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76話:金の激情、黒の威風、そして──

「こんなもの認めないぞ!」


 炎熱に氷水をぶつけるような無粋な言葉が響き渡る。

 勝ったという喜びを噛み締めていたラグナは、その言葉が届いた瞬間に鉄面へと戻り立がる。

 誰がこの言葉を放ったのか? 息を切らせるのは片腕を布で包まれた男児だ。

 ラグナは一瞬、誰だアイツは──と、考えてから隣のグリストン公爵バカを見てそのバカ息子である事を思い出す。


「……何がだ?」

「決まっている! この勝負は無効だと言っているんだ」


 激闘を目の当たりにし、圧倒されていた者達は言葉を発する事すら忘れていた。故に、その言葉は闘技場全体へと届く。

 皮肉にもそんな言葉は周囲の人々を現実へと引き戻し、静寂は喧騒へと変じる。

 その中心にてラグナは言葉の意味を真剣に考えて、全く理解する事が出来ずにいた。片腕を穿つ刀をそのままにしてラグナは痛みに平静を装いながら鋭い視線を向ける。

 その心中にはこれまでとは違う氷のように冷たく、炎のような熱さという矛盾した感情が芽生えている事に気付いてはいなかった


「何を根拠に貴様はこの決着に文句をつける。下らない妄言で決め付けるな」

「根拠だと──ふん、白々しい。お前とグラニム家の令嬢は随分と懇意にしているのは知っているんだぞ!」


 無事な方の腕でラグナ達を指差しながら、何処か勝ち誇ったように宣告する。


「だから何だ?」


 対するラグナは、やはり表情を崩さない。

 しかし、心中の冷気と熱気は激しくなっていく。


「お前とアリステラ嬢の戦いは、派手さで装った芝居だと言っているんだ! 女の身でそんな剣と魔法の腕前などあるはずが無い。大方、何処かで魔法使いが操って──」


 その先の言葉は彼の真横を掠めて飛んで来た両刃の剣によって黙らされる。

 誰が投げたか? 言うまでも無い。中央に居る不敬者は、今度こそ感情を爆発させていた。


「テメェのような下衆と一緒にするな。男だ女だなんて強さの前に関係ねえ、ぶつかり合ったんだからそれが本物かまやかしかなんざ、俺が一番分かってる。たかが腕一本圧し折られたぐらいでガタガタ抜かして震えてる臆病者と一緒にするな」


 グリストンの息子は何が起きたのかを理解する余裕も、真横を掠めた鉄の感触の痛みを訴えることも許されなかった。

 赤い隻眼から向けられる零度に達する冷たい激情は、再び周囲の人間から言葉を奪う。

 

 冷たい怒りは、自分の都合のいいことばかりにしかものごとを考えない愚か者の知性と人間性に対する怒りだ。

 ラグナは、卑怯者が嫌いだ。自分の行動に責任を放棄する身勝手な人間が嫌いだ。

 ラグナは、臆病者が嫌いだ。勇気が無い者ではなく、自分の行動の結果と向き合わない者が嫌いだ。

 ラグナから視て、グリストン親子はその両方に当て嵌まるこの世で最も嫌いな人間だ。


「俺を殺したいのならば、誰彼の手も借りずに自分の手でやってみろッ! 丁度いい、俺も今片腕を怪我しているんだ、テメェと対等だ。決着つけるというのならこのまま相手してやるからその剣を引き抜いて下りて来い! だがその時は今度こそ貴様を殺すぞッ!」


 次いで噴火する火山のように爆発した怒りの罵声が響き渡る。

 熱い怒りは、この戦いを作り物といわれた事への怒り。そして何より剣を通じて信念を、覚悟を、技を、力を魅せてくれたアリステラへの侮辱が許せないからだ。

 そもそもこの戦いはラグナとグリストンとの戦いであり、本来であるならば一度目の決闘裁判で決着がついていた。にも拘らず、それに横槍を入れて無効にされた上に命惜しさに自分達で戦おうとせず、他人アリステラに投げた挙句その決着にすら文句をつけて彼女が磨いた全てを貶す事が、烈火の様な激情となって噴き出した


「木の剣だろうと振るえば相手の肉を傷つけ骨が折れるッ! そして殺し合いの場において産まれ育ちなど一切の価値などない、生きるか死ぬかだッ! 剣を学ぶのならば、人の上に立つ意のものならばその程度の事は頭に入れて置けッ! それすら分からない連中が、端から命のやりとりに口を挟むなッッ!!」


 ラグナ、ここまで人前で感情を爆発させるのはスカハサやセタンタ達の前では初めてだった。だが、最も激しい感情である怒りはこれまで溜め込んでいた人間への不満や失望の一部だ。良いものを見せてくれた。

