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89話:末妹、現る!

 最初に、この日が何か変わると予感したのは……パーシヴァル・フォン・ルフト・ベルンだった。何の前触れもなく悪寒を背筋に感じた彼は、周囲をキョロキョロと見渡して言葉を交わしていたラグナの首を傾げさせるのだった。

 太陽が人々の真上を通り過ぎて西に傾き始める時刻──平民生、貴族性、学生に等しく一つの話題が持ち込まれた。


 『学院に外から騎士団がやって来た』──騎士が珍しい存在かと問われれば否である。王を守る盾であり、民を救う剣──護国の士達は王家や貴族のお抱えで勤めてもいる。問題は、外から来たという事だ。騎士団を伴ってやってくるという事は相応の身分の人物であるという事が分かる。純粋な憧れや興味が生徒の中で渦巻いていた。

 残念ながら騎士達は貴族院の方へと向かってしまったために平民生達はお目にかかることは出来ず、残念がる生徒達──。

 尚、そんな事に対してラグナだけは全く興味を示すことなくぼんやりと空を飛んでいる鳥を見つめて聞き流していたのだった。


 一方、貴族院の生徒達──アリステラは男子達の中に混じり剣術を磨いていた。本来なら貴族社会の中では剣とは男が持つものだという認識が強い。その中に堂々と少女が混じっているのだから周囲からの視線の大半は異物への嫌悪感だ。

 しかしアリステラにはそれを黙らせるだけの実力が既に培われている。決闘裁判で見せたかの剣術はあれからさらに磨きが増していて、そして一人水と共に舞うように剣を振るう彼女の姿は──さながら子供の頃に読み聞いた御伽話に出て来る水姫ヴィヴィアンを想起させ、言葉を奪う。

 黒い髪を持つが故に蔑まれ、偏見を打ち砕く強い主の姿に、観客席から見守るミーアは誇らしく思い、その隣に座る友であるセルヴェリアも魅入っていた。


「素晴らしいですわ!」


 清々しい少女の声が静寂の闘技場に響き渡る。本来ならば、剣を振るい、武を磨く場所においては喧騒こそがふさわしいのだろうが、静かだった分その声はとても良く響いた。誰だ? 何だ? 戸惑いが声の主へと視線となって向けられる。その視線の中には当然だが、アリステラも含まれている。

 そんなアリステラの視線の先には一人の少女が居て、アリステラの事を不敵な表情で真っすぐに見つめ返している。まずアリステラが注目したのは、少女の髪だ。綺麗なブロンズヘアは手が加わったのか、くるりと渦を巻いている。そして赤紫の瞳は彼女の気の強さを示すように遠巻きに見つめる周囲の視線を無視してただ前だけを見つめている。

 彼女の身を包むのもまた真紅のドレスが少女の威風堂々とした立ち振る舞いを際立たせる。そして、何よりも少女は華のようにとても美しかった。

 そう華だ──それはアリステラの友にも同じことが言える。

 

 最初に驚いたのはセルヴェリアだった。その声を聞いた瞬間に彼女はまさかとその方を向いて自分の予想が当たった事にも驚愕した。


「シルヴィア!? どうして此処にいるの!」


 普段の彼女からはまず発せられない大声に戸惑いは驚きへと変わる。そうセルヴェリアの言葉と名前で彼らは理解させられた。同時にアリステラは驚きよりも納得といった感想を抱いた。声の主である少女は、グリンブル家の末子であり、セルヴェリアの妹シルヴィア・フォン・イーニス・グリンブルなのだと──。

 そんな彼女はというと人目を憚ることなく姉のセルヴェリアと再会の抱擁している。


「嗚呼、セルヴェリア姉様、シルヴィアはもう我慢することが出来ずこうして王国に参じましたの。全ては愛する家族への想いゆえですわ。セルヴェリア姉様はお叱りになることは重々承知しておりましたが、この溢れる想いを抑えることは出来ず……淑女の身嗜みを身に付けよと言われた手前でありながら、この体たらくと自省は致しますが、今はただただ愛する家族の温もりを感じる事をお許しくださいお姉さま!!!」

