77話:種明かし
ワーグナーの登場から事態はさっさと動かされていった。
ラグナとアリステラは治療の為にニルズ私兵によって連れて行かれて闘技場から出た。治療を済ませて間もなく、決闘裁判はラグナの無罪──つまり勝利という結果に落ち着いた事を、ラグナを治療した兵士が教えてくれる。
こうして、ラグナは改めて自由を取り戻す事に成功した。
そしてワーグナーの有限実行は続く……そのまま大公という地位と立場を存分に使いグリストン公爵を含めた専横を行う王国貴族を痛烈に批判する。一度、忠言したにも拘らずそれを反故したため、二度目の内容はより痛烈なものだったらしく、当分は彼らは好き勝手は出来ないだろうと、ラグナは聞いた。
さらに、学院の体制やこの状況に対して曖昧な対応しか取らなかった教育者達にも白羽の矢が立つ。生計や態度などを徹底的に洗い流された結果、一部の教育者と貴族との癒着が露見し、彼らは権利を剥奪される事が決まった。その中には、交流試合にて平民生達の監督を務めていた教員も含まれていた。
これにはパーシヴァルの生家であるベルン家も一噛みしていたらしく──『経緯はどうあれ、膿を取り除くのが楽に終わった』と、パーシーに戻ったパーシヴァルが普段よりも爽やかな笑顔を浮かべて教えてくれた。
ラグナ自身もさっさと傷を癒して教室に復帰する。相変わらず周囲からはやや浮いた空気を醸し出す彼ではあったが変化はあった。
まず、あの交流時代の代表──という建て前でご機嫌取りの贄として捧げられた代表生徒達を中心に、ラグナの交友関係が広がった事だ。貴族に対して堂々と怒りをぶつける姿は、それに耐え忍ぶしかなかった者からすれば英雄のように見えたのだろう。
それからラグナが貴族と繋がりのあるという疑惑が浮上していた。これはラグナが自らの意思でウェールズ商会の会長である事を周囲の人間に打ち明けることで解決する。予めパーシヴァルが根回しなどをしてくれていたが、それに驚く者はやはり居た。
孤立を覚悟していたラグナからすれば、それは意外な展開ともいえた。ただ、それを忌避するのではなく、ラグナは新たに増えた友人、と言えるだろう存在を作って行くのだった。
それから間もなくして、ラグナはフェレグスからウェールズ商会に戻って来るようにと手紙で指示を受ける。最も信頼している教員アベルに経緯を省いて説明し、休学申請を受理してもらって久方ぶりに仮の我が家へと帰って来た
ウェールズ商会の館は最後に見た時と一切変わらず佇んでいるが、秘密口からではなく正面から堂々とラグナはその門を潜る。
事前にフェレグスが教えていたのだろう、門を潜ってすぐにラグナは子供達に捕まった。言われたとおり館を守っていること。勉強して、運動してこれが出来るようなったこと。様々な事をラグナに教える。一方で学院では何があったのか? どんな事を勉強しているのかなど、ラグナに教えをせがんだ。僕も私もとラグナの手を屋服の裾を掴んでせがむ子供達……それにラグナは暖かい家を思い出し、心を和ませる。子供達に連れて、或いは連れられて応接室に入ったラグナはフェレグス等と対面する。
「久しぶり、フェレグス」
「お元気で何よりです、ラグナ様」
多くを語る必要は無いと手短な言葉を交わし、その傍らにはつい前日に見知った紳士へと視線を移す。申し訳ないと思いつつも、ラグナは子供達に部屋から出て、この部屋には誰も近づけないようにお願いした。そして子供達が居なくなったのを確認して改めてその人物へと目を向ける
「ワーグナー・フォン・ソル・ニルズ大公」
「お目に掛かるのは二度目ですね。こうして対面できて光栄の至りにございます。ラグナ様……」
「いえ、此方こそ貴方のお手を煩わせてしまったようで申し訳ないと思っていた。同時に、感謝を、貴方には助けられた」
「いいえ。いいえ。我らに感謝は不要です。我が父祖は貴方方に生涯返すことの出来ないほどの大いなる恩を受けた身です」
帽子を取るワーグナーは、最初の時と変わらない家族に向けるような慈愛の微笑を浮かべる。そして、闘技場の時とは違う彼の容姿を間近で見ることであることに気付く。
ワーグナーには耳が無い。セタンタなど獣人のように人間とは耳が異なるわけでもなく、本当に耳にあたる部位が彼の肉体から取り除かれている事に気付く。
「やはり気付かれましたか。 されどこれについては、我が国を訪れた時にこそお話させていただきましょう」
「不快であれば、申し訳なかった」
「いいえ。寧ろその事をいち早く気付く洞察力と慧眼に感服いたします。そして、その素直なお心にも。口先だけの謝罪など、腐るほど聞いておりますからな」
そう言って愉快気に笑うワーグナーは、愉快気だった。
ここで好い加減に話を進めたいとフェレグスが咳払いをする。三人は改めて長いすに腰掛ける。
「まずはハッキリさせておこうか……俺の知らない二人の関係について」
本題に入る前に、ラグナは二人の顔を交互に見て尋ねる。
