75話:決闘裁判【舞刀】
終わったな──
剣先をアリステラに突きつけながら、引いて行く熱に名残惜しさを感じていた。
停滞していた。
退屈していた。
端から大きな期待に胸を膨らませていたわけではない中で、この一時はまさしく──夢のような時間だと思った。
もっと彼女と剣を交えたいとさえ思った。だから、自分の中で加減を止めた──だが、それは失敗だったと後悔した。
(いや、こんなものか……)
自分を強者だとは驕らない。だが、この場に居る大半の弱者よりは強いと自負している。つまらないと、そんな感情を押し殺してきたが限界だった。
その中での、弱者が強者を気取る光景は──止めを刺すには十分すぎた。
失望した。
言葉にするのさえ面倒だと脳裏にこびり付いている茶番劇は人間という生き物の醜さをこれでもかと、ラグナに刻み付けた。
嫌悪、醜悪──何故、自分は|人間(こんな生き物)として生まれてしまったのだろうと、心底軽蔑した。
語るも無駄、見るも無駄と、失意に暮れていた。
だからこそ、アリステラが見せたものはそんな感情を掻き消す程に心振るわせた。
長らく出会っていない。しかし、強者と呼ぶには違う──だが、加減抜きで戦いたいと思わせた相手。
前に立ちはだかる相手ではなく──
後ろから追い掛けて来た彼女は、ラグナの中の飢えを満たしてくれていた
(もっと、やりたかった……)
心が躍った。
血が沸き立った。
体が軽くなった。
だが、目の前の彼女を見てそれは不可能だと決め付けた。
膝を着き、肩を上下にさせて乱れた呼吸を繰り返すアリステラ。なんと言うことは無い。魔法と剣術を同時に扱う彼女の体力は、限界に達しているのだ。
かつて、同じ状況に陥った事があるラグナだからこそ分かった。彼女はもう立つこともやっとだという事は分かった。
周囲から見れば、こうして膝を屈している彼女に剣を突きつけている時点で勝敗は決しているように見えているのだろう。
(…………嫌だ)
だが、ラグナは心の奥底で望んでしまう。
彼女が立ち上がることを、刀を手に剣を打ち払うことを、他の誰でも無い彼女にこそ、そうしてほしいとラグナは望んだ。
しかし、アリステラは剣を突きつけられ、僅かに頭を垂れる。
(…………こんな、ものなのか……)
火照っていた身体が、熱くなっていた頭から熱が冷めていく。
一時が終わる。終わってしまう。
高鳴っていた感情が、静まっていく。
冷やりとした感覚が、ラグナの心を支配していく。
嫌だ。もっと見せてくれ──決して、戦う事が好きなわけでは無い。
俯くアリステラは答えない。
だが、再び彼女は顔を上げる。その目に宿した意志は衰えず、ラグナの顔を見上げた。
高揚と背筋に走る直感。それが、反射的にラグナの身体を仰け反らせた。
冷たい、見えない刃が上り、ラグナの衣服を掠める──アリステラがこれまでも繰り出してきた水の刃だった。
「ッ──」
驚愕。否、それよりも歓喜の方がラグナの心を占めた。一瞬、吊り上がった唇を押し下げて、二歩三歩と下がりながらアリステラを見据える。
彼女は呼吸を整えて立ち上がる。だが、疲労の色は隠しきれていない。
「……何故、立ち上がるんだ?」
喜びを押し殺して、疑問を投げかける。
確かに、ラグナはそうある事を望んだ──だが、実際に彼女がそうするとは限らないという事も考えていた。
あの時、敗北を認めることは出来たし、そうするのが普通の事だともラグナも思っていた。
だからこそ、そんな周囲の考えを裏切って立ち上がるアリステラに問わずに入られなかった。
「言った、筈です。貴方に全てを見せると──そしてッ」
乱れていた呼吸を強引に整えて、アリステラは構えながら答える。
疲れている事が分かる。しかし、彼女の眼に宿る意志は未だに衰えていない。
「私は、まだ、全てを出し切れていない! そんな有様で、負けを認めてなるものですか!」
「……フッ、ハハッ──……?」
ラグナは、アリステラの目を見て、言葉を聞いて、意志をぶつけられて。
凄いと、ただ一言の感情と共に笑い、そして自分が笑った事に気付いて、疑問をぶつけて、初めて自分に芽生えていた感情に気づいた。
(ああ、そっか──俺は今、此処での生活の中で一番楽しいと思っているんだ)
思えば、アリステラとの出会いから始まり、人目をはばかって会話をしてきた。不思議と彼女の纏う空気に──師を重ねて、勝手に安らぎを感じていた。
だが同時に、所詮は空似と割り切ってもいた。彼女は師では無いと分かっていた……それでも彼女は何処か違うと思え、信用も出来た。
「すげぇな、アンタ……」
ポツリと、ラグナはアリステラを賞賛した。
小さな言葉だったが、沈黙の中で放たれたその言葉は、しっかりと彼女の耳には届いた。
