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#28 政治的な言い訳は問題に対する冴えた解決

 屍食鬼公社執事、スティーヴン・フレイザー。

 ヴィレッジパンピュリア共和国支局長、サヴァン・エトワール。

 夜警公社執事、ヘンリー・ウィルソン。

 夜警公社通常化班班長、ガレス・オールドマン。

 夜警公社通常化班班員、アーサー・レッドハウス。

 四人の人間。

 一鬼の雑種。

 ミーティング・ルームに集まっている。

 といっても、ここはあの、いつもの通常化班の会議室ではない、屍食鬼公社の本社ビルの最上階の近くにあるそれだった。一般的に……各公社の本社ビルは、アップルタウンの東側、ベッドストリートの出入り口が通じている方向に集中しており、この場所は一般的にイースト・ヨークシャーと呼ばれている。しかし、その例外となる本社ビルが四つだけ存在していて、そのうちの一つが屍食鬼公社の本社ビルだった(夜警公社の本社ビルももちろんその例外に含まれる)。

屍食鬼公社の本社ビルはアップタウンの西側の一番端、グールタウンのちょうど境目に、まるで歩哨のように立ちはだかっている。そのビルは、グールタウンとの接面に存在するにはあまりにも……不似合いなビルだった。それはまるで、柔らかい少女の肉の中から、たった一本だけ葬儀の日の方向へ突き出ている、肋骨かなにかのように。コンクリートで覆われた肋骨は、ところどころ穴が開いて、ガラスでその穴をふさがれている。そのガラスからは……他の公社ビルからは見られない珍しい光景が見える。グールタウンの一部が、このビルから見下ろせるのだ、ノスフェラトゥとグールが最後の戦いを繰り広げたという、ピータース・プラザを中心とした一部が。この広場には不吉な亡霊のように記念碑が立っていて、その記念碑にはノスフェラトゥとグールとの休戦協定が、人間の文字、パンピュリア文字で刻まれている。ノスフェラトゥはそもそも文字を持たないし、グールの言葉は美しい絵画のようではあったが、その絵画で協定の内容を描くとすると、協定はこの記念碑程度では収まりきらない。

 さて、いつもであれば見下ろした光景。

 不気味なほど静まり返っているはずだ。

 グールタウン、しかし、今は。

「さーて、皆さんこれってどういうことですかね。」

 爪の形を整えながら、スティーヴンが誰にともなくそう言った。人を見下したような、馬鹿にした口調で。スティーヴンは、執事まで上り詰めた男にしては随分若く見えた。せいぜい、四十代の後半くらいだろう。まるで染めたように綺麗な黒い髪を、一部の隙もなく整髪剤でリーゼントに整えている(ノスフェラトゥに近い地位の人間は大体この髪型にするものだ)。フレームレスの眼鏡は、恐らくどこかのブランドものだろう、すっきりと透き通っていて、時折星の光のように光る。随分とこじゃれた感じがするスーツは、新品で、きっちりと折り目がつけられていて、袖を噛んだら甘い味がしそうだ、軽く振りかけられた香水の匂いがするから。

 スティーヴンはある意味ではサヴァンと似ていないこともなかった。全体的に作り物めいていて、芝居がかかっている。しかし、役者のベクトルが百八十度違った。サヴァンが演じているのが、堅苦しく悲劇的なキングの役割だとしたら、スティーヴンの演じているのはその悲劇を嘲るジェスター。スティーヴンの口調は、どこか適当で、聞くものを苛立たせる……しかし、すっとぼけたその顔の裏では、あらゆる人間を押しのけてでも、自分だけが生き残ろうとする、出世の亡者が世界に向けて、こっそりと爪の先を伸ばしている。

「私も現場には、極力口を挟みたくはないんですよねー、ほら、屍食鬼公社って……あなた方の言い方でいえばケンネルですか? どっちかっていうと事務方の仕事ってイメージが強いじゃないですか。あんまり事務の人間が技術的なことに口を出すとろくなことが起こらないでしょう? 正直な話をさせて頂くとね、こちらとしてはね、粛々とね、書類仕事だけをしていたいんですよ。でもさすがにこれはどうしようもない、口を出さざるを得ない。」

