68話:急転の事態
ラグナの投獄から丁度、一週間が経った──。
本来ならばもう牢から出ても良いだろうラグナは、貴族の裏からの圧力で未だ牢屋の中に居た。
相変わらず雑に渡される堅いパンと脂身塗れのベーコンという食事に対して好い加減に食べ物を雑に扱うなと、食事環境くらいは改善しろと言うのに我慢するのを止めようと思い始めていたラグナの下を、再びパーシヴァルがやって来る。
此処に一度来た時とは違い賄賂は使わずに正式な手続きを踏んでだ。
「決闘裁判を行う事になった」
「……それは何だ?」
決闘裁判──。簡単に言えば決闘を行う事によって罪の有無を決めると言うのだ。勝てば罪に問われないが、負ければ死という非常に単純な決め方である。
「つまり、戦って牢屋から出ろ──と言う事か?」
「そうだ。腕の力で決めることから、公平を主とする裁判においては直ぐに廃れていった方法だが……今回の君の罪自体が殆ど不当なものだからね」
「……」
ラグナの投獄に関して当人は、貴族側の横暴と思いつつも、自身の行動の結果であるとしてある程度割り切っている。牢番のこちらを見下す態度は気に入らないがそれに対しては無礼で返しているので御相子である。
「だが、何故決闘裁判を?」
「とあるご令嬢が、どうにか君を外に出す手段を探してこの方法を見出したのさ。本来ならば被害者側が釈放される被疑者に向けて挑むものだ。投獄したのは学院の判断だけど、君の処遇を決めようとしていたのは影で脅しを掛けてたグリストン卿だ」
態々ご令嬢と呼ぶが、ラグナにはその人物がアリステラだとわかっている。
「分からないな。それが何故決闘裁判になった?」
「貴族の圧力には貴族が対抗すれば良い。君に御執心の令嬢や、君の事を友人と思っているお忍び公子はこの王都でも通じる権力を持っていてね」
「友人と思っているのか? 俺は、お前の事は少し胡散臭く感じていたが……一応、友人と思っていたぞ?」
「…………そう、か。ありがとう」
皮肉か冗談を混ぜたつもりのその言葉に対して、ラグナは事実を述べるように素直な言葉で返した。
そのあまりにも直球な言葉にパーシヴァルは、逆に顔を赤くする。わざとらしい咳払いをしてから気を取り直して話を続ける。
「──とは言え、僕らはまだ子供で、大人ほどの権限は持っていない。僕らだけでは強引にことを進められていただろうさ」
「……つまり、何かが加わったのか?」
「ああ。だから僕が此処に来たんだ」
肯定──それと同時にスッ、と眼を細めながらパーシヴァルは射抜くような視線をラグナへと向ける。聞くと言っているが聞かれるラグナは、今から尋問をされる気分だ。
「南のニルズ公国──これまで鎖国とも言って差し支えないくらいに王国とも関わりを最小限にしている国の、その長──つまりニルズ大公が直々に君の処遇に対する批判を王国と学院に送り付けて来た」
そう言って懐から取り出したのは一通の書状だ。純白の紙は樹木を特殊な方法で溶かしてから作られる貴重品だ。
だが、ラグナからすれば突然出された国に対して、惚けるでもなく本気で首を傾げる。
「内容を簡単に言えばこうだ。『私の古き友人の子を蔑ろにするとはどういった用件か? 己の行動を恥じるのならば即刻、釈放せよ』──。本来ならば無視するのだが、ご丁寧に当事者以外の貴族や、他の大公達にも同じ手紙が送って事態を公にしている。
「それで?」
「どうやって事態を知ったのかはこのどうでも良い。情報を集めるのを稼ぎとする者も居るだろうからね。僕が聞きたいのは一つ──ここに書いてある古き友人の子とは、一体誰の事だろうか?」
「…………」
ラグナは答えない。
パーシヴァルも気付いているだろうという判断に、分かり切っているだろうことを口に出すのが面倒だと思っているからだ。
「王都だけならばまだ分からなかったが、学院に対してなら一気に絞れる。そして、今回において最も──いや、現状唯一といっても良い位だ」
それともう一つと、言ってパーシヴァルは続ける・
