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#25 ジャスティスに休日はない

 ベルヴィル記念暦985年2章15節。

 そろそろ太陽は中天に昇る時間。

 その名は……ジョーンズ財団といった。

 片方の顔は、薄く研がれた死神の鎌。この世界で最も金を簡単に金を儲ける方法とは何か? それは、人の命を売り買いすることだ。特に、トラジディックな方法で人を殺せば、その悲劇性を有する割合において、それだけ見返りの大金を得ることができる。ジョーンズ財団は世界最大規模の多国籍公益財団法人だ、いくつか挙げられているその目的の中で、この財団に最も利益をもたらすものは「人道的な紛争解決方法を希求すること」。大量の寄付金が世界の地政学でちょっとでも有利な地位に立ちたいと考えている国家・企業体及びその他の集団からジョーンズ財団に詰め込まれて、そしてその金は、例えばサリートマト社やディープネットといった、世界的な軍需企業に対して投資や共同研究開発の形で注ぎ込まれていく。順調だ、歯車は適時に油を注されて、軋みもせずに滑らかに回っていく、世界の構造はそうやって人々をひき殺していく、その機体にはその人々の血液によって幾つものピースマーク――平和の笑顔――が描かれていく。

 片方の顔は、千の手を持つ慈悲の太陽。もちろん、ジョーンズ財団の目的は「人道的な紛争解決方法を希求すること」一つではない、その他にもたくさんの目的があるのだ、それほどの利益を財団にもたらさなかったとしても。「人間の脳の構造を解明し、あらゆる精神病の根絶を目指す」ジェレミー・ハウン基金、「世界中のあらゆる遺伝子を集積し、種の多様性を維持する」デイヴィッド・ハイン基金。数えきれないほどの基金をジョーンズ財団は有している。どれも現代になってから今現時点まで暫定的に「普遍の価値観」とされている価値観、つまり弱者の救済を目的とした基金だ。疫病、飢饉、それに貧困、そういったものを背負った、あらゆる人類の弱者たちに対してジョーンズ財団はその非課税の愛を投げかける。もちろん、自らが引き起こした戦争で難民や孤児が出れば、ジョーンズ財団はフレンドリーシップとフラタニティをもって惜しみなく彼らに与えるだろう、彼らの死と不幸によってもたらされた利益の、少なくともその一部は。

 ジョーンズ財団は。

 つまりはそういう組織だ。

 ではそういう組織にとって最も重要な業務は何だろうか? 何を手に入れることが最も利益につながるのか? それは、その上を金が伝ってやってくる蜘蛛の糸のように広がったコネクションと、それからその糸の上をどんなに大量の金が伝って来たとしても切れないように強化する信頼という名の強化剤。そして、その二つを手に入れるための非常に有効な方法の一つは、もちろんお馴染みのチャリティ・パーティ。

 そして、今日は「聖無知」曜日。

 あらゆる労働が、禁止されている日。

 つまり、パーティにうってつけの日。

 リリヒアント第五階層、ナシマホウ界、分かりやすい言葉で言えば人間たちの住む世界に(裏切者のユニファルテや月光国の神々等、完全に身を隠している者達を除いて)唯一残ったのはエコン族の神々だけだ。彼の神々とて、神の姿を仮初の人の姿に変えて、ほとんどの人間たちは彼らを神と知ることもないが、それにしても、神の目は人々を見通し、神の掟は人々を縛る、彼の神々は定量化されて、数測しうる、削り取られた、カップの中の人間の魂……つまり、金を好む。

 唯一残された神が金を好むのだ。

 人間は、もちろん金を愛するだろう。

 そして、人々は勤勉になって行く。

 無意味なほどに、もともと崇敬に意味などないとしても。前述したように、トラヴィール七曜のうち「聖無知」の日は基本的に労働が禁止されている、己が生活の内で、聖なる無知を幾度も象徴し、そしてスナイシャクに刻み付けるために、人々は「無知」を体現し、そのために「知」を生み出すであろう労働を行ってはいけないのだ。しかし、無為は金を産まない、時間は金と交換する時に、もっとも交換比率の高い商品で……だから、人々はなんとかして「聖無知」の日に流れる時間を、金銭と引き換える方法を作り出す、それが、パーティだ。

