62話:交流試合 その1
懸念を拭う事ができないまま、時は経って件の交流試合の日取りが決まる。ラグナはその代表に選ばれる事は無く、あくまでも観客の一人としてその成り行きを見守る立場にあった。
舞台となるのは鍛練場。ラグナの知るこの場所は円形の舞台にそれを囲む無人の観客席だったが、今日この日は大勢の見物者達によって埋められている。その中にラグナは混じりながら座に座る事は無く出入り口の近くにて腕を組んで人々を観察していた。
意外だと最初に思ったのは、大人の観客が多いことだ。とはいえ、その大半は遠目から観ても目立つ煌びやか──贅沢の限りを尽くしたような無駄に派手な服装をした者達がラグナ達の居る位置の真反対の者達が居る事だ。
反面、平民側の観客は生徒達だけで、大人は教員だけで殆ど居ない。
親が子供の勇姿見に来るには選ばれた代表五人とは釣り合いが取れずに妙な考えが過ぎる。
その晴れ舞台を睥睨しながら、ラグナは思考をめぐらせる。
何事も無いのならそれなら良いと思う。しかしその感情の中には楽しみや期待といったものは一切無い。何より願う一方で、アリステラの言葉を思い出すせな望み薄しと眉間に皺を刻む。
ラグナは代表に選ばれていない。だから言ってしまえば他人事だ。それに代表に選ばれた者達とも大した交流があるわけではない。
それでも、一所懸命に剣を学んでこの場に居る者達の上から五人の実力者に選ばれた者達には賞賛と敬意を抱いている。
相手側もそうだと思いたい。と望むが、アリステラに対して噛み付いた者を考えればそれは、正直あまり期待は抱けなかった。
故に、何も起こらないことを望むし、そうであって欲しいとは思う。
「やあ……」
「……」
後ろから声を掛けられて振り返れば何時もの爽やかな笑みを貼り付けたパーシーが片手を挙げて挨拶してくる。その傍らにはアンナも居る。
「こんな所に居たんだ」
「珍し……くも無いな。一人足りないだけか」
「マリーは別の所で見ているだろうさ。彼女は真面目だからね……」
「……そうか」
大した興味を感じる事無く、ラグナはそう答えてから再び会場へと顔を向ける。
「座って観戦しろとも言われてないからな……それに、正直人ごみと言うのは好かん」
ざわざわとした雑音も、遠くから装飾品が反射する陽の光も、感覚を鍛えてきたラグナには煩わしい。小さな不快感を与え続けるそれらを、ラグナは好きにはなれない。
離れたい地に居るだけでも幾分か気持ちが楽になれた。
「立っていると疲れないかい?」
「そんな軟な鍛え方をしていないし、心の方が疲れる」
「分かる」
「アンナも分かるんだ」
ラグナの言葉に空かさずアンナも同意して、パーシーは苦笑いする。
「──で、何か用か?」
「いや。観るなら一緒にどうかと思ったんだけど、迷惑かな?」
「構わんが、俺は此処を動くつもりは無いぞ」
「良いよ。気持ちの良いものが観れるとは思わないし……」
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味さ」
疑念に対して、パーシーは短く答える。ラグナではなく、会場を見据えるパーシーの目は先程の爽やかさではなく、冷たいものを宿していた。
ラグナにはそれは分からないが、ただ既にこの場の空気に混じる違和感からそれ以上を問う事はしない。ただただ、心には引っかかりを感じる。
そんなラグナの懸念を他所に時間は流れる。
審判役を務めるのは王に仕える騎士と、さらに学院長である老年の男が姿を現して中央にて開催宣言と高説を語る。
静かになった会場だが、その半分以上をラグナは聞き流した。
そして、それぞれの代表が手前と奥の入り口から入場する。
戦いは勝ち残り戦だ。勝った方が残って次の相手と戦い、先に五人が負けた時点で勝敗は決するという仕組みだ。
(皮の鎧に、木の剣と盾……篭手と兜を着けないのか?)
