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67話:二人の訪問者

 ウェールズ商会はラグナの不在時でも滞る事無く運営を続けていた。フェレグスを中心に、大人から子供まで一丸となってラグナの家を護り、そして彼の帰りを待っているのだ。

 ラグナは貴族ではないし、商会の御曹司という立場も仮初のものだ。しかし、その下で働く皆の忠誠心はとても篤い。理由は簡単な話。ウェールズ商会で働く大半の人間が、ラグナかフェレグスに救われたという経緯があるからだ。

 多くの者はこの国で親子諸共、理不尽な理由で捨てられた者達が多い。生きる為に、子供を守る為に物を盗むなどの悪事に手を染めた者もいる。だが、だからこそ彼等は居る事に、食べる事に、眠る事に一切の不安の無い場所を与えられたときには戸惑い、警戒を抱いていた。

 親は戸惑いながらも働き、徐々にその環境に慣れていくが子供の方はそうはいかない。幼い頃に起きた理不尽は、その心に恐怖や不信感を植えつける。それを解いたのはほかでも無いラグナの姿だった。

 大人に混じり働く姿、汗を流しながら鍛練を積む姿、そして歩み寄るのではなく静かに此方を見守りながら決して拒まない姿に子供達は少しずつ彼を慕うようになった。

 子供達から見れば自分達より少し年上で、凛々しい姿を見続けていれば男子ならばその背中に憧れを抱き、女子は思慕を抱いた。此処で働く皆が──ラグナのことが大好きだ。

 だから、子供達はラグナにこの家を守っていてほしいと言われたときからまだ幼い彼等も張り切って彼の期待に応えようとしている。そんな皆の様子を、フェレグスはかつてのラグナの姿と重ねてほほえましく見守っていた。


(いやはや、ラグナ様は本当に誰かの心を惹き付けますなぁ)


 子供達の様子を見ながら、フェレグスは感慨に浸る。

 別にラグナはその自覚は無い。ただ自分の生き方と身近に居てくれた者達の行動を真似しているだけだ。その生き方は人間社会では非常に困難な事であり、稀有な生き方だということだ。

 そして、ラグナの性格だが──彼は、死生に対して冷たい印象を持ちながらも、心に慈愛の精神を持った人間だ。敵には容赦はしないが、庇護下にある者を一つの命として接する。これは、かつてラグナがスカハサから問われた【この世で最も偉大な力】に対して【愛】と答えたことからも表れている。

 そしてその道徳心を教えたフェレグスにとっても誇らしいものだ。


(ただ、やはり気がかりを拭う事は出来ませんな)


 フェレグスの考える気がかりとは、そのラグナのあり方そのものだ。

 崇高なる心を持つ者は少ない。故に、それに惹かれる者が居れば、その逆の想いを抱く者は居る。そして、この王都に住み上流階級に住んでいる者こそ、後者が多いと彼は見抜いていた。


(手紙では滞りなく過ごしているようですが……)


 ラグナと、そして密かに契約した裏組織の密偵からの計二通の文を通してフェレグスもラグナの近況を把握しているが、この日はどうにも嫌な予感というものをぬぐう事が出来ずにいた。

 そしてその夜──それはラグナの監視を依頼した組織の密偵に所属する少女が姿を見せた事でその予感は的中した事になる。


 密偵の少女アンナは、フェレグスがラグナには内密に雇った監視者だ。

 ラグナからの近況報告とは別に、普段のラグナがどのような暮らしを送っているのかを逐次、報告してもらっていた。今更だが、ラグナがアリステラと再会したときに密かにラグナの事を付けていたのは、彼女である。

 当然フェレグスは、彼女を介してラグナが貴族の娘と関係を築いている事は知っている。そして、ラグナの手紙にはそれが書かれていないことから彼の意志を汲み、敢えて触れないことにしている。

 裏組織の者は、報告などの行動も含めて文字の読み書き程度の事も叩き込まれている。なので報告は手紙として受け取っていたのだがその人物が直接やってくるという事は非常事態だと言う事だ。

 そして、アンナの口からラグナが投獄されてしまったこととその経緯を知らされる。


「…………そうですか」


 アンナの口からことの仔細を聞いたフェレグスはふぅ──と小さく長い溜め息を吐いてから天井を仰ぐ。


(ラグナ様の性格を考えれば、予期した通りのことになりましたかな……)


 呆れも、怒りも無い──褒める事は無いが、それがラグナという人間だと、フェレグスは誇らしく思っている。あの子ならそうするだろう……寧ろ、今日アンナが此処に来ないほうが気掛かりを与えただろう。