「わ、分かりました。貴女の言いたいことは……分かりましたから、今はちょっと離れ……いえ、放しなさい……私の身体が圧し潰れてしまいます」


 否、シルヴィアからセルヴェリアへの一方的な抱擁だ。腕まで強く抱き締められておりセルヴェリアの方は苦しげな声で妹の身体を強く叩いて抗議している。体格としてはセルヴェリアよりもシルヴィアの方が高いことから第一印象としては鍛えているのだというのも見て取れる。


(噂には聞いていたけれど──)


 何よりセルヴェリアからは妹シルヴィアの事はとても元気な少女だと聞いていたし、武芸を好む少女という噂を耳にしていた。だが実際にこうして邂逅してみるとその噂以上だな、とアリステラは素直な感想を抱いた。

 ふとアリステラがシルヴィアの背後に影を見つける。鎧甲冑を身に付けた四人の騎士が大きな木箱をそれぞれ持って控えているのと、彼女の姉であるアナスタシアがアリステラ達に向けて優しく手を振っているのが見えた。アナスタシアを見るのは茶会以来だが、あの時よりも幾分か元気そうな表情を見て自然と彼女も安堵しながら会釈で応えた。

 

 セルヴェリアの温もりを思う存分堪能した後、シルヴィアの視線が再びアリステラへと向けられる。爛々と好機と興味に満ちた視線に対して、アリステラの身体が思わず後退りする。だが、狙いを付けた獲物を逃すまいとセルヴェリアを開放したシルヴィアは人の目など一切気にせずに観客席から闘技場の舞台へと降り立った。ドレスの身で自分の腰よりも高い塀を飛び越えてみせるのだから優れた身体能力だ。

 驚く周囲を無視して彼女はアリステラの前で立ち止まる。そしてスカートの裾を摘まみながら彼女に跪き名乗る。


「お噂は伺っております、アリステラ・フォン・テュルグ・グラニム様──。私、シルヴィア・フォン・イーニス・グリンブルと申します。先程の麗らかな剣技、感激いたしましたわ」

「あ、ありがとうございます、シルヴィア様」

「そんな! 私のことなど、どうぞシルヴィアと呼んでください。敬称を用いるべきは私の方でございます」


 こちらの手を掴み胸元で抱きしめるように握りながら、キラキラと輝く瞳で告げるシルヴィアの姿に、アリステラは正直戸惑いを隠せなかった。

 解放されたセルヴェリアが観客席から「はしたない」と叱責するが、無視されてアナスタシアに宥められている。

 アリステラが彼女と会うのは当たり前だが今回が初めてだ。初対面の人間から表情からうかがえるほどの好感を向けられたことは彼女には無かった。


「此処に来たのは姉に会う為に?」

「それともう一つ──貴女にお会いしたくて此処に参りましたの」

「私に?」

「はい! アリステラ様。どうかこの私と剣を交えて下さい!」


 アリステラは驚きなどよりも、やっぱりと、何処か納得した感情を抱いた。武芸をたしなんでいる事で有名な彼女が同じく剣術をたしなむ女同士に共感してきている事が分かった。


(だけど、こんな眩しい視線を向けられるとは思ってもみなかったわ)


 嬉しい反面、戸惑いもある……助けを求めようとセルヴェリア達に視線を移す。アリステラに手を振っているアナスタシアと、こちらに手を合わせて頭を何度も下げるセルヴェリアが映った。周囲を見渡せば、厄介事への忌避か面白そうな出来事への好機の視線が向けられている。

 アリステラは早々にこれが断れない空気なのだと悟った。


 あれよあれよと決まってしまった突然の摸擬戦──そういうこともあり鍛錬は一時中断となる。アリステラもシルヴィアの準備が整うのを待ちながら、自身も深呼吸をしてラグナ戦以来の真剣勝負に備える。

