80話:不遜な届き物
ラグナの一日の始まりは、誰よりも早くに目を覚まして自己鍛錬を行い、フェレグスからの文に目を通してその返事を書いて送り出すことから始まる。
その日もラグナはいつも通り早くに起きて朝の寒さをものともせずに外に出て木剣を振り身体を温める。そして、部屋に戻る前に寮の入り口に設けられている贈り物を置いておく箱を確認して中身を取り出す。
当然だが、二人部屋なのでラグナのものだけでなくパーシー宛のものもある。それを勝手に開けるなどという無礼を、ラグナは絶対にしない。
「──ん?」
日常の変化はラグナが部屋に戻り配達物を仕分けしているときだ。基本的にラグナ宛のものはフェレグスやウェールズ商会からのものだけだ。だが、この日は全く見知らぬものからの手紙が一枚添えられていた。
かなり上質な紙はそれだけでこれを贈りつけて来た者が上位に位置する事を意味している。パーシー宛かと確認するが、手紙の隅には確かにラグナ宛と記されており、自分の物だという事を示していた。
(……そういえば)
高質な贈り物というのでラグナは、以前フェレグスから贈られてきた一通の報せを思い出す。
ラグナが【ラグナ・ウェールズ】だと発覚してからは、さらに縁談の話が届くようになっていた。元々、ラグナの事は商会にいた頃から噂になっていたがそれが前回の騒動で真実となったのが拍車をかけていたのだ。
連中はラグナを──彼が持つ商会を取り込みたいという隠すことのできていない下心で擦り寄ってくるのだから質が悪い。そもそもの話、ラグナはそうした話にはまだ興味を示していない為、そんな話を持ち掛けられても迷惑この上ない話だ。フェレグスもラグナの意思を尊重しているのでそうした話は全て失礼が無いように返して断っている。
何よりラグナは平民生として在学している。その為、陰謀とは無縁の生活を送れてこれていた。だが──商会の方が駄目ならとラグナ本人に手紙を送ってきた輩が遂に現れた。寮と隠れ蓑にもなっている。そこで暮らしている者ならともかく、部外者からすれば誰が、どの部屋に、誰と一緒なのかなど把握するのは困難だ。そう考えればラグナを特定したことについてはご苦労様と言ってやりたい気持ちは僅かに芽生える。
(どうやって突き止めたのやら……)
心底から面倒くさいと溜め息を吐くラグナ。だが無視するわけにもいかない。
ならば大事なのは何か? それは誰が送ってきたのか? ラグナはそれを確かめる。ご丁寧に封を閉じている蝋にはご丁寧に家紋がある。
(翼を広げた双頭の獅子か……何処かで見た事があるな)
その家紋をラグナは朧気に記憶している。しかしそんな上流階級と交流を持つなど考えていなかった彼は、どうでも良いと切り捨てていたのでそれ以上思い出すことは出来ない。だが、どうにも引っかかりを感じる──勘や本能が注意を促している。
僅かな時間思考を巡らせた後、ラグナは眠っているパーシーへと目を向け、彼を眠りから覚ます。
「なんだいラグナ君。僕はもう少し眠っていたいのだけど」
決められた時間に起きているパーシーだが、こうしてラグナの手で起こされる事は無い。
眠りを妨げられた不満はあるが、普段は無いことが起こるという非常時にパーシーはラグナを無視せずに尋ねる。
「すまない。だが、お前の知恵を借りたい」
「それは言わなくても良いよ。それでこんな朝から何事かな?」
「これが誰からのものか分かるか?」
「ん~~…………………ッ!」
片手で瞼を擦りながらもう片方の手で、ラグナが差し出した未開封の手紙を受け取る。封を裏表にして見つめ、蝋に刻まれた家紋を見た瞬間、パーシーの目の色が変わった。
彼の感覚の半分以上を占めていた睡眠欲は吹き飛び、射抜くような眼となって見つめる
「これは、今日届いたのかい?」
「ああ」
パーシー……否、パーシヴァル・フォン・ルフト・ベルンは手紙を見たままラグナに尋ね返した。それに対する彼の肯定に関して唸るような低い声を漏らす。
「これは、ロムルス家の紋章だ」
「ロムルス……! まさか──」
「そうだ」
パーシヴァルの答えに対し、流石のラグナも目を見開いて驚きを隠すことは出来なかった。
ロムルス王家──即ち、このロムルス王国の頂点に位置する何者かが、ラグナに対して接触を図ろうとしているのだ。そしてラグナの素性を表面だけとは言え知っている人物はそれだけの階級の中ではかなり絞られる筈だ。
「流石に、質の悪い冗談で済ませたい代物だ」
「王家の家紋を他人が用いるなど最大の禁忌だ。それが露見すれば死罪は避けられまい……そんな冗談をする度胸が居る者は、この国には居ないだろうな」
ふぅ、と溜め息を吐きながらパーシヴァルはベッドから出る。彼もラグナが厄介ごとに巻き込まれたという反応だ。
「内容は? なんて書いてあるんだい? それと誰が書いたか」
「……ああ。そうだな」
ラグナは、パーシヴァルに言われて此処でようやく手紙の封を切る。中の文を広げる。赤の隻眼が横に走り、文を読み進める。
