83話:神獣の姉妹と天鷲の寵児 その1
授業が終わると、ラグナはさっさとアリステラが待つ植物園へと向かった。時間にはまだ少し余裕があるが、心境としては早く会いたいという気持ちが彼を占めていた。
「────」
植物園への扉を開けたラグナは、思わず感嘆の吐息を漏らした。
普段はアリステラと会話をするためだけの丸テーブルに二つの椅子という簡素な設備だったが、今回はささやかな催しをするかのようにテーブルクロスが敷かれ五つの椅子が対等を表すように丸いテーブルを囲んでいる。
これらを用意しただろうミーアに加えて見知らぬ給仕達が今もせっせと手を動かしている。
さらに今日はこの時期には珍しい晴天で太陽がしっかりと見えていた。植物園の天井は草木がしっかりと太陽の光を浴びられるようにと、硝子張りの屋根となっており、緑の動植物に囲まれたその憩いの場をラグナは、クリード島でのスカハサとの安らぎの一時の場所に重ねた。
「いらっしゃい、ラグナ」
暫しその光景に見惚れていたラグナは隣から掛けられた声によって現実へと引き戻される。そこにはいつもと変わらぬ様子のアリステラが居た。
「おう──」
「今日は少し早いのね」
「ああ。この前は……あまり話が出来なかった。早く来たらその分も話が出来ると思った。それに、前は出来なかった楽しい話がしたいから」
アリステラからの指摘に対して、ラグナは後頭部を軽く掻きながら答える。彼は嘘を吐くのは嫌いだ。必要なときもあると割り切るときもあるが、基本的にはそんな事をしたくない。
そんなラグナの正直な気持ちに対して、アリステラは嬉しさを押し殺し、普段と同じく彼に微笑みを返した。そんな二人にアリステラが招いたか客人がやって来る。
それぞれ亜麻色と栗色の長い髪を持つ二人の少女。桃色とクリーム色のドレスを身に纏った両者は僅かな年齢差はあるが良く似ている。ラグナは直感的にこの二人は姉妹なのだと理解する。
「此方はアナスタシア様とセルヴェリア様。ラグナも聞いた事があると思うのだけれど」
「……ああ。確か、西の大公の令嬢がその名前だったか」
西の大公──グリンブル家についてはラグナも朧気にだが覚えていた。王国の西の盾であり歴史上、王国公国と神聖皇国の争いの中で幾度もその侵攻を防いできた【猪の神獣】の家紋を掲げる大公家だ。その現当主の三姉妹は【三華】と謳われる美女で、今この学院にはその内の長女と次女が在学しているという事だ。
そして、以前の交流試合でのラグナの処遇に対してアリステラ側を支持してくれていた事だ。だが、その人物とこうして顔を合わせるのは初めてだ。
ドレスの裾を摘んで優雅にお辞儀する姉妹に対して深く礼を返しながら、ラグナは【華】と例えられる理由に納得する。
亜麻色の髪に桃色のドレスの長女──アナスタシアは柔らかな雰囲気を身に纏ったおっとりとした女性だ。だが、その優しげな瞳の奥には強い意志が宿っている。そんな彼女にラグナは、世話になったエルフの長女フィオーレを重ねる。
栗色の髪にクリーム色のドレスの次女──セルヴェリアは長女と比較すると落ち着いた雰囲気を身に纏った女性だ。
血の繋がり故に似ている二人を見ていると、血の繋がりも無いのに瓜二つのパーシヴァルとラモラックは本当に運命のいたずらなのでは無いかと思えてしまうほどだ。
「始めまして、紹介にいただきました。アナスタシア・フォン・イーニス・グリンブルと申します」
「妹のセルヴェリアです。王都にて噂に名高いウェールズ商会の会頭にお会いできて光栄です」
「ラグナ・ウェールズです。此方こそ、一介の商人が三華と謳われるお二人に出会えるとは光栄の至りです」
礼に則った自己紹介に対して姉妹のほうも、ラグナは狂犬と囁かれるような凶暴な人間ではないと理解する。
視線が交差した後、ラグナは改めて席の数を確認する。五つの席に対して此処に居るのは四人だ。当然だがラグナは誰も招待していない……つまりアリステラが招いた客人である。何となくだが、最後の一人が何者なのか、ラグナは察しが付いていた。
