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#1 無信論者達は素晴らしき恩寵を歌う

 ベルヴィル記念暦985年2章12節。

 夜警公社ブラッドフィールド本社、法の秩序と欲望の喧騒との戦いのせいで、三十二時間五百十二節耳を塞いでもつんざくほど騒々しい地上階から、その底の場所へと向かう。公社ビルの奥の奥、ちかちかと瞬く蛍光灯の下の、ほとんど存在感がない黒く透明な空間の端、そこに忘れ去られたように下向きの階段がある。まるで月に至る階段のようなもの、地下に向かって降りていく。くるくると回転する官僚的な直角の螺旋を踏み外さないように降りていく……もしくは踏み外して落ちて行っても構わない。その先に着けば方法はどうでもいいから。その階段を一番下まで降りた、その廊下の先には、一台の自動販売機がある。

(おすすめはコーヒー)

(まるで泥水のような味だけど、他のよりはまし)

 そして、その自販機の奥。

 夜警公社ブラッドフィールド本社通常化班。

 通称で言うならば、OUTがある。

「言ってんだろ、グレース? どーしたってこーしたって変わらないこともあるってことさ。」

「変わらないことはない。私達の無力さゆえに変えられないことがあるだけだ。」

 通常化班に与えられた狭い場所を切り取って、狭い狭い名ばかりの会議室には、いま二人の男がいた。二人とも初老の中ごろを過ぎたくらいの年齢。しかし、非常に対照的な見た目の二人だった。一人は会議用の大きなテーブルに腰かけていて、もう一人は一番奥にある、ガラスボードのそば椅子に腰かけている。

 テーブルに腰かけている男は、アーサー・レッドハウス。安っぽいストライプのスーツを着ていて、その上にくしゃくしゃになったフロックコートをひっかけている。青色の目をしていて、無精ひげを生やした長身の男だった。髪は美しいとは言えない銀灰色になっていて、まるで何か意思のある触手生命体のようにぼさぼさだ。全体的にだらしのない恰好をしていて、そして左の手には食べかけのドーナツを持っている。

 椅子に腰かけている男は、ガレス・オールドマン。白髪交じりの金髪は、きれいに撫でつけられてオールバックに整えられている。ブランドものではないだろうが、きっちりと糊のきいた灰色のスーツに袖を通している若干筋肉質な体。顔には疲れ切ったようなしわが刻印のように刻まれている。そして、その上には鼈甲のフレームで囲われた眼鏡をかけていた。神経質そうな男。

 ガレスの言葉にへらへらと笑いながら、アーサーはテーブルからひょいっと立ち上がる。ドーナツをぽろぽろとこぼしながら一口噛んだ。

「敬虔だねぇ。無信論者の癖に。」

 口にドーナツを含んだままでそういう。

「君は、何かを信じているのか?」

「さあね。」

 それからアーサーは、ガレスのすぐそばに置かれた、会議用のガラスボードに向かう。ガラスボードには数枚の写真や絵が貼られている。そして、その上には二つの言葉が書かれていた。

 一つは「NHOE」。こちらの下には大きく「行方不明?」という言葉が書かれていて、写真も絵もたくさん貼り付けられている。そしてもう一つは「ブラックシープ」。ほとんど写真は張られておらず、絵も数枚しか張られていない。

 アーサーは「ブラックシープ」の下に貼られた絵のうちの一枚をはがした。その絵はある種芸術的でさえあった。ヒロイックな構図と、粗雑な鉛筆書きながら力強い描写。

 一人の男が、町を飲み込むような巨大な満月に照らされて、ビルの上に立っている。男? いや、それは女かもしれない。解らないのだ。その存在は、まるでその場所の空白に夜の闇が流れ込んだように黒く……そして無垢なもの。それは、羊の顔をした何かだった。そう、黒い体の先に浮かんでいたのは、金色の羊の顔。角の生えた、長い動物の顔。そしてその男の手と足の先には、それぞれ鎌のような形をした蹄の紛いものがついていた。それは鉛筆書きのこの絵の中では解らないかもしれないが、しかし、月の光を反射してきらきらと、やはり金色にきらめいて光っていることをアーサーは知っていた。

