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92話:フェレグスの思惑

 人の世界において、怒りは二通りある。感情を爆発させる激しい怒りか、感情を表に出さない静かな怒りである。その中で、両方の怒りを持てる者は稀有だ。

その一人であるラグナの怒りをものともせず、ましてや臆することもなく、怒りをぶつけられているフェレグスは静かな面持ちで彼の顔を見つめる。


「理由は二つあります。一つは今回にとって必要な事、もう一つは確かめたかった事──その二つが合わさり、私は敢えて商会に被害を与える現状を看過しました」

「それは良い! 俺が聞きたのはヨハンの事だ!」

「それもこの口から説明します。ですので、今は心を落ち着かせなさい」

「ッ────!」


 此処には二人しかいない。なのでラグナとフェレグスの関係は皆が知る主と臣ではなく、普段の師と教え子の立場の方が強い。落ち着き払ったフェレグスからの命令に、ラグナは怒りを増幅させながら鋭い視線で自信を見上げるフェレグスを睨みつける。眼帯の後ろに隠れているが、ラグナの隠れた左目はかつての激情と同じく、彼の中に宿る竜血の影響から【竜眼】へと変じようとしていた。

 それを説明すべく──フェレグスはラグナに再び座るように促す。フェレグスは冷静だ、仲間が一人、大けがを負っているのにも関わらずにだ。それがラグナの癪に障る。

 それでも、冷静さを取り戻さなければ話が出来ないと、ラグナは荒ぶる感情を呼吸することで落ち着かせ、それから話をするべく腰掛ける。


「なら、聞かせろ……聞かせてくれ」


 ラグナは、フェレグスを敬愛しているし信頼している。それだけに今回の事が彼の口からの言葉とは言え信じたくなかった。だから理由を聞く。自分でもそれが必要なのだという理由が欲しかった。信じているからこそ、これから先も信じたい今のラグナにはそれに縋るしかない


「順番に説明しましょう。しかし、その前に確認をします……ラグナ様は今回の首謀者は誰と考えて居ますか?」

「ユリウスだろう」


 フェレグスの問いにラグナは当然のように問いを返す。王太子ユリウスの命令を無視し、その言葉を拒否したことを発端にウェールズ商会に対する嫌がらせは始まった。誰が犯人かなど、最早考えるまでもないと、ラグナはそう思っていた。

 だが、フェレグスはラグナに首を横に振ってみせる。


「今回の事件は、その者の近者の暴走です」

「何故そう思う?」

「権力者がとる手段としては、これまでのこちら側に対する動きは臆病です」


 その言葉にラグナは落ち着きを取り戻しながらこれまでの事を振り返る。それに関しては余すことなくフェレグスの文から事後報告を受け取っているし、前日にも似たような内容の者を受け取っていた。


「逆に問いますがラグナ様は何故、王太子が首謀者だと考えていますか?」

「何故か、それは今回の出来事自体がユリウスの不興を買ったことから始まったからだ。奴以外にそんなことをする輩が居るとは考えられなかった」

「では、続けて問いますが……ラグナ様は王太子と会い、どう思いましたか?」

「……つまらん男だと思った」


 特別な地位に居ながら同じような立場にいるパーシヴァルのような思慮深さや底知れぬ怪しさなどもなければ、アリステラやアナスタシア達のような、人を和らげる優しさや人に好かれるような魅力も感じない。

 初めて邂逅し、言葉を交わしたユリウスをそう評する。


「しかし、それでもこの国で随一の権力者です。いかに凡愚でも、暗愚でも、彼の指先一つで、この商会を王都から追い出すことは容易い事の筈でした」

「……」

「しかし、それは成されなかった」

「向こう側も慎重だった、と考えられないか?」

「その可能性も否定はできません。しかし、権力者にはそれ相応の知恵が身に付いているものです。謀略とは慎重さも大事ですが、時には大胆さも必要です……だが、今回の事件以前の妨害工作はどれも前者──慎重というよりも鈍重、或いは力を使いこなせていない」

「──そうか」


 そこでラグナもフェレグスが言わんとしている言葉を読み取った。

 もしも、今回の出来事がユリウス本人ならば、もっと自身が持つ権力を利用できるだろうし、さらなる圧力を与えることだってできる。

 だが、相手はあくまでも裏方に徹しており、競合相手をけし掛けて来るなどが主だ。

 ラグナはこの事に関して、ユリウスはあくまでも表だった事をしたくないのではと思っていた。それにしてはしつこいという疑問を抱いてもいたが……フェレグスが示したユリウスではなく取り巻きやその傘下の存在がそれらを取り仕切っていると考えた方が納得がいく。

 威を借っているとはいえ、当人が利用できるだろうその権力など微々たるものだ。だが、相手はこの国の王太子の威信を借り受けしている立場だ。大袖振って使い下手な事をすれば主の威光に汚い傷を付けかねない。それでは目立ったことは出来ない。

 それだというのに、此方側はそう言った妨害を全く意に介していない。自身の名誉もあるし、主の名誉のためにも命が無ければ引き下がることは出来ない。ある意味では相手側は泥沼に嵌っているのだ。

