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73話:決闘裁判【美刃】

 始めは無く、お互いが臨戦態勢に入ったところで、決闘裁判が開始される。交流試合の時とも違い、無効となった決闘裁判初戦とも違う静かな始まりである。

 最初に動いたのは、ラグナの方だ。無防備な構えから足腰を低くして地面を蹴る。まるで彼の足元で爆発が起きたような飛び出しと共に剣を振り上げた。

 対するアリステラは動かない。刀をしっかりと握りつつも、その剣先はラグナではなく下を向いている。

 純粋な速さと力をもって、ラグナはアリステラをいう障害を取り除こうとしている。前回と唯一違うのは、ラグナの感情は冷めた鉄の様に冷静で身体強化フィジカルブーストを使ってないこと位だった。

 一瞬にして距離が縮まり、剣の間合いに入った。

 

 瞬間、ラグナの体は突如として、そして何故か後ろへと跳ぶ。同時に今度はアリステラが前へと駆けだした。

 周囲を置き去りにしたまま、二人の攻める立場と迎え撃つ立場が逆転する。


 後ろに跳び下がりながら目を大きく見開いているラグナ……その彼の頬からは何故か赤い液体が舞った。

 そして、彼の頬に縦一筋に走っている切り傷── 彼は、斬られていた。

 何時? どうやって? そんな事を考えさせる余裕を彼女は与えない。後ろに跳ぶのと、前へと駆ける速さでは、後者の方が速いだろう。

 それでもラグナの後退に追いついたアリステラは、得物の間合いに入った瞬間、躊躇することなく 下段に構えていた刃を上へと翻した。

 ラグナは左腕を割り込ませてその斬撃を防ぐ。鮮血ではなく小さな火花が飛び散る。


 そのまま地に足が着くとさらに二歩、三歩と後ろに跳躍して距離を取る。

 ラグナは手甲に付いた一筋の太刀傷を見て、次にアリステラの刀へと視線を向ける。陽の光を浴びて煌く刀身には刃毀れは見受けられなかった。


(聞くよりも、見るに限るな……)


 刀の鋼鉄に切れ味を残す切れ味と、それに刃こぼれ一つしない頑丈さに対して無言で称賛する。そのまま頬に負った傷を拭う。薄皮一枚から流れた微々たる量の出血は既に止まっている。

 どよめきとざわめきの中でラグナは至って冷静だった。彼女の周囲を取巻く透明な守りを目聡く発見しながらラグナは尋ねる。


「水の魔法か」

「はい」


 アリステラは肯定する。先手を制したという余韻は一切無く、凛とした姿勢を崩さない。

 ラグナに傷を負わせたのは彼女が魔法によって生成した水──そしてそれを操り、形成した水の刃がラグナを迎え撃った。不可視の一撃を直前で察知したラグナは前へと進めていた身体を強靭な脚力で踏みとどまらせ、後ろに飛ぶことで回避したのだ。

 ラグナでなければ──否、達人の領域にいるものでなければ何が起こった理解も出来ない一撃だっただろう。


(だが、驚くのはそこじゃないな……)


 彼女の周囲を守るように漂う水の塊──少なくとも、ラグナとの相対が行われるまでには存在しなかった。とすれば、彼女が魔法を発動したのはお互いに抜刀した瞬間からだ。

 その短時間で、詠唱無しで彼女は魔法を発動してみせたのだ。魔法に心得のある者ならそれだけで驚嘆する芸当だ。事実、マリーを始めとする魔法を得意分野とする平民の生徒はそれに気付いて驚いている。

 しかし、ラグナは平静を崩さない。


(……だが、それだけだ)


 驚く面々は出来ない側の反応であり、同じことが出来るラグナからすれば、それをただの小細工と切り捨てる。それ以前に、ラグナはあの一撃で終わるなどとは考えていなかった。

 彼は未知の相手に対して驚くほどに冷静に動き、そしてその初手は大胆に動く。

 相手はどんな動きをするのか?

