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74話:決闘裁判【豪剣】

 アリステラ・フォン・テュルグ・グラニム──。

 栄えあるグラニム家の長女に生まれた不吉な黒い髪を持つ少女として生を授かった彼女の幼少期は、人の目と声を恐れる半生だった。

 黒い髪を持つが故に、嫌悪を宿した目で見られ、ひっそりと飛び交う己への陰口から逃げようとする日々。母や兄には大事にされながらも、父からは冷遇された。

 

 そんな彼女の転機は幼い頃に忌み子と蔑まされる少年に助けられた時だった。

 自分と同じく、生まれもって疎まれる存在でありながら、自分にはない心に従う真っ直ぐさと少女を救い出す勇気と強さを兼ね備え、同時に家族を恋しく思う人間らしい姿は、暗い場所に逃げ込んできた彼女には眩しく、そして憧れるものだった。

 結局、その少年とは多くの言葉を語り合うことは出来なかったが……アリステラは、その少年に助けられた経験を無碍にしたくないと、自らを変える決意をした。

 手始めにアリステラは魔法を学ぶことにした。元々、彼女は本を読むことが好きな少女だったために書物を通じて知識を自然と養っていた。その書物の中には、当然だが魔法の知識を記した魔法所も含まれている。


 それらを読み進めていく過程で、自分を助けた少年が、知名度の低い強化魔法を駆使していることを知る。当然、彼女もそれを模倣しようとしたが、それは出来なかった。

 強化魔法は自己の身体能力を高めると同時に、その高めた能力で自分の体が自壊しないように防護するという二重の魔法を前提とした魔法である。

 これだけでも並みの魔法使いでは一苦労するのに、ある程度の身体能力があって効果を発揮できるという前提が、魔法と言う分野に特化して運動を疎かにしてきた者が大半を占める魔法師達からは軽視され、強化魔法と分野は廃れてしまった経歴がある。

 

 知識はある。だが、実際に扱ってみるのとでは訳が違う。

 アリステラも魔法に関しては素人であり、令嬢であることから体を鍛えるなどした事が無かった。彼女は、その少年のやり方を模倣にするのではなく最も自分が得意とする水の魔法を中心に覚えていく道を選んだ。


しかし、彼女の本領が眠っていたのは魔法ではなく剣術の才能だった。

 彼女が師として仰いだ男は、一目で彼女の才能を見抜いて己の技の全てを余すことなく教え込んだ。そして、彼女はそれを一年かけて掌握してみせたのだ。


『女として生まれなければ──』

 かつて【剣聖】とまで謳われ、地位や名誉を求めてやってくる自らの環境にうんざりとて、グラニム公国の片田舎に隠遁していたアリステラの師は、彼女が己の技を身に着けていく程に、その出生を惜しいと嘆いていた。

 才能に愛され、清廉な心と知識を持ち、強い精神を宿した彼女を馬鹿にする者はいつしかいなくなっていた。

全てはアリステラが定めた目標ラグナを追いかけ続けた情念そのもの。


 ラグナは呼吸を整える。

 対するアリステラは毅然とした面持ちを崩す事無く構えを取ってラグナを見据える。


「……ふぅ──」


 沈黙の中で、ラグナは大きく息を吐き出して瞼を閉じる。

 アリステラは何かを仕掛けるのかと気を引き締める。 

 沈黙が闘技場全体を包み込む


 ラグナは何かを仕掛けようとはしない。

 何故なら彼は──考えること一度を保留にすることにしたからだ。

 疑問を保留めるのはあまり良くないと、彼はフェレグスから教わって来た。

 同時にセタンタからは難しく考える必要はない感覚で行けとも教わった。

 疑問を先延ばしにするのは良くはない。だが、何事も大雑把に行うのでは意味がない。

 二つの教えを受けて編み出したのは──。

 考えても仕方のないことを考え続けるのは無駄だから一旦、止める事だ。

 知恵熱で熱くなっていた頭に冷水を浴びせ掛けて一気に思考を洗い直した。

 そして、改めてアリステラとのこの僅かな時間での攻防を振り返り──純粋に、彼女の力が予想以上だと敬意を抱いた。


「──」


 攻撃の隙を狙っていたアリステラはそれらに真っ先に気付いた。

 瞳を閉じながら──ラグナは笑っている。

 ラグナ自身、自分の口が笑っているという事を自覚していなかった。

 そして刹那の黙想から瞼を開ける。同時に笑いが消える。彼女を見つめるラグナの視線に変化はない。しかし、それを正面からぶつけられた彼女は、こちらを見つめる目が変わったのは間違いないと確信した。


 無機質な鉄の刃のような瞳ではなく──炎のように熱く、氷のように冷たい圧がアリステラの体をこわばらせる。彼女でなければあの圧を受けた途端、怖気づく。動物は本能で逃げるだろうし、馬鹿はきっと気付かずに挑んで返り討ちにあう。

 そんな圧を一瞬放ち、そして引っ込めた瞬間、ラグナは僅かな構えと同時に動いた。

 動きは二度目と同じく、アリステラに的を絞らせないのと撹乱を目的にした大きく左右への移動を繰り返した走法だ。

 だが先程迄とは決定的に速さが違う。


(速ッ──い!)