 誰がパーティを労働というだろうか? 昼間からアルコールを聞し召し、奏でられる音楽に耳を傾け、面白いジョークに笑い、ユーモアあふれる世間話をする。これのどこが労働なのか? もちろん、これは労働ではない、しかしもちろん無為でもない。人々はパーティの間に、互いにねばねばとねとつき、その内側に他人の金を引き込むであろう所の、蜘蛛の巣を張る。あちらの方は? ああ、お名前は常々お伺いしていました、是非お近づきになりたいところですね。人々は、もちろん「聖無知」の日に流れる時間を、金銭と引き換える方法を作り出すだろう。

 さて、抽象の説明は終わり。

 今度は、具体的な光景の描写。

 ブラッドフィールド、アップタウン。空を擦り減らすような聳え立つビルの群れの中、その中でも一際高く天を貫いている二つの建物、まるで腹も種も換えて生まれた、全く似ていない一組の双子。片方の名前は、もちろんシナルビルディングだ。そしてもう片方の名前は……ジョーンズフォルド。世界に冠たるジョーンズ財団の、財団本部ビル。今日は、というか今日も、毎週の例にならい、ジョーンズフォルドの最上階、プラザ・ホールではパーティが開かれていた。そのパーティの名前は「黒と白の舞踏会」と呼ばれている。今は亡きP・B・ジョーンズの父親の代に始まったこのパーティは一風変わったもので、ドレスコード、黒と白以外の色を使った服装は認められていない。紳士は必ずブラック・タイをつけ、淑女はブラック、あるいはホワイトのドレスしか着ることを許されない。もちろん、身に着けることが許されるのはまるで純水を凍らせたような透明の色に光るホワイト・ダイアモンドだけ。

 黒と白に統一された。

 単純さと、趣味の良さの手本。

 オードリー・ワイルダーが歌う。

 プラザホールは……やはりこれもまた毎週の例にならって、満員だった、もちろん下層階級が詰め込まれた通勤ラッシュのような満員ではない、上流社会の満員、広々とした空間の中に、ちょうどよく人々の配置された、洗練された満員だ。ブラッドフィールドの二月の雨、季節についていくことを忘れたように、冷たくさらさらとした手触りの、透明なカーテンが、町中に引かれている。プラザホールの一番奥の壁、一面が全く透き通っている窓ガラスで構じられた壁から、それを見下ろすことができる。

 ここにいれば雨に濡れることはない、だから人々はその雨を他人の不幸として、蜜の味で味わうことができる。機械仕掛けの振り子のように、無感情に空を叩いている雨の音を、雨の色を、雨の感覚を。もちろん、雨だけではない。昨日の夜か、あるいは今朝の早朝に起こったあの恐ろしい出来事も、ここから見下ろせば、例えば踏み潰された蟻ほどの悲劇性も感じることはないだろう。例えこのビルの一階、昨日のあの恐ろしい出来事の時に、明らかにライカーンの、生きたままだか死体だかとにかく体の一部が突っ込んだらしい、衝撃の跡、ガラスが割れて、ビルの外壁で洗われている血液の痕跡が残っていたとしても。

「ねえ、それにしても奇妙な感じがするものね。」

 独り言のようにしてそう言うと、ミッキー・モーガンは窓に手のひらを当てて眼下の光景を見下ろしたたまま、反対の側の手に持っていたカクテルグラスの中から、薄い赤色をしたカクテルを一口口に含んだ、まるで口の中をその液体でゆすぐようにして、軽く口の中で転がす。ミッキーは目蓋が重くなるような黒、まるで目が覚める様な白の反転色をした、全身を覆う露出の少ないドレスを着ていた。いつものように、エレメンタリー・スクールにいる、お転婆な、膝小僧に常に絆創膏をしているような、そんな少女のままで大きくなってしまったような、悪戯っぽい瞳は、静かに凍り付いたような表情で笑っている。

