと(P・B・ジョーンズ及びアンジェリカ・ベインは全ての行動に最強補正がかかるため、その攻撃はこの「よほどのこと」としてカウントされる)がない限り、その身に受けたダメージを即座に回復し、傷口を完膚なきまでに塞いでしまう。そのため内部のグールを狙うとすれば一撃で仕留めなけらばいけない。従って、この二点から導き出される結論として、アーサーは今、ランダムに配置されているグールの位置を見定めなければいけない。

 そのため、アーサーは嗅覚器官を壊したのだ。グールマタの嗅覚器官は、デフォルトで頭部に取り付けられている。もちろん再生する際も頭部の同じ場所に再生するのだが、その際にわずかなずれが生じる。戦闘時には感覚器官の迅速な再生が期待される、しかも嗅覚はグールにとって最も重要な感覚だ、そのせいで再生する際に、精度よりも速度が優先される。それは、ほんのわずかなずれだ、もちろん感覚がそれによって狂うというよなこともない、ここで問題になってくるのは、そのわずかなずれの向きが、感覚を受け取る中核、つまり内部の操縦者グールの方向であるということだ。そちらの方に感覚の伝達ケーブルが集中しているため、そのケーブルの先端から再生される器官は自然とそちらの方向にずれてしまうのだ。 

 だから、そのずれから。

 アーサーは搭乗者の位置を特定できる。

 グールマタは瞬時に嗅覚器官を再生し、そしてアーサーは搭乗者がオートマタの左胸部に位置していることを知った。グールマタは機械仕掛けの起き上がりこぼしのような正確かつ素早い動きで起き上がり、流れ作業のような無駄のない動きでアーサーを発見する(ちなみにアーサーは匂い袋による嗅覚迷彩を身に着けているが、グールマタはその迷彩があることさえ分かっていれば、それ自体を嗅覚で把握できる)。

 アーサーは、もちろん、腕の間合いの範囲外にいる。

 しかし、爆発物を使えば天井が崩れてしまうだろう。

 ミサイルは使えない、グールマタはそう判断する。

 右の腕を差し出すと、シェイプをシフトする。

 手の先、透明な刃、長い爪のうちの一本が鍾乳石の成長を早回しにしたかのように長く伸びて、それからガコンと音を立てて内部の骨格から切断される。他の四本の爪は回転して、その一本の周りに誕生日ケーキの蝋燭みたいにして配置される。それに応じて前脚の形自体が変形していく、歯車が互いに組代わり、ケーブルは繋ぎ変えられ、モーターでできた骨格は、文字通り骨が折れる様な派手な音を立てながらばらばらになっていく。肩が外れて、発射時の衝撃に耐えられるように筋肉代わりの柔軟なアクチュエータが盛り上がっていく。

 やがて、シフトは終わる。

 右前脚は、槍銃に変わり。

 槍の穂先はアーサーを向く。

「おっと?」

 アーサーが気の抜けたような声でそういうと、槍銃もその声に合わせたようなとふっという気の抜けた音を立てて、元は爪であったガラス色の槍を発射した。ネオンの光のようにしてその内部に詰め込まれた光の紐が、ゆっくりと振動の上に振動を重ねながらアーサーの姿を捕捉して、槍の先端から毒を満たした小腸のようにうねり出す。この光は非常に特殊な存在であって、原理的には天狼アリスの放つフェト・アザレマカシアと同等の形式の定理によって求めることができるのだが、更にそれを完全に反転させた歪みだ、とにかく難しいことを全部省いていえば、甲虫の内部にあった光を集めて作り出されたこの光は、要するにノスフェラトゥを殺すこともできるある種の対神兵器だった。

 アーサーはめり込ませていた指を引き抜くと、岩でできた天井をぽんっとを叩くようにしてその槍が飛んでくる方向とは違った方向に向かって落下する、当然この槍は追尾の機能も付いており、一般的な物理的な法則を無視したような挙動、瞬間的に天掻の角度を変えて、アーサーの姿を追った。

 つまり、全てが上手くいったということだ。

 笑ってしまうほどアーサーの思い通りに。

 アーサーはにへっと間の抜けた、しかし満足そうな笑みを顔に浮かべると、体内のセミフォルテアを強く脈動させて、その衝撃で自分の落下の方向を少しだけずらした。もともとアーサーの持つセミフォルテアの方向へと進んでいた槍は、普通だったらアーサーが通っていたはずの虚空を引き裂いて飛んでいく、もちろんアーサーの移動を感知して、方向を転換しようとする、そこをアーサーは、セミフォルテアを手袋のように変えてまとわりつかせた手のひらで、ぱっと捕まえる。

