71話:少年の選択と少女の決心
決闘裁判から既に二日が経過していた。
意外な結末と仕切り直しという結論に至った出来事は、未だにその話題が貴族達の間で小さな会話となって飛び交う中、パーシヴァルは婚約者であるセルヴェリアとささやかな茶会を催していた。
知者か馬鹿かで決めるのならば、ラグナは前者だ……自分の行動の結果、周囲がどんな目で見てくるかなどを予想していないわけでは無いし、それを覚悟していないわけでは無いだろう。
そもそも運命の悪戯と呼べる程の幾ら瓜二つの容姿とはいっても、何の準備も無く入れ替わるのはリスクが伴う。しばらくはラモラックにフォローを押し付けることを申し訳なく思いながら入れ替わりの機会と、各貴族の動向を伺っていた。
「パーシヴァル様? 気になる事は分かりますが、目の前の恋人にももう少し目を向けてもよろしくはないですか?」
そんなパーシヴァルと向かい合い苦言を放つのはセルヴェリアである。経緯はとにかく、久方ぶりにこうして愛する人との逢瀬が出来るというのに、肝心の相手が友人の事ばかり気に掛けている事への苦言だった。
素直に謝罪の言葉を口にしてからパーシヴァルは苦笑する。小さな笑みを浮かべて此方を窘めてきた少女の先ほどの言葉が、ささやかな悪戯心である事を分かっているからだ。
「我が恋人は目聡いな」
「腹の底の読めないお方の伴侶となるのならば、この程度の事を読めねばやっていけません……ですが、アリステラ嬢のことが気掛かりなのは同意します。彼女があそこまで大胆とは友人の私も思いませんでしたから」
「別に彼女の事だけではないのだが同意だよ。人は見かけによらないものだね」
パーシヴァル達が思い出すのは、二日前の出来事を振り返りながら言葉を返す。グリストン卿を相手に堂々とした物言いで打ち負かしてみせた彼女の姿は凛々しいという言葉に尽きただろう。彼女の意外な行動のおかげで、パーシヴァルが将来危惧していた最悪のケースは回避できただろう。
(風潮によって、産まれもっての謂れの無い立場にいただろうに……一体何があって、あれほどに化けたのか)
貴族社会において黒い髪は不吉を招くものとして忌み嫌われている。きっと、アリステラという少女も幼少期は謂れの無い扱いを受けていただろうことは理解できた。
だが、そんな少女がその環境の中で、何も起きずにあそこまで成長をするとは思えなかった。そのきっかけを与えた人物には、純粋な興味が湧いていた。
(それに比較して……王国の貴族の不甲斐なさは、どうしようもないな)
あの会場でのアリステラの毅然とした姿とは対照して頭に浮かぶのは、グリストン卿──かの公爵家を中心にした貴族一派の連中の無様な姿だ。
外敵も居ない。内敵も居ないという情勢では怠惰を貪る事が彼らの日々溶かしていたのかもしれない。それがとんだ見当違いだとも気付かず、朽ちて行く柱の上で仮初の平穏で惰眠を貪るのだ。
(馬鹿から子供が生まれて馬鹿に育って、それを繰り返していくうちに本当に大馬鹿へと進化してしまったのか……情けない話だ)
ラグナには力で、アリステラからは言葉と言葉で負かされたグリストンの公爵家とその派閥は沈黙している。バカ息子のほうも腕を骨折している事を理由に休学と称して屋敷に逃げこもっている。
少なくとも今回の一件で名門グリストンの家名は、完全に地に落ちただろう。そしてそうなって黙っている連中ではないというのも二人は予測が出来る。
「アリステラ嬢は覚悟をしているだろうけど……」
ラグナも今回の流れは流石に予想外だったはずだ。正直、パーシヴァル達もこれからどうなるかは分からない。ただ少なくとも、今回の中心に居たラグナの元にアリステラという少女が立ったのは間違いなく、この案件は今後その二人を中心になる事だけはわかった。
「そして、その件の令嬢は? この茶会には誘ったのだろう?」
「ええ。ですが、行く場所があるというので断られました」
「……まあ、そうか」
