84話:神獣の姉妹と天鷲の寵児 その2
ふと思い返せば、女性同士の会話というのを傍から聞くのは初めてだとラグナは思った。自分が良く知る女性はスカハサだが、彼女の周りに居たのは自分を含めてセタンタとフェレグスの三人のみで、男だけだ。
次に知るのはエルフのフィオーレだ。エルフ族の集落には当たり前だが彼女以外の女性は居たが、特に密接に関わりを持ったのは彼女で、彼女自身は真面目さと面倒見のよさから、まだ幼いだろう妹のアイリスと一緒に居る事が多かった。
当時のラグナ自身は、人間嫌いをこじらせていた事もあって、同年代の女性陣と話している彼女の姿を見た事が無かった。
その次にはウェールズ商会で働く女性や学院で同クラスの女子達だ。前者では立場の鞘ラグナ自身が勤めの為に忙しいなど、何気ない会話をする事は無い。後者は年頃の異性に対する意識からか進んでラグナに近づく人は少ない。そもそも、ラグナが今まで異性がどんな会話をするのかという点に、興味を示していなかったというのが大きい。
だから、ラグナには彼女達の何気ない会話も新鮮に聞こえていた。
「やれやれ、これならチェス盤の一つでも持ってくればよかったかな?」
同じく女性陣の会話に爪弾きにされているパーシヴァルは困ったように首を振りながらラグナに同意を求めてくる。
それに対してラグナは別に、と意に介していないように紅茶を一口付ける。彼女達の話が終わるまで本当に待つつもりなのだ。しかし、時間は有限である……このままでは彼を話しに巻き込めないと、そんな姿に対してパーシヴァルは密かにセルヴェリアに対して合図を送る。
「そういえば、ラグナさん。お尋ねしても良いかしら」
「──何か?」
カップを静かに置いてからラグナはセルヴェリアの顔を見て応じる。こうして対面するのも、言葉を交わすのも初めての間柄だが、がさつとは程遠いラグナの態度にたいして姉妹は好感を抱いた。
「貴方はニルズ公国の育ちだと聞きましたが、あの国には訪れた事がありません。是非、どのような国かお聞かせいただけないかしら?」
「…………ええ、分かりました」
ラグナは承諾しつつも内心で困った。
周囲にはラグナはニルズ公国の出身であるという事になっているが、彼はまだニルズ公国を赴いた事は無かった。仮の立場であるラグナは本来、出自も不明な浮浪人と呼ぶのがふさわしい。一応、フェレグスとニルズ大公ワーグナーの口からかの国がどのような国か、ということについて一通りの内情を聞かされている。しかし、もしも根深く問われれば墓穴を掘るかもしれない危険も孕んでいる。
特にパーシヴァルがラグナを見る目は興味深々と言わんばかりに瞳の奥が輝いている。
「そうですね、変哲はありませんが森や海といった自然の多い国ですよ。南でしか採れない特産物もありますし──俺も本当のところ、街よりも森などの自然の方が好きなので、少し恋しくなります」
それでもラグナは差支えの無い範囲で答える事にした。変に濁して喋れば、パーシヴァルに怪しまれると思った事に加えて、彼自身──此処にいる面々に対して嘘を吐きたくないというポリシーがあったからだ。
「へえ、商人の家ともなると商いに関する勉強の方が忙しかったんじゃないかな?」
「そうかもしれないな……けれど、俺の家族はそれに対して何も言ってはこなかったよ。寧ろ、もっと剣や魔法を学びたいといったら積極的に教えてくれたくらいさ」
名前も顔も覚えてない生みの親ではなく、幼い頃の自分に寄り添ってくれたスカハサ達の事を思い浮かべながら答えるラグナの表情と言葉に対し、パーシヴァルもそれ以上は追及しようとしてこなかった。
パーシヴァルは、ウェールズ商会についてある程度の情報を入手していた。とはいえ、そのほとんどはフェレグスの巧妙な手腕によって何重にも及ぶ偽装情報で塗り固められているのだが、元々ニルズ公国が他国と繋がりが非常に薄いこともそれに拍車をかける。彼等はラグナの両親は既に亡くなっており、現在は形式上でラグナが会長となっている偽情報を掴んでいた。
真偽は定かでは無かったが、ラグナが本当に家族の事を懐かしむように話す姿には流石のパーシヴァルもそれを真実と捉えてしまった。
「素敵なご家族に恵まれていたのですね」