「そう思わない? この下で、山ほどの人が死んだってのに、私達は素敵な素敵なパーティを開いているのよ。ワイングラスを片手に、うんざりするくらいの回数を聞いたマザージョークの一つを、また今日も馬鹿みたいに笑ったりして。まあパーティ、毎週開いてるっちゃ毎週のことだけど、それにしても奇妙なものは奇妙だわ。P・Bはどう考えてるのかしら、いえ、何も考えていないわね。P・B、私たちの可愛らしいP・Bは……とにかくいつも、何も考えていないのだから。不思議なくらいよ、あの坊やがこれだけの財団を運営できているなんて。どうせ、シンクタンクの一つや二つ持ってるんでしょうけど、それにしてもって話。」

 その言葉の先で、その言葉に対する反応として。サヴァン・エトワールは完璧な角度で肩を竦めた、上流社会の子息が社交界に入る前、社交術の学校で「肩を竦める」の科目を学ぶ際に、まさにお手本にすべきような角度だ。もちろん、サヴァン・エトワールはそんな学校に通ったわけではなかった、当時は、つても金もなくて入れなかった、だからその代わりに、大人になってから通信教育で学んだ。

「ミズ・モーガン。あなたの言葉には一つだけ間違いが含まれています。」

「そう。どこかしら?」

「ライカーンは人ではありません。」

「人だって死んだんじゃないの? 十人か二十人くらい。」

「いえ、ホワイトローズ・ギャングの二人を除いて、人間の死者は一人も出ていません。多数の負傷者は出ていますが。」

「へえ、そうなんだ。それは奇跡的な話ね。」

「ブラッドフィールドでは、奇跡という程のことではありませんよ。」

 ミッキーはさっと何でもないことのようにして窓のガラスから手を離すと、くるっとサヴァンの方に向き直った。今日のサヴァンは緩やかにその身を包む漆黒のタキシードを着ていた、いつも着ているヴィレッジのスーツを脱いで。サヴァンがあのスーツを脱ぐのは、この「黒と白の舞踏会」の時だけだ、さすがにこのパーティにあのスーツは場違いすぎるから。しかし……流石に髪の毛を毎週毎週染め直すのは面倒なのか、それからドレスコードに髪の色は含まれていないからなのか、とにかくヴィレッジのカラー、緑色のままだった。そのせいで、サヴァンは周りから少しだけ……少しだけかなり浮いて見えた。

「ところでエトワール支局長。」

「何ですか、ミズ・モーガン。」

「あなたの愛しいパートナーの、ホリーが来てないみたいね。どうしたの?」

「ホリデイは……外せない仕事があるということでした。」

「聖無知の日に仕事? ホリーらしいわね。」

「その言い草は、まるでトラヴィール教徒のそれですね。あなたはパンピュリアの生まれでもないし、ベルヴィルの生まれでもありません。つまり、トラヴィール教徒ではないでしょう?」

「教会に入るならばその間だけでも信仰を持て、よ。」

「なるほど、参考になります。」

「それに、別にその二国に生まれなくたってトラヴィール教徒になる人間はいるわよ。それはそれとして、どうなのエトワール支局長。」

「何がですか?」

「ブラッドフィールドで何が起こってるわけ? 随分と、騒がしいみたいだけれど。」

「あなたはご存じだと思っていましたが、ミズ・モーガン。」

 くすくすと、女学生のような顔でミッキーは笑った。ボブに切りそろえた、輝くような黒い髪がさらさらと音を立ててるみたいに聞こえた。三十代後半の女が浮かべるにしては、少しはしたなすぎる、落ち着きが足りない笑顔のように見えた。しかし、その笑顔は、ミッキーに似合っていないわけでもなかった。

「ホストのお出ましね。」

 からかうように、言葉の先でミッキーはそう言った。サヴァンは左の足を軸にして、右足に極力負担をかけないようにして、ミッキーの視線の先に振り返る、次に何が起こるのかを、知らないことになっている役者のような、作為的なまでの鷹揚さで。

 そこに立っていたのは……ジェスター・オン・ザ・ファウンデーション、ミラクル・シリー・ヘアー、クレイジー・フーリッシュ・バスタード、あらゆる嘲笑と、それから羨望をミキサーで混ぜたミックスジュースのような名前で呼ばれる男。そのあまりに愚かな振る舞いから出来損ないの馬鹿凡々と呼ばれながらも、それでも両親から弱冠十三歳で受け継いだこのジョーンズ財団を更に更に発展させて、世界で五本の指に入るほどの巨大な法人とした男。

「やあ、ミッキー・モーガン! それにサヴァン・エトワール! あなたたちに今週も会うことができて、私はとてもうれしいよ! 今日のパーティも楽しんでくれているかい!」

 さて……

 その名は……

 その名は(ドラムロール)!

