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64話:孤狼

 ラグナは平民の代表の控え室に来た。

 闖入者に対して視線を向けるのは二人だけだ。

 大将として最後の出番であるもう一つのクラス生徒と、監督役である厳つい顔付きの教員だ。どちらもそこまで面識のない二人だが、部外者であるラグナに邪魔だと言うような視線を向けて来る教員の事を、ラグナは印象として嫌いと判ずる。

 床に寝そべっているのは既に出番を追えた者達だ。顔や手足をあちこち木剣で打たれ青紫に腫れた部分はとても痛々しい。

 ラグナも木剣で打たれる痛みは良く知っている。横になり痛みに呻いている同クラスの男子の一人の頭に優しく手を添える。


「……何故、こいつらを医務室に連れて行かない」


 ラグナは、教員の方を向かずに問う。


「終わったら纏めて連れて行く。それまではそのままだ」

「…………………」


 その言葉で、この男も同じなのだと理解する。瞑目し、次に開いた赤の隻眼は燃えるように鋭くなる。


「おい。部外者はさっさと出て行──」


 その先は続かなかった。そう言って乱暴にラグナの肩をつかんで外に追い出そうとした男は、振り向き様にラグナが放った拳によって殴ったからだ。

 加減などしない。する価値も無い相手に対してのセタンタから教わったとおりの拳から足腰まで使った懇親の一撃。頬と言う顎の側面で、顔の最も柔らかい部分を狙ったそれは、触れた瞬間に顎を砕いて並んでいた歯を軒並み吹き飛ばす。


「ッ──!」


 放った拳をそのまま捻じり頬肉を巻き込み、下へと力の向きを運ぶ。そのまま地面に叩きつけて、男の意識を完全に奪い取った。


「…………おい」

「ヒッ──


 呼び掛けられた生徒はこれからの怯えと、今目の前で起きた恐怖に顔を凍らせた最後の一人にラグナは声をかける。


「今すぐ皮鎧を脱げ、俺が代わりに出る」

「な、なんで?」

「早くしろ」


 有無を言わせるつもりは無い。威圧を込めて放った言葉に慌てて鎧を脱いでラグナに手渡す。


「……お前は何か言われたら鎧を俺に無理矢理奪われたって言い張れ。この屑のあり様が証拠にも使える」

「ど、どうして?」

「……自分に従うだけだ」


 眼も繰れず上着を脱ぎ、皮鎧を装着しながらラグナは答える。そこに新たな侵入者が現れる。


「これはッ──」

「アデル教員」


 先程の一撃は狭いこの場所では良く響いたかもしれない。それを聞いて跳んできたのだろう。


「ラグナ君。これは一体──」

「……アデル教員。貴方は、俺が代表に選ばれないと言った時、すまない、と口にしましたね? つまり、アンタもこうなるってことを知ってたんですね?」

「ッッ…………」


 ラグナの言葉に、アデルは息を詰まらせる。言葉には出ない。だが、目を逸らしたその行為がラグナに肯定の意を示していた。


「…………そうですか」


 ラグナの言葉には酷い落胆の感情があった。

 アデルと言う目の前の若い教師は生徒達から慕われている様子を目撃していた。そんな彼が、こんな茶番劇で傍観者に徹している事は、ラグナにとってもショックだった。

 ラグナは、ゆっくりとアデルに近づく。


「ッ──なら、私にどうしろと言うんだ! 怪我をしたこの足では、もう冒険者として生活は出来ない。どうにかして得たこの仕事を失えばッ! 俺に未来が無いんだ! こんな事は間違っているなんて、お前みたいな子供に言われなくたって分かっているんだ!!

身重の妻も居るのに、彼女を養う為には──俺には、彼女を見捨てる事はッッ!!」


 恐怖からか、或いは開き直りか──アデルは怒りや悔しさをぶちまけるように叫ぶ。ラグナは何も返さず、アデルの前に立つ。

 子供だが、ラグナの身長はアデルといい勝負をしている。無言で睨みつける隻眼に、アデルは徐々に気圧されていく。


「……俺の知っている教育者とは、惑う生徒を導き、苦しむ生徒を守り、もがく生徒を支え、慕う生徒を愛する人です。難しくても、それこそが理想で、鑑と呼ぶにふさわしい人物です」

「そんな事は──」

「だから、貴方もそれを見失わないでください。俺は知っている。貴方が、生と思っていることも、助けられないことが悔しいと思っていることも──でも、墜ちないでください。腐らないでください。折れないでください。貴方は、きっとここに必要な人だ」