 爪にやすりをかけ続けながら、スティーヴンはぐっと首を伸ばして窓の方を見た。窓の外、グール・タウンが見えている。朝から降り始めた雨はまだやまず、漿液のシャワーで骨を洗うようにしてグールタウンに降り注いでいるが、問題点はそこではない。ちらちらと、まるで地の底から星が落ちてきたようにして、そこら中に……光の屑がキラキラと光っていた。その光の屑は、色とりどりのノイズで光っていた。あるものは壊れたような光、あるものは割れているような光、あるものはひびが入っているかのような光、それでいてその全ては単一の色に見えた。それはまるで白痴のような……闇の中に洗われながら明滅する……その色の名前は混沌。光はちぎれてはくっつき、くっついては引きちぎれる。あらゆるところで世界を汚すそれは、何かの群体のように、そしてそれは確かに群体であった。それはグールの使う、唯一の兵器、あのダレット・セルにいた、機械仕掛けの紛い物の甲虫だった。虫たちは互いにくっつきあって、パズルのように接合し、そして一つの形を作り出す。それは例えば巨大な剣、それは例えば戦車、それは例えば中にグールを乗せる巨人の姿、モーター仕掛けで動くこの虫はハニカム中に巣をつくっている、いくらでもいる、そしてそのほとんどが、どうやら今は、グールによって地上へと導かれているようだった。

 戦争のために。

 ノスフェラトゥと、人間たちに対する。

「報告書はあらかじめ提出しているはずだ。」

「ええ、読みましたよ。読みましたとも。」

 苦々しく言い放ったヘンリーの言葉を、軽く受け流すようにそう言った。ヘンリーは、スティーヴンとは対照的に、いかにも官僚といった感じの見姿をしていた。禿げあがった頭は、みっともなくないように残りの毛も剃り上げているため、毛が一本もない。その代わりに顎中が髭で覆われていて、厳しげな表情と相まってまるで熊かなにかのように見えた。横幅も縦の長さもがっしりとした筋肉質の体格には、苦い味のしそうな、古いスーツを着ている。着れば着るほど体に馴染み、今ではヘンリーの体の一部になっているように見えるくらいに。

「だからあなた方に質問しているんですよ、あー、ええ、エトワール支局長、あなたには質問してないです、それはとにかく、随分と問題が散見されるように見えるんですがね、あなた方の対応って。特に一番問題なのは、ほら、報告書のここの部分です。メアリー・ウィルソン、あなたのお嬢様を家に帰してしまったというところ。確かにメアリーさんに関しては何というか事情が事情ですから、取り扱いが特殊になってきますが、こう言って構わないならば夜警公社の対ノス最高戦力でしょう? 今回のようなケースでは、是が非でも残して備えるべきだったんじゃないですか? あの事件も、そのために揉み消したのではなかったのですか? ヘンリー、身内だからと言って少し甘すぎるのでは……」

「パピーを返したのは俺だよ、ショーティー・ネイリー。」

 アーサーが、スティーヴンの言葉に口を挟む。ここで一応、五人のミーティング・ルームにおける位置について言及しておこう。五人の中で、唯一アーサーだけが席に座らず、部屋の一番奥、窓に寄りかかって突っ立っている。そのすぐ左斜め前にはスティーヴンが座っていて、そこは一時的な議長席のようにも見えた。角を丸く削られた長方形のテーブル、スティーヴンから見て左側にはサヴァンが座っていて、右側にはヘンリー、ガレスの順番で座っている。全員が、一席ずつあけて、結構広々とした感じで座っていたが、それでもミーティング・ルームは半分以上の空間が余っていた。通常化班の会議室よりもかなり広々としている。

「ベアボーイは気にしないさ、パピーが何になろうが。」

「……そうですか、アーサー。」

 アーサーの、内容にしては特に目立った感情を込めていないその口ぶりに、スティーヴンは口ごもるようにして言葉をつぐんだ。アーサーに対してはどこか少し遠慮しているような感じが窺えるのだ、恐らく、一応はその名前にレッドハウスが入っているノスフェラトゥだからだろう。スティーヴンは、自分より上に位置する人間か、上に位置するだろう人間に関しては、非常に嗅覚が効く。

「あれに関してはお前の言う通りだ、ショーティー・ネイリー。明らかに俺の判断ミスだったよ。俺と春杏がいれば何とかなると思ったんだ、というか、あのガキが、いくら二流品つったってバルザイウムをぶち破れるなんざ思いすらしなかった。謝るぜ、謝って何とかなることじゃないし、謝る相手もお前だけじゃすまないだろうけどな。」

「そうですね、まー、今はこの話はやめときましょう。」

 削った爪を蛍光灯の方に透かしながら、スティーヴンはそう言って話をごまかした。そもそも追及を始めたのはスティーヴンだったのだが、話が面倒になって来ると、こうやって身も蓋もなく別の話にする。スティーヴンの処世術のうちの一つだ。

