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65話:牢屋の狼

「おい、飯の時間だ」

「そこに置いておけ」

「……ッ……ほらよ」


 小さな舌打ちの後、背後に何かを投げるように置かれて尚、ラグナは振り返ることなく筋トレを続けた。

 結果を先に教えておこう。ラグナは投獄された。

 罪状は──交流試合において対戦相手の腕を圧し折ったから──と言う事になっている。だが、実際には貴族の生徒に怪我を負わせたという意味合いのほうが大きい。

 そのラグナの処遇から鑑みて、当然だが交流試合は中止となった。


 下らんと、ラグナは口にしなかったがその建て前を鼻で笑い、学院内にある普段柄割ることと無かった懲罰用の独房に入れられた。

 彼が抵抗しなかったのは、単純に自分のやるべき事を済ませたからだ。そうでなければ、ラグナはもっと暴れ──基、抵抗していた。

 とは言え、投獄前に取り付けられた木の手枷を腕力で破壊し、次に取り付けられた鉄錠の鎖を引き千切って拘束を諦めさせた。自由を制限されても、奪われるのをラグナは承諾しなかった。投獄される前に牢番の一人が、ラグナの身に付けている首飾りに目を付けて押収しようと触れた時、そいつの鳩尾を蹴り上げる以外に、ラグナは抵抗しなかった。

 しなかったと言うよりも、ラグナの本心は抵抗してもそのままの意味で、時間の無駄だと分かっていたからでもあるが──。

 暗い石作りの牢屋の中、申し訳程度に置かれたベッド、光の差す小さな窓には当然だが逃亡防止の鉄格子が組まれている。そんな不自由な場所でラグナは黙々と、残飯のような少ない飯を食って時間を待った。

 勉学も何もない。ただ待つだけの時間をラグナは自分なりに有限に使った。


(恐らくだが、アンナを介してフェレグスにも俺の事が届いているだろうな……)


 自分の行動を悔やんではいない。元々そうする事をフェレグスに許された上で、ラグナは送り出された。だから、フェレグスに手間を掛けてしまったことについては申し訳ないと思うが、それまでは彼を待ち続ける。

 右腕一本での腕立て五百回を終えたラグナは、逆立ちの状態から元の体勢へと戻る。狭い上に風通しも悪い。代えの服が無いので上半身は裸で鍛練している。その為、普段の細身からは予想も出来ない筋骨隆々とした肉体が剥き出しとなっていた。


「──、──、ふぅ……」


 全身から湯気と汗を出しながら石の壁に傷を付けて完了の証とする。縦に四本とそれを消すように横一本の大きな傷が加わり、投獄中の目標である一日に二千五百回を済ませる。

 正直な所、もっと他にもしたい事はあるが、狭いのでそれは叶わない。左手はやはり傷の後遺症で二本の指の自由が利かないので回数は右腕の時よりも少ない。


(やはり、剣を振らないと落ち着かないな)


 ラグナ自身、服以外を取り上げられている現状は理解している。それでも剣を触れないこの状況には不満はある、長くここにいるとその感覚が鈍ってしまう気がしてそれが嫌だからだ。その気になれば脱獄など容易だろう。だが、それをするのは意味が無いというのは分かる。

 

「……マズッ」


 飯だと差し出されたのは脂身だらけの薄いベーコンに、固いパオン。学寮にある食堂もウェールズでの食事に比較すれば質素だが、遥かにマシだ。そもそもお盆一枚に乗る量ではラグナの腹は満たされない。

 既に自身の投獄から三度の夜の光を見ているが、ラグナは、退屈すれども悲観は一切していなかった。フェレグスに対する絶対の信頼故に、赤いその眼の輝きに淀みが生じる事は無かった。少し先の事を憂う必要など無いからだ。

 

 ラグナはそのさらに先を考える。

 即ち、この先も此処に居るのか? 或いは──帰るのか?

 長らく人間と言うものを見て来た。その上で同年代の子供と言うのが如何いうものかというのもこの学院で学ぶ中である程度、理解した。

 知れば知る程に、ラグナの中にあった欠片ほどの期待と言った感情は磨耗していった。居ない分かっていても意思として自分と渡り合えるような強者を求めていた。そんなものだと割り切る事はまだ出来た。

 だが、今回のそれは違った。ラグナは根本的にそれを受け付けなかった。嫌悪があった。義憤があった。

 しかし、それらを上回る──今まで抱いた事が無い感情がラグナを突き動かしていた。それが何かは分からないが、自分の中に欠片ほど残っていたものが、塵と化してしまったのを感じた。


(否、始めからあって無いようなものだった……)


 自嘲する。何故、それが自分の中で大きくなっていたのか……そう振り返れば、自分の帰りを待っているウェールズの者達と、きっとこの学院でであったアリステラのせいなのだろう。

 それがラグナの心に安らぎを与えてくれた。そうでなければきっと、もっと早くにラグナはこの歪な世界に愛想を尽かして立ち去っていただろう。

 だが、あの茶番劇はラグナの中のそれを磨耗するには十分な光景だった。弱者が弱者を虐げると言う歪な光景──。

 身分という制度が腐敗して生み出した実情は、気持ちの悪いものだった。そして、それがこの小さな学院で起きているだけではなく、この国全体で規模の差異はあれども起きている事を改めて理解した。


(なんと、無意味なものなのだろうか……あれが将来、人の上に立つ者達の行う事なのか?)


 弱者が強者を倒すのではない。そんな劇的なものではなくより卑屈で性根の腐ったあの姿は、隠されたラグナの左眼を輝かせるのには十分だった。

 醜い。愚か。誇りや高貴を口にしながら、己等の行いはそれに泥を塗る矛盾の所業──。

 それを許容するこの社会。

 そこまで考えて、ラグナは再び嘲るように小さく笑う。

 何を今更と──既に何度も見てきたことじゃあないかと、記憶を遡る。

 そうだ。見てきた。

 富める者。それなりの者。貧しい者。

 安穏と生きる者。生きようと必死な者。生きる事さえ諦めた者。

 虐げる者。虐げられる者。そして──傍観する者。


(様々な人間と、歪な社会──それが人間の国か……)


 何も出来ないのは悔しい事だ。心がそう訴えても力が無いから訴えかける事が出来ない。無念な事だ。

 だが、大半の人間は違う。彼等は何もしなかった。焚き火を見ているくせに飛んで来る火の粉を恐れてそれ以上は近づかない。卑怯だ。臆病だ。

 才や努力ではなく、生まれと地位の差だけで強弱を決めてしまう。それが人間の世界だ。


(ならば、もう十分なのだろうか?)


 静かに首飾りに触れる。

 一つは、エルフから渡された深緑の宝石。

 そしてもう一つは──兄弟子にあたる銀麗の竜王から賜った小さな竜の角笛


竜角笛ギャラルホルン。これを吹けば、ジークフリードは何処に居ようと駆けつけると言ってくれた。)


 これが人間だと言うのなら、是非も無いのだろう。月の光が差す牢獄の中で、見えない付きに手を伸ばすラグナの内には、そんな意志が固まろうとしていた。

 伸ばした手を引いて竜角笛に手を掛ける。口に咥え、鼻で大きく息を吸い止める。


「……」


 だが、直ぐに加えた笛を落として息を吐く。

 今である必要はない。ラグナはそう言い聞かせてその時を待つのだった。


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