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69話:決闘裁判【裂鉄】

【ざんてつ】と読んでください。

当たり前ですが、造語です。

 決闘裁判当日──ラグナはようやく牢屋から出された。

 そのままこの一件の始まりの場所である学院の鍛錬場──元々は武闘を競う場所として扱われた名残から、貴族達からは闘技場と呼ばれている場所だ。

 檻の中の獣という優位を失った牢番達は、これまでの粗暴な態度が嘘のように怯えた様子で檻から出たラグナを見送った。元々、ラグナが牢番に敵意を向けたのは大事な物を、下らない理由で奪おうとしたことによる自業自得だったが、その事に彼らが気付くことは、彼らが死ぬまで理解することは無いだろう。そもそも道の端の石ころ程度の興味すら向けていないラグナに怯えるなど滑稽としかいえないのだが──

 

決闘裁判が始まるまでは控室にて待機を命じられた。廃れているとはいえ、これはあくまでも裁判という方針に則り、ラグナはあくまでも罪人側として時間を待つ。

 一人の空間で瞼を閉じて意識を集中させて感覚を研ぐ。


ゆっくりと瞼を開けて己の手を見ながらラグナは忌々しげに呟く。

苛酷な環境を生きてきたラグナの身体を屈強だ。だが、この数日、ラグナが居た環境とは苛酷ではなく劣悪と呼ぶものだ。それでも身体を鈍らせまいと鍛練は欠かさず行ってきたが、それでもあの悪意に満ちた食生活は確実にラグナの身体を蝕んでいた。

 これまでまともな食事を口にしていなかったラグナの身体は、一見で分かるような変化はないが、内側に関しては最悪といって良い。寧ろここまで誰の手も借りずに歩いて来る事が出来ただけでも驚く事なのだ。

 否、そもそもあの環境自体はラグナだからこそ無事なのだ。強い精神力をもっていたからこそ、あの環境に対しての不満で収まっていたが、常人ならば飢えと栄養が回らずに死んでいただろう。

 それでもラグナが無事だったのは、不足していた栄養を体内の魔素で代用していたからだ。常人ではそれは出来ない。

 だが、ラグナはただの人間ではなく女神の手によって育てられた人間であり神でもある存在だ。人間が魔素と呼ぶ神秘の源の塊である存在の能力を有しているラグナの身体は、呼吸による魔素の吸収だけでなく、体内での魔素の生成という人間が持ちえない力──それによる膨大な魔素を有していた。


(まあ、やれるだけやってみるか。少なくとも、魔物を相手するよりは楽だろうな)


 刻限となったラグナは剣を取る。その剣は今回の為に用意されたラグナが使い慣れた剣とは程遠い得物だった。防具の着用として見につけているのは皮の鎧と革手袋だけだ。

本来、皮鎧の上に羽織っているエルフ仕立ての深緑のコートも、左手を補う鉄の甲も、あの一件の時に回収する間もなく拘束されたので彼の手元には存在しない。

 アンナが最初に来たときに回収を頼んでおいたが、結局彼女は見つけられなかったと報告を受けて、最悪捨てられたのだと考えた。

 その時は珍しくラグナは酷く落ち込んでいたがその様子を知るものは誰も居ない。


 そして、外に出る前にラグナはもう一度だけ瞑目してから強い意志を宿した目で脚を踏み出す。一歩一歩と進み、あの時と同じ光景を目の当たりにしていた。

 歓声など無く、観客は少ない──否、見物人なのかあの時と同じく煌びやかな服装に身を飾る貴族がやや多い。


(こいつ等は暇なのか…………?)


 ぐるりと観客を見渡して、ラグナは居つくかの見知った顔に気付く。

 まず、貴族側の観客席に居るパーシヴァル、その隣に同年代のそっくりの女性二人を挟んでアリステラが居た。何処か真剣な顔付きで二人は此方を観ていた。

 そして平民側に目を向ければ、マリーとアンナ。そしてそこにもパーシヴァルが居た。少しだけ考えて、平民側に居る方はそのまま入れ替わっているパーシヴァルの影武者なのだと気付いた。


(本当にそっくりだな。これなら誰も気付かないだろうな)


 あの人の良さそうな温和な笑顔まで貼り付けているのだから違和感など無い。アンナがあの場所にいるという事は、きちんと教室に顔を出すようにしているのだなと解して、小さく安堵の息を吐いた。

 そして気を取り直して自身が戦う相手の登場を待つ。


「では、続いて! グリストン卿代理、騎士ハーケン!!」

「……代理?」


 宣言の後にラグナが出てきたのとは逆位置にある登場口から姿を見せたのは鋼鉄に覆われた重装備の騎士だった。


「………………」


 随分と物々しい装備で相手をしてくる者だなと思いながらラグナはその行動の一つ一つを観察する。


「ハーケン! 我が息子の敵だ、捻り潰せ!」


 その言葉にラグナは一瞬だけ目の前の敵から視線を外して観客席に目を向ける。周囲のものよりもややでっぷりとした男がまだ何かを喚いている。先ほどの言葉からあれがグリストン卿その人なのだろうと判断する。