 

「大方は主であるユリウスの圧力を受けた事から強硬な行為に及んだ、と」

「後は此方に対する怒りでしょう。たかが商会一つのせいで自分が窮地に陥っているのだから、恨みもするでしょう」

「逆恨みも甚だしい」

「矮小な器量の者にはそれ相応の矮小な器と度量しか培えません」


 ふん、とラグナは不快気に鼻を鳴らす。ラグナから見れば権力のみの力など刃の付いていない柄だけの剣だ。それを振り回して威張り散らす姿など、想像するまでもなく滑稽だ。前にもそんな輩を見て怒りが湧いたが、今回は侮蔑の感情の方が強い。

 やがて一先ずの納得をしつつもラグナは再びフェレグスを睨みつける。その目には先程よりは弱まっているがまだ怒りが籠っている。


「だが、それと今回の事は繋がっていない……俺はユリウス側が何かをしてくることはわかっていたから、敵に対して容赦はするなと書いたはずだぞ? 何故いまになってこうなった」


 フェレグスはその言葉に対して目を細める。


「以前にも文を通じて教えましたが、ウェールズ商会を敵視する他商会はあります」

「報告では、向こう側はそいつらを裏から援助したり焚きつけてきたんだったな」

「それらの妨害の中には今回のように敢えて見過ごして許容範囲内から出ない程度の損害を受ける事でこの王都の商業基盤を崩さない程度の均衡は保っていました」

「何故わざと傷つけられた? そして、傷つけた相手を放っておく」


 フェレグスはその問いに対して呆れともとれる溜め息を吐き出した。


「これはラグナ様が普段から身を置く、刃のある闘争ではありません。やられたらやり返すだけでは相手は簡単に倒れず、最悪は相打ちとなって他の者の利益となります。何より、この王都の商いは多くの商会が睨み合いつつも均衡を保って成り立っています。それが崩れれば此処に暮らす何の罪もない住民たちが真っ先に被害が及ぶのです。ラグナ様も、それは本意ではないでしょう」

「──そうだな」


 基本的にラグナはやられたらやり返す男だ。だが、それはあくまでもやってきた相手に対してであり、それ以外の無関係な者は巻き込もうとはしない。自分から首を突っ込む者に対しては基本的に自己責任で勝手にさせるが──。北の公子がくしゃみをしているだろう。


「まして、我々は王都に関しては未だ新参です。出しゃばりすぎても均衡を崩します。だが王太子派閥の裏が取れたものは徹底的につぶしました。ラグナ様の言葉で示すならば、我々が打ち倒すべきはそんな小物ではなく、それを命じたユリウスであるべきです。しかし、その人物は裏方にもいない。ならば、引き摺り入れるしかない」

「…………」

「ユリウスの小物は焦ったでしょう。思うようにいかないことも、それを主に叱責されることも、それを他の取り巻きに晒されることも。そして怒りもした。若造である主に、思い通りにいかない事態に、自分には向かう我々に──怒りと焦りは正常な判断をに鈍らせる。その結果が、今回起きた事故に見せかけた事件です」


 ラグナはフェレグスの言葉を無言で聞く。


「口止め料を払って公にはなりませんでしたが、今回は公衆の面前に嫌でも目に付く……ましてや思慮のあるものが考えれば不自然も幾つか見当たり、憶測となります……その憶測は人々の間で噂となり、噂は人の口から人の耳に、そしてその人の口から別の耳にと広がり、やがて形を変えていきます」


 聞けば聞くほどに、ラグナは人間というのが嫌になりそうだと思う。


「その噂の中に──王子の関与という噂を一石投じるだけで、人々がユリウスという存在が勝手に引き上げるのです」

「何とも、ドロドロとしたものだ」

「謀略とはそういうものです」


 謀に綺麗なものは存在しない。否、それが張り巡らされ醜いほど知恵の戦いとは美しいのかもしれない。

 ラグナそんな風に思いつつも、人の言葉とは何とも無責任なことかと嫌悪する。そんな人間にはなりたくないと戒めながらも、フェレグスの言葉は他ならぬラグナ自身の言葉に則っている事も痛感した。


「人の口には蓋をすることは出来ません。少なくともこの出来事は学院には伝わります」

「そうして学院にいる首謀者やユリウスの耳に、か……その為に、ヨハンは犠牲になったのか」

「怪我人がいない方が、ラグナ様の心を痛めずに済んだかもしれませんが……私はもう一つの方を調べる為に敢えてそうしたのです」


 一先ず、ラグナはフェレグスの意向を飲み込むことにした。納得はしつつも、理解をするには傷だらけでベッドに横たわっていたヨハンの姿が脳裏に現れ、それを拒絶する。


「なら……もう一つの理由を聞こう」

「ではハッキリと申します。私はラグナ様には此処に居てほしくなかった」

「どういう意味だ?」

「言葉通りの意味です。手紙を読みつつも……貴方には学院に残っていてほしかったのです」


 そう言ってからフェレグスは呆れるでもなく、憂うように溜息を吐く。


「貴方は強い人だ。それと同時に賢い人だ。優しい人だ」

「そうなるようにと俺は育てられたし、そうなろうと決意して生きて来たからな」

「そして気高い人である。だがそれ故に大きな弱み──即ち、甘さを持っている」

「それが、確かめたかった事か」


 ラグナの言葉に、フェレグスは厳しい面持ちで首肯する。


「かつて、ラグナ様は自分の事を甘くもなく優しくも無いと言っておりましたが、しかしそれは正しくもあり、間違ってもいた」

「どういう事だ?」

「ラグナ様は外側の者に対してはそうであります……しかし、庇護下にある者には守らなくてはならないという責任感や使命感から、冷酷になり切れていない。グラニム家のご令嬢もその一人です」