「すまない、少し遅れてしまった」
その言葉と共に現れたのは赤髪に緑の眼を持つ少年が姿を見せる。パーシー、ではなくベルン家の嫡男パーシヴァルだ。その顔を見てラグナは「やっぱり」、と心の中で呟く。
「パーシヴァル様。急に自身も参加したいと言ったにも関わらず遅れてくるのは紳士のたしなみではございません」
「いや、本当に申し訳ないと思っているよ」
セルヴェリアからの指摘にパーシヴァルは苦笑いを浮かべて謝罪する。そのままパーシヴァルはラグナへと視線を移して握手を求める。
「やあ、何時ぞやぶりだね、ラグナ・ウェールズ君。こうして君とお話が出来る機会に会えて嬉しいよ」
「……此方こそ、また会えて光栄です。パーシヴァル様」
普段から顔を合わせて話をしたりする間柄にも関わらず、白々しくも一度くらいしか会ってない態度を装って握手を求めるパーシヴァルに対して、ラグナは色んな言葉を飲み込んでその手を握り返した。これで五人が揃う事になる。
席に着くと控えていた給仕達が用意していた茶菓子と淹れたての飲み物を配置する。その様子をラグナは見つめながら改めてこの場に集った面々にも思考をめぐらせる。
(アリステラとパーシヴァルはともかく、グリンブルの姉妹とは面識が無い。確かに礼儀作法は丁寧だが、内側はどういった人物か)
東の令嬢、北の嫡男、西の姉妹──ラグナの左右正面には王国の頂点と同等の力を与えられた家の子らが座っている。並の貴族では入る込む余地すら無い領域だ。
「まずはアリステラ様に感謝を、私の願いを快諾していただきありがとうございます」
「いいえ、セルヴェリア様。私達は同じ大公の娘であり、この学院にて出会った友人です。友の間で頼みに感謝の言葉は不要ですよ」
「しかし此処までのもてなしをされているにも拘らずお礼の一つを言えないのではグリンブルの家に傷をつけます。友人として、気品あるグラニムの令嬢に対して改めて御礼を言わせてください」
「私も同じだ。アリステラ嬢よ。お二人の話に割って入り無理を言ってこの茶会に出席させてもらった身だ。此処は静かで自然に溢れた場所だ。秘密の茶会と呼ぶにふさわしい。このパーシヴァル、貴方の心遣いに感服しました」
「そんな、私は彼との邂逅に使っているこの場所を、皆さんとの憩いの場として設けただけに過ぎません。お礼ならば、私のわがままを受け入れてくれたウェールズ様がふさわしい」
「──お……私に礼は不要です。此処はもとより多くのものから忘れられてた憩いの場所で、本来ならば皆が平等に心を休める場所です。誰が使おうとそれを咎めることはない。私はそれに則っただけです」
仰々しい会話の中を息苦しいなと思いながら聞いていたラグナだったが、急に話を振られた事で少し心を乱す。流石にこの場の空気に合わせようと努めながら照れ隠しをするように平静を装って答える。
しかし、直ぐにこの空気に耐えられずラグナは一つの提案をする事にする
「──それと、私はあまりこう言った堅苦しい言葉遣いが得意ではない。不躾な言い方に成ってしまうが、此処には我々しかいないのだから、もう少し肩の力を抜いて会話をしないか?」
「……成る程、確かに道理に適っている言葉だ。ならば、此処は気軽にパーシヴァルと呼んで暮れて構わないよ、ラグナ君」
「…………分かった。パーシヴァル様」
真っ先にそれに同調したのはパーシヴァルだった。分かっていてやっている。どこか含み笑いを押し隠している彼の表情がそれを物語っていた。そんな顔を向けられて賛同の意を示されたラグナは愉快犯の一面に対して再び言葉を呑み込んだ。
「パーシヴァル、で構わないよ」
「……………………パーシヴァル」
「それに思い返せば、君はニルズ大公が【我が子同然】と言い示した人物なんだ。即ち此処には四大公の子等が集っていると言って良い」