 それでも嫌な不安を抱いていたのは、フェレグスがラグナの事を大事に思っているゆえだ。


「それで、ラグナ様は無事なのですね?」


 鋭い視線を向けられたアンナだが、眉一つ動かす事無く縦に頷く。彼女は既にラグナが投獄された牢屋の位置まで把握している。今回、アンナは雇い主から次の指示を聞く為に此処に来たのだ。既に相応の依頼は彼女の上司に送られている。


「分かりました。ではこれから先はラグナ様と私の伝達役をお願いします。ラグナ様も貴方のことについては薄々勘付いているはずだと思うので、貴方の事や私のことは打ち明けていただいて構いません」

「……貴方は、どうするのですか?」

「…………それは、貴女に話す必要がありますか?」


 アンナの問いに対してフェレグスは、そっくりそのまま問い返す。思慮に溢れ温和な顔からは想像もつかない、鉄のような冷たい圧が放たれる。「余計な事を聞くな」──実体のない氷のような言葉がアンナの耳には聞こえた。それが、ただでさえ口数の少ない彼女から言葉を奪い去る。


「私……そしてラグナ様からすればこの程度は些事でしかありません。気に掛ける事無く貴女は貴女のする事をこなして下さい」


 陽だまりのようなニコリとした微笑と、凍土の如き威圧を受けたアンナは、再び頷く。彼女には、それしか選択肢が無かった。それから彼女はラグナとフェレグスの連絡役としての任務に徹底した。教室にも顔を出さず常にラグナの近くに身を潜めて牢番が居なくなる瞬間を見計らってラグナと接触する。

 ラグナが牢屋の中で何も憂う事無くのいつも通りの生活を送っていたのは彼女の存在があったという理由もある。


「……依頼人からの言葉は以上よ」

「分かった」


 フェレグスの言うとおり、薄々アンナの正体に気付いていたラグナはあっさりと彼女を受け入れた。


「貴方の方から伝える事は?」

「今日は特に無い」

 そう、と返してアンナは少しの間ラグナを見つめる。牢番の時とは違い、ラグナは彼女にはきちんと面と向かって対応する。


「……なあ、ちゃんと教室には顔を出しているのか?」

「いいえ」


 わずかな沈黙の後、何気なく問われたラグナの質問にアンナは短く答える。ラグナは小さく溜め息を吐き、そうかと返す。


「今の俺が言うのもなんだが、教室にも成るべく顔を出すようにしてやれ」

「何故?」

「……お前が居ない事を心配してる奴もいるだろう」


 アンナと良く行動をしているマリーのことを思い浮かべてそう口にするが、彼女は首を傾げる。


「別に、私があの場に居たのは貴方を見守るように依頼されたからで、誰かと仲良くなった覚えは無い」

「そうか? 少なくとも、向こうの方はそうは思っていないと思うがな」

「……それとも、それは命令?」

「いや。ただの疑問だ……ただ、今しか経験できない事ならば、それは貴重な事だと思うぞ? 自分で考えて、自分で決めろ」

「…………」


 アンナはラグナのその言葉に対して言葉を返さなかった。否、返せなかったというのが正しい。

 彼女は裏社会の人間として、生きて行く為に組織から、依頼者から与えられた仕事を淡々とこなす日々を送っていた。そこに彼女の感情や意思など不要だった。そんな彼女に対して、自分で考えろなどと言った人物は、ラグナが最初だった。


「……まあ、今目の前に、自分で決めた結果閉じ込められた奴がいるから、説得力も何も無いかもしれないがな」


 そう自嘲してラグナは、一つ思い出した事をアンナに頼む。


「俺が良く中庭で会っている貴族の娘が居ただろ? 彼女の様子を時々でいいから教えてくれないか?」

「彼女を見る……何か伝える事は?」

「いや、遠目で見るだけで良い。中庭に行っていなければそれで終わりだ。居たのなら……まあ、どうしているか聞かせてくれ」

「分かった──誰か来る」


 アンナはそう言って現れた時と同じように忽然と姿を消す。ラグナも誰かが居たと気取られないように折から背を向けてベッドに横になる。

 アンナの言う通り、足音の音が近づいて来るのを聞いていると、乱暴に檻を叩く音と共に反応を強制される。無視してやろうとも思ったが、気配がもう一つある事に対して渋々身体を起こす。


「おい、お前にお客様だ。精々、粗相のないようにしろ」

「…………」


 ラグナはそれに対して言葉を返さずに丁度、隠れて見えない位置にいるもう一人の人物に目を向ける。暗に「お前と口を開ける気はない」という意思を嫌でも汲み取った牢番は舌打ちをしてから去って行く。

