87話:実技鍛錬再び、追い掛ける者達
フェレグスからラグナに向けて子細が届くのにはそう時間は掛からなかった。とはいえ、ラグナに出来る事はあまり多くは無い。ましてや、自分から「遠慮なく返り討ちにしてやれ」と言った彼らの主だ。例えそれが用意された物であっても──彼の場合は、用意された立場だからこそ、せめてその座に座る者として相応しくあろうと振舞う。
同じ相手でもラグナにはラグナの、彼等には彼等の戦いの舞台がある。幸い学園でのラグナに対して日常の変化は起きていない。彼はいつも通りの一日を迎える。
闘技場にてラグナは複数人を相手に模擬戦を行う。彼と他生徒の実力差を鑑みての教員側の判断だ。それでも一対多数の状況を覆すのだから未だに彼等の差が大きい事をうかがわせる。
だが、やられている側も黙ってはいない。彼等彼女等も個々や連携をとってラグナから白星を勝ち取ろうとする。それは日に日に上達して行き着実に実力を付けている。
「──」
ラグナを相手にパーシー達はこれまで以上に善戦している。連戦もあるがラグナは、若干呼吸を乱していた。
そんなラグナを、前衛のパーシー、中衛のアンナ、後衛のマリーの三人で追い込む。これまでと違って皆が使うのは刃を潰した支給の得物だ。それでも当たれば骨が折れる危険性もあるので防備は備わっている。
(良い動きだな……)
ラグナは素直に彼等の動きを称賛する。この陣形は敷かれているが、その動きは格段に良くなっている。特にラグナを追い込んでいるのはマリーの動きだ。
(以前は、パーシーとアンナがマリーに合わせる戦いをしていたが……)
リーダー格のパーシーと裏社会の少女アンナは、周囲とは落ち着いた人間だ。だから戦う時は冷静に対処してくる。だが、マリーだけは良くも悪くも年相応の少女だ。
クラスの中でも魔法の才に秀でている彼女にはそれ相応の自尊心がある。だから、自分よりも秀でた実力を持ちながらそれを重視しないラグナに対しては嫉妬心などの複雑な感情を抱いている。その為か、こうした戦いではパーシーの指示には従っているものの独りよがりな部分が見え隠れしていた。
だが、今のマリーは逆に後ろからパーシー達の戦いを補うように魔法を繰り出す。恐らくこの三人の中で一番火力を出せるのはマリーであり、その彼女が普段の冷静さを押し出して戦うのは寧ろやり辛かった。
(それに、いざ相手にしてみると厄介だな)
遡る事、ラグナとアリステラが戦って数日が経過した頃──マリーはラグナに無詠唱の方法を教えて欲しいと乞うた。元々マリー側からの一方的な因縁だった事もあり、ラグナは彼女に自分也のやり方を教えた。
流石に、スカハサがラグナにやったスパルタ方法では身が持たないので、彼女は口ではなく頭の中で詠唱を唱える事から少しずつ詠唱方からの脱却を始める。それによって彼女は不完全ではあるが無詠唱による魔法を習得したのだ。
(いつ飛んでくるかも分からない強力な攻撃は分からないものだな)
そもそも、ラグナからすれば口頭で「今からこんな攻撃をしますよ」と教えているも同義な詠唱法は、初心者にはやり易いかもしれないが対人戦において非常に非効率的なものだ。
何故、人間が身体的に勝る亜人種と均衡する力である魔法という神秘への進歩が此処まで遅いのか? ラグナには寧ろそれが不思議で成らない。
何よりも良いものは良いと、それを共有したいと願う者にはするのがラグナの思想だ。アリステラによる自分とは違う身体と魔法の両立もラグナは素直な賛美として捉えていた。
そして、今回のマリーの戦い方は集団戦におけるオーソドックスな戦い方であり、それだけに個による変則的な戦い方をするラグナには脅威だった。