(なんだ、あれは? いや……まあ、あんな成りでは剣も碌に触れなさそうだが──)


 遠目からでもラグナからはあの体を覆うのが筋肉ではなく脂肪だというのは分かった。妙な納得と共に、自分の手ではなく人を使って手を下そうとしてくる意気地の無さには、流石に呆れと侮蔑を抱いた。すぐにその男への興味を消して前の男へと目を向ける。


「……つまり、お前が俺の相手か」

「そのとおりだ。その若さでグリストン卿に牙を向けるとは、愚かな事だな」


 ハーケンと呼ばれた男は足の先から頭の先まで鋼鉄の鎧甲冑に覆われている。それでも鎧を着込みながら難なく歩いてみせるのにはそれなりの関心を抱いた。


「しかし、随分と大げな。それとも騎士ってのは全身そんな堅そうなもので覆うのか?」

「獅子とは兎を狩る時にも常に全力を尽くす気高き生き物。それに倣ったまでのことだ」

「獅子? 兎?」


決して馬鹿ではないラグナは、兎と例えられたのが自分であると言うのは直ぐに分かった。そして自分の事を兎と例えられた事に、正直驚いていた。

当然だ。何せ彼は生まれて初めて、自分の事をそんなか弱い生き物に例えられたのだから──。

 そして、自分の事を獅子など豪語する小物を見たのも初めてだった。


(何と言うか自意識過剰な奴だな。それにしても兎、か……少し懐かしいな)


しかし、そんな小物の言葉から何気なく想起したのは酷く懐かしい魔境での生活と、その中で出会った恐らく最も強い兎であろう魔物──角兎アルミラージという魔物だ。

小さな兎の外観とは裏腹に気性の激しい──先端の角は剛毛と筋肉に守られた魔猪の肉体すら容易く貫き、その角を支える分厚い頭蓋骨とそれを支える首の筋肉による膂力によって急所を抉る群生の肉食獣である。

あれと初めて対峙した時は不意打ちからの狩りによって糧としたが、セタンタからの試練として正面の小さな群れと対峙したこともあった。

 四方から或いは茂み突っ込んで来る角を避けながら小さな図体に刃を当てるのは、至難の業だった。

兎という生き物が持つ跳躍力と肉食獣のもつ殺気を纏った鋭い角の一撃は容赦なくラグナの手足や顔を掠め、死角からの攻撃から咄嗟に急所を守ろうと手足を盾にして突き刺さり、限界と見たセタンタの介入に九死に一生を得た。

今日を生きて糧にするために狩りも込めた自分。生きていく為にラグナという獲物を殺し、食らわんとする角兎達と凌ぎを削ったあの日々──。

 未知への挑戦。生へ強さへの渇望──少なくともあのときのラグナは、今の自分よりはずっと活き活きとしていた。


「だが、私とて鬼ではない。せめて苦しまずに送ってやる故に無駄な抵抗は止めておけ」

「──」


 そんな昔の事を思い出していたラグナに対して思いもよらない提案をして来るハーケン。今とは程遠い確かに自分を強くしてきた日々への想起から引き戻されたラグナは、途端に不機嫌になって冷めた視線を送る。

自分が勝つと信じて疑っていない言葉に対してラグナは言葉を発する事は無く、大きな溜め息を吐いた。何か言葉を返そうとは思ったが、目の前の鉄塊の言っている事が本当につまらないと感じている彼は、そんな下らない問答をする気すら失せていた。

 ラグナは静かに抜き身の剣を構える。


「そうか──ならば、その蛮勇を後悔するがいい」


 残念だ。そう言わんばかりにラグナ以上に深い溜め息を吐いてハーケンは構える。十三に対して持つのは同じく鉄の大盾と分厚い剣だ。

 両者が構えたのを機に審判役が開始の合図を構える。


「殺せ、ハーケン! グリストン家に仕える騎士としての力を、その若造に見せつけろ!」

「承知! どこの馬の骨かも知らぬ野人譲りの棒術など恐れるに足らず! 真なる騎士の剣を思い知るがいい」

「それでは──始め!」

「───ァア?」


 グリストンの喚き声は、彼の近くの者が聞こえていた。

 ハーケンがラグナに向けて言った言葉は、かろうじて彼の耳に届いていた。

 号令は確かにその場にいる全員に聞こえていた。

 ハーケンの言葉へのラグナの小さな反応。水に浸けられた鉄のように冷めきっていた感情から、地の底を流れるあらゆるものを焼き溶かす溶岩のような熱を灯したような言葉は、誰の耳にも届いていなかった。