「王国内ではニルズ公国の物品を扱っている場所は本当に極少数なんだ」
パーシヴァルはラグナに文面を見せながら牢へと近づく。
「偶然にも? この王都内で急速に台頭した商会がある。王都近郊に牧場を作るのと、貴重な二ルズ公国からの商品を取り寄せ取り扱ってもいる。名前は──赤竜商会。赤い竜だ」
突きつけるように一転を指差す。そこには家紋を表す印鑑が押されており、この手紙が正式にこの家の者──手紙がニルズ家からのものであると示す証拠が押されている。力を司る【竜】──その中でも伝説として謳われる憤怒と憎悪を司る怪物【黒竜】──ニルズ家の家紋が押されている。
「王都の貴族は馬鹿が多いけど、貴族全体が頭の悪い人間の集まりって訳じゃないんだ。寧ろ、このタイミングでそこまで行きつかない方がおかしいと思わないかい? ラグナ・ウェールズ」
ラグナは暫く沈黙した。じっと見つめられる中で本人は使うわけではなかった肩書きを当てられて、ラグナは小さく息を吐いた。
「……話す必要があれば話したさ。その必要を、今まで感じてなかっただけだ」
「だから黙っていたのか。初めて会った時に君とは仲良くやれるかなと思ったけど、その直感と言うのはまさか。僕と同じく身分を隠していることだったのかもね」
「後は、家の名を振りかざすという行為が嫌いだっただけだ。柄だけの剣を振り回しているようでな」
柄だけの剣──家の名で物事を思い通りにしようとするなど虚勢だというラグナの考えだ。それが分かるからこそ、パーシヴァルはほんの少し笑っている。可笑しな偶然だとはラグナも思っているので苦笑を返す。
「単刀直入に聞くよ。君は一体何者だ? 四公の──その中でも特に閉鎖的な南の長とかかわりを持っている人は居ない。ご丁寧にニルズ家が今回の事を触れ回ってしまって大慌てだよ」
「…………」
ラグナは正直に答えるかどうかを考えた。だが、パーシヴァルという人間を、パーシーという人物と合わせて評価し、この人物はやはり信頼できる人間と定める。
だが、全てを打ち明けるつもりはない。フェレグスの名はあくまでも使わないつもりだ。
「ニルズ公国か。それに関しては、現在の俺の保護者にあたる人が大きいだろうな。ウェールズ商会の事は彼を中心に全て任せている」
「……つまり、その人物が今回の一件を知って、君を助ける為にニルズ家の当主が繋がりを使ったのか」
「恐らくな」
だが、言葉には引っかかりが残り、パーシヴァルは考える。
ラグナの姿勢から彼が嘘を吐かずに真実を話してくれた事は読み取れる。だがそれ故に、ラグナへの謎は深まる。
「でも、君は一応商会の主ということだろ? よくもまあ、全部丸投げできるね」
「丸投げはしていない。ただ、俺が居なくても動くだけだ」
そう返された言葉にパーシヴァルは内心で困った。
或いはラグナから詳しいことを聞けると思ったが、自分の求める情報を持っていない。それだけニルズ公国という場所は、謎の多く、不気味な国なのだ。
(国教である聖教すら認めない。いや、かの国が閉鎖的になったのも……王国がエイルヘリアとの和平条約を結んだ事がきっかけだったか)
遡るのは遥か昔になる。現在でこそ隣国エイルヘリア神聖皇国とは、国土を巡る長い争いがあった。かつての統一神聖国のルーツを持つことから大陸再統一を目論むエイルヘリアとの熾烈な争いが続くが、エイルヘリアの指導者の交代によって一転し、講和案が持ち込まれえる。
その講和に対して最後まで徹底抗戦を訴えたのは、当時のニルズ大公とその新派だった。
しかし当時の国王と残る三公は、長く続く戦乱を終わらせる為に彼等の意見を無視して講和を結んだ。結果的にエイルヘリアとの和平がなり、改めて聖教を国教として迎え入れる形を作ったが、ニルズ公はこの一件を境に二度と王都に姿を見せることはなかったという。
(今回の陛下からの提案も蹴って、頑なに領地から出てこない……そんな国のトップが、何故、ここまで大々的にラグナ君を庇うんだ?)