 この絵は、数人しかいないブラックシープの目撃者の一人が書いた絵。そしてその目撃者は、たまたま街中で似顔絵を描いて日銭を稼いている男だった。

「あくまで、悪人は法の下に裁かれなければいけない。どんな人間であってもだ。彼らのやっていることは、法を破っている。秩序とは、そういうものではない。」

「彼らの?」

「深い意味はない。」

「だろうな。」

 いつのころだったか、なんていうことは不明確なことだったし、そもそも誰もそんなことは覚えていなかった。安っぽい、三文新聞をたどっていけば解るかもしれない、少なくともその存在が公に認知されるようになった頃は。とにかく、おおざっぱに言って二十数年くらい前から彼は存在をし始めた。

 NHOE……ノーハンズ・オンリーアイ。夜の闇で、まるで子供を寝付かせるためのおとぎ話のように、それは生まれていた。ただ、寝付かせる相手は子供ではなかった。そうではなく、もっとブラッドフィールドにふさわしいもの。つまり、犯罪者たちを。彼は、疲れ果てた娼婦のようなブラッドフィールドが出産した、その子供。ブラッドフィールドの色に染まった、ヴィジランテ。

「ブラックシープが現れてから一年だ。」

「ああ。」

「NHOEとは違って、あいつは隙がある。NHOEは、夜警官に姿を見せるなんてことは絶対にしなかった。だがブラックシープはすでに一週間に一度くらいのペースで姿を見せている。こっちが見ていて危なっかしいくらいだ。」

「ああ。」

「だが、逮捕されることはない。そして、NHOEよりもはるかに速いスピードで犠牲者を出し続けている。」

「ああ。」

「グレース、気が付いてるか? あんた、さっきから「ああ」としか言ってねぇぜ。」

「ああ。」

「はは、笑える冗談だな。」

 彼が実在している証拠は全く存在しなかった。ただ彼は現れた後に、その足跡を残していった。犯罪者たちの、切り刻まれた死体。あるいは茫然と死体のそばに立ちすくむ、その犯罪者の被害者たち。その被害者たちは証言者となり、口々にこう言った。

 私が襲われていた時に、どこからともなく夜の闇にまぎれ、両手のない何者かが現れた。そして、私を襲っていた人間を、足に付いた刃物で蹴り殺し、そしてまた夜の闇の中のどこかへと消えていった。それがどういう人だったか全く覚えていない。覚えているのは、それだけがただきらきらと光っていた、片方の目だけで。

 やがて、人々の噂は広まった。そして、メディアまで到達した。メディアは彼を名付けた。両手がなく、片方の目しか持っていない、ノーハンズ・オンリーアイと。つまり、彼の名前は町の隅の噂の中で、善き人からも悪者たちからも、等しく恐怖をもって囁かれている名前。ブラッドフィールドの、暗い夜のおとぎ話、のはずの誰か。

 NHOEは、十年ほど活動をつづけた。その間、ずっと夜警公社は彼を追い続けた。犯罪者しかその対象ではなかったとはいえ、彼は立派な殺人犯だったからだ。しかも大量殺人犯だった。行方不明者も含めれば、彼の犠牲になったとされる犯罪者は、確認できるだけでも百を超えていた。

 しかし、どんなに追いかけても、夜警公社が存在をつかむことさえできないうち、二年ほど前に、彼は急に姿を消した。アーサーは笑いながら持っていた紙をふっと離すと、その紙はひらひらとガレスの目の前、テーブルの上に落ちた。それから人差し指の先でコンコンとテーブルを叩きながら口を開く。

「NHOEが活動をやめてから約二年。」

「ああ。」

「そして、今度は「ブラックシープ」だ。」

「そうだ。」

「なあ、彼らっていうのはそういう意味だろ?」

「あくまで推測にすぎない。」

「そうだな、推測だ。けれど、こいつらはあまりに似すぎている。この町が、何かそういう生き物達に呪われているんじゃなければな。」

 それから、つまりNHOEが消えてから一年がたった。また、ブラッドフィールドは新しい子供を産み落としたようだった。その子供の名前、そのヴィジランテの名前はブラックシープ。この名前は、NHOEと違って、人々の噂が広まる前から確定していた。