 そして消えた牢番と入れ替わるように姿を見せたのは、赤い髪に緑の瞳を持つ赤い貴族コートジュストコールを纏った見知った少年だった。


「…………」

「名乗る必要はあるかな?」

「そうだな。俺はお前の本当の名を知らない」

「……そうだね。改めて、僕はパーシヴァル・フォン・ルフト・ベルンという。特別親しい者にはパーシーと呼ばれているよ」

「……俺は名乗る必要があるか?」

「いいや。必要はないと思っているよ」


 にこりとラグナが良く知る温和な笑みを浮かべてから、すぐに顔を引き締めるパーシヴァル──その冷徹さを表に出したにもかかわらず、ラグナは涼しい顔でそれを見つめ返した。


「…………おかしいなあ、もう少し驚いてくれると思ったのにな」

「初めて会った時から、お前は何処か纏っている空気が違うと思っていた。教室の皆とも比較してそれが感覚ではなく確信に変わっていただけだ」

「──君にそれを言われるとはね」


 形は違うだけで、お互いに変わり者だとパーシヴァルとラグナは苦笑いしあう。


「こんなこと言うのもなんだけど、元気そうで何よりだよ」

「そうか? 碌な飯を出してこないから、腹が減って仕方ない」

「……この懲罰房が使われたのは、多分数十年ぶりだろうからね。質が落ちているのだろうさ」

「……で、わざわざ自分の隠れ蓑を脱いで何しに来たんだ?」

「ただ話をしに来ただけさ。とはいっても、僕もあまり話せる時間はないけどね。少しズルもしたし」


 そう言いながらパーシヴァルは親指と人差し指を使って円を作って見せる。それが何を意味するのかは、ラグナには分かった。


「……成る程な。」


「話す前にこれだけは言っておくよ。残念だけど、現状僕だけでは君を外に出す力はない」


 どこか申し訳なさそうに言うパーシヴァルに対して、ラグナは気にするなと首を小さく横に振る。ここ数日、感情と言うものを削ぎ落していた様に淡泊とした態度を牢番に取っていた人物とは思えない、穏やかな態度だ。


「教室はかわらないよ。まあ、皆は進んで触れて火が飛んでくるのが嫌なのだろうけど……」

「……そういうものだろう。俺のとった行動が、誰にでもできる行動だったなら……もっと早くに誰かがやっていたさ」

「そうだね。この貴族主義の社会において君の行動は間違っていて、人間としては正しく、誇らしい事だった」

「」

「君の爪の垢をあの馬鹿共に呑ませてやりたいよ」

「俺に知識を教えてくれた人物が言うには、馬鹿は死ななきゃ治らないそうだぞ?」

「不治の病か……まあ、そうかもしれないのかな」


 パーシヴァルの産まれたベルン公国は安全ではないが統治の行き通った安全な国だ。魔境の開拓、或いはその一帯から出現する強大な魔物との戦いがあるからこそ、人は一丸となれる。対して、王都は──王国はどうなのだろうか?

 どうでも良いと思っているし、一に置くのは他ならぬ祖国なのは変わらない。それでも頭に余裕があればこの国の立て直しを考えてしまう。

 膿の多すぎるこの身体の何処から対処すべきなのか……或いは、もう手遅れなのか?


「…………ラグナ君、自分がこれからどうなるのか聞いているかい?」

「いいや。まあ、おとがめなしと言う訳にはいかないだろう?」

「……驚かないで聞いてほしいが、君は学院を追い出されるかもしれない」

「…………そうか」

「本当に驚かないのか」

「あれを当たり前と思っている人間達に、まともな判断が出来るなどとは思っていない」


 馬鹿にするのでもなく、軽蔑するのでもなく、分析したという風に一切の感情の無い言葉にパーシヴァルは返す言葉が無かった。


「それで、君はどうする気だ? このまま何もしない気なのか?」

「もしも、俺を殺すという話に持ち込まれているのならば、考えたかもな」

「……なら良いや。君の為に動いている人も居るんだ。君も諦めない様に……」


 ラグナは少し考える。自分の為に誰が動いているのか……パーシヴァルはフェレグスの事を知らない筈だ。


「……その動いている人物とは」

「その人から伝言を貰っているよ。『私は貴方の味方を貫きます。必ず貴方を助けます……だからまた、あの場所で話しをしましょう』ってね」

「…………分かった」


 その伝言で思い浮かんだ少女の姿を脳裏に浮かべて、小さく笑いパーシヴァルを見送った。ほんの少し心が柔らかくなったのを感じながら、ラグナは自己鍛錬へと移るのだった。


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