「盛会ですね、ミスター・ジョーンズ。」

 P・B・ジョーンズ(ばばーん)!

 どうせ予想は付いていただろうし、別に名前一つでそれほど盛り上がることもなかったが、それはとにかくとしてパーティ会場、窓際の花のようにして他の集団から離れ、話していた二人に向かって、特に静かとも言えないずかずかとした近寄り方で近寄ってきたのは我らがジョーンズだった。当然、今は昼の内だ、黒い羊の隠れるためのその闇のない場所で、ジョーンズはブラックシープではなく、P・B・ジョーンズとしての姿をしていた。昨日、フラナガンと一緒にHOBを訪れた時と全く同じ服装(あの服装を一セットとしてジョーンズは何十セットも用意している、NHOEがたくさん買っておいたやつ)をしていて、にこにこと何も考えていないような爽やかな笑顔を浮かべている。

「私もあなたに今週もお会いすることができて、非常に光栄ですわ、P・B。それと……今週もヴァンスがパーティにお伺いできず申し訳ございません。ヴァンスは悟曜日に行われる混合法則学と統一理論の国際会議のためにベルヴィルに飛んでおりまして……」

「いやいや、謝罪することはないよ、ミッキー・モーガン! ジャッコ・ヴァンスがとても忙しいのは私も十分知っているからね! それでも彼は月に一度はこのパーティに参加してくれている……それだけで、私は感動による戦慄で総身が震えてしまうほど嬉しいんだ!」

 そう言うとジョーンズは、はっはっはー!と豪快な感じで笑った。いつものことなんだけど、この人なんで必ず人をフルネームで呼ぶんだろうと思いながらも、モーガンはお追事のようにしてジョーンズと一緒に笑った。今まで全然全く一言も触れていなかったが、ミッキー・モーガン、この年若く、そしてまあきちんと切りそろえられた宝石のように美しくなくもない女性は、サリートマト社やディープネットと並ぶ世界最大級の軍需企業のうちの一つ、ヴァンス&クロス社のCEOであるジャッコ・ヴァンスの最も信頼できる懐刀であり、当該企業の執行責任者の一人だった。つまり、ジョーンズにとってもサヴァンにとっても、非常に重要な取引の相手先ということになる。

 しかし、今回のストーリーにおいてはほとんど存在意義のないこの場限りの読者代理聞き手タイプ脇役に過ぎないので、読者諸氏に置かれましては特に重要性はございません。こんな後半でまた新キャラクターを出してくるの?という心配はもう少し後の方のために取っておいて、今のところはご安心頂き、これからの三人の会話を引き続きお楽しみください。

「ところで昨日の夜のブラッドフィールドは随分と大変だったそうですわね、P・B。私がこの街に着いたのは朝の遅い時間だったので、もう事態は収拾されたあとだったんですけれど、噂ではライカーンが反乱を起こしたと聞いておりますわ。」

「ミッキー・モーガン! その通りだよ、昨日は本当に大変なことが起こったんだ。ここから見下ろせるね、まるで雨によってその顔にかかった返り血を、こっそりと洗い流している罪びとのようなブラッドフィールドの街……そしてその中心を走っているアベニュー! 事件はそのアベニューで起こったんだよ、ミッキー・モーガン。」

 あー、スイッチ入っちゃったわね、もう、軽い世間話もできないんだから、と思いながらミッキーは。まるで何かの音響効果が追加で入ったかのように、その声音に圧倒的な迫力のようなものを込めたいらしい声音で語り始めたジョーンズのことを少し呆れたような顔で見ている。一方でサヴァンは、軽くグラスを傾けて、ノンアルコールのドリンクを自分の口の中に滑り落とす。