 なぜなら、本人がそう名乗ったからだ。

 自分の名の、名乗りをあげて。

 彼は、NHOEとは根本的な何かが違っているようだった。同じ夜の闇をまといながら、ブラックシープはNHOEと違い、ほとんど隠れることはなかった。ブラックシープにとって、夜の闇は身を隠す蓑ではなく、ひるがえすためのケープだった。目撃者の証言からによれば、彼はビルの上からまるでヒーローの様に名乗りを上げて、そしてそこから飛び降りて犯罪者に襲い掛かり、金の蹄によってそれを殺した。そして血まみれの体で被害者に手を差し伸べ、もう大丈夫だ、と励ました。NHOEは被害者に手を差し伸べることはなかった。NHOEは何かを喋ることさえなかった。

 ブラックシープは、自分をヒーローだと思っているようだった。

 NHOEは、決してそんな真似はしなかった。

 けれど、二人の踊りはあまりに似通っていた。

 師匠と、弟子ではないかという噂が流れるくらいに。

 アーサーはもう一口ドーナツを噛み取った。それを口に含んだままで、またガレスに向かって言う。

「ノヴェンバーは何も言わないけど、きっと何か知ってる。」

 ガレスはふっと眉を上げると、アーサーの方を見上げた。ドーナツを噛みながら、アーサーはガレスに笑いかけている。ガレスは、独り言のように、けれどアーサーに向かって言葉を放る。

「彼は関係ないだろう?」

「関係ない?」

「そうだ。」

「あんたが言うならそうなんだろうな。」

「奥歯に物が挟まったような言い方だな。」

「ま、この際それはどうでもいいよ。どうせあいつはいつものように一匹狼だ。俺達に飼われるような真似はしないさ、「協力」はしてくれるだろうけどな。問題は、だ、グレース。あんたが何を考えているかってことだ。」

「私が?」

「あんたは、本当にあいつを逮捕するべきだと思っているのか?」

「どういう意味だ?」

 アーサーはそう言い終わると、手のひらの中に残っていたドーナツを全部口の中に詰め込んだ。もっしもっしと口の中いっぱいになったドーナツを咀嚼しながら、机から立ち上がる。それから、ゆっくりと会議室の外へと出る扉へ向かう。

「それが、罪悪感にせよ、共感にせよ、あんたにはどうしようもできねぇことさ。それなのに、あんたは贖罪をしようとしている。自分でもよく解ってない罪に向かってな。だから、俺はあんたのことが嫌いなんだよ。」

 ガレスはまた、目をガラスボードの方に向けていた。その目は向けられていた……NHOEの似顔絵の方に。似顔絵といっても、その顔は頭巾に覆われていて、ほとんど見えなかったが、ただ片方の目、左目だけは見えていた。そして、ガレスはその左目を見ていたのだ。

「私は贖罪をするつもりなどない。ただ法に従うだけだ。」

「はは。敬虔だな、無信論者の癖に。」

「君は、何かを信じているのか?」

 ふっとガレスはガラスボードから目を上げた。そして気が付いたように、その目をアーサーの方に向ける。アーサーは、もう会議室の出口にたどり着いていた。ドーナツの油でべとべとの手を服の裾で拭いてから、アーサーはドアのノブを握って回す。笑いながらガレスに言う。

「さあね。」

 そして、会議室から出ていく。


「アーサーさま!」

 会議室から出てきたアーサーを見ると、メアリー・ウィルソンはぱっと顔を輝かせて立ち上がった。こんな場所に似合わない、夏色の花柄ワンピースがひらりと揺れて、それから彼女は、はっと今の仕草が少しはしたなかったことに気が付いたように、恥ずかしそうに顔を赤くすると、おずおずと自分の席にもう一度座る。