「ワーグナー殿とは……ニルズ大公家とは古くからの間柄です。今回に必要な主な生活必需品は全て、他ならぬワーグナー殿の厚意で譲られました」
「我らニルズの民には大恩があります。それも含めて私の口からお話しましょう。ラグナ様は、私の耳が無い事にお気づきになりましたが、これは我らにとって必要不可欠な事なのです。それは──何故だと思いますか?」
「ふむ……」
ワーグナーの問いにラグナは冷静に思案する。態々身体の一部を切除する程の訳など、ラグナには理解できない事だ。
だが、ワーグナーはラグナに問うた。それはラグナの中には、答えに行き当たる知識がある事を示している。
そして僅かな沈黙の後に、ラグナはワーグナーへと向き直った。
「ワーグナー大公。貴方は……亜人の血を引いているのですね」
「はい」
答えに対して、ワーグナーは肯定する。
そして答えを示したラグナも内心では驚いていた。
「より深く言えば、祖先にエルフがいる人間です。私だけでなくニルズ公国には半亜人の者が大勢暮らしておりますので、私のような存在は珍しくはありませんよ」
「……」
ラグナはエルフを知っている。耳の長い彼等彼女等──純粋なエルフではないフィオーレ姉妹でも長耳を持っていた。人間の社会に溶け込むべく、それを秘匿するために斬り捨てたのだと理解すると、ラグナの心に痛みが走った。
「では、此方も問わせてもらわなければならない。貴方は、貴方方は何者なんだ?」
「ラグナ様は、真実の歴史を知っておられますな?」
「ああ」
「結構──では、そのあたりの事は省かせてもらいます」
問いへの答えを肯定されたワーグナーは哀しげな表情で頷いた。そして、彼はジークフリードが語らなかった彼らの歴史を語りだす。
「神々の怒りの代行、竜王の咆哮によって亜人の解放が成される中、私達の先祖は竜の背に乗らず人間達の歴史の闇の中に身を潜めました」
「何故だ? 決して安全な場所ではないが、あんな世界よりはマシだった筈だろう」
「……失われた故郷への愛や傲慢なる人間への怒りなど、様々な感情があったと思います。そして長い年月を含めて人間同士が争う戦乱に乗じて立ち上がり、初代ロムルス王と密約を交わし、ニルズ公国を興したのです。それが、初代ニルズ大公が遺した手記に書かれている我々の系譜です」
「……ならば、先程のニルズの民の大恩と言うのは、フェレグスや俺についても知っていると言う意味で捉えて良いのか?」
「はい」
ワーグナーの肯定に、ラグナは理解しつつもそれに驚きを隠すことは出来なかった。同時に、何故見ず知らずの彼がここまで自分達に対して友好的に接することにもだ。
そして、掛けるべき言葉を紡ぐ事は出来ず、ラグナは沈黙する。ジークフリードが語った人間達の歴史は、ラグナに怒りや嫌悪を抱かせるには十分すぎた。
その中で、自らの意思で雌伏に耐え続けてきた彼等に対して、何と声を掛けるべきかがわからなかった。 哀れみを向けるのか? 称賛を与えるのか?
ラグナには、分からない。
両方の感情がある。彼等を凄いと思う気持ちと、苦難を知っているからこそその苦しみや痛みが分かる気持ち。色んな感情から言葉が定まらない。瞑目しても答えは見つけることが出来なかった。
「言葉は要りません。私達は、既に取り戻しているのですから……」
そんなラグナの心境を察してかワーグナーは笑って答える。その様子に、ラグナは心で胸をなでおろして佇まいを整えた。
そして、深く頭を下げる。
「……分かりました。ともあれ、今回の一件では、ワーグナーさんのおかげで助かりました。本当に、ありがとうございました」
「真なる女神の子から、なんと勿体無きお言葉……私達が後ろ盾にある限り、貴方にはこれ以上の火の粉を被らせない事を、改めて誓いましょう」
「度重なるご厚意、ありがとうございます」
裏方で力を貸していたニルズ家が改めてウェールズ商会の、ラグナのことを支えると宣言した事で、ラグナがこれ以上横暴に晒される心配はなくなっただろう。
そんなラグナにフェレグスは訝しげな表情で口を開く。
「それで、ラグナ様……これから、どうするつもりですか?」
「……そうだな」
フェレグスからの疑問に、ラグナは先程とは打って変わって声を濁した。
フェレグスは、ラグナが学院にてどのような生活を送ってきたのかを把握している。それが、彼の心情にどのようなものを及ぼしているのか。神々から賢者の称号を与えられたフェレグスにはそれを汲み取る事を容易かった。
先程の答えに対して、ラグナには幾つもの答えがあった。
ラグナは瞼を閉じる。
多く、醜い者を見た。怒りを抱いた。
思えば、何とも歪な世界なのかと改めて見て、失望し続けて来た。
だが、その中にも確かに、温かなものあった。
(それを、全てを、区別なく捨てるのか?)
「……フェレグス、此処で働く者達は、この場所が無くなったのならば、どうなる?」
「それは心配いりません、ニルズ大公が新たな働き口を斡旋いたします」
「そうか…………ならば、答えは決まった」