 ラグナは真っ直ぐに見つめてそう言った。そう断言して。その横を通りすぎて舞台へと向かう。

 ラグナは観ている。だから知っている。アデルの人柄を──

 ラグナは聞いた。だから分かった。アデルの無念を──。


「何もしないのは卑怯者だが、何も出来ないのは無力だけど、悔しいのが当然です」


 ここの生徒達のことを医務室にお願いします。その言葉が、彼が教師に向ける言葉だ。彼を許すのでもなく、救うのでも無い。信じるに値する人物に対しての評価だ。

 止る事無く、ラグナは歩を進める。誰も居ない。誰とも鉢合わせない。

 陽の光に近づく程に、歓声が聞こえてくる。

 臆する事は無く、堂々とラグナは姿を見せた。


 貫くために、一人で歩き、進む。

 体は熱く、頭は冷たく、心は熱くて冷たい。

 ただ、許すなと、認めるなと、壊せと、衝動となって突き動かす。


(正しいか、間違いか……そんな事は後回しだ。俺は俺が抱くもの為に武器と振るうだけだ)


 ラグナは表舞台に姿を見せた。未だ戦いは……否、一方的な暴力が繰り広げられていた。

 歓声を上げる一人が気付き、また一人が気付き、伝染していってざわめきへと変わっていく。そんな有象一切を無視して、ラグナは戦う者達へと近づく。


「あ? 何だ貴様は……」


 当事者達の中で最初に気付いたのは、貴族側の代表だ。次に審判が気付き、そして平民側の代表が振り返って気付く。平民の代表は乱暴に手足を打たれたことによる痛みから足元は覚束無い。


「終わりだ。もう下がれ」

「おい、それは審判役である私が──」

「終わりだ」


 最初の言葉は平民の代表に、二度目の言葉は審判役の騎士に向けた言葉だ。

 哀しげ那最初の声音と、怒りを濃縮した声音はまるで別人のようだ。だが、その言葉は人を黙らせるのには十分だった。


「他のやつらは医務室に行った。お前もそっちに行け」

「…………あ、ありがとう」


 そう言ってフラフラの足で退場する。ラグナは振り返らず、先程言われた言葉を心の中で復唱して、頭を切り替えた。


「おい、貴様。平民の代表では無いな?」

「事情があって交代した」


 見覚えのある貴族の代表に静かな声音でラグナは答える。


「ん? お前、何処かであった事があるな?」


 ラグナの気のせいではないようで、向こうも記憶があるらしい。やがて思い出したようにハッとした顔で剣先を向けて来る。


「お前、あの黒髪娘を庇った平民の男か!」

「…………ああ、【グルトン】とかいう家の子か」

「【グルストン】だ! そして私の名は──」

「別に興味ない。とっとと始めて終わらせるぞ」

「なッ、ぐッ、この──ふん、まあ良い。精々良い木偶人形になってくれたまえよ」

「…………成る程、分かった」


 その言葉でラグナは理解する。右手に力が籠もり木剣を軋ませる。


「宜しいのですか?」

「構わんさ。それに、お前の事は最初見たときから気に入らなかったんだ……さあ、始めろ!」


 騎士の言葉を退けてグルストンが喚く様に促す。

 喧騒とは打って変わったざわめきの中で試合の開始が宣言される。

 ほぼ同時に、ラグナは動いた。


「──へ?」


 救いはあった。

 ラグナは、相手を弄ばない。

 恐怖はあった。

 ラグナは、手を抜かない。

 

 一撃目──構える暇を与えずに、距離を詰めたラグナはグリストンの手から木剣を弾き飛ばす。

 クルクルと宙で円となって高く飛ぶ。弾かれた当人はまだ気づいていない。


「──ッッ!!」


 次いで、振り下ろした二撃目は容赦なくグリストンの利き腕である右手を打ち砕いた。


「へ…………あ、──」


 打ち上げられた木剣が観客席に落ち、暫しの空白の後、事態に追いついた当事者は悲鳴を上げてのた打ち回る。

 一つの悲鳴以外に静まり返ったその中心で、ラグナは一度空を切り払う。

 一切の感情は無い。ラグナは既に興味を失くしていた。

 ふと貴族側に視線を向ければ、会場の出入り口の近くでこちらを見ている少女と目が合った。

 だが、直ぐにラグナは前を向く。甲冑に身を包んだ兵士が槍を手に侵入し、ラグナへと矛先を向ける。


(或いは……ここまで、か)


 そんな事を考えながら、ラグナは木剣を投げ捨てる。

 する事は終わった。これ以上を続ける意志は無かった。


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