 ちょっとした沈黙の中で。

 こんどは、サヴァンが口を開く。

「それで、私達の提案はご理解いただけましたか? ミスター・スティーヴン。」

「おいおい、サヴァン隊長が「私達」っつったぜ。別に笑うとこじゃねぇが、何か面白いな。」

「ええ、理解はしましたよ、エトワール支局長。でもまあ、AKを出すかどうかは別の話です。」

 スティーヴンは一本目の爪の出来上がりに満足したのか、軽く笑ったような表情を見せると、やすりを次の爪に当ててまた削り始めた。一方でその言葉に対して、サヴァンはいかにも怪訝であるとでもいいたげな作法で片方の眉を上げて見せると、机の上に、両手の指先を柔らかく合わせるような形にして、少しだけ身を乗り出す。

「それはどういう意味ですか、ミスター・スティーヴン。」

「言葉の通りに受け取って頂いて結構ですよ、エトワール支局長。あなた方のおっしゃりたいことは、私、十分理解したつもりです。要するに夜警公社員の代わりにヴィレッジの隊員の方々をハニカムに配置したいよってお話ですよね。でも、これをうちが承認できるかっていうと、それは随分とまあ難しい話になりますねって、私の言いたいことはそういうことですよ。」

 ちらりと伺うように一度、サヴァンの方に視線を向けてから、すぐにまた爪へとそれを戻す。そんなスティーヴンに対して、ウィルソンがまた口を挟み込む。

「スティーヴン。」

「あー、もう、お説教はやめてくださいよヘンリー。うちが今どんな状況だかって、あなたもご存じでしょう? どうしようもないんですよ。今までさんざ儀式がありますーだの日が悪うございますーだの理屈をこねてこっちの話を突っぱねておきながら、今日になっていきなりシンプレックスに連絡を入れてきて、その内容がどんなんだったと思います? 「今回の件に関してはノスフェラトゥに反感を持つ若いグールたちが独自に暴力的行為に走ったものであり、ダレット列聖者はまったく無関係である、その証拠にグールたち自体もハニカムに重大な損害を被っており、これはグールのノスフェラトゥに対する戦争というより、反体制派グールによるパンピュリア共和国への内乱行為と取るべき問題だ」、「こちらとしても対策には大変に苦慮している、しかしその甲斐があってハニカム内部に関しては十分に平定することができた、あとはノスフェラトゥ領で行われている破壊行為に関してだが、和平協定上はこちらは手を出すことができないため、こちらとしては強い心痛の思いを持ったまま、静観をさせて頂く」、もうこれじゃあどうしようもないでしょう。」

 スティーヴンはヘンリーに肩を竦めて見せた。

 アーサーはそれに対して、馬鹿にするように言う。

「はっ、グールが人間だの何だのみたいに内乱なんて起こすっていうのか? 全く、白々しいこったな。」

「いくら白々しくったって、NG文書で出されたらそれが真実なんですよ、アーサー。少なくともNG間交渉上はね。」

 背もたれにぐっと寄りかかるように体を後ろ側に向けて、あーっと口を大きく開けながら、スティーヴンはアーサーに対してそう言った。それからがくっと体をまた前に戻して、身を乗り出すように他の三人の方へ顔を向けて言葉を続ける。

「と、に、か、く、向こうがこれは戦争じゃなくて反乱分子の内乱だって言うつもりならば、こっちとしても証拠がない限りはいそうですねって言うしかいないんです。そして第一点、これが戦争じゃないならグール反乱の緊急派兵は使えないし、まあそもそも緊急派兵をするとしても送るのはHOLの兵隊であってヴィレッジの隊員を送れるわけじゃないんですが、それから第二点、グールタウンへの応援としての人員派遣っていう名目も、向こうがこっちは大丈夫ですいらないですって言ってる以上はやっぱりはいそうですねって言うしかない。合理的な理由がないんですよ、ヴィレッジの隊員なんてものを送る。」

 やすりを親指と人差し指の間で挟み込むようにして持って、それをふりふりと小さく振りながら。スティーヴンは頭の悪い子供に向けるような笑顔を三人に向けて笑った。

「対グール軍を送るのはどうだ。できるか?」

「無理ですね、HOLがどういう組織か知ってるでしょう、あそこは私達のハウスとは流れてる時間が違うんです。それに仮に送れたとして、対Gが何の役に立つっていうんです? NGの最後の戦争が終わってからいくら予算が減らされたと思ってるんです? あれは案山子ですよ、立ってることに意味があるし、立ってることにしか意味はないんです。」

