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60話:静かに近づく不穏

「対抗交流試合……?」

「そう。もうすぐその時機だからさ」


 数日後──。

 初めて耳にする行事についてパーシーは説明する。

 年に一度、平民と貴族の間で代表五人が剣術を競うという恒例行事だという。


(そういえば、フェレグスの手紙にも書いてあったな……)


 内容を聞き、定期的にフェレグスから贈られる手紙の内容を思い出す。自分にとっては大した興味も抱かないものだったので忘れていたにすぎない。どちらかと言えば、一緒に添えられてくる子供達の手紙の方が、ラグナには喜ばしいものだった。

 商会にて雇われた。あるいは引き取った雇用者と一緒にいた子供達は、フェレグスの勉学にも懸命に着いて行って年長組は、フェレグスの報告書と共に手紙を送るようになっていた。


(字の読み書きも満足にできていなかったあの子達がこの短期間でそれなりに出来るようになるとはな……。やはり、フェレグスの頭脳手腕には足元にも及ばないな)


 一緒に添えられていた子供達の手紙にはこう記されていた。

 今日送られてきた文にも、自分たちは元気にやっているから、貴方の言いつけを守って頑張りますというような内容だった。

 母親。或いは父親に当たる大人と一緒に手伝いをしたり、フェレグスの下で勉学に励んだり、遊具で身体を遊びながら鍛えたり……一日の出来事が記されたそれらには、今の自分とは違い充実感に満ちた字が綴られていた。

 それは停滞と言う感覚に囚われてしまっているラグナにはとても羨ましいものであり、かつての自分と重なる懐かしいものだった。


(いつ死んでもおかしくは無かったあの子達が、あの瞬間まで命を繋いだのは親の想いか。やはり、愛と言うのは偉大だな)


 何時か、スカハサに問われた時のやりとりを思い出しながらラグナは微笑を浮かべる。突然、笑うラグナの様子にパーシーは首を傾げるが、直ぐに素面に戻ったラグナが問い掛ける。


「で、それが何だ?」

「ラグナも無関係ではないはずだよ? 何ていったって、君は特別だからね……」

「……特別、か



 言われても尚、ラグナは微塵の興味も抱かない様子で机に肘を着く。

 パーシーからすれば、教師たちからも一目置かれているラグナがその代表に選ばれるのは至極当然だと思っている。否、少なくともこのクラスに居るほぼ全員はそれを疑っていない。

 だが、ラグナはそれよりも数日前に教師の一人。アデルに呼び出されてあることを告げられていた。


 ラグナは交流試合の代表には選抜されない。と言う事を──。


 当然、ラグナはそれに対して理由を追求した。

 そしてその理由と言うのは至って単純な事だった。


『君は強すぎる。あくまでも交流であり、競うものではないからだ』


 理解した。するしかなかったとも言えるだろう。

 本来教わる側の人間が、教える側を上回っていると言うのが教育者達から見たラグナという人間の認識だった。

 だが、それ以上にラグナの人物の一面を見抜いたからこそ、彼を出すわけには行かなかった。

 だが、納得できたわけではない。それを追求したが、決まった事だと言われるだけだった。


『……すまない』


 ただ一言、本当に申し訳なさそうにアデルが呟いた言葉を、ラグナの耳は聡く拾ったが、彼の沈痛な面持ちを見て、それ以上の追求をする事は無かった。

 そして、それらを含めて些事と断じて、ラグナは記憶から捨て去っていた。


(もう俺には無関係の出来事なんだがな) 


 ラグナ以外は未だに知りえない事実だ。それを打ち明けようともせずラグナはあくまでも無関心を装う。

だが、再び浮かび上がった記憶と言うのをそのまま沈めようとは思わずふと思考をめぐらせて仕舞う。


(……貴族と、か)

 

 そう考えて、最初に頭に浮かんだのは中庭で出会うアリステラの姿だった。今日も中庭に行く。


(その時に聞いてみるか……)