「言った筈です。私は全てを出し切って貴方に挑むと──それまでは例え剣が振るえなくなろうと、魔法を使えなくなろうと、勝負を投げ捨てるつもりはありません」
「それが、凄いんだよ。言葉にするのなんて簡単だ。でも、アンタから伝わる意志が、投資が、本当にそのつもりなんだって伝わるんだ。何でもっと早くに剣を交えられなかったのかって……心底悔やむよ」
「普通の令嬢は剣も魔法も学びませんからね」
アリステラは自嘲気味に言う。だが、ラグナは自然と眉を潜めて答える
「そんなのは関係ない。経緯はどうあれ、アンタがそこまで強くなったのには意味も理由もある。強いにも、賢いにも、女だとか男だとか関係ない。俺はアンタが磨いてきた全てに敬意を称する」
その言葉は、紛れも無く本心だ。
強者と弱者で簡単に二分される世界で生きてきたラグナにとってからすれば、この余計なシステムを組み込みすぎている人間社会のほうが複雑で難解なものだ。
それでも自分の信じるもの、正しいと思うものを貫く彼にとって、アリステラと言う人間の強さは紛れも無く本物で、彼女の才能や努力全てをひっくるめた者すべては自分がこれまで出会ってきた人間の中で、一際強く輝くものだと、認めた。
アリステラはほんの少し頬を染めて、小さく微笑む。
「こんな形なのが本当に残念だけどさ。アリステラと競えて良かったって、心底思ってる」
「──ええ、私も──」
二人は笑い合い言葉を交わして弾ませ、同時に構える。
「また勝負できるか?」
「ええ、私もそれを望みます」
「……そっか。なら、今度はこんな下らない経緯抜きで勝負しようぜ」
ラグナの言葉にアリステラは、笑んで頷き──ラグナもまた笑った。
そして、真剣な顔つきに戻ると、呼吸を落ち着かせ両者は対峙する。周囲の観客など最早二人の眼中には無い。
ラグナはアリステラだけを──。
アリステラはラグナだけを──。
見つめる先には戦う相手とその刃しか映っていない。
再度の激突は、当然だがラグナが押していた。
縦横無尽に繰り出される攻撃と、獣のような変則的で柔軟な動きがアリステラを翻弄する。それに対するアリステラは羽衣の展開による疲労を重ねながらも、懸命にその猛攻を避ける、往なす、防ぐと凌ぐ。
攻めるラグナと、守るアリステラの構図の完成に決着がつくのも時間の問題だと観客は思った。戦いを見守るアリステラの従者ミーアは堪らずアリステラを助けようと声を張り上げた。
だが、変化は自然と起きていた。
攻めるラグナと守るアリステラ──だが、その構図は徐々に、両者の攻防が拮抗し始める。攻めと守りの応酬に観客達は目を瞠らせる。
何が起きたのか? 両者はこの戦いの中で急激に成長を起こしているのだ。
ラグナは秀才である。そして、彼が育ったのは大自然という人間社会とは大きく異なる世界だ。凶暴な魔物を相手に剣だけでなく己の肉体をも駆使して戦う中で、ラグナの身体と知恵は強靭さと局面にて対応できる柔軟さを兼ね備えていた。
故に、ラグナはアリステラの戦い方に適応する事が出来た。
対するアリステラは天才である。
僅かな期間にて剣術の領域を完成させ、知性を育む事で魔法と剣術を折り合わせた独自の戦い方を編み出した。実戦の経験は少ないが、それは彼女の中で完成された技術が既に補う事が出来る。
何よりも、アリステラはラグナの事を知っている。彼が自分よりも強い事も理解しているからこそ、攻撃に対しても余計な動揺を魅せずに納得する事で冷静さを保った。
そして、人間というのは慣れて来る生き物だ。
アリステラの感覚は、ラグナの動きや戦い方に少しずつ順応しているのだ。
押しつ押されつの剣戟は、少しずつ拮抗に縺れ込んでいた。
アリステラの才能は、ラグナという相手を前にさらなる高みへと彼女を連れて行こうとしていた。それを肌で感じ取ったラグナは、喜びの様な高鳴りを感じながらも、追いつかれてなるものかと自らの体を加速させる。
天から与えられた才能と、才能という限界を破壊した努力のぶつかり合い。
ラグナが繰り出す剣や打撃をアリステラは、刀でいなし、水の魔法で地面を滑走して避ける。
アリステラの放つ刀や水の刃をラグナは身体を捩り、手甲で受け止めてみせる。
周囲を置き去りに、二人だけの空間を作り上げていた。刃を衣服が掠めて傷付くことなどお構い無しに激突する。
片方が後ろに下がればもう片方が追いすがる。
片方が隙を晒せば、もう片方は容赦なくそれを突く。
そろそろどちらかが死ぬのではないのか? そんな不安が過ぎるような光景を誰も止めることは出来ない。始まるまで愚痴愚痴と文句を垂れ流していたグリストンも、その光景に圧倒されて目を丸くしている始末だ。