 スティーヴンは呆れたような顔をしてそう言い放つと、また爪に目を下ろした。ヘンリーは苦虫を噛み潰したような顔をして、また黙り込んでしまう。誰も言葉の接ぎ穂を接いでいくものもなく、ミーティング・ルームの中を、ただ爪を削る音以外は静寂が支配する。

 と、今まで言葉をつぐんでいたガレスが。

 ようやくのこと、その口を開いた。

「フレイザー社長。」

「なんですか、ガレス。」

「グールに連絡が通じるようになったのですね。」

「まあ、一応は。」

「では、こちらが捜査した結果、今回の「グールたちの内乱の指導者」の容疑者として、リチャード・グロスター・サードが浮かび上がってきたと伝えることもできますね。」

「え?」

 今まですっぽりとはまっていたジェスターの仮面が、一瞬だけ崩れて砂になったような表情をした。爪を磨いている手が止まって、その視線はガレスの方に向く。

「そ、それはできなくはないけど……」

「そして、そのリチャード・グロスター・サードがどうやらハニカムに逃げ込んだらしいということも。そうすれば、ピータース協定緊急第二項、ハウスファミリー保護のための人員派遣が使えるはずです。リチャード・グロスター・サードは未だにハウスの継承権を失っていないのですから。もちろんダレット列聖者側には、この緊急第二項の適用はあくまで協定上問題なく行動するためにすぎず、本来の目的はこれ以上リチャード・グロスター・サードがグールの反乱分子を扇動することのないように、確保するためだと言う。そうすれば、協定上問題なく、また言葉の上ではグール達の面目を潰すものでもないため、グール達に軋轢を起こす理由を与えることなく人員を派遣することができるのではないでしょうか。」

「しかし……しかしだよガレス、もし今回の件にリチャード・サードが関わっているとグールに対して正式に表明してしまったら、今後のNG交渉上重大な障害になりかねないのではないかね?」

「だから正式な要請は、あくまでもリチャード・グロスター・サードの保護としての人員派遣請求の形にとどめるのです、ウィルソン社長。「グールたちの内乱の指導者」としての容疑に関しては、非公式の見解として記録には留めない形で伝える、それでも十分な効果はあるはずです。」

「それにしてもアップル、しかもフォウンダーのご子息に関する醜聞をグールに明かすことは好ましいこととは言えない。」

「ヘンリー、あなたもご存じでしょう、グールたちは既に独自の捜査によってホワイトローズ・ギャングの介入を推測しています。今更それを明かそうが隠そうが、大した違いはないのではないですか?」

「彼の鬼らはまだ推測にしか至っていない、その程度ならばあとでどうとでも覆せる、しかも根底からだ。しかしたとえ非公式にせよ、こちらから見解を出してしまえばそれは全く別の話になる。私の言いたいことは、皮膚の上の傷も、皮膚の下の傷も等しく同じ傷だということだ。」

 ヘンリーとガレスがそんなことを話している間、暫く何かしらを考え込んでいるような顔をして、やすりの先でこつこつとテーブルを叩いていたスティーヴンだったが、やがておもむろに顔をサヴァンの方に向けると、そちらに向かって言葉をかける。

「エトワール支局長。」

「はい。」

「対神兵器はどの程度の等級のものを、どれくらい確保できますか? こちらに貸し出しを行う余裕はありますか?」

「ミスター・スティーヴン、それは……」

「あー、録音機なんて仕掛けてませんよ、この部屋の中では正直に話しましょう、Beezeut法のことは忘れてね。それで、エトワール支局長、対神兵器をこちらへ貸し出す余裕はありますか?」

「……何人の部隊を派遣するかによります。こちらで用意できるのは、天狼級を百です。」

「数に関しては十分ですね、むしろそんなにいりませんよ、どうせ少数部隊しか送れないと思いますから。でも……天狼級かー、野良の始末には十分ですがそれ以上になると少し弱いですね、せめて鳳妓級を用意することはできませんか?」

「時間があれば用意できないこともありませんが、右から左に流せるものとなると天狼級が限界です。」

「まあ……仕方ないですね。準備ができ次第、夜警さんの所に支給してください、あくまで秘密裏にね。さすがにヴィレッジだけでハニカムに入らせることはできないので、それぞれの班は夜警さんの特殊鎮圧班と一緒に行動して頂きますが、その人員に持たせるためのものです。」