やがてラグナは溜め息を吐きながら瞑目する。
「催しをするからそれへの招待──いや、来いと書いてある」
「来い、か誰が書いたんだい?」
「…………」
その問いにラグナは言葉を返さず、代わりに無言で文を差し出した。嫌な予感を抱きながらもパーシヴァルは手紙を受け取って目を走らせる。
仰々しい書き方で書かれているがざっくりと文面を表すならばこれだった。それもラグナが態々、命令形に言い直した事が理解できるほど上から目線で記された招待状……否、令状だった。
そのままパーシヴァルは読み進めて誰がこの手紙を差し出したかを確認する。手紙の最後にはしっかりと書いた人物の名が記されてあった。
そこに書いてあるのはパーシヴァルの中でもしやと浮かび上がっていた人物の名だ。
「ユリウス・フォン・ロイ・ユーグ・ロムルス──厄介な奴に目を付けられたな」
「王太子か……いや、考えてみればそうかもな」
ラグナもこの学院に王太子が居る事は朧気だが名前くらいは知っている。それ以上を把握せず、そこまで重要視していなかったのは、接点は無いだろうと思っていたからだ。
だが、それよりもあのパーシヴァルが不快感を隠しきれていなのがラグナには気掛かりで仕方なかった。
「単刀直入に聞くが、どんな奴だ?」
「バカだ」
「……そうか」
二文字の言葉で言い表された。ラグナも流石に深くは追求をしようとは思わなかった。仮にも頂点に立つだろう人間が……否、頂点に立つだろう人物だからこそ、こういった文でのやりとりでは礼節は大事だ。そういうことはラグナもフェレグスから教わっている。
それだけにこの表面上は丁寧に書いているだろうが、上から目線を隠す事が出来ない文面など不快感しか与えない論外だ。これだけで頭の悪さが感じられる。
そして何よりも、即答するパーシヴァルから放たれる、この男に関する話を拒絶している空気をラグナは感じ取っていた。
友の意思を尊重し、ラグナはそれ以上の人物評価を尋ねる事は止めた。
「それで、どうするんだい?」
「どう、とは?」
「行くか、行かないか? 文面があれでも決定権は君にあると思うよ」
そう。幾ら王太子からの招待状(令状)だろうとも、是非の決定権はラグナ側にある。
「当然断る。偉いのだろうが会った事も無い奴に命令されるなど不愉快極まりない」
ラグナの回答も迷いは無かった。
彼の性格を理解するパーシヴァルもその答えを予期していたのだろう、肩を竦めて笑うだけしかしない。
「でも気を付けた方が良い。彼は自分の思い通りにならないという事に耐性が無いからね」
ラグナは無言でパーシヴァルの目を見る。そして嘘ではないのだろうと言うのを目を見て判断した。
「……物事が自分の思うとおりにならないと気がすまない奴が、何故人の上に立てるんだ?」
「そりゃ、この国の王子だからね」
「どんな教育をされて育ったのだか……」
呆れたようにラグナは呟くと招待状への返事を書くべく机について筆を取る。その様子を見守りながらパーシヴァルも身体を起こして支度に取り掛かる。
(王子自身か、あるいはその取巻きか。いや後者は考えづらいな。ならば王子の思惑か……)
ラグナを余所にパーシヴァルは思考を巡らせる。交流試合からのラグナの処遇を巡る一騒動は、貴族間でのラグナに対する目は明らかに異端を見る目だ。少なくともこの学院に居る貴族でラグナに近づこうとする者は多くはいない。
大公の嫡男として教育の行き届いているパーシヴァルは、ラグナの家であるウェールズ商会にも王国貴族からの魔の手が伸びている事は知っている。だが、それに対して彼が何かを口にするとは思わない。
権限を持つ立場に居る者は、利用し利用されるのは常であり、敬われる立場であると同時に妬まれる立場であり、一方で好かれると同時に一方からは嫌われる。それはロムルス王国でも例外では無い。そしてその複雑さは、国が大きければそれに比例して大きくなるものだ。
そして、平民・貴族・王子が居るこの学院そのものはロムルス王国を収縮した場所だと言える状態だ。
(どちらにしろ、ロムルスと言う大木を巣食っている蛆はまだ完全には取り除ききれていないか)
ラグナが本格的にそこに巻き込まれるだろことは分かっていた。だが、彼ならばその思惑などをものともせずに自分を貫く事は読める。彼がそういう人物だというのは近くにいれば理解できるもので、それはとても眩しいものだ。
ユリウスとラグナ──生き方だけならば、二人は対極に居るだろう。そして相性の悪さをパーシヴァルは予測する。
(はてさて、どうなる事やら……)
新たな騒動の巻き起こり……期待と不安の入り混じったパーシヴァルの視線を背中に受けながら、ラグナは筆を走らせるのだった。
前章では名前だけしか出てこなかった王子もこの章の中心人物として出していく予定です。
ハッキリ言って、ラグナとは正反対の立ち位置に居るキャラクターになります。
 