 それを何も見せず、ただ醜態をさらし続ける者が水を差し、無粋を極める。口先ばかりでの言葉にラグナの怒りは遂に爆発した。


「人の行いには、善と悪が付くだろう。善は口に容易く、真の善を示すのには決断と勇気がいる。悪は口には出ず、真の悪には覚悟がいる。相反する二つであっても、俺は真にそれを行う者を敬おう。だが、お前達の言葉や行動には勇気も無ければ覚悟も無い! 善には程遠く、悪にも程遠い!」


 ラグナは真っ直ぐにグリストンを指差し。あらゆる怒りを込めて、これだけは伝える決めた。


「俺はお前に屈しない! お前を恐れない! お前は、お前達は、俺がこの十二年の人生の中で出会ってきた人間の中で、最も軽蔑の念を抱いた臆病で卑怯な、卑劣者だッッ!!」


 感情のままに、抑え込んでいた言葉をハッキリと公言する。


「ふ、不敬な……もういい! そのまま不敬罪で殺してしまえッ!」


 そう叫んだのは恐怖に蒼白くなっている息子に代わって怒りに顔を赤くさせている父親である公爵の方だ。逃亡防止にと出口に控えている兵士達へと命令を下す。

 ラグナは、肩に突き刺さっていた刀を引き抜き、地面へを突き立てる。得物として使うのならば、刀に対して無知だと、ラグナはそれよりも鍛えた自らの肉体で闘う意志を見せる。

 だが、その刀を拾い上げる者が居た。


「いいえ。不敬などありません。その言葉は、彼の当然の権利です。しかし、その怒りは彼だけのものではありません」


 その言葉をこの場の誰よりも一番近くで聞いていたアリステラがラグナの隣へと並び立つ。血油を自らの衣服で拭い取れば再び白銀の刀身が日の光を浴びて輝く……だが、目立った汚れのない青と白の衣服や顔に血の汚れが付いた事に貴族側の観客の一部は嫌悪感に顔を歪め、グリストンを始めとした者は驚いた


「私は、何一つ恥じる事はありません。蝶よ花よと愛でられる事など私は望まず、唯一つの決意を胸に剣と魔法を学んだ身です。それを、紛い物などと辱められ誰が黙っていられましょう。グリストン公爵、既にこの決闘は貴方一人の言葉で歪められるものではありません! それでも尚、彼の武人を殺すと言うならば、私も殺すつもりで兵達にご命じなさい!!」


 凛然と宣言するアリステラの姿勢にグリストンは再び息を詰まらせる。当然だろう、自分の言葉は意味が無くなり、それでも尚これまでのように強行するのならば、グラニム家を敵に回すことも覚悟しなければならない。否、四公の一つに盾突いたのだ。他の三つが黙っているはずがないというのが分かる。

 グリストンがちらりと視線を廻した先には鋭い視線を向けるベルン家の嫡男パーシヴァルが居る。その目にはハッキリとした軽蔑と怒りを向けてきている。

 何故、アリステラ達がここまでこの平民の男に型を持つのか、グリストン公爵には皆目見当も付いていない。ただ、その理不尽をラグナを睨みつける事でしか示せない。

 だが、そんな事をラグナは気付かない。否、無視して傍らに立ったアリステラを視ている。近くにいるからこそ、彼女の足に力がこもっているのが分かる。


「無理をするな。立っているのもやっとだろう」


 アリステラは最後の一撃で己の全力の全てを使った。魔法の使用には体力を消費する……乱れを押し隠すような不自然な呼吸は、彼女が刀を持つ事は愚か立っている事すらやっとな事をラグナに教えている。

 だから、ラグナはアリステラにこれ以上を望まなかった。


「いいえ、だって貴方は私の戦いで私を気遣ってくれていたでしょう? 恩に報いずに人の上に立つ家の名を語れましょうか?」


 疲労はあれど、殆ど傷の無いアリステラは答える。

 ラグナは加減をしなかった。剣を振るうのも拳を繰り出すのも躊躇わなかった。それでも、アリステラを傷つけなかった。牽制を込めて顔を狙ったが、あてるつもりは毛頭なく、傷も成るべく目立たない位置に付くように狙った。

 否、そもそもラグナは最初からアリステラを殺すことを考えてなどいなかった。殺したくなかった。彼女との間の安らぎが、彼女の中の温かさが、今生の別れになろうとも、その先を健やかに生きてほしいと望んだからだ


「それに言いました。あの怒りは貴方だけのもではありません。私の、そして数多の勇士達への侮辱の言葉です。一人の剣を扱う者として、私はあの言葉とこの不条理に立ち向かいます。貴方には遠く及びませんが、今だけ肩を並べさせてください」