「お待ちいたしておりましたわ。」

「おー、パピー。お待たせ。」

「遅いわよ、アーサー。」

「あー、すまなかったな、エル、フロッグ。」

 メアリーの反応とは対照的に、ストレスでできた透明なガラス玉のような眼を向けたエル、エリス・メルヴィルに軽く手を振りながら、アーサーは自分の机の方に歩いていく。フロッグと呼ばれた男、確かにカエルに似ていなくもない顔をした、小柄な体つきの男(一応紹介しておくとすれば、彼の本当の名前はピート・ホルバイン)は、くーっと伸びをするとアーサーに向かって口を開く。

「それで、オールドマン班長はなんですって?」

「フラナガンの釈放の話?」

 パソコンの電源を落として、机のまわりを片付け始める、完全に帰り支度を整えながら、エリスはアーサーとピートの会話に混ざりこんでくる。エリスとピートは、既に十分前には自分達のシフトを終えているはずだった。けれど、入れ替えでシフトに入るはずのアーサーがガレス・オールドマン班長と会議室に入り、何か特別な打ち合わせをしていたために、そのシフトが伸びてしまっていたのだった。アーサーはふーっとため息をつきながら自分の席に座って、そして首を回しながら答える。

「いやー、違ぇよ。ちょっとした個人的な問題についてさ。第一、フラナガン先生は俺達には関係ねぇだろ? 組対の連中は上を下への大騒ぎらしいけどな。」

「まあ、そうなりますよね。」

「分かんないわよ、スペキエースって判別されたんでしょ?」

 スペキエース。

 この世界の歪み。

 それは、もともと、この世界ではなかかったこの世界の、穴の開いた天井から、滴り落ちてきた、残滓のようなもの。スペキエースは一般的には、ホモ・ミレニアミウスと呼ばれている。しかし、決して人間だけがその種類の生き物になりうるというわけでもない。形相子の先天的な異常、一種の伝染病。あるいは、進化したまったく新しい種類の生き物。一体、何が正しいのか? その答えについては、学者達の意見も一致していない。それは例えば……思考者の恣意に過ぎなかったとしても、分裂して、あちらこちらに散らばった、概念の集積のようなもの。ギルマン判定法、アスペクト仮説、ブルーバード宣言。けれど、それは確かに一つの現象として、存在してもいる。

 スペキエース、それは単的に言えば、生まれつきS-eidosと呼ばれている特殊な形相子を有しているために、ある種類の能力を持った人間のことを指している。形成された質料に、通常の人間とは異なった、あるいは普通用いられている言葉を使うとするならば、「一般的にありうることからかけ離れた変化」が起こっているのだ。S-eidosがなぜ発生するのか、その理由ははっきりと解っていない。スペキエース同士で子供を産んだとしても、必ずしも遺伝されるものではなく、現時点では理解不能の突然変異とされている。しかし、一定のスペキエースは、常に存在し続けている。

 スペキエースの有する能力は、それぞれの個体によって、さまざまに異なっている。例えば体から金属を紡ぎ出す能力、例えば一瞬で世界の反対側に移動する能力、例えば他人の能力を奪い取る能力、全てに共通しているのは、普通の人間であれば決して真似できないような、そんな異様な力であるということだ。そして、それが発現それが発現するタイミングも人それぞれだ、たいていは自意識の確立と共に発現するが、生まれた時からその能力を使うことができる者がいれば、死の直前に覚醒する者もいる。

 とにかく、彼らは。

 この世界の法則から。

 歪められた存在だ。

「もしもフラナガンがスペキエースだとすれば、あの男は私たちの担当になるわ。」

「正確に言えば、春聯の担当だけどな。」

「私の前であの女の名前を口にしないで。」

 そして、この世界の。

 歪みを直すことが。

 彼らの、通常化班の仕事だった。

 夜警公社はパンピュリア共和国HOGの下部組織で国家警察権の具体的執行者。それをさらにいくつかの班に分けた中に、通常化班という班がある。一般に、その班がどんな仕事をしているのか、ということはあまりよく知られてはいない、ただOUTという名前だけがおとぎ話のように伝わっているだけで。それは、その非知の理由は、彼らの仕事の内容に関係している。