パーシヴァルもそれ以上のことを追求するのは野暮として話題を切り上げる。きっと、彼女は最も言葉を交わしたい相手と会えるだろう場所へと向かっているのだろう。
「……これから、どうなるのでしょうか」
「さてね。だけど、僕はあの二人の選択を支持する事にするよ……少なくともこれ以上、馬鹿な連中にかき回されるのは御免だからね」
友人と、ついでに彼女の意中の人物を憂うセルヴェリアの言葉に、パーシヴァルは静かな決断の言葉を返す。その言葉に彼女もまた小さく頷くことで同意するのだった。
公正な状態での決闘裁判──。
それまでの猶予付きではあるが、一応の自由を取り戻したラグナは普段の日常へと戻っていた。幾分かマシな食事と休息で身体を休めたラグナは、数日ぶりに学院の中庭にてうたた寝をしていた。
他者が見ればふてぶてしいと感じ光景だが、それを口にして咎められる存在は、恐らくこの学院には存在しない。少なくとも、平民側の者達はラグナに対して【敵にもならず、見方にもならない】という中立の立場である事で、自身の身を守っているのだった。
自身に向けられる様々な感情を無視して眠りについていたラグナは、一人の来客に反応して瞼を開ける。振り返る事はしないが、向かい側に一人の少女が座ったのだけは気配で察知できた。
「今日は居てくれて良かった」
「……案外と身体は疲れててな。食べたり寝たりして回復していて来られなかった」
アリステラの言葉にラグナは応じる何時もの通り、お互いに木に寄りかかりながら会話をする。
「パーシヴァル様から聞いたわ。酷い場所に居たのね……」
「ああ。腹も減ったし、熟睡も出来ない……特にあそこを管理している連中の性根が腐っていたな」
「……ごめんなさい。もっと早くに出してあげたかった」
「謝る必要は無い。行動の結果だって割り切っている……つもりだ」
ラグナは本気でそのつもりで言っているが、アリステラは申し訳ないと思っている。
せめてもと、ラグナの腕前を確信して決闘裁判に持ち込ませたたり、ラグナの行動を擁護したが結局、ラグナを取巻く状況は変わっていない。
自分は未だに力がないということを痛感させられていた。
「だが、驚いたよ……まさか、あの状態から擁護の言葉が飛んで来るとは思ってなかったからな」
「あれは権力の暴走だった……それを通してしまえば国の崩壊に繋がる。貴方の為でもあって、この国のためでもあったことよ」
「それでも助かった。おかげで、最悪な選択はしなくて済んだ。ありがとな」
「……」
最悪な選択──という事について気になったアリステラだが、触れようとはしなかった。
ラグナが考えていた最悪の選択と言うのは、あの場での殺戮だった……薄々とだが、ラグナはあの場で自分の死を予期していた。だが、死ぬつもりの無かった彼は、最悪──あの場に居た自分に殺意を向けた者全員を殺して脱出するつもりで居た。殺されるつもりはもうと無かった彼からすれば覚悟もしていた選択だった。
あの時、ラグナの心は酷く冷えきっていた……力も無い、知恵も無い。そして何よりも生き方を醜悪だと感じた。
だから、アリステラが言葉を張り上げた時にラグナは素直に驚いた。
「パーシヴァル様から伝えてもらっていた筈です。私は、貴方の味方でいる、と」
「言葉にするのは簡単だ。行動で示してこそ真実になる。だが、それが一番難しいことだ……やっぱり、すげぇよ」
ラグナはアリステラという少女を好意的に評価していた。
牢屋の中にて何故、彼女が自分に対してそこまで友好的な行動を取るのか考えていた……結局、それは分からなかったが、一緒に考えていた自分が何故、彼女に対して安らぎを感じるのかは分かった。
単純な話──ラグナは、アリステラをスカハサに重ねている。瓜二つとは言い難いが、彼女が纏う強い女性像は、ラグナが最も近くで見てきた憧れに最も近く、それが不思議とラグナの中から警戒心を解いていたのだ。