 その場にいた大半の者が勝負はあっさりと終わるものと思っていた。地位も、力も、歳の差も、全てを上回っているだろう騎士側の勝利。貴族は当然と悦に浸り、平民はその光景を見せつけられて、やはり目上の者には逆らうべきではないという感情を植え付けられる。

 確かに、勝負は一瞬だった。

 

湧きあがった自分の感情に従い、小細工抜きの一直線からの刺突に剣を構え、ハーケンに向けたままラグナは地面を蹴った。使わないと思っていた身体強化を感情に従って使用し、極限まで高められた脚力で地面を蹴り腕力をもって、確実に殺す為に視界を保つための兜の隙間を狙い。

 長くは使えない感覚強化を使って視力を極限まで高めて照準保った。

 言葉は最早なかった。ハーケンは断末魔を挙げる余裕すらなかった。隙間を押し広げられ、それでもなお有り余る力に押し込められた鈍の剣は額を穿ち、頭蓋を砕いていた。

 ラグナも目の前の鉄塊を相手には、それなりの対処法は試すだろうが全力で相手をすることはないだろうと思っていた。それは単純に、目の前の敵がこれまでラグナが対峙してきた生き物の中でも、下から数えた方が早い部類に入る様な実力者だと見抜いていたからだ。

 ハーケンは主に対する忠誠の言葉と、自分が示すだろう力の差とこの後自分が浴びるだろう賛美への愉悦を込めた浅慮な言葉を放った。ただそれだけのつもりだった。


 ラグナは最初、この男の言った意味が分からなかった。

 優しい人間であり、愛という思いこそが最も力を発揮すると言ってしまう程、根元が純粋な人間だ。

 そして、愛というものは形こそ様々なものだ。

 決して長くは無かったがエルフ達とのあいだにあったのは友愛だ。

 理不尽に社会に捨てられた中で、それでも賢明に生きようとする者達を保護しウェールズ商会にて生きる道を与えたのは、彼らの命への敬愛と、弱者を守らんとする慈愛だ。

 そして、自分の家族であり目標であり、愛する三人へと向けるのは親愛であり信愛。そして深愛だった。


 ハーケンはの言葉は彼が愛する家族への侮辱であり、他人風情が自分の立場や行動の結果で自分ではなく、自分の遥か先の存在への悪口を言った。

 自分の行動には自分で責任を持つ。師達に比べて自分はその足元にも及ばない未熟者である。だから、自分の事を悪く言われるのは構わない。自分はまだ弱いという事実として受け入れられる。

 だが、あの三人だけは駄目だ。何も知らない連中があの三人を侮辱するのだけは許さない。それはまさしく逆鱗に触れる言葉であり、眼帯によって隠された左眼が竜眼ドラウプニルへと変わるほどの激情を駆り立てた。怒りという純粋な感情を押さえ込もうという自制を放棄し暴れ狂う己の心に従った。

繰り返すがラグナは愛情に溢れた人物であり、様々な愛の形を持った──人で言う善人としての心を持った優しい人間だ。

しかし、彼の中には全ての命を平等に──。善人も悪人も、屑と呼ぶ方がふさわしいだろう人間にも等しく向ける。全ての平等に愛するなどというそんな都合のいい【博愛】を持ち合わせては居なかった。


 エルディアの時とは違う。強者を求め戦いに酔う狂戦士だったが、彼は決してラグナと彼の隣人達を見下さなかった。だから、ラグナはあの時彼の命までは奪わなかった。

 だが、ハーケンは違う。ラグナを見下し、侮り、そして彼の家族を侮辱した。

衝動に任せた一撃は、そんな鉄の殻に籠った身の程知らずの命を容赦なく断ち切った。


「おせぇよ、雑魚──」


 礼には礼で応じる。そして無礼には無礼で応じる。

侮辱をぶつけた死人に対してラグナは怒りと侮蔑の言葉を吐き捨てながら蹴り飛ばすように剣を引き抜いた。

歓声すら沸かない。眼前で刹那に起きた瞬息の一撃に、誰も理解が追い付いていない。その中心で、極自然の動作で剣を薙ぎ払い、刃にこびり付いた血油を払い飛ばす。


なまくら風情が、俺の目標かぞくを侮辱するな」


ラグナはこの日、生まれて初めて人間どうぞくを殺した。しかし、そのことに彼の心には微塵の動揺も、ましてや罪悪も後悔も抱くことは無い。

ただ、怒りも何もなくなって空しさだけが残るのだった。騎士という戦う為に力を付けて来た筈の人間の、その呆気ない終わりへの落胆だけが残っていた。

欠片しか残っていない人間への可能性や期待は、またしても裏切られるのだった。


鉄を切るにしては、ラグナの行動はあまりにも感情的すぎる。

怒りという原始的な感情に身を任せて技も何もない己が培った力だけで切り裂いた。

なので、鉄を裂くという形にしました。無論造語です。

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