66話:ラグナのいない教室
「…………」
時は少し遡る。
パーシーはいつもと変わらぬ日常を送っていた。彼だけではない。平民生の多くが、普段と変わらぬ日常を送っている。
ただ一人が居ない。それだけの空間が数十人の居るこの場所に与える影響は少ない……否、そうすることで関わりを断ち、安全な席から傍観者を貫くことが彼らの防衛行動なのだろう。
パーシーも分かっているし、自分も同じ穴の狢だと自覚している。
ただ、ただ一つ空いた席と、部屋に空いてしまった窓側のベッドを見る度に、彼の空虚な感情が心を埋め尽くしていた。
(嗚呼、ここってこんなにつまらない場所だったかな?)
誰も彼もが目を背けている。改めてみる人の性に、彼は冷ややかな目を向け、自分に対して自嘲する。必要だからそうしたが、自分でもこの選択は不本意で仕方なかった。
パーシヴァルとしてなら、将来の領地の経営を担ってくれる人材を潰す行いなど、到底感化できる者ではなかった。それこそ父が居たら怒りのあまり卒倒するだろう光景だった。
年々と質の墜ちていく冒険者という勇敢な無謀人達のことを考える。
パーシーは少なくとも、この場に居る誰よりも冒険者と言う職業を理解している。富と名声を求め、勇気と知性を武器に挑み、最も死に近い者達だということを──。
自分が物心ついた頃、何人の冒険者が魔物犇く魔境の森に入って行っただろうか?
そして、そのうちの何人が森から帰ってこなかったか。或いは、いつの間にか顔を見なくなっていたか?
(百の聞よりも、一の見がものの有様をしっかりと頭に刻み込んでくれる。あんな連中がこの都の将来を担うと考えると、笑えてしまうな)
試合に乱入した挙句、対戦相手の腕を圧し折ったという建て前で投獄されたラグナだったが、あれは常識を持つ者ならば、あの光景を見たものならば理不尽な口実だと言うのは分かる。
「──パーシー」
「ん? ああ。マリーか……どうかしたのかい?」
いつの間に横に立っていたマリーの言葉に遅れて反応する。
「最近、アンナが来ていないの」
「アンナが?」
改めて教室の一点を見る。そこには空いた席があった。ラグナの事にばかり眼が行っていて彼女の事は完全に視界から外れていた。
(恐らくはラグナ繋がりだろうが……何処に行ってるのか)
予想は付くが、今のパーシーにはそこまでが限界だった。
「悪いけど、僕も何もわからないんだ」
「……そう。なら、アンナの代わりに誰かに頼むしかないわね」
「頼む? ああ……実技鍛練か」
言われて、今自分達には人員がひとり掛けてしまっている事に気が付く。ルームメイトにばかり気が向いていたことを少し反省する。
「そうだな……誰かに声を掛けて頼むしかないだろうな」
「──」
「何かしたの?」
「……いいえ、何でもないわ」
不満げな表情のマリーだったがパーシーの言葉には何も返さず席に戻っていく。
(やれやれ、彼女も難しい性格だな。ラグナのことも、アンナの事も気になっているだろうに──)
パーシーはよく人を見ている。
魔法に関してはクラスで二番目に才能を持つマリーが、クラスで最も魔法の才能を持ちながらその魔法を特別視しないラグナを敵視していることも知っている。
プライドの高い彼女と、必要以上に言葉を発さず指示に徹底するアンナとは相性がいいことも組んで分かっている。
(そう考えれば、僕を含めてだけど僕の近しい人間はみんなそんな感じだな)
思い出すと再び笑みが浮かんでしまう。
アンナがラグナの監視者であり、ラグナはその監視を知っていてそれを放置している事も知っている。
そして、ラグナは何かを隠しているが、ラグナは自分の生き方が異なっている事も知っている。否、彼の場合は生き方を貫いていると言った方が正しいのかもしれない。
(駄目だな。やはり退屈に感じてしまう)
此処にいては自分も駄目になると思い席を立ち教室を出る。教室を出るとアデルと鉢合わせになる。
「教室に何か御用ですか?」
「丁度良かった、君に話しておかないといけないと思っていたんだ」
「僕にですか? もしかして、ラグナのことですか?」
アデルの暗い表情と重苦しい雰囲気を感じ取りパーシーが聞けば、図星を突かれた表情となるアデルは、小さく「そうだ」と答える。
「……その様子だと、あまり言い話ではなさそうですね」
「ああ。最近、教員達がラグナ君の処遇をどうするか話し合っているのだが……ラグナ君を退学にするという方針に傾いているんだ」
「…………」
表情にこそ出さないが、パーシーは驚いた。それこそ「馬鹿な」と口だしてしまいそうなほどのものだった。貴族の──それこそ国一つを託されている家の者としての教養の賜物だった。
腕を圧し折ることはあの交流試合では最も過激な事だった。だが、怪我を負う事が前提の行事で何故、そこまでの状況に至るのか?
動揺している心を落ち着かせて考える。
幸いその結論に至るのには時間は掛からなかった。否、貴族である彼にはそれは幸いとは言い難い複雑なものだった。
「……貴族の親達の介入ですか?」
「…………」
瞑目するアデルの様子から、それが答えなのだと察する。
「特に息子の腕を折られたグリストン卿が、息の掛かっている貴族達を巻き込んで主張を押し付けているんだ」
「……では、意見がまとまっていない理由は?」
「グラニム公の息女と、グリンブルの次女を筆頭に罰の徹回を求める声がいくつかあったので、難航しているんだ」
「……そうか」
パーシーは、ラグナがグラニムの娘……アリステラと秘密の話し相手となっていることを知らない。自分の婚約者が矢面に立っているのは、アリステラが彼女の友人だからだろう。
「ただ、悪い方向についても考えて置くように……ということですか」
「そうだ。私も退学については反対している。ラグナ君には……いや、話は終わりだ。じゃあ、失礼するよ」
小さな笑いを作ってからアデルは去って行く。
一人になったパーシーは、普段の人辺りのよさそうな表情から一変、冷徹なパーシヴァルへと戻り考える。
(四公の内の二つが意見をぶつけたとは言え、貴族社会は男尊女卑だ。それに大人と子供ならば、大人の意見の方が強い……時間は掛かるだろうが、着実に天秤は傾いているのだろうな)
子供同士のことに権力者側の親が介入するから何も正されないと軽蔑の感情を抱くが、情勢は悪くなっていることに表情は曇る。
しかしこのまま放っておく事は、何か大きな損失に繋がる事を予感させる。
(貴族の相手をするのならば、貴族でなくてはいけない。ならば──)
手始めにパーシヴァルは影武者として貴族側に居るラモラックへと入れ替わるべく行動を移る。
行動に移りながら、自分が随分と個人に対して不思議だと思いながら──しかし、それを不快だとも面倒だとも思っていない事に対して、彼は自然と小さな笑みを作った。