選ばれた計十人の生徒は全員が統一された装備に身を固める。あれが標準の装備なのだと言うのは分かる。
だが、ラグナにはあの装備では危険が多い事を見抜く。
手足は手袋と革靴で包まれているが、それ以外の装備は見当たらない。木剣は硬い。切れる事は無くても、打ち込めば肉の内側にある骨に痛みを与え亀裂を走らせることも出来る。最悪、そのまま折れてしまう危険もある。
皮鎧の下の布服は厚めに作られている等の防御策が施されている様子は無い。
必要最低限の防具という危険極まりない装備だ……
(連中も武闘の心得はある筈だ……)
ラグナの思考を、怪訝や懐疑が靄のように包み込む。それは晴れる事は無くより濃くなっていき、ラグナが抱く不安をより重くしていく、
十人の代表を前に、改めて取り決めが伝えられて、それらはその場に居る全員に共有され、それぞれの先鋒を除いた計八人が一度退場する。
そして、喧騒の中心で試合は始まる。
「始まるね」
「ああ……パーシー。お前は代表を辞退したそうだな」
「興味も無かったからね」
「……お前も、この後に何が始まるのか知っているのか?」
パーシーは即答しなかった。
ちらりと此方を振り返る事無く問いかけてきたラグナの後ろ姿に睨むような視線を送る。共犯者のように言われるのは彼には不服だった。だが、彼はそれを口に出そうと思うことは無く、口を開いた。
「ああ。知っている」
「……そうか」
冷たい声音で返された言葉に、ラグナはそれ以上追求する事せず光景を見つける。
試合は拮抗している。攻める相手と守る相手が交互に入れ替わりながらも一見は白熱した試合をしている。だが、やがて貴族側の代表が攻勢に出る。平民側の代表は防ぎきれずに木剣に打たれた際に剣を落として試合は終わった。
沸きあがる観客達──だが、ラグナの目はそれらを【茶番】と映していた。
冷めた眼で試合風景を見つめていたラグナの視力では、両者の戦い風景は良く分かった。
平民側の生徒は何度も攻勢を畳み掛ける機会は幾らでもあった。遠眼で見ているラグナにもそれがわかるのなら戦っている当人が分からない筈はない。
逆に貴族側の生徒は太刀筋も粗末な部分が多かった。寧ろあれでよく代表に選ばれたと思う質の低さだった。
ラグナの眼からすれば、今の戦いは平民側が勝って、貴族側が負ける勝負だと思っていた。そこに万に一つの可能性はあっても、それは本当に極僅かな可能性だった。
違和感ではなく、疑問としてその光景はラグナの脳裏に刻み付けられる。
そのまま次峰が入場して試合が始まる。
「……何だ、これは?」
二戦目を観て──否、一戦目と同じような試合光景を見せられたラグナは今度は怒りを口に出した。次峰の戦う姿はまるで違っても、戦いの内容は全く同じだった。
平民側は勝機の中で攻め込まず、貴族側は粗末な腕前で攻勢を繰り出して勝利を勝ち取る。だが、二度目を観たラグナは一つの事に気付いた。
最初に気付かず、二度見て気付いたものは──この試合の実体は中身の無いものであるということだ。
(この気持ち悪い光景は何だ。まるで空っぽじゃないか)
空っぽ──言葉通りの意味だ。
ラグナは今まで、鍛練であれなんであれ、戦うこと競う事で何かしらを得て糧にしてきた。
セタンタとの鍛練。魔境での生存競争。エルディアとの死闘。そして、学院での教練。
その中でも学院での教練は得るものは限りなく無に近かったかもしれないが、それでも何も得なかったわけでは無い。自分とは異なる戦い方だが、それにどう対応するのが良いか? それこそ、最初の頃は始めて見える個人対集団での戦いは香味深いものだった。
だが、ラグナが今見た光景にはそれらが全く無かった。
茶番だと最初は思ったがそんな言葉すら生温い……無意味で無価値な。それこそ【お遊び】と呼ぶような瑣末な戦いぶり。
到底、ラグナには理解できない。否、理解したくも無いものだ。
「実物を見るのは初めてだが……酷いものだな」
パーシーの言葉に、ラグナは振り返る。
「ラグナ君。君から見たら、これはお遊びのようなものに思っただろ? その通りさ……これは貴族達のお遊びなのさ」
「どういう意味だ」
ラグナの追求に、パーシーは冷笑を浮かべて答える。
「言葉通りの意味だよ。交流試合なんて言うのは方便で、実体は貴族による権力誇示の意味合いが強いのさ」
「…………」
「平民達は攻撃しないんじゃ無くて、出来ないのさ。脅されて実力を発揮できず、体の良い木偶人形代わりに打ちのめされて負かされる。そして貴族が勝って自分達は強いと言うのを示してご満悦に浸ると言うわけだ」
「……それに何の意味がある?」
ラグナは問う。その声音には彼が必死に押さえ込もうとして、だが抑えることの出来ない一つの感情で震えている。
パーシーは──否、パーシヴァルはその問いに対して沈黙し、やがてただ軽蔑や侮蔑を超えた、酷く平坦な口調でそれに答える。
「意味は無いよ。あると思っているのは当事者達だけさ。自分達が特別で、お前達はその下に居るという自己満足さ」