「ッ──待て、何故そこでアリステラが出て来る!?」

「ユリウスと対面した時は、かの令嬢もその場に居たそうですな? そして、彼女を侮辱されたのを皮切りに、貴方は明確な敵意を抱いた」


 ラグナは動揺した。ユリウスとのやり取りに関して、アリステラの事は書いていなかった。もしも情報が行っているとすれば、フェレグスが送り込んだ監視者のアンナだ。

 だが、あの時、植物園に彼女の姿はなかった……筈だ。他にもいるとは考えられないのならば、案外彼女も侮れないのかもしれない。


「貴方は人間社会では間違いなく強者だ。だが、貴方を苦しめたいのならばあなた一人を標的にする必要はないのです。貴方が仲間を大事にするのならば、その仲間を苦しめればいい。多少の知恵が回る者ならばそう考えるでしょう」


 フェレグスが案じている事をラグナは承知している。だが、その言葉の末に得るべきものを手にすることに、彼は素直に受け入れることは出来なかった。それこそが甘さだと理解しつつも、それは簡単に切り捨てられるものでは無いからだ


「──胸に留めておくよ。それで、これからの方針は?」

「その前にお聞きしますが……容赦はかけなくて良いな?」

「今更だな」

「では……ラグナ様の伝手を利用させていただきましょう」

「伝手?」

「敵はこの国の王子ですが、此方には味方に引き込める強力な立場の者が居ます。それは、ラグナ様の紡いだ縁です」

「…………パーシヴァル達か」


 その人物たちの言葉にフェレグスはにこりと笑う。ユリウスの権威は強力だが、それに負けず劣らずの権威を持つ者がラグナの友人として存在する。それを利用しようというのだ。


「ですが、これにはラグナ様の説得が必要です。彼らを説得できますか?」

「丸投げにするつもりは無かった。俺に出来る事があるのならばやってみるさ。ただ──二度と、仲間を傷つけるようなことはしないでくれ」

「……分かりました」


 やはり甘い、と思いつつもそれもまたラグナの良い所なのだと理解するフェレグスは……そう簡単にはいかないかと自嘲した。

 ふと、窓の外を見れば日が暮れようとしていた。


「最後にもう一つ、確かめたい事があります。左目と左腕を見せてもらえませんか?」

「分かった……」


 ラグナは一瞬訝しみながらも、言う通り眼帯を崩し左手の手袋を外す。フェレグスはまずラグナの左手を手に取り観察する。

 首を切り落とす一撃を防ぐ代償になった左腕には、ふさがっているとはいえ未だその傷痕が残っている。

 次にフェレグスはラグナの左目を凝視する。右目と同じ赤い瞳がフェレグスの顔を映す。だが、その目の瞳孔のさらに奥──その中心に、縦一筋の線があるのが右目との唯一の違いだ。


「お体の具合は?」

「いや、特に無いな」


 それを確認したフェレグスは、溜め息を押し殺し憂いた。そして今回ラグナに怒りを抱かせたことを後悔した。

 竜とは怒りの象徴である。そしてラグナの中にはその竜の力が、血を通して宿っている。怒りは感情を引き出し、未だ潜在する力を増大させる。ラグナの身体は未だ成長の可能性を秘めている限りなく完成に近い未完成だ。

 宿っている力は半神半人(+竜)であるが……根本的にラグナは人間の枠組みである。それが怒りを通して引き出される度に、それらを引き出してしまっているのだ。

 本来ならばそれはもっと時間を掛ける必要がある……そうでなければ、ラグナの身体がその力に耐えられない。

 フェレグスがラグナに甘さを切り捨ててほしいという言葉の真意はこれだ。


 仲間を大事にするからこそ、彼らが傷付くことになによりも怒りを抱くラグナ──悪意を持つ者達ならば彼を苦しめる為にその仲間を傷つける。そうしてラグナは怒り、そして無自覚に未完の身体で人の身には余る力を引き出す。


「──フェレグス?」

「いえ……無ければ良いのです。ただ、どうかお体をご自愛ください」


 打ち明けるべきなのかもしれないと、フェレグスは迷った末に──敢えて黙る道を選んだ。ただ、冷酷さを持つことを望みつつも、心と信念に従う教え子の心身を言葉で縛りたく無い。

 仮に己の選択を後悔する事が起きた時は──自らの命で償う事を決め、フェレグスはラグナを送り出した。

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