 そのまま落下していく。

 グールマタの方向。

 前屈みになった背。

 その、左側。

 槍は、グールマタの体を貫き通すには確かに少し短かったが、それでも内部の搭乗者まで達するには十分な長さがあった。グールマタの背に到達した槍は、縫い針でプリンを刺したようにしてやすやすと機械仕掛けの内臓へと侵入していき、そして……到達する。内部から、槍を通じて断末魔がアーサーの手のひらへと伝わってくる。グールも、鬼だ。だから、体の内側にセミフォルテアを(ノスフェラトゥよりは少量であるが)宿している。そのセミフォルテアに、槍の光が反応しあい、そして、グールの内側を噛み潰して、引き裂いて、焼き尽くして、犯していくのだ。

 絶叫によってグールを突いたことが分かると。

 アーサーはぱっと槍を離して。

 グールマタの背から、速やかに逃れた。

 声にならない悲鳴が、槍を伝導体にして発信されている。グールマタは、訳の分からない混乱した動きを始める。首を細かく振動させて、手のひらを開いては閉じ開いては閉じ、そして後ろ足は異様なステップを踏み始める、よたついたその足さばきの上で、上半身はありえない方向へと捩じり上げられる。がっがっがっと、頭を三度床に打ち付けて……そして、グールマタは爆発した。

 それは、静かな爆発。

 音も立てず、花火のように。

 甲虫が、群体を解いて飛び立つ。

 ノイズと単一色。

 それは、セルに満ちる。

 それは、アロンの蝗のように。

 そして、それは、やがて……

 ふっと消えた。

「アーサー、やったのか!」

「ああ、まあな。」

 一人で野良ノスのうちの一匹を、必死に引き付けていたアネモネが、叫ぶように問いかけた問いに対して、あっさりとアーサーは答えた。グールマタを構成していた甲虫たちが、ハニカムの奥の本来の棲み処へと帰って行ったその後には、背にぽっかりと穴を開けたグールの、抜け殻のような体だけがただ横たわっていて、たぶんそのグールは既に息絶えていた。つまり、二匹いたグールマタのうちの一体を仕留め終えたということだ。

 あと残りは、グールマタ一体。

 野良ノスが五匹と、そして。

「状況、変化。」

 装置の上。

 キューカンバー。

 不愉快な口調。

 羽を動かす。

「行動の必要性を理解する。」

 装置の一番近くにいた、三人のVP隊員の首が、風に飛ばされる帽子のように跳ねた。鮮血が噴き出して、しかしキューカンバーの羽を濡らすことはない。動きが早すぎるのだ、これは、本気を出したノスフェラトゥの速度だった、昨日、というか今日の夜だったあの時に、ヴァイオリンが戯れていた時とも、また、P・B・ジョーンズの最強補正を受けていた時のキューカンバーとも違って。百パーセント、完全なる純種の速度。それが見えていたのは、恐らく対ノス強化剤以前に身体に強化を受けていたアネモネと、それから雑種とはいえノスフェラトゥであるアーサーだけだったろう。アーサーと、アネモネは、同時に叫ぼうとする、しかし間に合わない、もう四つ、洒落た赤い色の帽子が宙を舞う、しかし、キューカンバーの狙いは七つの帽子ではなかった、彼らが通り道にいたから、ついでに殺したまでに過ぎない。

 キューカンバー。

 乱れ一つないリーゼント。

 皺ひとつないスーツ。

 赤いネクタイ。

 彼の鬼の、狙いは。

「アーサー! 危ない!」

 アネモネの声だ。

 アーサーの目の前に。

 死神の鎌が二本。

 羽のように広がって。

「脅威の排除。」

 キューカンバーの苛ついた口調、その独り言がアーサーの耳に聞こえた。アーサーはセミフォルテアを全開にして、急遽に体の前面に盾を作ろうとしたが、それは間に合うことがなかった、純種の行為は常に一瞬で完了するものだし、アーサーは、七人の隊員達が殺されたときに、あまりにも無意味なことではあるが、彼らを救おうと考えてしまって、そのために一瞬の隙を作ってしまっていたのだ、キューカンバーの鎌がアーサーの首を狙う、アーサーは本能的に両腕で顔を庇う、セミフォルテアを纏っているからだ、この腕は失うことになりそうだが、少なくとも首は守れるだろう。死神の鎌は、アーサーに向かって無慈悲と正確さで振り下ろされる、アーサーは目をつむり、顔の前で交差させた腕の先に強く力を込めて、その斬撃に備える……

 しかし。

 鎌は引き裂かない。

 その代わりに。

 アーサーの耳には。

 声が聞こえる。

「もう、キューカンバーさまってば。」

 聞きなれた声。

 しかし聞きなれない声。

「おいたをしてはいけませんことよ?」

 アーサーは目を開く。

 目の前を隠していた。

 白いカーテンのように。

 かわいらしいフリルのついた。

 汚れ一つない、シルクの布。

 それは、この場には似合わない。

 お嬢様のための、ネグリジェ。

 アーサーは、口を開く。

 呆然とした顔で。

 その名前を呼ぶ。

「レイビス……」

「ごきげんよう、アーサーさま。」

 メアリー・ウィルソンは。

 狂犬病にかかった飼い犬の笑顔で笑う。

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