目の前にラグナには何も無いが、彼に連なる者が太いパイプを持っていることに変わりない。だが、それを知る術は無い。追及は断念するしかなかった。
「それで? そのニルズ公国とウェールズ商会のことか?」
「いや、それはもう大丈夫だ。流石に四公の言葉が響いたのか、学院も自分達の不当性を認めて君を出さざるおえなくなった。ただ貴族は納得しなくってね。そこで最初に戻るけど、文句があるなら戦って決めろという話になったわけだ」
「……それで、決闘裁判、というのを行うのか」
「そうさ。グリストン卿が持つ権限は無駄に大きいからね。後は、王国自体の経済は豊かだから、外側の公国を田舎者扱いしてる貴族達の認識だな」
困ったものだと、他人事のように首を振るパーシヴァルは
「──っと言うわけで、阿呆が喚き散らしたせいで、残念ながら君は決闘に勝たないと出る事が出来ない」
「面倒な話だ。だが、自分が覚悟してた結末よりはマシな方に向いた……そう思っているよ」
ハアと溜め息を吐くラグナだが、専横による理不尽な処遇に会うことは無いことに一息つく。自分の中では、もしそれが罷り通った時は、帰る事を選んでいたからだ。
だが、その当人は自分が何故安堵したのかについてはまだ気付いていないのだった。
「何があるかはまでは分からない。それでも、君が勝つことを信じてるよ」
そう言って立ち去るパーシヴァルだが、直ぐに戻ってくる。
「そうだ。前は時間がなかったから聞けなかった事も含めてだけど、聞きたい事が三つあるんだ」
「何だ?」
「一つ目。君とご令じょ……もう面倒だな。アリステラ嬢の関係って何? 君と彼女ってどんな関係なんだい? 彼女は君の事を本当に気に掛けてるよ? 知り合いなの?」
「いいや、知らん。正直、あまり会おうとは思っていなかったんだが……彼女とは話が合うし、一緒にいると心が軽くなるんだ」
そう答えるラグナの口調からは嘘を言っていないと判断したパーシヴァルは、気になる事はありつつも一先ず納得する。
「案外、昔何処かで会ってたりしてね……」
「……本人に否定された」
「え、そうなの?」
「そうだ」
だが、実際にはアリステラとラグナは四年以上前に出会っている。アリステラがそれを打ち明けなかったのは、ラグナに思い出してほしいと言う彼女の乙女心からだ。
ラグナはあの時の彼女の言葉を、言葉通りに捉えている。しかし、会えば不思議と彼女に安らぎを感じる事が彼に疑問と混乱を与えて、忘れている過去を少しずつ掘り起こそうとしている。しかし、それに当人は気付いていない。
パーシヴァルは先程の冗談混じりに放った言葉だが、それは事実なのだった。もしも此処にアリステラが居たのなら反応は変わっていたかもしれない。
「じゃあ二つ目。どうして、君はあの行動を選んだ?」
「行動、とは? あの乱入についてはあの時答えたはずだぞ?」
「それとは別。グリストン卿の子息の腕を折った事──許せないって気持ちはあっただろうけど、気絶で済ませることも出来ただろ?」
「……【アレ】に対して加減をするつもりは一切無かった。木剣だって打てばあざが出来るし、骨に皹を入れる事だってできる。本気で殺す気だったのなら頭に落として砕いていた」
アレ──呼ばわりした事に、一切の敬意が無い事には触れないことにして、あの時殺そうと思えばできたと答えるラグナと、実際にそれを可能にしてしまうだろうラグナの行動力と実力が分かり、パーシヴァルの中に小さな恐怖が芽生える。
「殺す気はないから、頭じゃなくて腕を狙ったと?」
「後は、アイツは正直嫌いだったからな。二度と剣を持つなという気持ちも込めた」
その言葉にパーシヴァルは少しだけ意外に思った。
何にも関心を抱くような姿勢を見せていなかったらグナにも嫌いだと感じる印象があったというのだ。それは彼の人間らしさかと思うと、少しだけ安心する。
(不思議な奴だよな……コイツは──)
パーシヴァルはラグナを見る。
心のままに動く。自分に正直に生きる。それは簡単な事で、難しいものだ。
簡単に済ませるのならば、何も考えなければいい。【人】である事を放棄して、みっとも無く野生動物のように好きに飲んで、食って、暴れて生きれば良い。それが義務や職務を怠けて好き放題に生きているそれは、今の王国の貴族の大半の姿だと断じる。
難しいのは、常に善悪や正しいと間違いを考えながらそう生きることだ。
人は考えれば考えるほどに行動に移るのが遅くなる。生き物と人の二つを両立させながら生きるのは誰にでも出来る事じゃない。パーシヴァルは、そんな高等な生き方が自分には出来ないと理解している。
「それで? 三つ目か?」
「ん? ああ…………いや、これはまだ良いや。決闘は三日後──この学院の闘技場で行われる。今回は誰も止められないから……好きに暴れなよ」
そう言ってパーシヴァルは去って行く。
帰路に着くパーシヴァルの脳裏には、聞くのを止めた三つ目の問いがよぎる。
『君はこれからどうするつもりなのか?』
その問いをしなかったのは、きっと答えが返ってこないだろうなと予感したからだ。
そして、その問いをしようとしたのは、自分を友と呼んでくれたラグナが、誰も知らないどこか遠くに行ってしまうのではと、そう思ってしまったからだ。
東西南北を護る四つの大公の家について
東:グラニム家
家紋:騎馬と剣を掲げる騎士
由来:北欧神話の英雄シグルドが駆る神馬【グラニ】と魔剣【グラム】
北:ベルン家
家紋:大鷲
由来:北欧神話の大鷲(或いは巨人)【フレースヴェルグ】
西:グリンブル家
家紋:大猪
由来:猪の神獣【グリンブルスティ】
南:ニルズ家
家紋:黒竜
由来:北欧神話に登場するドラゴン(或いは蛇)【ニーズヘッグ】