 相手がどんな戦い方をするのか?

 得物の切れ味や威力はどれくらいか?

 それ以外にどんな手段を使うのか? 

 それは防げるのか、防げないのか?

 それは躱せるのか、躱せないのか?

 分からないからこそ、読むよりも真っ先にぶつかって確かめる。それから相手の動きを読むようにする。かつてのエルディアとの戦いでもそうだった。


 アリステラと対峙したときラグナは瞬時に、彼女は先に動かないという事だけは察知していた。動かないのならば、自分から挑んで動かすという単純明快な行動をとる事で彼女の出方を伺ったのだ。それでもしっかりと自分の動きを加減していた。あれで終わる程度ならば、その程度の事だったと切り捨てるつもりだった──。

 手甲の防御もそうだ。避けられる一撃に敢えて受けたのは肌で刀の切れ味を見るためだった。厚さだけならば騎士の鎧に匹敵する防具で受けきれるのか? それを確かめておきたかったからだ。結果、彼女の得物は相応の切れ味と頑丈さを持ち、そして彼女は見かけによらず腕力を持っていることを知った。


(予想とは些か外れたが……対応はできるな) 


 彼女の事を心の中で称賛しつつも、彼の心は冷めたままだった。魔法と剣術を合わせた戦いならば自分の方がさらに上手だと自負している。それに対する戦い方もだ。

 大きく息を吸い込み、次の瞬間に再びラグナが地面を蹴る。


「……ッ!」

 

 直線から右に跳び、今度は左に跳ぶ。獣のような動きはアリステラに的を絞らせない。アリステラは先程と同様に先に水の刃でラグナを迎え撃つ。

 しかし、既に見て知っているラグナにはその攻撃の効き目は薄い。見えないからといってその攻撃は、避けられない訳でも防げない訳でもないからだ。加えて言えばラグナの動きは人間とはかけ離れた動き方をしている。

 彼女の水刃はラグナの服の裾を切り裂いたが、そんなことで彼は止まらない。初撃を躱したラグナは今度こそ剣を構える。

 だが、ラグナは再び驚かされる。アリステラが再び前に出たのだ。迎え撃つのではなく、攻撃に転じたのだ。

 攻撃をかわされたのならば、防御或いは回避をすると思っていたラグナには予想外の選択だった。

 そんなラグナの予測を打ち破るように刀の切っ先をラグナに向けて刺突の構えを取るアリステラ。

 防御ではなく攻撃へと転じた彼女の意図は読めない。


(何を考えている? いや、考えるのは後回しだ──今はッ!)


 正面から叩き伏せるべく──ラグナは刀身目掛けて剣を薙いだ。

 冷水のように落ち着いた少女の顔と、鉄面の裏に烈火の様な闘志を宿した少年が向かい合い、刃と刃がぶつかり合おうとする。

 直前、ラグナの背中に寒気が走った。直感に彼の身体は反射的に攻撃とは別に回避の選択を取る。そしてラグナが刀を狙って剣を薙ぎ払おうとする瞬間、真上から水の塊が右上に叩き付けられた。


「ッ──!?」


 打ち下ろされるように落ちて来た液体の塊には確かな質量が出来ていた。上からの突如の負荷にラグナの右腕がわずかに下がる。

 刀を狙い放とうとした剣の軌道は逸れて、空を一閃が薙いだ。その直後、ラグナの額を刀の切っ先が掠める。

 真っすぐに踏み込むアリステラと、体を捩じらせるラグナは交差する──。交差の最中に回転の勢いを利用して振り返り際に一撃を放つが、その剣は加速したように前進したアリステラの背中を捉えることは無かった。

 紙一重で交わしたとはいえ金属が擦れてほんのりと滲んだ額をそのままに、ラグナはアリステラの背中を睨みつける。


「お前……魔法と剣を、同時に扱えるのか」


 疑問ではなく確信をぶつけるラグナ。

 振り返るアリステラはその問いには答えなかった。しかし、彼女の強い輝きを宿す少女の瞳と彼女の水の守りが、問いへの答えだった。

 アリステラを取り巻く水の魔法──【羽衣ヴェール】と彼女が名付けた魔法は、彼女の攻撃を司るもう一振りの剣であり、同時に己を攻撃から守る盾だったのだ。


(違うな。俺とは──)