 やすりの先で指さすようにして。

 スティーブンはそう言った。

 それに対して、ウィルソンが。

 眉根に皺を寄せて、口を開く。

「スティーヴン。」

「ヘンリー。」

 ウィルソンの方を向く。

 からかうような顔をして。

「君は、ガレスのアイデアを受け入れると言っているのか?」

「そうですよ、ヘンリー。それがどうしましたか?」

「どうもこうもない、スティーヴン。それが何を意味するのか分かっているのか?」

「とっくのとうに私は分かっていますよ、あなたが少し神経質になりがちな性格をだってことはね。ヘンリー、よく考えて見なさいよ、ノスフェラトゥが恥や外聞を気にすると思いますか? あの化け物は自分たちの快適かつ安楽な生存以外の何物にも興味を持っていません。」

「スティーヴン、化け物という言い方は……」

「あなたは色々と気にしすぎなんですよ、ヘンリー。何か問題があったらガレスのせいにすればいいじゃないですか、アイデアを出したのは彼です、私達くらいの立場になれば、責任の逃れ方なんていくらでもあるでしょう? 成功したら私達の手柄、失敗したら部下のせい、分かりましたか? さて、それでは至急、リチャード・サードが今回の件に関わっているという証拠と、それから侵入請求をする二地点にあの方が現れることの裏付けになりそうなものをうちに提出してください。どっちもでっち上げでAKです、前者に関してはむしろ完全なでっち上げで、あとから何とでもごまかせるようなものが望ましい。」

 それから、すっと立ち上がって。

 やすりをポケットにしまう。

 部屋の全体を見回してから。

 顔の前で両手を開いて、言う。

「今回の侵入請求は緊急条項による請求なので、あなたたちは処理が終わるまで待ってなくても大丈夫です、まあ日が沈むまでには弊社の処理を終わらせるつもりですけどね。とにかく、すぐに通行許可証の必要な数を算出して、私と、CCで私の秘書にTAUメールで送ってください、そのメールで動くように部署に言って通行許可証を人数分作らせますから。正式書類は後回しで問題ないように取り計らいます。他に何か質問はある?」

「それは、ハニカムに部隊を派遣しても構わないということか?」

「そうですよ。今の私の言葉、それ以外に受け取りようがあります?」

「いや、念のための確認だスティーヴン。」

 ヘンリーはそっけなく言う。

 それから、事務的な調子で付け加える。

「協力に感謝する。」

「感謝するんならガレスに。なかなか冴えてましたね、ガレス。ま、いつものことか。では、他に質問もないようですね、私はすぐに仕事にかからなければいけないので、これで失礼いたします。」

 そう言い残すと、スティーヴンは足早にミーティングルームを後にした。一度こうと決まるととても話が早いのだ、こちらが戸惑うぐらいに。それでもスティーヴンはこの若さで執事にまで上り詰めた人間であって、つまり有能でないわけではない。スティーヴンがAKを出したということは、恐らく独りよがりでも何でもなく、グールに対する交渉には何の問題もないだろう。その後の責任を取るかどうかは全く別の話として。

 スティーヴンが急いでいる割には音もなく扉を閉めるとともに(執事になるには必須の能力のうち、比較的どうでもいいもののうちのの一つだ)、ミーティング・ルーム全体を、ちょっと狐につままれたような空気が包み込んだ。

「あいつはちょっと……」

 その場の空気を代表するように、アーサーが何かを言おうと口を開きかけたが、閉じたはずの扉がまた音もなく開いて、ひょこん、とスティーブンがまた顔だけ、会議室を覗き込むようにして戻ってきた。ヘンリーの方を向く。

「あー、そうそうヘンリー。言い忘れていましたが、こちらとしてはゴールデンボウの使用を許可の中にねじ込んでおくつもりです。グール達は気に入らないと思いますけれど、何せ緊急事態ですからね。だから、あれを出していただいても結構ですよ。」

「ちょっと待てスティーヴン、ゴールデンボウは……」

「じゃ、そういうことでよろしく。」

 言いたいことだけ言って、それからまた扉の方に吸い込まれるようにして消えてしまった。ぽかんとした空気の中で、アーサーが先ほどの言葉の続き開いたままの口で言う。

「人生生き急ぎ過ぎてるな。」

 全くその通りだと、その場にいた皆が思った。

 まあ、それでもとにかく、準備は整ったようだ。

 ヘンリーは、わざとらしくため息をつく。


 一本の廊下はある一点からある一点を繋ぐ閉鎖された空間だ。一般的にその一点と一点は常に固定されていて、その空間を通行する存在はその運命から逃れることはできない。屍食鬼公社の作り物めいた廊下に立っているアーサーは、へらへらと全くもっていつものような笑顔を浮かべながら、運命の先に立っている男の背中に向かって声をかける。