鎧と盾、確実に相手にダメージを与える鈍器という重装備のパーシーの防御は簡単には崩せない。だからといって彼は鈍重では無いので位置取りもあって後ろを取れない。逆に彼に集中すればマリーの魔法とアンナの搦め手が襲い掛かってくる。
仮に抜けたとしても今度はアンナの短剣と体術を駆使した連撃が行く手を阻む。彼女はこれまでどおり二人の援護に動ける絶妙な位置にて気を窺っている。そして更に後方からマリーの魔法が襲い掛かってくる──。
彼らの善戦にはその前にラグナに敗れて休憩に入っている他生徒や見届ける教員も固唾を飲む。
三人の動きは、確実にラグナの背中に追いすがっている──それは何よりも相対者であるラグナが一番感じ取っていた。
(──面白い)
ラグナは乾いた砂が水を吸うような、着実に強くなって行く彼等彼女等の戦いぶりに、ラグナは小さく──しかし歯をむき出して笑った。純粋な期待のような気持ちの表れは、兄弟子であるセタンタの笑みを重なる。 それでも真剣勝負なこともあるので、ラグナは自らの笑みを直ぐに消した。その代わりに剣を握る右手に力が籠める。
(だが、俺にだってプライドはある)
これまでも三人を相手に打ち勝ってきたラグナにとって敗北は、相手への称賛であると同時に自分にとっては屈辱となる。ましてや出し惜しみして負けるなど情けない話だ──どうせ負けるのならば出すものは出して負ける方がいっそ清々しい。ラグナも空気を大きく吸い込んで姿勢を低く構える。
「来るぞっ!」
ラグナの体勢にパーシーは二人に警戒を促し、自身も大盾を構えて攻撃に備える。
ラグナが地面を蹴る。動く瞬間に石畳が割れるのでは無いかという程の強い踏み込みからの初速は矢のように速く、真っ直ぐにパーシーへと向かう。最も近い相手から狙い陣形を崩す──シンプルな対処法だ。だが、パーシーも前面に構えた盾でその突撃を受ける姿勢を取る。
射程内に入った瞬間、剣ではなく防御を押し退けるように繰り出した側面から盾を蹴り飛ばす。
以前も似たような光景があったが、あの時にラグナが繰り出したのは同じ蹴りでも相手を後ろへ飛ばす前蹴りだった。パーシーもそれを見越して片足を後ろへと下げて備えていた。しかし、それはラグナも同じ事だ。パーシーの備えを目視したラグナは、前蹴りではなく斜め下から盾の裏側に脚を引っ掛けるような蹴りを入れる事でその防御を剥がした。
「くっ──!」
肝心の防御を引き剥がされたパーシーはそのまま盾ごと腕を持って行かれて苦しげな表情を作る。対するラグナは蹴った足を地面に叩き付けるように踏み込み、がら空きの胴体目掛けて突きの体勢に入る。パーシーは金属の鎧によって身を護っている。そして手に持っているのは鉄も切れない鈍らの得物──命の心配は無いからこその、加減の無さだ。アンナも動いているが、まだ距離がある……彼女は間に合わない。
だが、パーシーは痛みに顔を歪ませるが直後、ラグナに向けて笑ってみせた。笑みに対して、それを向けられたラグナは目を見開いた。丁度、パーシーの左右からラグナ目掛けて飛来する火の球を捉えたからだ。攻撃を中断し、踏み込んだ足でそのまま全力で後ろに飛ぶ──。加えて左手の鉄甲と剣を交差させて防御の姿勢を取ろうとする。
(炎を防ぐのは厳しいかッ!)
アリステラが操る水の刃とは違い炎はそのまま体を包み込む。特に彼女は火の魔法を得意とするのだから身体で受けるのは悪手だと判断する。
受けるのではなく交差した剣と腕を繰り出し、それぞれの火球を切り伏せ、弾き消した。だが、そうしたラグナに今度はアンナが肉薄しようと迫って来ていた。次の行動には直ぐには移れない──以前よりも遥かに完成された連携攻撃だ。彼女の動きが遅かったのは、この攻撃に敢えて速度を合わせていたのだとラグナは悟った。
(パーシーの采配か、やるなッ!)