 

 無言で視線を交差させる両者。

剣と魔法を組み合わせて戦うラグナ。

 剣と魔法を同時に操って戦うアリステラ。

 似ている。そして決定的異なる戦い方だ。

ラグナは己が見ていた彼女の力は、まだ浅瀬程度でしかなかったことを痛感し、出方を伺う。

 突如、ラグナが体を後ろへと逸らす。同時に側面から水刃が通過する。誰が放った? 否、考える必要もない事だ。


(射程も広いのか!?)


 視認困難の斬撃を回避できるのは、彼に蓄積された実戦経験からだ。しかし、体を起こしたラグナが次に見たのは既にほとんどの距離を詰めて迫ってきたアリステラの姿だ。

 速い──と、内心では何度目かの驚嘆をしつつも、あくまでも表情を崩すことなく相対する。


 右から構え左へ振るわれる一閃──剣と比較すれば薄く脆そうな刃が放つ斬撃から空を揺らがせる程の斬撃が繰り出される。

 回避ではなく防御として手甲でそれを受け止める。

 空かさず剣を逆手に持ち変えると彼女へと振り下ろす。

 間近で見たアリステラの表情は冷静だ。受け止められた刀にさらに力を加える事で反発力を付けると水飛沫を上げながら、まるで湖面を舞うように身を翻してラグナを横切る。

 ただ自身の身軽さを使っただけでは成しえることの出来ない動きだ。

 アリステラの動きはやはり彼女が展開している水の魔法の一つだ。

 自身の足元と地面の間に水の膜を形成し、そのまま水流を与える事で移動する。観客側から見たその動きは、まるで湖面を滑る水鳥の様に軽やかなものだった。


(そんな芸当を身に着けているのか?!)


 羽衣は攻撃と防御の備えだけではない。あらゆるものに対応できるようにと彼女が知恵と研鑽で編みだした独自の魔法だ。

 そして、彼女のやったことは──自らの足元と地面の間に水の膜を生み出しそれに流れを与える事で移動するという手法だ。この動きは先程のラグナへの急接近でも使用している。

 ラグナは瞬時に自らの背後を取られた事を悟った。


(振り返り迎撃、防御──間に合わない)