追い討ちを掛けるようにパーシヴァルは続ける。
彼の……ウェールズ商会の後ろ盾は南である事は周知のことになっている。多少強引ではあるかもしれないと、他の者達は思うかもしれないが、そう捉える事も出来なくはなかった。
「──そうですわね。ラグナさんの言う通り、この場所には私達しかいないのならば、他人行儀なやりとりは不要でしょう。皆様も私の事は一人間として扱っていただいて構いません」
「私とセルヴェリアとパーシヴァル様は学院では良く言葉を交わす間柄ですものね」
「そう言うのならば、アリステラとラグナさんも仲が宜しいでしょう」
空気が少し柔らかくなったのを感じ取ったラグナは小さく息を吐いて用意された飲み物に口をつける。フェレグスに淹れて貰っていたものとは違う味わいに興味を抱きつつ、様子を見る。
(華やかなものだな……)
三人の美女がテーブルを囲んで会話する姿には大気に花が咲いているのではと錯覚する眩しさがあった。美女と謳われるのも納得のグリンブルの姉妹だが、美貌に関してはアリステラも負けていない。そう考えるラグナの視線は、無意識にアリステラへと向けられていた。
普段の彼女を良く知らないからこそ、今目の前で見せる自分以外の誰かと話す彼女の姿は、目新しかった。
そんなラグナの横からパーシヴァルが声を掛ける。
「気になるかい?」
「──何がだ?」
「とぼける事は無いだろう、アリステラ嬢だよ」
何処か面白いものをみせてくれるのではないか、という期待を目に宿したパーシヴァルは、ニコニコした顔でラグナを見つめている。
それに対してラグナは普段と変わらない落ち着き払った様子で言葉を返す。
「気にならない、と言えば嘘になる。ああして、他の誰かと対等に言葉を交わしている彼女を見るのは……案外、初めてかもしれないからな」
「なんだ、嫉妬とかはしないのか」
「嫉妬? 誰にだ?」
「セルヴェリアとアナスタシア様にさ。言っては何だけど今の僕らは爪弾きの状態さ」
その言葉に対してラグナは否定をしなかった。男子と女子を隔てる見えない線の事は、ラグナにも見えていた。
だが、嫉妬しているか、という問いに対する答えは否であった。それが自分にとって不要であると、彼はとっくにその悪意を克服して切り離していたからだ。
その旨をパーシヴァルに返せば「やれやれ」と、納得しつつも当てが外れたような反応を示される。
「お前は嫉妬してるのか?」
「そりゃあ、多少はね……セルヴェリアは僕の婚約者だ。多少は独り占めしたいという感情が湧くものさ」
「そういうものなのか?」
「そういうものだよ」
一先ずは納得しようとするラグナだったが、パーシヴァルの言葉に対して、あまり納得が出来ていなかった。
ラグナにとってアリステラとは何者なのかと問われれば、友達より上の何かと定義するのが正しいかもしれない。失意の中にあった自分の心をもう一度蘇らせてくれた敬意を抱くにふさわしい強く、賢く、そして温かい人物だ。
だが、それに言葉を当てはめようとすると難しかった。
「……まあ、分からないのならば、追求はしないよ。アイツよりも君の方がまだ幾分かマシだからね」
「アイツ?」
「ユリウスさ」
嫌悪を隠しきれていない表情でパーシヴァルが出したその名前を聞いた瞬間、ラグナの眉間に皺が出来上がる。
「今日はさ。そういうのも含めて話がしたかったからね」
「何故、今何だ?」
「それは追々と話すよ。実の所、僕はアナスタシア様と君に会って貰いたかった。何か変化になると思ってね……此処で、彼女と話をしてほしいんだ」
「…………分かった」
珍しいパーシヴァルからの頼みに、ラグナは訝しながらも、首を頷かせる。本人としては、このまま楽しい話題のまま終わってほしいと思っていたが、それには何かを乗り越えないといけない事は分かった。その間まで、アリステラ達の会話する姿を静かに見守る事にする。




