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93話:星夜の来訪者

 フェレグスとの今後の話し合いに一先ず納得したラグナは、その日を商会で過ごしてから学院に戻らず今回の出来事によって起きた損失に対する補填に手を付けていた。

 フェレグスからは気にせず学院に戻るように言われたが、この一点だけは譲ることは無かった。

 時間に余裕があれば子供達の遊び相手や鍛錬相手もしてあげる。それからヨハンの下には頻繁に訪れ少しずつだが回復していく彼の事を案じた。

 

 学院とは違い体では無く頭を使う多忙な日々を送るが、用意された椅子に座った者なりプライドがラグナにはある。それを燃やして働く姿を見守り、支えながらフェレグスも反撃の準備を着々と進めていた。しかし、それにはラグナが学院に戻る事が前提である。言葉にはなくとも、その視線がラグナの背中に突き刺さっていた。


 無論、ラグナ自身それは察知していたし、そうするのが良いのだろうというのは理解していた。だが、その選択を心が正しいとは思えず……そしていかにしてユリウス側と対峙するカード、パーシー達を引き寄せるかが思い浮かばず、戻ることが出来なかったからだ。

 ただでさえ頭を使っているのにそれを考えるとなるとラグナも流石に疲れが蓄積されて行く。暫く学院に戻ってもいないのでどうなっているかも気がかりだった。

 

(流石に落ち着いて来ただろうか……)


 人前でそれを伺わせないように努めていた分、一人だけになると気が抜けてしまう。すると不安や責務・気がかりが一気に圧し掛かる……今まで味わったことの無い疲れ方にラグナの身体は対応しきれていなかった。


(まあ、牢屋の中よりはマシか……)


 ただ、そういうのも自分が経験した人生の中で一番劣悪だった環境よりはマシだと苦笑いする。

 石と鉄格子の部屋ではなく、家具の揃った部屋。石のように固いベッドではなく温かい毛布が敷かれたベッド。硬いし少ないし栄養にもならない一人で食べる残飯もどきではなく、温かく量も多い──何よりも大好物のシチューを筆頭にした皆で囲む料理。

 疲れるにしてもその環境は雲泥の差だった。魔境に居た頃はセタンタと野宿を経験していたが、少し天幕を出れば慣れ親しんだ自然の空気が吸える。空を見れば満天の星が見られるのだから見る事も出来ない小窓と黴臭い空気よりも遥かにマシだ。


(空、か……)


 もう寝ようと部屋を暗くしていたがカーテンを開けると雲の無い月と星が輝く空が映る。住む場所は代わっても空だけは何処に居ても変わらない。朧気な明るさで世界を照らす夜をラグナは好きでいる。

 ふと、自分が最近ねっきり夜に外に出る事が無かったのを思い出したラグナは着替えると一人外に出た。


「…………」


 夜は寒い。冷え切った空気が容赦なく体に襲い掛かるが、窓からではなく外に出て見る夜の世界はそれを気にさせない美しさに魅入られた。


(師匠やセタンタ達は元気かな……)


 月を見ていると自分の家族のことが脳裏をよぎる。一難去ってもまた一難と自分が身を置いた場所だとはいえ、人間の作った秩序の中で暮らす事はやはり疲れる。

 力があっても、知恵があっても、心が強くてもそれだけでは儘ならない事が多いのだと痛感される。

 こんな弱音を考えてしまうのならば、きっとスカハサやセタンタ達に叱責されるだろうと自嘲してしまう。

 もうずいぶんと戻っていないし、スカハサと顔を合わせていない。背丈も大きく伸びてしまったので、会ったら驚くだろうかと想像すると、それでまた笑いが込み上げて来る。


(そう言えば……久しぶりにあの夢を見たな)


 過去の事を思い出すと連鎖して今日見た夢を思い出した。ロムルスで暮らしてからしばらくしてみるようなったスカハサ達との思い出のような夢──その夢にあの場所にはいない黒い髪の少女が現れ何かを訴え掛けてくる夢だ。

 あの時は、自分の思い出に異物が入って来たと嫌悪感や怒りを抱いたが、久しぶりに見た時はそんな感情よりも少女への疑問が勝った。

 自分の記憶にかすかに残る少女の影は……自分が初めて興味を抱いた少女に似ている。しかしにはそれを否定されてしまった。ならば彼女は誰なのか? アリステラに違うと否定されても……やはり少女とアリステラの姿が重なる。

 とにかく弱さから自分を遠ざけたかった自分にとって小さい頃の記憶は殆どないことが悔やまれる。


(いけないな、気分を晴らそうとしたのに、思考がどんどん廻る)


 アリステラの事も気がかりになってきた。この前、彼女が手合わせしたというグリンブル家の末妹との話は面白かった。また話が出来ると内心では喜んでいただけにこうなってしまったのが残念だった。それを蒸し返すと、やはりユリウス達に対する怒りが湧いて来る。

 だが、ここにいない連中に恨み節を吐き出しても仕方ないので溜め息を吐き出し思考を終わらせる。


(そろそろ戻るか……ん)