 背後へと移動したアリステラは体の動きを利用して左下段に構えた刀を翻し逆袈裟斬りを放つ。背後の一撃は避けることも防ぐことも出来ない。決まると誰も思っただろう。

 だが、それでもラグナは反応し対応してみせる。そのまま剣を振り下ろして地面に突き刺すと剣を掴んだまま地面を蹴った。

 巨体が宙を舞った。剣を軸にしてラグナの体は天地を逆転させる。見た事がある者もいる、彼が入学試験にて披露した動きだ。


「!」


 これまで落ち着きつつ真剣な表情で攻勢を敷いてきたアリステラが初めて驚いた

 奇天烈な避け方に驚くアリステラと観客達──そしてその斬撃は彼の衣服を掠めるだけで致命を与えるには至らない。

 剣を振り抜いた彼女の脇から水の槍が放たれた。逆さまの状態のラグナはそれを手甲で受け止める。

 両者の視線が再び交差する。

 驚きはあれどやはり未だに表情に変化が無いラグナと、強い視線でラグナを見据えつつも確かな実感と、自信を感じているアリステラ。

 長く、そして短い視線の交差──そして時間は加速する。


 ラグナの両足が再び地面を着く。

 アリステラが振り抜いた刀を返す刃で再び降ろした。

 剣を突き刺したまま再び左手の手甲でそれを受け止める。

 防御により固定されたラグナを挟み撃ちにするように足元から水刃を放つ。

 それが放たれる前に察知したラグナは、腕力を開放して一気に彼女を押し出す。

 同時に、鍔を蹴り上げて地面から剣を引き抜き、今度は剣で受け止める。

 体重と純粋に腕力で負けているアリステラの体は強く押し出される。

 それでも、羽衣で身を展開し守りを固めながら刀を構えなおす。

 ラグナは構えず静かに深呼吸をしながら彼女を睨み付ける。


 会場の空気は最初の嫌悪からの沈黙から、圧巻からによる沈黙へと変わっていた。

 追いつくにはあまりにも早い攻防を繰り広げた両者は、周囲の人間などまるで目に入っていないかのように互いだけを見つめている。


(……おかしいな)


 ラグナは、不思議と芽生えている高揚を他所に、深呼吸をしながら思考を巡らせ、省みて、考える。そして、その中で一番に感じたのは疑問だった。

 ラグナは──彼女の事を侮ってはいないし、油断もしていなかった。それでも何故、自分はあそこまで追い込まれたのか?

 アリステラの太刀筋は──正直に言って、見事というものだ。洗練された武術とそれを扱うだけの腕力をしっかりと持ったものだ。

 そして魔法に対してもだ。恐らくだが彼女の魔法は自らの周囲に水の塊を生み出してそれを操る事で攻撃・防御を繰り出している。原理で言うならばラグナが扱う身体強化と酷似したものだ。

 今思えば、彼女もまた全力を出すために互いの魔法の使用を認可させたのだろうと振り返る。


(すげぇな……俺には考え付かなかったものだ)


 だが──素直な賞賛の意を抱きつつも、ラグナの中には疑問が生まれていた。実際に剣を交えたからこそ彼女の腕力は、刀という得物を奮うのに最低限くらいしかないのだ。力は未だに追いついていないのだ。


(力と体が釣り合っていない。何なんだこの違和感は?)


 そして何故──そんな歪が己を此処まで追い込んでみせたのか? それがラグナには分からずにいた。

 己は決して自分の定める【強者】の部類には居ないことを彼は自覚している。それでも自分はこの場の大半である【弱者】の側ではない事も自負している。決して傲慢ではなく、自らの経験と思考から弾き出した自信だ。

 ならば何故、この僅かな時間で自分は逆撃を受けているのか? 

 武器も違う。戦い方も違う。それは分かる……だが、自分に対してここまで喰らい付いてくる彼女の力の正体が分からない。


(お前は一体、何者なんだ?)


 分からないのも無理は無い。

 アリステラは、彼女にはあるものがあった。そして、ラグナにはそれは無かった。

 何かを成し遂げようとする意志か? 違う。

 決定的な挫折や苦難か? 違う。

 血の滲む努力か? 違う。


 それは、産まれたときに何処からとも無く与えられるものだ。

 もしも、彼女が男として生まれていたのならば──。

 或いは、貴族ではなく平民で生まれていたのならば──。

 黒い髪を持って生まれていなければ──。

 あらゆる不遇と不幸が重なってそれは、彼女の奥底にてずっと眠っていた。


 そのまどろみを覚ましたのは、他ならぬラグナである事を彼は知らない。

 あの経験があったからこそ、強くなろうという決心をしたからこそ彼女の内側にあったそれは応えた。


 敢えてラグナと比較しよう。

 彼は、人の社会で言うならば【秀才】だ。

 自分の目指す遥か高みの存在へと近づかんと未完の身体を鍛え、知恵を叩き込んできた。


 だが、彼女は違う。彼女が産まれたときに秘められていたものは、天から送られた恩恵とも呼ばれる能力によって既に完成しているものだった。

 ラグナは六年を使って己を鍛え続けた。挫折と再起を繰り返して極めようとしている。

 しかし、アリステラはそれを秘めるがゆえに、たった一年で極意の領域まで達してしまった。


 【それ】は……人呼んで【天賦の才能】。

 アリステラ・フォン・テュルグ・グラニムという少女は、図らずも天才として産まれた少女だったのだ。


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