 その言葉にラグナは瞑目する。その脳裏では記憶が過ぎった。

 遠い嫌な記憶とともにあった、短い出会いの記憶だ……それは朧気であり不鮮明だが、瞼を開けて正面から顔を見つめるアリステラの表情が、不思議と懐かしく思えた。

 思えば、彼女の言葉が自分の心を救い、癒してくれた。そして常に見方の立場を崩さずに居てくれた。ならば、いわねばならない言葉があった。


「……ありがとうな」

「──どういたしまして、と言いたいですけど……」


 それはあの日からずっと、自分が抱いている想いだという言葉を、アリステラは飲み込んで微笑んだ。


「さあ、どうするのですグリストン公爵! 不服あるならば、ご自分で剣を取るか、兵に命じるか、どちらか選びなさい!」

「うッ、ぐッッ────」


 顔色を赤く、青くと色を変えるがグリストンは言葉を発さない。否、発する事ができない。行方が分からなくなり、多くの者はハラハラとした様子で状況を見据える。



「ならば、私が命じましょう──兵士達よ。つまらぬ危害が入る前にお二人を守りなさい」


 その言葉は何処からとも無く聞こえた。

 そして、その言葉とともに兵士達が動き出してラグナ達へと近づく。アリステラは一瞬身構えるが、敵意を感じないことに気付いたラグナは彼女を制する。

 兵士達は命じられたとおり、ラグナ達の近くに行くと一斉に跪いた。


「主の言に従いを治療できる場所にお連れさせていただきます」

「──貴方達は、一体……」


 突然の出来事に呆気に取られる二人──アリステラはそう問うのがやっとだった。


「その者達は私の兵士達です。王国の息の掛かっている者は信用できませんから、蔵にでも放り込ませていただきました。グリストン公爵──凡愚とは聞いておりましたが、此処まで落ちているとは恐れ入る」

「な、何者だッッ!」


 声の主は貴族側の観客席に混じっていた。他の貴族達とは意匠の異なる衣服を見に纏い、深く帽子を被っておりラグナから視ても顔の下半分しか見えない。


「ご存じなくても結構。私の顔と声を知っているのは陛下や同じ四公くらいでしょうからな。では名乗らせていただきましょう」


 そう言ってその貴族は立ち上がり、深く被った帽子を取る。陽に輝く白髪と老いているとも若くとも取れる、そして紳士的な美貌の男性──。

 大よそ、多くの人が居る中でもその不思議な魅を放つ男性は一際、異質さを感じさせる。

 しかし、ラグナはその容貌にどこか懐かしさを感じさせる。


「ワーグナー・フォン・ソル・ニルズ──南方のニルズ公国の治める事を王国より賜りし者です。ああ、貴方の事は名乗らなくて結構ですよグリストン公爵。貴方の事はご存知ですので──」


 沈黙は大きな騒然と化す。

 南のニルズ公国の長──一部を除き、王国との関わりも最小限に止めた謎多き四公の長。グリストンは愚か、パーシヴァルやアリステラも彼の顔を見るのは初めてなのだろう驚いていた。


「旧き恩人の縁者の危機に対して経過については聞き及び、そして此度の戦いも拝見させてもらっていました。あの幼子が此処までと堂々たる勇士に育っているとは我が子の如き嬉しき事──」


 ニルズ大公ワーグナーはラグナの事を見つめ、本当に子の成長を喜ぶような面持ちで公言する。ラグナからすれば、初対面の人間なのだが何故か全く気味悪さや不快感などはなかった。

 次に隣のアリステラ嬢に目を向ける。ラグナと同じく、恐らく初対面の彼女にも親しげな気配を崩さない。


「グラニム家のご令嬢は何とも凛々しい女性。是非、我が息子の伴侶として貰い受けたいものです」

「あ、ありがとうございます…………えぇっ!?」


 咄嗟の言葉の返しの後に、言葉の意味をしっかりと捉えたアリステラは思わず変な声を出してしまう。彼女の年齢ともなれば既に婚約者が居ても不思議ではないが……アリステラは黒髪のせいかそんな話は無い。そのため、彼女にとっては免疫のない言葉だった。

 それに対して、ラグナは無意識にワーグナーとアリステラの間にほんの少しだけ身体を割り込ませる。

 それに対してもニコリと微笑み、最後にこれまでの温厚さが嘘のように冷めた目で左右の貴族達を見据える。

 まさに得物を蛇の如きその視線は、喧騒を黙らせる。


「それに比べて、安穏……否、惰眠を貪る貴方がたの堕落は、本当に酷いものだ。たかが人より偉いというだけで、それを振りかざせば全てが思い通りになると、本気で思っているのですかな? 民あっての貴族であることすら忘れるなどとは、同じ立場のものとして恥ずかしい限りだ」


 言葉こそ平静、ラグナとアリステラに接するものと変わりないがそれが纏うものは全く別のものだ。

 グリストンに限っては親子揃って赤青と面白く変わっていた顔色が真っ白になっている。

 空気の主導権は、既にワーグナーの下へと移っているのを感じながら、ラグナは黙ってその経過を見守っていた。

 ワーグナーは改めてラグナ達に目を向ける。


「しかし、今は勇士達の健闘に安息を与えるのが優先すべきこと。お二人を、丁重にお連れしなさい

「ハッ──!」

「そしてこれよりは同じ子供ではなく、大人である私があなた方の相手をしましょう」

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