 自分でも少し驚くくらいすんなりと出た結論に疑問を抱きながら、ラグナは有意義とは言い難い時間が経つのを待った。



 何時ものように中庭に行く。この場所で見つけた安らぎの場所のひとつだ。

 ラグナがそこへ行くと、珍しく彼女の方が先に居た。大樹の根元にて座り静かに本を読む姿は優雅で、邪魔をしないように離れた位置でそれを眺める。

 やがて、気配に気付いた彼女が顔を上げてラグナと目を合わせる。


「ごきげんよう」


 アリステラは優しげに微笑みそう告げる。ラグナは表情を変える事無く「ああ」と、返して同じく根元に腰掛けた。

 いつもこうではない。だがこうしている時、ラグナ自身も気付かない安心感のような者があった。


「珍しいなそっちが先に居たなんて」

「今日は、授業がほとんどないのよ」

「──何故だ?」

「交流試合が近いから、そっちに専念するためよ。代表の生徒達を教員や城から来た騎士達が見るの」

「……その間の授業は無いのか?」

「そうね。各自で好きにするようにって言われているわ」

「何だそれは? 殆ど丸投げじゃないか。杜撰過ぎる」


 ラグナの率直な感想に対して、アリステラは小さく笑う。


「ラグナは良いの? 貴方の事だから、代表には選ばれているのではなくて?


「……いや。俺は選ばれない」

「──何故?」


 一瞬、アリステラは驚くが、納得したように──。だが、沈んだ声音でラグナに問い掛ける。それに対して、ラグナはパーシー達には告げなかった出来事を打ち明ける。


「そう、なのね。残念だわ、貴方の戦う姿を見たかったのに……」

「別に。俺にとってはどうでも良いことだ。見世物にするものじゃないからな」


 ラグナは至極当然のように答える。

 それは本心であって、偽る理由も無い彼自身の率直な感想だ。それは聞いたアリステラにも理解できた。

 だが、それ故に彼女はさらに理解してしまう。


「……貴方にとっては、とても見ていて気持ちの悪くなる光景になるわね」

「──何の話だ?」


 囁きような小さな言葉を、ラグナはやはり拾ってしまう。その追求にアリステラの心臓が一度大きく跳ね上がる。彼女は知っているが、彼はまだ知らない。

 打ち明けるべきか、否か……彼女は迷った。

 だが、二人のやりとりに割って入る闖入者によってそれは壊れる。


 やや乱雑に開けられたのは、貴族院側の扉──そこからぞろぞろと中庭に入ってくるのは数人の貴族の庶子と傍仕え、さらに白銀に輝く綺麗な鎧を纏った大人だ。

 そして、そのうちの一人が目聡くアリステラを見つければ、他の者達も連なって彼女の存在に気付く。

 一人に対して数人──無視すれば良いが、彼らはその選択をしなかった。何処か悪意を含んだ顔付きをすると、アリステラの方へと近づく。

 アリステラも立ち上がり彼らを迎え撃つ姿勢を取った。


「これはこれは。アリステラ嬢ではありませんか」

「ご機嫌麗しゅう、グルストン様



 わざとらしさを隠す気も無く、大げさな礼をする庶子の一人──グリストンと呼ばれた者を筆頭に、彼らはアリステラの前に立つ。

 丁度、木陰がラグナの姿を彼から隠しているので彼らはラグナの存在に気付いていないが言葉は聞こえる。

 形を装いながらも明らかに相手を見下した態度が含まれる声音に、ラグナは既にグルストンと呼ばれた若者の印象が悪くなった。

 しかし、相手はあくまでもアリステラであることから、下手に首を突っ込む事は無く静観する。

 なによりも、平民である自分が首を突っ込めばややこしい事になるというのは明白だからだ。


「供回りも連れずにこのような場所にてお一人で過ごすなど……危険ではありませんか?」

「従者には自由を許しています。私が呼べば直ぐに駆けつけてくれるので心配には及びません。それに、此処は安全な学院です。危険などあるはずがありません」

「どうでしょうかねえ? 魔物を狩るような野蛮な平民は何をするか分かりませんよ? 何せ異形の怪物を殺すことを目指す者達ですからね。我々貴族とは違って、血生臭そうだ



 それに釣られるかのように数人のクスクスとした嫌な笑いが零れる。

 ピクリと、ラグナの眉が釣り上がる。

 隠す気などない。見下したような態度もそうだが、魔物を狩ることで生きる術を培ってきたラグナからすれば、先程の言葉は彼と彼に武芸を教えた者への侮辱に他ならない。

 僅かな怒気を放ちながらラグナは身体を起こそうとする。


「……お言葉ですが、グルストン家は軍門のお家だったはずです。先祖は戦乱を戦い、時には魔物を退けることでロムルス王国に貢献してきました。先程の言葉は、貴方の祖先の人格を否定するようにも捉えられます」