 そんなアリステラの背後からセルヴェリアが声を掛ける。


「妹がごめんなさい。まさか、学院までやって来るとは思ってもみなかったの」

「気に病むことはないわ。何だか楽しい妹さんね」


 セルヴェリアからの謝罪の言葉を、アリステラは振り返り笑って返す。だが、妹の強引なやりくりに友人を巻き込んだ気持ちは晴れない。その憂いを隠し切れていないセルヴェリアに、アリステラは今度こそ正面を向いて彼女の手を取る。


「それにね……寧ろ少し楽しみなのよ? 誰かと剣を交えるのは、ラグナ以来だから……」

「え? そうだったの?」

「はい。私はアリステラ様の鍛錬を見守っていますが、アリステラ様が他生徒と剣を交えた事はありません。摸擬戦は確かにあるのですが、誰もアリステラ様の相手をしようとしないのです」


 アリステラの言葉にミーアが補足をする。セルヴェリアはいつもアリステラの様子を見ているわけではないので、その事実を知らなかった。一瞬、驚きつつも冷静に立ち返れば理由は容易に想像できる。

 彼女がこれまでこの学院で剣をぶつけあったのは一人だけ──ラグナ・ウェールズである。木剣一振りで貴族生の腕を圧し折り、軍閥であるグリストン公爵家のお抱え騎士を一合も交えることなく瞬殺した。あの貴族生が忌み恐れる平民生だ。

 そんな少年と互角に剣をぶつけてみせたアリステラと剣を交えようとする勇気のある者がこの学院に──貴族生の中にはいなかった。

 ただ女の身にも拘わらず剣を磨く彼女への忌諱が彼らの大半を占めているが、そこには彼女に負ける事で、男として恥ずかしいという考えもあった。浅はかと思うかもしれないが、貴族社会と言うのは古い積み上げが固まって出来た男尊女卑の風聞が強い。

 男が女に勝つのが当たり前で、負けるのは尊厳を傷つける。そんなハイリスクローリターンに付き合おうとは誰も思わない。それは影武者としてパーシヴァルの尊厳を守らなければならないラモラックも同じ意見だった。


「でも、アリステラ……貴方、その恰好で大丈夫なの?」


 鎧すらつけていないアリステラの事を案じるセルヴェリア──動きやすさと身軽さを重視しているが、シルヴィアの実力を知っている彼女の身を案じる。


「それも大丈夫、私だって何もしていなかったわけではないんだから。それに、あの時もこんな格好だったのよ?」

「それは、そうだけれど」

「何より、確かめたいの──月日が経ち、私があれからどこまで磨けているのか。彼とはまた競おうって約束したのに、彼に大して変わってない何て失望されたくないの」

「……怪我だけはしないでよ。特に顔! それから髪の毛!」


 念を押すように言われアリステラは頷く。

 それから間もなくしてシルヴィアが入場する。観客側に移動した者たちは一様に息を呑んだ。

 深紅を基調とし、黄金の装飾を施した豪奢な鎧だ。下の部分は頑強さと女性らしさも損なわない様に鋼材によって広げたスカートのようにもなっている。これだけでもかなりの財貨をもって作られたものだというのが良く分かる。そして右手では兜を抱え、左手には剣を差した大きな凧盾カイト・シールドを持っている。

 青を基調とし、刀一本を差した軽装のアリステラとは対照的な重装備だ。そして鎧甲冑剣に盾が、彼女が侍らせていた騎士達に持たせていた物の正体なのだったのかと、アリステラは理解した。


「お待たせいたしましたわ!」


 その重装備に身を固めながらシルヴィアは変わらぬ元気な声を張る。元気な子だと、アリステラは苦笑しながらも、その心中では肌に刺さる強者の威風に心が震えていた


「さあ、これより先に言葉は不要です。剣を磨く女同士──その手並み身をもって確かめさせていただきます! シルヴィア・フォン・イーニス・グリンブルが手合わせを望みます」


 広げた鳥の翼を模した兜を被り、次いで凧盾から両刃の剣を引き抜きながらシルヴィアは高らかに名乗り挙げる。アリステラも腰の帯刀の鯉口を切り、抜刀する。


「アリステラ・フォン・テュルグ・グラニムが、その勝負受けて立ちましょう!」


 晴天の中、戦乙女の戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。

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