 魔法を放つ暇さえアリステラは無く距離を詰められた。

 それでも瞬時に刀と羽衣で防御の構えを取ったのは見事と言えた。

 あの無礼な騎士とは違い直線ではなく、ジグザグと動くことによって僅かな猶予はあったとはいえ、それでも追いつくのは非常に難しいだろう速さに彼女は追い付いた。


(受けられない)


 この一撃を正面から受けきる事を不可能と瞬断する。

 まずラグナが左へと抱き込むようにして構えた剣の軌道を、腕の向きから読み取って己との間に水の塊を生み出す。同時に、刀を持ち上げて片方の手を峰へと添える。

 間合いに入ったと同時に薙ぎ払われる一撃──それを最初に受け止めたのは羽衣によって生み出された水の盾だ。

 所詮は液体であり、防御力などはない……しかし実態を持たないからこそ刀身を飲み込んだそれは、強い水しぶきを上げて剣を押し出す水鉄砲と化してその勢いを殺してみせる。

 だが、それで止まるなどとはアリステラも思っていない。振り抜かれ尚も迫る剣閃に対して、正面からではなく側面から触れるように刀をぶつける。

 それから刀身に這わせるように剣を自らの真上へと受け流してみせる。刃と刃が擦れ合い鉄と鉄が擦れ合い火花を放ち、剣の軌道は刀から伝わる力の流れにそらされ、彼女の真上を薙ぎ払って振り抜かれる。


 受け流した──だが次の瞬間、回し蹴りを受けてアリステラの体は横へと飛ばされる。

 脇腹に生じた激痛に彼女は苦悶の表情を浮かべながらもしっかりと受け身をとって刀を構えなおし痛みに耐えて顔を上げる。


「!」


 彼女がそうした時にはラグナは既に彼女の眼前に移動して剣を振り下ろそうとしていた。防御は間に合わないと判断しアリステラは再び羽衣による移動でその斬撃を後方に下がる事で回避してみせる。

 剣は容赦なく、先程迄彼女が立っていた場所に振り下ろされた。空振りの一撃にアリステラは姿勢整えようとする。

 だが、ラグナは剣を振り下ろした状態でさらに踏み込んでアリステラとの距離を詰める。

 そして再び間合いに入った瞬間、今度は剣を逆手に持って振り上げた。


(羽衣だけでは引き離せない!)


 そう判断したアリステラは迷わずそのまま後ろへと跳躍した。そして翻ったスカートの一部が、剣の切っ先に触れて傷をつける。一撃目は防ぎつつも二撃目を受け、三撃目を紙一重で躱し、四撃目を掠める。

 怒涛の四連撃を見事に躱してみせたアリステラ──痛みを堪えつつも、何よりも彼女の頭はわずかに混乱していた。

 先程迄の戦いとは明らかに動き方が違うからだ。


 否、分かっていた。

 アリステラはラグナの事を知っているし、覚えている。彼が強い事などずっと前から知っている。

 だが、彼の戦い方は騎士の戦いでも、戦士の戦いでもない。異質な戦いだ。彼女にとっては未知の領域意ある戦い方に彼女の思考と身体は追いつけていないのだ。


(まさか、本気をだしているの──)


 先程迄の慎重かつ大胆な戦い方とは異なる──まるで能のある獣のような戦い方は、自然とアリステラの脳裏にそんな考えを芽生えさせた。

 それに対してラグナは、変わらず静かな面持ちのまま剣を構える。


 率直に言う。

 ラグナはまだ本気を出してはいない。ただ小手調べを止めただけ──彼の本気とは即ち、自分よりも強い者との相対、文字通り命懸けの死闘の時だ。

 前者を答えるのならば──迷わず、セタンタと答えるだろう。

 後者を答えるならば──魔境での魔物との弱肉強食と、エルディアとの一騎打ちだ。

 

 ラグナは、合わせていただけに過ぎない。自分としのぎを削れる相手の居ないと酷く退屈な停滞の中で周囲の者に合わせることくらいで、周囲の強さが磨かれるのを見る事くらいが楽しみと捉える事にしていたからだ。

 だから、アリステラという意外な相手を評価し、敬意し、彼女に対して本来の自分の戦いをみせる事を決めたのだ。

 

 アリステラは、天才だ──その一点においてラグナと比較すれば、彼女は技能においてラグナよりも洗練されている。

 だがラグナの生死と無数の敗北からの再起を繰り返した実戦経験により培った感覚と肉体は、彼女を凌駕している。



(──ならッ!)