「……ああ。きっと、あの日々の中で俺は愛されていたと思う。だからこそ、俺は皆の事が大好きなんだ。この気持ちは未来永劫何があっても変わらない」
アナスタシアの言葉に対して、ラグナは息を吐くように自然に自分の家族への思いを口にした。何気ない言葉だが、聞く者にはそれは輝く様に眩しいその台詞はさらに真実味を深めてしまう。
だから、グリンブル姉妹はラグナの事を──幼い頃に愛する親を失って、相続した家を部下達と共に切り盛りしてきた苦難から立ち直した人と見た。
ただ一人、幼いラグナの事を覚えているアリステラだけを除いて──。
「……ん? どうしたんだ、皆黙ってしまって──」
遂々、家族の話題になって自分の思い出に浸ってしまったラグナだが、その少し重苦しい空気を察して現実に帰って来る。
「いえ……お辛かったのですね」
「辛い? まあ、そうだな……そうだったな」
セルヴェリアから「辛い」と言葉だが、両者の言葉の捉え方は大きく異なっている。ラグナの中の辛いは鍛錬の過酷さの事である。小さな誤解がラグナのバカ正直さによって大きくなってしまうのだった。
「しかし、そうした経験を乗り越えて、それに挑み乗り越えようと積み重ねもあって、今の自分が居るのだと思っている。俺はまだあの人達には程遠いが、それでもあの人達が誇れる子でいると思っている」
「改めて聞いて分かるが、貴殿はとても高潔な人間だな」
「そう見えるのならば、俺にその心構えを与えてくれた人のおかげだ」
そう言いながらラグナは静かに笑った。そのラグナに今度はアナスタシアと視線が重なった。
「では、ラグナさん。お一つ聞かせて欲しいのですが──」
「お答えできるかは、内容によりますが、どうぞ」
「貴方はどのような女性がお好みなのですか?」
「…………………………」
まさかの言葉にラグナは先程とは別の意味で困惑し固まった。彼だけではない、他の三人の反応も様々だ。
まず妹のセルヴェリアは、突然何を言い出すんだこの姉、と驚いた顔をしている。
次にパーシヴァル──ラグナの固まった表情が面白かったのだろう、次にどんな答えが出てくるのかと隠しきれて居ないニヤついた顔を彼に向けている。
そしてアリステラだが、素面を保っているようだが耳が赤くなっている。気になって仕方ないのだ。
そして硬直から回復したラグナ──回答は何にするかと少し考えてから、誤魔化す必要は無いなと判断して
「強い女性が好きです。あ、強いとは心のほうの事で人──腕前もあれば尚のこと」
「まあ、やはり! それでしたらアリステラ様と仲が良いことも納得いたします」
「────」
正直の答えた結果、返って来た言葉に再びラグナがフリーズした。そして名前を出されたアリステラはというと平静が保てなくなって、赤くなった顔をラグナにだけは見られないようにと咄嗟に顔を背けてしまう。
「経緯はあのような形で、仲の良いお二人が剣を交えると聞いた時は、私も心が痛くなりました。ですが、お二方の武闘はまるで踊るかのように激しく流麗で、胸が熱くなりました」
「そ、れは──光栄です」
テーブルの下でセルヴェリアがアナスタシアの服の裾を引っ張って止めようとするがアナスタシアは止まらない。
最初、ラグナは何を言われているのか分からずぎこちない受け答えをしていたが、次第にそれらの言葉の意味を理解して興味無し、と切り捨てようとするが──それが何故か出来ず心を乱した。
落ち着け──と、頭から心に命令を飛ばして平静を装う。とにかく、別にアリステラとの間に特別な関係など無い(実際はある)と、言わなければならないと本能が察知して、ラグナは口を開く──。
「武芸には縁の無いこの身ですが、お二人の仲を応援させていただきますね」
「──あり、がとうございます」
しかし、満開の花のように眩しく可憐な笑顔と共に放たれたアナスタシアの言葉に全てを揉み消され、ラグナは曖昧な言葉でしか返す事が出来なかった。
哀れ、恋愛とは無縁と思っていたラグナにとって引き摺り挙げられたその舞台の上で、彼は無力であった。これが勝負であったならラグナの敗北である。
「本当に、立場も何も関係なく、心が通じるというのは良い事です」