 戻って今度こそ眠ろうと踵を返そうとした矢先、門前で微かだが声がするのをラグナは聞き逃さなかった。基本的にウェールズ商会は事前な来訪の許可を持たない者以外は通さない。

 そして、その許可を持たない面子と言うのは大抵が碌でもない連中だ。雇いの門番達がその客を追い返すのだが、かすかに聞こえる声はラグナの記憶に刻まれている人物の声と一致する。

 まさかと思いつつもラグナは門へと近づく。近づくのに比例して声は鮮明に聞こえる様になり、もしやという憶測も確信に変わる。


「だから、たとえ貴族のお方でも許可のない者を入れるわけにはいかないのです」

「重々に承知しています。しかし、それでもどうかラグナ・ウェールズ様にお取次ぎをお願いします」

「それでも、本館は既に営業を止めているので無理です。日を改めて来てください」

「今日ここに来たのは無理を通してのことなのです。貴方方に迷惑をかけている事はわかっていますが、どうか、お願いします。」

 

 丁寧だが自分の意志を頑なに通そうとする少女の声と、務めとして同じく厳格に阻む門番の声が聞こえてくる。


「せめてお取次ぎを、是非が分かるまでは此処で待ちます」

「そんな無茶な……」

「何をしている」

「あ、ラグナ様!?」


 もう眠っている筈の館の主が此処に居る事に門番達は驚いただろう。だが、驚く彼らを尻目にラグナは黒髪の少女に目を向ける。やはり彼女はアリステラだった。恐らく自分が外で考え事をしている間も外に居たのかもしれない、普段よりも厚手の衣服に身を包んではいるもののそれでも寒そうなのが分かる。


「……客人だ。入れてくれ」

「はっ、しかし──」

「時間は取らせない。なんなら、お前達も切り上げてくれて構わない。戸締りなら出来る」


 主がそう言うのならば門は開けられる。後ろには馬車がありそれも招き入れる。

ずっと沈痛な面持ちのアリステラは寒かったのだろう微かに震えていた。そんな彼女を客間に通して炉に火をくべる。外で話すよりはマシだろう。

 自分が勝手に招いた客なのでフェレグス達は起こさず、自分でもてなす事に……まず魔導具で紅茶を淹れる。フェレグスほどではないが見て真似て身に付けたものだ。


「ごめんなさい、こんな夜中に来てしまって」

「いや……学院はどうしんだ?」

「……休んじゃった。でも、さすがに学院から抜け出すのは難しくて、こんな夜更けになってしまったの」

「随分と無茶を通したんだな」

「そう思うわよね」


 自嘲するように笑うアリステラに紅茶を淹れたカップを渡す。味に関しては気になったが、美味しいと言ってくれたことに心から安堵した。


「人伝で聞いたの。貴方の商会で事故が起きた事、貴方が学院を休んで家に戻っていると言う事」

「……あいつか」


 誰の口からと考えれば……事情こそ打ち明けなかったがラグナが学院を一度出ると告げたのは一人だけだ。そしてその人物は平民を装った貴族の子息という物好きを一人知っている。

 余計なことを──と内心舌打ちしたが、よくよく考えればいずれは噂話などとして彼女の耳にも入っただろう話だ。それが早まったに過ぎないと考えればもやっとした感情も割り切れた。


「大丈夫? 何だか疲れているように感じるわ」

「そんなことは……いや、そうかもな。慣れない事をしているって自覚はしているよ」


 惚けるつもりだったが、アリステラはラグナの顔色から多くの事を察した。元々、学院にも細やかだが噂話として広まっていたのもあるが、ユリウスを止められなかったことには彼女なりに責任を抱いていた。

 だが、ラグナも察しの良い人間だ。彼女の表情から心境を読み取って笑ってみせる。


「そんな顔しないでほしいな。それに、暫く会えないだろうと思っていたから、こうして君が会いに来てくれてうれしいよ……ぁ」


 言ってから自分が言い過ぎた事に気付いて硬直した。しかし行ってしまったので遅い。アリステラも言葉を返せず頬を赤くする。それはラグナも同じだった。照れ臭そうに頬を掻きながら考えるが今度は何を言えば分からなくなってしまう。

 それから少しの沈黙の後、アリステラがくすくすと笑いだす。


 ほんの少し、普段のラグナとも違う意外な姿を見れたのだからアリステラにとっては良き日になった。

 対するラグナは笑うことは無いだろうと文句を言い掛けたが、笑う彼女の姿にその気も失せ、その代わりに前日にフェレグスの口からアリステラの事を話しに出されたせいだと責任転嫁した。

 それから笑った後、一呼吸整えてからアリステラはラグナへと向きなおる。


「ねえ、ラグナ──私に、出来る事ないかしら」

「いきなりだな」

「うん。今日一日休んで、ようやく取れた短い時間だもの……貴方ともっと話がしたいけれど、今日来たのはこの為なの」

「────」


 彼女の目は真剣だった。あの時と同じラグナと向き合う眼は強い意思が秘められている。頬を掻くのを止めてラグナは沈黙を貫く。彼女がただ会いたいなどという感情だけで此処に来るとは最初から思っていなかった。だが、出来るのなら彼女を今回の事に巻き込みたくないと思っている