 今度はアリステラが仕掛ける。展開していた羽衣から水の刃が挟み撃ちになるように放つ。と、同時に自身も地面を滑走してラグナへと迫る。


「──」


 対するラグナはすぅ──と、大きく息を吸い込みながら僅かに見開いた目で水の刃の軌道とアリステラの動きを掌握して地面を蹴った。

 幾発も放たれる三日月状の透明な水の刃を見えているかのように全て躱し、或いは手甲か剣で防ぐ。飛散する水の刃だった飛沫が一面を濡らす。その中心で両者が剣を振るおうとする。

 

 だが、その直前にアリステラの視界からラグナが消える。

 今振るおうとしていた腕の力を押さえつけ、何処に消えたのかと視線を左右へと移す。ラグナの姿は右にも左にも無い。


「お嬢様ッッ!」


 観客席からアリステラの従者ミーアが思わず、主の名を叫ぶ。

 ハッと、アリステラは自身の真下へと視線を落とした。そこで剣先を此方に向けているラグナと目が合った。

 彼は右に跳ばず、左に跳ばず、上に飛ばず、真下へと潜っていたのだ。足の関節をこれでもかと広げている。曲芸師のような驚くべき柔軟な身体に驚くアリステラ──その彼女の驚愕を無視して、アリステラの胸へと剣を突き出した。

 それでも咄嗟に自身と剣の間に、得物を割り込ませていなしてみせるのは彼女の才能と努力の賜物だ。軌道をずらされた一撃は彼女の脇腹を掠め通過していく。


 しかし、ラグナは止まらない。

 何を思ったのか刺突を失敗すると自ら剣を手放したのだ。そのまま上で引き戻し勢いよく身体を捩り逆立ちになると、そのまま独楽のように回転して蹴りを繰り出す。

 アリステラの身体は思わず後ずさる。距離を置いて攻撃の糸口を掴もうとする彼女は羽衣から水刃を撃って牽制する。

 回るラグナの身体が再び跳ぶ──あの状態から、殆ど右手の力だけで身体を持ち上げ、身体のバランスを崩さない。だがラグナには造作も無いことだ。そして立ち上がる時にはしっかりと地面に落ちていた剣も拾い上げている。

 ラグナが剣を振るい、或いは殴打や蹴撃を放つ。

 アリステラはそれをいなすか、避ける。

 不規則な動きは、まさしく獣のように野生的で激しく──アリステラは反撃に転ずる事はできない。


 先程までの攻防、アリステラが優位と傍から見ていた者達にはその光景は嘘のように見えているのかもしれない。

 アリステラはその連撃を紙一重で捌くが、果敢に前に進んでいた身体はただジリジリと圧されて行く。前ではなく、後ろへと一歩一歩と下がる足と共に彼女の心は焦って行く。

 

(駄目、何とか反撃しないと、押し切られるッッ──!)


 剣術の斬撃と体術の打撃が絶え間なくに繰り出される。それらの一撃一撃が鋭く、そして重たい。防戦一方となっているこの状況を打破しなくてはいけないと分かっているが、思うように動けない。


「────ッッ!」


 叫ぶようにアリステラは自らに喝を入れて羽衣を展開する。彼女を守るように囲うそれは、さながらそれは水の竜巻だった。激流のような水の流れラグナの猛攻を押し流す。

 


「!」

「────!!!」


 弾かれたラグナの身体が後ろへと仰け反る。彼女は渦の中心からそれを見逃さなかった。水の渦が形を変えて生き物のようにラグナへと放たれる。

 目を見開き、それをその激流に飲み込まれるラグナ──そのままラグナを圧し戻すように水の流れは一直線に壁に激突する。


「ハァ……、……」


 息を切らせながらアリステラはそれでも構えを説かずに正面を見据える。彼女の前には、剣を地面に突き刺して水の流れに抗いきったラグナが立っているからだ。


「……」

「……、……、……」


 あの一撃を受けて尚、ラグナの表情は未だに変化は無い。アリステラも息を僅かに切らせながらも刀の構えを解かない。

 そして、再びラグナは動く。折角引き剥がした距離をあっという間に詰められ、剣の間合いに入り込んでしまう。

 アリステラは咄嗟に剣の軌道に刀を割り込ませる。刃と刃が激突し、ガチガチと音を立てて鍔迫り合いが始まる。

 ラグナの片手に対してアリステラは両手で応戦するが、それにも拘らずラグナのほうがアリステラの身体を押して行く。

 

 押し負けると確信し、羽衣の牽制を放つ。

 しかし、ラグナは透明な攻撃を全て、身体を僅かに捩る事で回避してしまう。


(もう、私の攻撃が読まれている……)


 アリステラは戦慄した。

 その心の乱れとともにその身体は力押しに負けて尻餅を着いてしまう。


「くッ──!」


 直ぐに刀を拾い立ち上がろうとする。

そして顔を上げたアリステラの首筋にラグナの剣が突きつけられる。


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