「サヴァン隊長。」

「なんですか、サー・アーサー。」

「どうせ打ち合わせのために夜警公社に行くんだろ? 途中まで俺を乗せてってくれないか? 別にベアボーイの車に乗ってきゃいいんだけどさ、あいつと一緒だと息が詰まるんだよ。」

 ちなみに、ウィルソンとガレスは雉を撃ちに行っていた。これから車で夜警公社に戻るわけだが、その前に一応は出すものを出しておこうということだ。アーサーは排泄行為を行わないし、サヴァンの着ているヴィレッジ・スーツは長い戦闘に備えて非常に特殊な技術が使用されているため、二人(正確な書き方をすれば一人と一鬼)ともトイレに行く必要はない。

「いえ、私は別に行く場所があるので。」

「別に? 行く場所?」

「私の代わりはミスター・アザレに任せています。彼は非常に有能な男ですから、私がいなくても何の問題もないでしょう。」

「おいおい、そりゃどういうことだよ。まさかお前、今回の案件に顔を出さないつもりか? 他になんか重要な事件があるっていうのかよ、パンピュリア共和国存亡の危機以上に?」

「私は……別方面からこの事件の解決を図るつもりです。それ以上は、あなたに情報を明かすつもりはありません。そもそも今回の共同捜査は、捜査自体は別々に行い、事件に進展があればその情報だけを共有するという形のものですから、私の言っていることには、特に問題ありませんね?」

「もちろんだぜ、サヴァン隊長。全くもって問題ない。」

 そういうと、アーサーはへらへらとした笑顔のままで、しっとサヴァンの顔を見つめた。正確に言えば、両目を射貫くようにして。サヴァンはその視線から自分の目をそらそうともせずに、いつものような良く通る偽物のような声で言う。

「無駄です、サー・アーサー。私の精神には例えフォウンダーであろうとも侵入できないでしょう。」

「知ってるよ、やってみただけだって。」

「そもそも私はあなたやミズ・メアリー、楊女士とは違って、特殊な能力を持っているわけでは有りません。今回の作戦にいようといまいとそれほど違いはないはずです。」

「ははは、社交辞令をありあとうよ、サヴァン隊長。まあ、俺達も今回の作戦には関われねぇがな。」

「関われない? どういうことです。」

「おいおい、俺だって一応はレッドハウスなんだぜ? 継承権はねぇけどな、それでもフォウンダーの血を引いたノスフェラトゥがハニカムの、1926以外の場所に入れてもらえると思うか? そしてパピーと春杏は……分かるだろ? 二人とも起こした「事件」がちょっと大きすぎるからな。まあ、どっちにしたってこっそり忍び込むならともかく、正式に玄関から招いてもらえる訳ねぇよ。」

 サヴァン隊長はアーサーのその言葉を聞くと、一瞬だけ奥の歯を軽く噛んで、まるで寝巻のボタンを掛け違えていたことに気がついた時のような表情をしたが、すぐにいつも顔に被っている仮面の表情に戻った。アーサーは面白そうににやつきながら、そんなサヴァンに向かって言葉を続ける。

「俺たちはブラッドフィールドの治安維持の方に回されるよ。どこの担当になるかは知らねぇがな。」

「なるほど、分かりました。」

「ところで、サヴァン隊長。」

「なんですか、サー・アーサー。」

「聞いていいか? 一つだけ教えて欲しんだが。」

「どうぞ。」

 アーサーは片手を持ち上げて、顔の横で開き、手のひらをサヴァンの方に向けて見せた。それから、視線をサヴァンの目から降ろして、サヴァンの胸のところ、心臓の丁度真上、ヴィレッジのマークの方に向ける。特に意味はないが、どこか馬鹿にしたようなしぐさだった、それから舌の先を震わせるようにして言う。

「それ、着替えるのにどれくらい時間がかかるんだ?」

「失礼します。」

 そう言うと、サヴァンはアーサーの方に向けていた体をくるっと反転させて、運命の先の方、もう一点の方へと向かって歩いて行ってしまった。

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