「ライカーン達の目的は、あなたも知っている通り一台の車だったん。その一台の車に乗っている、一人の男……そう、アーサー・レッドハウス! ブラッドフィールドに孤独に咲き誇る、たった一輪の正義の花火……おっと、サヴァン・エトワール、あなたのことも忘れてはいけないね、あなたも間違いなく正義の男、正義の光、そして美しく夜に咲き誇る正義の花火なのだから。」

「光栄ですね、ミスター・ジョーンズ。」

「こほん、訂正しよう、つまり……ブラッドフィールドに孤独に咲き誇る、たった二輪の正義の花火のうちの一輪! 悪は常に矮息だよ、ミッキー・モーガン、それを忘れてはいけない。彼らは……彼らは己の求めるところのもののために、あらかじめこの街の正義を刈り取っておこうとしたんだ、そうに違いない! それはともかくとして、ライカーン達はアーサー・レッドハウスの中で輝く正義の炎をかき消してしまおうと、大挙して襲ってきた。アーサー・レッドハウスの乗る車はアベニューを駆け抜け、そしてその間に私はライカーンどもを……」

 そこまで話した時に、ジョーンズははっと、何かに気がついたようにして表情を変えた。あー、きたきたー、とミッキーは思う、ジョーンズは、今のようなよく訳の分からないことを言っている時に、今のようにふと表情を変えて言葉を止めることがある。それから、ジョーンズは片耳を抑えて、何か聞こえてくる声に耳を傾けるように、軽く首をその押さえた耳の方にそらして、それからぶつぶつと独り言のようにしゃべり始める。

「え? なんだいノーハ……そうだったね、公の場であなたの名前を呼んではいけないのだった! それで……え? 確かに……あなたの言う通りだよノーハ……えーと、つまりあなたの言う通りだ、危なく私は自分の正体、つまり正義のヒーロ……そう、そうだね、分かった。もちろんだよ、気を付けなければ……ありがとう、ノーハンズ・オンリーアイ!」

 ジョーンズの話している言葉は、あまりに小さすぎて周りの人間にはよく聞き取れないが、巷の噂によれば、ジョーンズは常にクリスタライザー・オブ・ドリームズ式(クリスタライザー・オブ・ドリームをそんな下らないことに利用しようと思う人間が果たして存在しているのかどうかという話なのだが)のボイスレシーバーにつながったイヤホンを耳につけていて、そのボイスレシーバーはジョーンズが財団の責任者になった時から裏で支え続けているという、物理学、化学、生物学、数学、経済、政治、法律、文学、そして魔学の九つの非公開シンクタンクにつながっているという。そして、そのシンクタンクから逐次ジョーンズに対してその行動に対するアドバイスが送られてくるのだ。そして、今のような行動は、そのアドバイスに対して耳を傾けているところなのだという。

 しかし、とミッキーは考える。物理学、化学、生物学、数学、経済、政治、法律、文学、そして魔学の九つの非公開シンクタンクのような仰々しい連中のアドバイスならば、なんかもっとましなタイミングがあるのではないか? 何でこんなよく分からないたわごとを話している時に口を挟む? ゲストが退屈しているからさっさと話しを切り上げろとでも言っているのか? ちらり、と視線をサヴァンの方に向けてみる。サヴァンもミッキーの方に目を向けて、やれやれ、と言った表情で軽くため息をついて見せた。

 ようやく、イヤホンの先の何だかとの会話を終えて。

 ばっと、勢いよくジョーンズは顔を上げる。

「失礼、お二方! とにかく、ライカーンどもはアーサー・レッドハウスとその謎の協力者、素晴らしい正義のヒーローによってついには退けられて、悪が仕掛けた極めたる外道の罠は虚しく空を切っただけだったのだ。そういうことだったのだよ、ミッキー・モーガン!」

「まあ、恐ろしい話ですわね。」

 恐ろしく何を言っているのかよく分からなかった、という意味だったが、とにかくミッキーは正直にそう言うと、ジョーンズに向かって結構なお手前の社交辞令的微笑を浮かべた。