 通常化班は、一般的に起こりうるはずのない異常な事件を、極力公に知られぬまま秘密裏に解決して、町がその異常な事件によって、非日常に染まらないように……通常化する。それが彼らの仕事だ。普通はそう言った異常な事件というものは、ノヴェンバー、マンフトファスマ、ミスター・シャイニー、それにアロンといったような、ディアフレンズ所属のヒーローたちによって解決されているものと考えられている。けれど、ヒーローたちとても無限に存在しているわけではない。例えば大した能力もないスペキエースが、その能力を使って万引きをしたとする、そういった事件はヒーローが関わって来るには小さすぎるように思われるけれど、決して社会に対する影響は小さくない。ただでさえ現時点で良い状況とはいえない、スペキエースへの差別の状況に、ますます拍車がかかってしまう。

 つまりはそういうことだ。そういった、あまり表に出るべきではない、特殊な事件を解決すること、それが通常化班、OUT、何と呼んでもいいが、彼らの仕事だった。そして、エリスの言う通り、もしもフラナガンがスペキエース能力者であるということになれば、それは彼らの担当するべき事件ということになる。

「結局、スペキエースじゃないってことになったんですよね?」

「そうじゃなきゃ出てこらんねぇだろうな。」

「でも疑いは残ってる。」

「それ以前に、あんだけの大物をこの小所帯に回してくると思えないけどな。」

「今、あの人あんまり影響力ないんじゃないですか? コーシャーカフェの話、最近全然聞かないですし。」

「カフェはほとんど壊滅状態らしいわね。やっぱりカリスマが一人いなくなると組織なんて脆いもんよ。」

「あの、フラナガン神父さまはっ!」

 帰り支度をしているエリスと、それからフロッグとアーサーが好き放題に噂話を離しているところに、いきなり、場違いに声を張り上げた感じでメアリーが口をはさむ。ふっと三人の視線がメアリーの方に集まり、そのせいでメアリーの顔がまたぼっと真っ赤になる。

「そんな悪い方ではないと思いますわ……」

「……ま、フラナガンがカフェのボスだっていう証拠はないしね。」

 毒気を抜かれた様にエリスがそう言う。体にぴったりとしたパンツスーツに包まれたしなやかな体は、たぶん毎日鍛えているのだろう、女性とは思えないくらいに引き締まっていた。その体をさっと椅子から立ち上がらせると、エリスはすたすたと通常化班待機室からの出口へと向かう。

「もう帰んのか?」

「いけない?」

「いや、別に? また明日な。」

「お疲れ様ですわ、エリスさま。」

「お疲れさまですー。」

「ピートは帰らないの?」

「えーと。この報告書だけ終わらせてかないとまずいんですよ。」

「そう。じゃ、お先に。」

 そう言い残すと、エリスは小さなポシェットみたいなものだけを持って、振り返りもせずに通常化班の待機室から出ると、そのまま一階にあるロッカールームへと向かった。

 アーサーは座ったままでそれを見送ると、自分のデスクの下の方の大きな引き出しを開いて、そこからさも当然のようにドーナツの箱を引っ張り出してデスクの上に置いた。そして、その箱から一個、シュガーコーティングされたオールドファッションのドーナツを紙に包んで出すと、ぽんっとメアリーの方に放った。

「ほら。」

 メアリーは、両手でそのドーナツをぽふっと受け取る。

 まるで夏の向日葵のようなきらきらした笑顔を浮かべる。

「ありがとう存じますわ!」

「フロッグも食うか?」

「いや、俺はいいですよ。」

「そーか。俺は食うぜ。」

「どうぞどうぞ。」

 既にメアリーは、はもはもとドーナツをほおばっていた。アーサーは自分のパソコンを起動させながら、自分の分のドーナツ、油で揚げた揚げパンのような触り心地で、上にチョコレートがかかっているドーナツを取り出した。

「そういえば、フラナガン先生ご退院の情報が解禁になるのって今日だったっけか。」

「そうですわ。」

「さっきからニュースはその話で持ち切りですよ。」

「まー、そうだろうな。どれどれ?」

 アーサーはドーナツを口にくわえたまま。

 起動したパソコンのキーを叩き。

 そしてアフォーゴモンのサイトを開く。

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