ただ、その光景を観客席から見ていたパーシヴァルは、圧倒されながらも「踊っているようだ」と、隣のセルヴェリアに呟いた。
「──、──!」
だが、惜しむべきかな──それは突然と訪れてしまう。
後ろへと下がったアリステラの足が縺れたのだ。常に魔法を展開し続けていたアリステラの疲労は既に陰りを見せていた。それでも、彼女は気迫でそれを補っていた。
最も間近で見ていたラグナは、それを理解した。
その時、咄嗟に剣を手放し、倒れかけた彼女の手を掴んでそれを轢きとめようという衝動に駆られた。
しかし、後ろへと下がっていた足で地面を踏みしめ、前へと身体を進める彼女の姿にあくまでも受けて立つ姿勢を構えなおす。
両者は身体を前に屈めて、剣の間合いに入る。
ラグナは左脇腹に剣を沿えて、右上へと薙ぎ払う構え。
アリステラは刀を顔の側面まで持ち上げて刺突の構え。
鋭さに童心のような輝きを目に宿した赤い瞳と、決意と勇気を宿した青い瞳が交差する。
「オオオオォッ!」
刹那、ラグナが咆えた。
原初的且つ、最も効果的な相手への威圧──それがアリステラの身体を一瞬、硬直させる。
「ッ──、ヤアアアッ!」
負けるかと、アリステラもまた叫んだ。
ラグナには負ける。否、ラグナに向けてではなく自分を奮い立たせる喝を込めた一声。それが彼女の底にまだ残っていた力を振り絞らせた。
刃と刃が交差する直前、アリステラの背後から羽衣が展開される。
左右と上へと広がるそれらは防御ではなく攻撃だと読んだ。しかし、それは目を見開かせるものだった。
右から
左から
上から
アリステラの刺突に合わせてほぼ同時に三方からラグナへと水刃が放たれたのだ。
(これが、奥の手か──!)
ラグナの脳裏に全てを見せると、アリステラの言葉が過ぎる。ラグナは歯を食いしばり、そして心の中で驚き、喜びアリステラと言う相手を讃えて、上等と不敵に笑った。
「上等ッ!」
迫る刃は三つ──否、四つ。
右に行けば右の刃、左に行けば左の刃、上に跳べば上の刃、後ろに下がればアリステラの刺突が貫くだろう。
緊迫の空気の中でラグナは、脚を止めずに前へと進むのを止めなかった。
同時に迫る四つの刃を目前にラグナは避ける事を考えた……だが、受けて立ちたいという自分の意志を最優先にした。
剣の間合いに入ったことでアリステラの刺突がラグナの身体へと迫る。それを手甲で弾いて急所を外す。それでもアリステラの刀はラグナの右肩を貫いた。
躱せない。防げない。捌けない。往なせない。ならばと、自分の体で受けるしかないという苦肉の判断。
鉄の刃が肉を穿つ。
ジワリと滲む赤い血と熱と痛みを無視してラグナは剣を握る手を強める。
刀は肉と骨を貫いて背中から突きぬける。
緊迫したアリステラの顔を間近で見て、ラグナは痛みを堪えて笑った。
右手の剣を手放した。
そのまま彼女の襟首を掴むと強引に、しかし彼女の身体を叩きつけないように丁寧に押し倒した。
そして、身体を投げ出された少女の身体は地に組み伏され、少年はその首へと手を伸ばす。
「──、──」
「……、……」
時間が止まる。
斬ろうと思えば簡単だった。あのまま剣を薙げば彼女の胴を両断できた。
それは出来なかった。直前になって、それをしたくないとラグナの理性が踏みとどまった。
それでもアリステラの首に手を掛けているのは、勝敗をハッキリさせるだけだ。力を加えれば、簡単に折れてしまうだろう細い首を、折るつもりなど毛頭なかった。
「……、殺さ、ないの?」
「──負けた相手に、そんなこと言われる筋合い無いな」
奇しくもそれは、エルディアの戦いのときと同じだった。
全力でぶつかり合った者への敬意、また競い合いたいという闘志、礼には礼を、そして何より生殺与奪の権利が勝者にあるというのならばラグナは、彼女を殺したく無かった。
それでも、アリステラは理解している。奥の手であり、最後の切り札を使って尚、相手を倒すことは出来ずに組み伏せられた自分には最早、手札は無い事を──。
「……そっか、私の、負け、なのね」
「────ああ」
交わす言葉の中で、ラグナは確かな高揚を感じていた。初めて勝利に歓喜したいと思った。
同時に、目の前で組み敷かれるアリステラに誰よりも褒め称えた。
全てを置き去りにした二人だけの世界で──
勝者は相手を讃えて勝利の余韻を噛み締める。
敗者は悔しさを胸に勝者を讃えた。
誰にも文句など言わせない。
誰にも横槍を入れさせない。
勝敗とその結末は二人が決めた。
己の肩を穿つ刃に滴る血を無視して、名残惜しさを胸に抱きつつ。
「俺の、勝ちだ」
久方ぶりに歳相応の子供のように爛々とした目をして自らの勝ちを宣言した。
【ラグナ】
金髪:赤目:隻眼:男:黒緑:根性クール
【アリステラ】
黒髪:蒼目:両目:女:青白:天才清楚