 しかし、ラグナが動くほぼ同時にアリステラが先程までとは打って変わった鋭い言葉を返す。予想外の返答に対して、グリストンは驚き、固まり──そして焦る。


「お、ぅ……ず、随分と我が家名にお詳しい


「我がグラニム家も元は軍閥として多くの戦場を駆け抜けて築かれた地位の上に立つ家です。戦場において何よりも重きを置くのは情報であり、治世であろうとないがしろにしてはならない。我が祖父ファーガスの教えに従っているまでです」

「な、成る程……流石は虎将軍の孫娘殿。女性のみでありながら智勇を磨いているとは真のようですね」

「ありがとうございます。しかし、私はまだ無知であり未熟な身です。智勇と呼べるものではありません」


 ほう──と、気取られないようにしながらラグナはそのやりとりを見守る。感心したのはアリステラの言葉の鋭さだ。グリストンという人物の知性の鈍さもあるが……。

 否、だからこそ彼女の言葉に含まれる清廉さはよりハッキリと引き立つとラグナは感じた。

 それはまさしく、無数に散らばる砂利の中で金剛石が輝いてるように明白な者だった。


「しかし、今は治世なのです。父祖が武によって築いた地位ですが、戦乱は最早過去の話です。これより先は貴族による統治が問われる時代なのです


「果たしてそうでしょうか? エイルヘリア神聖皇国との和平は祖父の代ですが、過去の国との根本的な争いは解決しておりません。過去にも講和と戦を何度も繰り返しております」


 苦し紛れの言葉もまた間をおかないアリステラの言葉が両断する。言葉を詰まらせる具グリストンに、口を挟めない者達。静観するラグナと騎士達。

 しかし、誰の目から見てもアリステラの方が優勢なのは明白だった。


「それに言葉を付け足させていただきますが、先程のグリストン様の言葉はこの場に居る者達の大勢に対する侮辱とも捉えられます」

「な、何だと──」

「先のお言葉は武芸を不要と言っていると私は感じられました。ならば武芸を不要とされるあなた達は何故に剣の腕を磨くのでしょうか?



 再び振り下ろされる言葉の刃は、グリストンの言葉を完全に奪う。自分達の首を絞めるような発言をし、顔を真っ赤にさせる。

 ラグナにはそれは見えていないが、その言葉を受けた者が羞恥に震えているという事は良く分かった。


「無礼なッ! 黒髪の田舎娘めッッ!! 女の身で武芸を磨くような奴が、私に意見するか!」


 激昂──否、苦し紛れと苛立ちによる暴言だった。


「確かに、私は公国の貴族です。あなた達から見れば王都の華やかな街並みと我が故郷は劣るかもしれません。しかし! 王家より賜った地を守ってきた誇りがございます。女のみなれど、智勇を持って領地を守る父祖に倣う事に男も女も関係はありません」

「ええい黙れえ!」


 感情任せの言葉に対して彼女の落ち着いた反論には火に油を注いだ。その怒気は敵意となる。

 感情の抑えが聞かなくなったグリストンは怒りに身を任せて手を振り上げる。

 不味いと、とっさに騎士や取巻きが止めようとするがもう遅い。アリステラの頬を叩こうと、振り上げた掌が彼女の顔へと薙ぎ払われた。

 アリステラはそれに動じず、教わった武芸の心得をもって対応しようとする。


 結果的に言えば、アリステラは無事だった。

 だが、彼女はまだ何もしていない。頬を叩かれる直前、彼女の後ろから現れた腕がグリストンの腕を無造作に掴んで動きを止める。


「…………」


 悪意と敵意に反応したラグナは、自分でも分からないが静観するのを止めて彼女を守っていた。


「ラグナ……?」


 アリステラも振り向き、僅かに動揺する。

 だが彼らからすれば驚いただろう。突如として現れた自分達よりも頭一つ二つは飛びぬけた巨躯の男は、威圧を放って立ちはだかるのだから


「い、痛い痛いッッ!!」


 鍛えられたラグナの握力によって軋むほど強く握られた腕を暴れさせながらグリストンは叫ぶ。大した興味も抱く事無く、ラグナは投げ捨てるように彼を解放する


「き、貴様、何者だ!」

「……さあな。名乗るような大した身分でも無い」


 腕を押さえ炎のように激昂するグリストンに対して、ラグナは氷雨のように無感情だった。それがさらに怒りを増幅させる。

 