勝つ為に事前に示し合わせただろう動きに対して、ラグナは高揚した。
あくまでも摸擬戦なので本気は出さないが、それでも今よりもさらに上の動きをする必要があるとラグナは瞬時に判断した。
後ろに跳び退がる身体を、魔法を弾き飛ばし大きく開けた上半身をさらに後ろへと仰け反らせる。同時に腰の部分から上へと向けて【噴出】を放ち、身体を僅かに持ち上げる。
身体への負荷を感じながら歯を食いしばり耐えて宙返りしてみせる。そのまま剣で地面を叩きさらに跳ぶ。
青い空と白い雲
灰色の石畳
ラグナの視界が激しく巡りまわる。
アンナが追いすがろうとするが一手遅い。宙で回るラグナの身体は、膝立ちの状態で、それでも今度こそ二本足で着地する。
そのまま、踏み込んだ足は起き上がるという力も加わり、先程よりも強力な加速をたたき出す。剣を肩に担いで振り下ろすという構えのままラグナは、アンナに向けて反撃に乗り出す。そこに再びマリーの魔法が詠唱無しで飛来する。斜め上からアンナを守る様に降り注ぐ炎の球を、ラグナは着弾する前に通過してしまう。
そのままラグナとアンナが互いの射程内に入る。短剣に対してラグナの剣が振り下ろされる。マリーも援護しようとするが、入り乱れた戦闘に狙いを定める事が出来ずに立ち往生する。あの後、受身を取れずに倒れていたパーシーも慌てて立ち上がった。
そして勝負が着くのに時間は掛からなかった。間隙を縫ってラグナがアンナの服を掴み、パーシー目掛けて投げ飛ばした。それに対して体勢を整えようとしていたパーシーも避けるのではなく受け止める選択を取る。それによって彼女は無事だが、二人は再び地面に倒れて無防備をさらすことになる。
そして、二つの壁が無くなったことマリーも魔法を繰り出して抵抗するが、その攻撃を避けて弾きながら距離を縮め、彼女の眼前に立ったところで教員側が勝負ありと告げた。
周囲でラグナを相手にし、負けて戦いぶりを見守っていた他生徒たちは、善戦した三人と打倒したラグナを讃えるように拍手を浴びせた。それに対してラグナは、剣を一度薙いでから鞘へと納めた。
「相変わらず、化け物みたいな動きよね」
「魔物だってこれくらいはするだろう」
マリーからの皮肉混じりの言葉に対して乱れた呼吸を整えながらラグナは返す。そんな訳あるか、という言葉を、彼女は飲み込んだ。
「でも、改めて対峙して実感したわ。詠唱法はあくまでも初歩であって、そこから脱却してこそ自分は新しい段階に進めるんだって──慣れてみれば、態々口で唱える必要なんて無くても、心で囁くのでもできるのよね」
「ああ。マリーのやり方は、時間は掛かるが着実に進歩していく方法だ。そう言う方法の方が、仮に周囲で覚えたいと乞う者達にも受け入れられるだろう」
「貴方の身に付け方は乱暴すぎるのよ」
教わる時にマリーはラグナからどうやって自分が無詠唱を覚えたのかを聞かされた。聞いた彼女の感想は──無茶苦茶だ、と率直で短い一言だ。
普通の生活を送ってきた者ならば、魔法の修行と称して師匠が様々な魔法を弟子に向けて放って来るのを避ける、防ぐ、反撃するというやり方には着いて行けない。そうした点はやはり人間社会から隔絶された生活を送って来たラグナの感性の浮世離れを一端だ。それはラグナも自覚しているので、彼女のやり方は寧ろ万人向けだと言ったのだ。
だが、やはり負けたのは悔しい──もっと練習をしなくてはとマリーは心に言い聞かせた。
そのまま二人で倒れているパーシー達の元へと寄り、ラグナはパーシーに、マリーはあんなにそれぞれ手を伸ばす。倒れている二人はその手を借りて立ち上がるパーシー達に教員もラグナと共に休むように伝える。そして今度は教員が対戦者として生徒達を請け負い始める。
「惜しかった、かな?」
「──ああ。正直、あれは一瞬加減を忘れそうなった」
「あれでまだ本気じゃないのか……」
呆れたように肩を竦めて笑う。パーシーはこの中でなら一番ラグナの実力を知っているし、買っている。未だ底のしれない彼の本気というのを見てみたいというのも興味の一つだ。
そして、ラグナの身に起きている事を知るごく一部の一人でもある。だが、それよりも今回に限ってはパーシーも自分の作戦が通用するという過信はあった。
「あんなことがあったのに、平気な顔をしているものだな」
暗にウェールズ商会の事を示しているその言葉に対して、ラグナは言葉を返す事はしなかった。代わりに反応したのは、その言葉の意味が分からず首をかしげるマリーだけだった。
普通なら自分の家の、家族の危機に不安を感じるのが普通だ。だが、ラグナはそれを顔には出さない。いや、出していないだけで本当は心に多少なりとも不安の種が芽吹いていると考える。
しかし、ラグナの動きにはこちら側の動きに対しての多少の驚きはあっても、不安などという心への負荷は感じられなかった。
今回に限っては裏で糸を引いているのは、十中八九ユリウスである事は明白──それでも、彼は後悔をしていないし、この先もしないというのを改めて知った。
「やれやれ君は獅子のような人間だ」
獣の王と呼ばれる生き物。そして、ロムルス王家の家紋に記された獣。慈愛と冷酷さ、そして気高さを持ち合わせるラグナをパーシーは自然とそう評する。だが、言われたラグナは怪訝な顔を向けて──
「どちらかと言えば、俺は狼の方が好きだな」
恐らく北の遥か果てか、絶海の孤島に居るだろう兄弟子のことを思い浮かべながら訂正を求めた。それに対してパーシーは皮肉が通じなかったと苦笑いする。
だが、獅子も狼も──孤独でもあって、群れる生き物でもある。力にはなれないがやはり彼らの事は、まだまだ見放すことは出来なさそうだ。
 