だから、ラグナは出来ればこのまま時間を過ごすのも悪くないと思っていた。
「……だが、此処にアンタが来てくれてよかったよ。アンタにはきちんと俺の言葉から伝えておきたかったからな」
そして、そんな彼女だからこそラグナは牢屋の中で決めていた自分の決断を口にする。
「決闘裁判が終わったら、学院を去ろうと思っている」
「──何故?」
アリステラは驚きを押し殺した声でラグナに問う。そうだろうなと、ラグナは不思議と寂しさを覚えながら思った。
それに対してラグナは、理由を公に口に出せば全てが壊れる事が分かっていた。故に、この学院にて一番、安心をくれて、興味を持たせてくれたアリステラにだけ打ち明ける事に下のだ。
「これは俺の主観だが……この世界は歪だ。弱い存在が強者を気取り、夢も持たない愚者が崇高な賢者を気取る。そして、それを社会そのものが容認している」
公言はしないが、アリステラにはそれがグリストンを始めとした貴族のことだということを汲み取った。
「力ではなく、生まれ持って身分で優劣が分けられてしまう。或いは始まりの頃はそれで成り立っていたのかもしれないが……今、上に立っているものを見ればこのあり方は国を腐らせているとしか思えない」
国としてのあり方を根元から否定しているラグナの言葉──他の誰かが聞けば、不遜な言葉として敵意や悪意を買うに違いない発言を、アリステラは静かに聴いていた。
多くの言葉の中から選んで告げられる言葉は──それでも不敬と指摘される言葉だ。それでも、ラグナが辛辣な言葉を口にするのは、一重に落胆の意志が強かった。
「ただ、強いから何をしてもいいとは思っていない。だが……偉いと強いというのは、別だと思った」
ラグナは最初、貴族という存在が強い者達の集まりなのではと考えていた時期もあった。だが、その考えは二年間以上の人間社会を見ていく内に疑惑となり──今回の発端となった交流試合での平民の代表と貴族の代表の生徒の戦い方を見て確信へと変わった。
同時に、それは弱肉強食の自然と圧倒的強者との鍛錬の中で腕と頭を使って強くなっていく術を身に付けて来た彼には到底、理解も看過も出来ない醜い側面だった。
そして、それを当たり前とする姿にも落胆した。そんな存在達を護る強者である立場は、これまでラグナが刃を交えて来た者達の中でも【弱い】に分類される存在だった。
クリード島への帰還を決めたのは、まさしくあの瞬間だった。
「ラグナ……」
アリステラは、そんなラグナの寂しさを宿した声に、返す言葉が思い浮かばない。
彼女は、何処かで予感していた。貴族という立場にも臆する事無く、こうして自分と話をしている姿。試合という名の暴力に割り込み報復を行った姿。理不尽な試練への怒りと、それを撃ち破る姿。自分の心に正直に動く少年。それが、自分とこうして背中合わせで対話している少年なのだ。
そして、その生き方をするのには今ある社会は多くの形骸で縛られていることを、否定する事はできなかった。
「なら、これからどうするの?」
「……やる事を終わらせてから、家に帰る」
自然に口にした言葉に心臓が一度、大きく跳ね上がった。
彼がおぼえていなくても、彼女は覚えている。自分を助けてくれた少年が、謂れの無い差別と悪意に晒された事。そして目の前に居たにも拘らず、音も無く消えてしまった事。
アリステラは、この邂逅そのものを奇跡だと思っているし、実際に偶然が重なっただけの奇跡だ。それを、こんな形で終わらせたくは無かった。
「まあ、俺の生き方の方がこの世界にとっては、歪なのかもしれないがな……」
最後に自嘲したように言って、ラグナは立ち上がる。
「アリステラ、アンタに会えてよかったよ。不思議だよな、最初は家族でも無い人に此処まで口が軽くなるのかと、自分でも疑問に思ってたんだ。その理由も自分なりに分かってよかった……さよならだ」
別れの言葉を告げる。元々、ラグナとアリステラでは生きた世界が違うのだから、何ら不思議な言葉ではないと、彼はそう思って口にした言葉だ。