「随分と詳しくご存じなんですね、ミスター・ジョーンズ。」

「もちろんだよ、サヴァン・エトワール。何せこのジョーンズ・フォルドは、この街のほとんどを見下ろすことができるからね!」

「なるほど。確かに、ここからであれば、アップル・タウンの内側以外は見渡すことができそうですね。」

 サヴァンは、いつものように素敵なウインクをばちこーんしてきたジョーンズに、いかにも興味がなさそうにそう言うと、その自分の言葉を確かめるようにして視線の先を窓の外へと向けなおした。窓の外、雨の街は……確かにここからなら、この高さならば、ほとんどブラッドフィールドの全域が見通せるだろうと思われた。昨日深夜から今日の早朝にかけての惨劇の跡は、防災公社の速やかな手腕によって解決の一途をたどり、そこここで燃え盛っていたはずの炎は既にほとんどが消えてしまっている。摩天楼の足元、ライカーン達が叩きつけられて破損した痕跡も、この高さからではほとんど見えない……空を駆る数台のヘリコプター以外は、町は、いつもと同じ姿に見えたし……実際、あの一節の始まりは、ブラッドフィールドにとっては、いつもとそう変わりのない一節の始まりだったのかもしれない。少し、目覚まし時計の音が大きかっただけの。

 しかしサヴァンは。

 そうではないことを知っている。

 今日、一体何が起こるのかを。

「ところで、P・B。」

「何だい、ミッキー・モーガン?」

「ボーヘイウムのスペキオース的応用に関する共同研究の件ですが、先日TAUメールさせて頂きました通りそろそろ弊社側の準備が終わりそう、とのことですわ。初期研究用のセカンダリー・ボーヘイウムは既に精製し終わって、あとはプライマリーの方ですが、今朝の連絡によれば来週の本曜日には終わるとのことです。まだご返信を頂いていないようですが、御社の側の準備はいかがですか?」

「ああ、あの件だねミッキー・モーガン! ちょっと待ってくれたまえ……(ノーハン……えーとそうそう、そうだよ、共同研究の件らしい、どうかな、私は何も知らないんだけど、あなたは何か知ってるかい……うん? ぬみの、何だい……ヌミノーゼ・ディメンション? 何か聞いたことがある言葉だな、よく思い出せないけれど……そうだ! ファーザー・フラナガンが言っていたよ! え? なんだいノーハ……それはもちろんだよ! 私が私の愛しい相棒の言葉を、欠片でも失うなんてことがありうると思うかい! うん、そうだね、ノーハ……分かった、そう伝えるよ、ありがとう!)さてミッキー・モーガン、お待たせしたね。えーとヌミノーゼ・ディメンション境界帯における簡易研究施設の建設については、予定通りの進捗具合だそうだよ。何も心配することはないと伝えてくれ、とのことだ! 良かったね、ミッキー・モーガン!」

「まあ、それは良いことを聞きましたわ。さっそくヴァンスに知らせないと。きっと喜びますわ。」

「うんうん、あなた達が喜んでくれると、私も嬉しい気持ちになってくるよ! ああ、あとそれからTAUメールの件だけれど、私宛に送ってくれたのかな? そういう時は、他の関係者にもカーボンコピーも入れて欲しいということだよ。えーと、何て言えばいいんだったのかな、私は……そうそう、忙しくてメールを確認できない時もあるからね!」

「分かりましたわ。関係部署にもそう伝えておきます。」

 関係部署だって低脳白痴じゃないのだから、当然他の関係者にCCでメールしていないわけがないのだが、そういうことをいうとまた面倒なことになりそうなので、ミッキーはいかにも有体な笑顔とともにそう答えるだけにしたのだった。

 さて、そんなこんなの、このパーティの目的に相応しい、何とはなしに無難な会話を、ジョーンズとミッキーが続けている時に。ふと、サヴァンが美しいカーブを描くようにして、片方の眉を上げた。それは台本のト書きに「怪訝そうに」と書かれていたかのような、非常に怪訝そうな表情だった。それから、天井のシャンデリアの光を浴びて、ねっとりと滑らかに光る爪の先を、体の濡れた軟体動物を押し付けるようにして窓に触れた。