だからこそ、アナスタシアが小さく溢した言葉をラグナとアリステラは聞き取る事が出来なかった。それを聞き取ったパーシヴァルとセルヴェリアは目配せをして次の話題を持ち上げる。
「こうしてラグナさんと言葉を交わしているととても理性的な人だというのが分かります」
「そう言って貰えるとは光栄です」
「全くだ。噂では礼儀作法も知らない狂犬などと、狼に言う言葉ではない」
パーシヴァルが大げさに首を振りながらラグナを狼と評した。その言葉を聞いてラグナは真っ先にセタンタの事を思い浮かべる。懐かしさもあって小さな笑みを作ってしまい、それを隠す為にもう一口だけお茶を飲んだ。
だが、そんなラグナとは対照的にパーシヴァルは先程の態度とは一変して鋭い視線をテーブルに落とす。
「そう。王国貴族──ラグナ君も、また迷惑を掛けられたそうじゃないか」
また──、という言葉に対してラグナの動きが一瞬、強張った。ラグナも恐らく話題には出してくるだろうと思っていたが、先程までの和やかな雰囲気に気を緩めていた為に、嫌な事を思い出したと刹那、ピリ付いた空気を放ってしまった。
何気ないよい話をしていた分それはハッキリと浮き彫りになっており、テーブルを囲んでいる四人はそれを察知した。
「ラグナさん、殿下が失礼をしたこと、代わりに謝罪します」
「──いえ、アナスタシアさんが謝る事はありません。自分も、少し大人気なかったですからね」
ラグナは最初に誤魔化そうと考えたが、その前に年長のアナスタシアがこの場に居ないユリウスに変わって謝罪した事を機に、既にグリンブル姉妹も事情を把握しているのだと判断して濁す事を止めた。
「それにこう言っては失礼かもしれませんが、謝罪とは当人の口から誠意を持って出てくるべき言葉です。貴方の言葉には誠意が無いとは言いません。しかし、誰かが代わりに言う謝罪にはそれほどの価値があるとは思えない」
「……貴方の言葉は最もだと思います。それでも、私は貴方に謝らなくてはいけないのです」
「分かりませんね。何故、貴方が頑なに俺に謝るのか……」
四公の立場であるというのなら、アリステラやパーシヴァルも該当する。姉妹であるならばセルヴェリアも該当する筈だ。しかし、真っ先にアナスタシアが謝罪した事にラグナは何か浅はかならぬ繋がりがあるのではと推測する。
「私は殿下の婚約者──未来の伴侶となる人物だからです」
アナスタシアからの言葉に、流石のラグナも僅かに目を見開いた。恐らく個人的な因果関係か、家の繋がりかのどちらかと思っていたが、実際に目の前でその一礼を──それもこの国の頂を知るとは思わなかった。
(いや、人間社会であれば不思議な事ではないか……)
人間達の間では基本的に十五をもって成人と見做される。高貴な家柄では互いの繋がりを早い段階で強くする為に許婚を結ぶのはあることだ。
実際にラグナにもその話は寄せられている。もっとも、彼自身は興味が無いと全て断っているのだが──。
「私には、貴方に謝る義務があります」
ラグナは、沈痛な面持ちのアナスタシアという少女を静かに見つめる。彼女の様子を、そしてこの短い時間の中で彼女を見定めれば納得も行く。
大公グリンブル家の長女で、三華と謳われる女性。それだけではない、ラグナもアナスタシアには好感を抱いている。それに足る人物だと一目で判別したからだ。彼女には誰かの上に立つ素質も教養も兼ね備えている。
きっと、多くの人に愛される人物になるだろうことが予想できる。
だが、そのアナスタシアの相手であるユリウスという人物はどうだったろうか? 思い出すのも嫌だが、ラグナはあの時のことを振り返る。
顔立ちは端整といえるだろうが、威厳と気品ではなく威圧を醸し出していた。それも自分が持つ力ではなく、生まれた家──ロムルス王家の圧であり、本人は何も持っていない。それで人を下に見る。全てを思い通りにしなくては気がすまないというような無礼で傲慢なあの姿──怒りと滑稽を抱くのには十分すぎる。
とても王には……否、人の上に立つ者としても、アナスタシアという心優しい女性の結ばれる相手にもふさわしい人間とは思えない。
「──で、あれば尚更、貴方があの男の事で謝罪する必要は無いと思います」
だから尚の事、ラグナにはアナスタシアの謝罪を受け入れることは出来なかった。