だが、彼女はその言葉を聞き入れるつもりも、彼の選択を支持しようとも思わなかった。
「私は、貴方のあり方を綺麗だと思っているわ」
「──」
去ろうとするラグナ対して、呼び止めるようにアリステラは言葉を放つ。
驚き、足が止まってラグナは振り返り耳を傾ける
「誰かがやらないから自分がやる。心に従う生き方は……色んなものが纏わりつく中で出来なくなっていく。それでも、貴方は自分の意思を何よりも優先している。少なくとも、あの場に居る多くの人には、貴方の存在は眩しかった筈よ」
「……」
「貴方の言うとおり、確かに今この社会で上の地位に立つ者には、貴方の生き方は歪で疎ましいかもしれない。けれど──多くの人の心には響いている。貴方には、此処でまだ出来る事も学べることもある筈」
「…………だが、人は簡単には変われない。それに、俺はそんなつもりで動いたつもりは無い。なによりも、俺はもう疲れた。これ以上など、もう不要だ……それでも学ぶものがあるというのか」
「──なら、それを示す機会を、私に与えて」
「機会? 一体、何を考えいるんだ?」
聞き返されたラグナの問いに、アリステラは覚悟を秘めた声音で宣言した。
「決闘裁判の相手は、私が勤めさせていただきます」
「…………何ッ!?」
彼女が放ったその宣言の意味が分からず、しばらく考えて言葉の意味がそのままなのだと理解したラグナは、思わず変な声を出した。
「何故そうなる?! お前が、俺と決闘する……何故!?」
「グリストン公爵家は、アレから沈黙を貫いています。貴方を追い落とす策を考えているのでしょう……ですが、その前に決闘裁判を終えて貴方が勝てば、それでこの一件は終わる」
「その理屈が…………百歩譲って通じるとしてだ。何故、お前が相手をする?」
「今回の決闘裁判の方法を提示したのは私です。つまり、私も当事者といえるでしょう?」
「そう、だが……何で、お前は……その……あの…………グリストンとか言う男のように代理人でも良いだろうに……」
「それは公平ではありません。行動と言葉には責任を持つのが本来の貴族ですそれに。言ったでしょう? 機会を私に与えて欲しいと──」
「……だからってな」
「それとも、女の身で剣を持ち挑むことに不服ですか?」
「ッそう言う訳じゃない……俺は──」
咄嗟に出て来た女という理由の言葉を、ラグナは呑み込んで答える。だが、そんな曖昧な言葉では火のついた彼女を止めることは出来ない。
ラグナには彼女の考えている事は分からない。だが、自分を見つめて来る彼女の青い瞳には、これまでにない決意が宿っている。
それが、ラグナが先ほどまで決めていた決断に迷いと躊躇を与える。
「……お前は、何を考えている?」
「──強いて言うのならば、このまま貴方と話が出来なくなるのが嫌だということ」
「それだけか?」
「これ以上は言いたくありません」
言いたい事は山ほどあり、だがそれらを微笑みに隠してしまうアリステラ。暫くの沈黙の後、ラグナは一度瞼を閉じて、鋭い視線をアリステラへと向ける。
「……良いんだな?」
「ええ。それが、私の……今自分の示せる、貴方への精一杯ですから」
「…………」
冷たく輝く赤い瞳と、熱く煌く青い瞳が交差する。
かくして、束の間の自由を与えられたラグナは、再び己の自由と意思を示す為に決闘裁判へと赴く事になる。この決断に対しては、当然、グリストン家は抗議の言葉を放ったが……結局、代理の騎士の選出すらもままならない状態では言葉の力は弱く。グリンブル家とベルン家の子息がアリステラの提案を支持したことで、決闘裁判の内容が決まる事になる。
グラニム家の当主も代理騎士の選出を行おうとしたが、その行動は他ならぬアリステラの意志で固辞された。
思わぬ決着を控えながら眠りに就こうとするラグナ──彼はまだ、あの少女がかつて自分が助けた少女だとは、知る由も無かった。