「平民生か……貴族の私に対してこのような事をッッ」

「……」


 吠える愚リストンに対して、ラグナは口を開く事無く見下ろす。

 狼狽する周りを他所に、ラグナは臆する事無く、自然とアリステラを庇うように前に出る。今、仮にラグナが冷静に立ち返れば自分が何故、この行動を取ったのか疑問を抱くだろう。

 だが、それをしないラグナの鉄面に宿る赤い眼には明確な義憤と言う名の怒りがあった。鉄でできたように微動だにしない冷たい表情に静かに燃える炎のような赤の隻眼が迫力を圧す。


「ッ……ふん、田舎貴族に平民の犬か。お似合いな事だな!」


 勢いに押され、最後にせめてもの暴言を残してグリストンは逃げるように去る。取巻き達も後を追い、騎士は気まずそうに一礼するとそれに続いていった。

 それを睥睨しながら見送った後、溜め息を吐いてラグナはアリステラに向き直る。


「……すまない。拗らせてしまった



 あくまでも貴族の問題だと、ラグナは理解していたしするつもりはなかった。だが、咄嗟に動いてしまった。

 その結果、彼女が先程の奴のような輩に攻撃される材料になってしまうと理解しながらもだ。

 後悔はしていない。だが、アリステラに対して申し訳が無いとも思った。


「いいえ。助けてくれてありがとう」


 だが、首を横に振りながらアリステラは言う。

 それは不思議とラグナの中に生じた罪悪感をやわらげた。


「……また助けてもらったのね」

「どうした?」

「なんでもないわ」


 小さな彼女の言葉は、曖昧な言葉として濁される。


「……あのグリストンという男は」

「グリストン家の嫡男よ。聞こえていたでしょうけど、彼は武門の家の出なのよ。だから他の貴族達の中では優れているから、今度の交流試合にも出る事が決まっているの


「…………」


 ラグナは会えて言葉を噤んだ。

 悪意に満ちた歪んだ性根に、優れているとは言えない知性。そして簡単に捕まえられてしまうほどの腕の振りの遅さ。

 そして、鍛えているというにはあまりにも細かった腕の感触。

 


「貴方から見れば、弱く感じたでしょう?


「──そうだな」


 アリステラに言い当てられ、考えた末に彼女へのある程度の信用から正直に答える事にした。


「お前には強く見えたか」


 問いかけに対してアリステラは何時もの朗らかな笑みのまま首を横に振った。


「あんなのが代表の一人か……それなら、他の奴らも程度が知れるな」

「そうね。貴族としては複雑だけど、他の代表やその候補も同じ位かしら。元々軍閥だった貴族だったり、そうでなかったり。或いは箔付けの為にって自分から名乗り出たり……


「下らねえな」


 それが何の意味を持つのかラグナには理解できなかった。そもそもしようなどとは思わなかった。

 そもそも、あれよりも遥かに良い動きが出来る平民の代表を相手にあれらが対等に戦う姿など、ラグナには想像が出来ない


「……けれど、きっと貴方があれを目にしたら、きっと貴方は許さないのでしょうね」

「どういうことだ?」


 アリステラの言葉が吐き出した言葉にラグナは問う。

 


「ラグナ。貴方も、この王国と四方を守る公国の建国譚については耳にしたことがあるのよね」

「ああ」

「公国と王国は王家と四人の大公の名の下に確かな絆と忠義があった。でも、それはもう遠い昔の話。四方を守れて安穏と暮らしてきた王家と、それを取り巻く貴族たちは一機ん堕落してしまった」

「……それが、今の言葉とどう関係あるんだ?」

「交流試合を見ればそれが分かる──と言う事よ」


 そう言い残して、アリステラはその場から立ち去る。

 アリステラの言葉が棘となり、ラグナはその背中に声をかけることはしなかった。追及はしなかったが、何が起こるか……それについては決して良いものを期待する事は出来なかった。

 ふと空を見上げれば、朝方は青かった空はいつのまにか灰色の雲によって覆い隠されていた。

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