 フェレグスとの話し合いでは、四公を味方に引き入れて今回の案件に逆襲する大義名分と力を得ることは決まっていた。

 だが、ラグナはアリステラではなくパーシヴァルにこの話をするつもりだった。彼女を巻き込みたくないと、思っていた。

 やがてラグナは溜め息を吐く。彼女のその目を見て観念したのだ。彼女は最初から自分に協力するために此処に来たのだと、そしてはぐらかしても、無いといっても見破られる事にも──。

 だから、ラグナは彼女に話をした。自分達がこれからどうするのかを。


「なら、私がお父様を説得するわ」


 話を聞いたアリステラはそう言う。やはりとラグナは予想していたが、その心中は感謝よりも……ラグナにはやはり罪悪感と疑問が圧し掛かる。

 何故、そこまで手を差し伸べるのか……きっと答えは返ってこないと分かりきっているのに、ラグナは尋ねた。

 それに対してアリステラはただ核心を打ち明けず、ただ力になりたいというだけだった。


「私は早くさっきみたいに貴方と何気ない会話をして、貴方を知りたいだけ」

「そうか……」


 ラグナには心を読む事など出来ない。だから彼女が何を考えているかは分からない。だが、微塵の悪意も感じられない彼女の姿には戸惑った。

 それを尋ねさせる事は無く、話したい事は話したとアリステラは立ち上がる。それを見送るべくラグナも彼女に付き添う。


「今日は急に押しかけてごめんなさい。少しの間だったけれど貴方と話が出来て良かった」

「……もう少し時間は掛かるだろうが、また学院に戻るよ。そうしたらまた話が出来るさ」

「うん、なら今度は私が待っているから」


 彼女が乗ってきた馬車の前で今日最後の言葉を交わす。

 ラグナは少し前、アリステラが来ない中で彼女を待っていた事を思い出してほんの少し笑い、彼女の言葉に首肯する。


「ああ」

「…………じゃあ、またね」


 それだけ言い残してアリステラは馬車に乗って帰って行く。

 しかし、馬車が止まり再びアリステラが降りて来る。ラグナは怪訝な表情を浮かべる。


「どうした」

「少し迷ってたけれど、貴方に渡そうと思って──」


 そう言いながらアリステラが取り出したの年季が入り黄ばんでしまった布だった。


「これは?」


 悩んだ末に汚れている何かを手渡されたラグナは戸惑いつつも言葉を選んでアリステラに問いかける。


「これはね。子供の頃に私を助けてくれた恩人が持っていた物なの、その人はこれを捨てて行っちゃったけれど、また会いたいって思って私が拾ったの。それから強くなるって誓ったのよ」

「……君にとっては大事な物だというのは良くわかった。でも、何故それを俺に?」

「それは──お守り、の変わりかな。それと預かっててほしいの。私自身の誓いの証として」

「別にアリステラを疑っているわけでは」

「分かってる。でも、お願い」


 じっと見つめるアリステラの顔を見つめ返し、やがてラグナはそれを受け取った。


「それじゃあ、今度こそまたね」


 そして今度こそアリステラは去って行く。そのまま見送ろうかと思ったが、門番とのやり取りを思い出して外へと駆けだが、遠くから門が開けられる様子を見て一息吐いて踵を返した。


「……あ」


 振り返ったところにフェレグスが居た。


「何時から、居た?」

「かの少女が館に入ってからです」

「…………聞いてたのか?」

「はい。全て──」


 何も言わずつかつかと足音を立ててラグナはフェレグスに近づき、胸ぐらをつかむ。


「誰にも言うなよ」


 以前の怒りまかせの言葉とは対極的な、冷たい怒りが込められた言葉がフェレグスに放たれる。

 迫力はある。だが、哀しきかな同年代と比較すれば圧倒的に高身長のラグナだが、フェレグスはラグナよりも背丈が高い。威圧としては不十分だった。


「口外は承知しました。しかしかのグラニム家の、それもご令嬢から言質が取れたのです。私も気兼ねなく動けます。ラグナ様も、彼女の意気を汲み取ったのならば、成すべきは分かりますな?」

「チッ──」


 事実を突きつけられ乱暴にフェレグスを開放する。そしてその横を通り過ぎて、屋敷へと入る。


「腹を括っていた。そして覚悟も決めた……彼女の立場が悪くなる前に、終わらせるぞ」

「分かりました。それにしても──」


 振り返ることなくそう言ったラグナに一礼し、フェレグスは再び振り返る。もう見えることは無い馬車とその中に居るだろう少女へと鋭い視線を向けながら当事者が忘却した過去を想起する。


「…………」


 情報としては聞いていたが、この目で見るまでは確信が持てずに居た。或いはこれも運命かと、ラグナの後に続いた。


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