「あれは……?」

「え?」

「どうしたんだい、サヴァン・エトワール!」

 サヴァンの口調に、何か変な音を感じ取ったのか、ミッキーとジョーンズはそう言いながらもサヴァンが目を向けている先、窓の外の街に目を向けた。ここは……まあ、随分と高い場所、具体的にいえば地上八十六階という高さなので、地上の出来事はほとんど見ることができない。見ることはできるが、何というか小さすぎて、ほとんどよく分からないぼやけた点々のようなものにしか見えないのだ。しかし、それでも良く目を凝らしてみると……町の光景は、少し変わっているように見えた。いつもとは、少し違っているように。何が違うのか? それは、何か、白い蛆虫のようなものが、そこら中に、たかっているように見えたのだ。何かバグを起こしたコンピューターの画像のように、薄く緑色がかった蠢くものが、そこら中で塊を作っている。

「ジャスティス! あれはグールだよ!」

「見えるんですか、ミスター・ジョーンズ?」

「もちろんだよサヴァン・エトワール! あなたは全てを見通す正義の瞳が何かを見逃すとでも思うかい?」

「グールって、どういうことですの?」

「まさか……いやそんな早すぎる……」

 そう言いながら、サヴァンは表情を……そこここが整形されて、手を入れられた顔というのは、表情を変えにくいものだ、顔全体が硬く固定されてしまって、サヴァンも普段練習している決められた表情以外にそれを変えることは滅多にないのだが……無理やりのようにして捻じ曲げた、演技ではなく、素直な驚愕の発露として。

「ミスター・ジョーンズ。」

「何だい、サヴァン・エトワール?」

「今日は……ここで失礼しないといけないようです。急な仕事が入ってしまって。」

「どうしたの、エトワール支局長。」

「ミズ・モーガン、それにもちろんミスター・ジョーンズも……お二方とも、このパーティ会場を動かない方がいいと思います。このビルはベッドストリートを除いて、ブラッドフィールドで一番安全な場所ですから……少なくとも人間が入ることができる範囲では。」

「ねえ、何が起こってるの?」

「残念ながら詳しいことは申し上げられません。ただ、街に出るのは非常に危険だと思われます。では、失礼いたします。」

 そう言い残すと、義足ではない方の脚、左の足を支点にして、時仕掛けのようにしてくるっと反転して、ジョーンズとミッキーに対して背を向けた。そのまま、右側に歪んだ優雅さで、パーティ会場の出口へと向かっていく。腕につけた通信機械に、何事かを囁きながら……ミッキーはぽかん、とした顔つきでその後ろ姿を見送りながら、ぽつりんと呟くように言う。

「何よ、一体なんなの?」

「正義だよ、ミッキー・モーガン……彼は、サヴァン・エトワールは、正義をなしに行ったのだよ!」

 正義をなしに行ったのだよ!と言われてもミッキーの疑問に対して根本的に回答になっていなかったが、それでも、ミッキーは「な、なるほど、正義ですね」とクライアントに対する大人の対応をすることを忘れなかった。

 そして、予定された現実の履行のように。

 ジョーンズの腕で、バイブレーションの振動。

 ぱっと、輝いたような顔をして。

 待ちかねていたようにジョーンズは。

 シープ・ウォッチに目を落とす。

「ミッキー・モーガン!」

「え? あ、はい、何ですか、ミスター・ジョーンズ。」

「大変申し訳ないが、私もちょっと行かなければいけないみたいだ! あなたは引き続き、パーティを楽しんでいてくれたまえ!」

「パ、パーティを楽しんでと言われましても……行かなければいけないって、どこにですの?」

「決まってるだろう、ミッキー・モーガン?」

 そう言うと、ジョーンズは。

 いつものように、悪戯な笑顔でウィンクを決める。

 そのウィンクを見て、ミッキーは。

 少しだけ、ジョーンズの成功の理由を知る。

「私を求める人々の元へさ!」

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