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59話:強くなりすぎてしまった少年

 冷たくも無く、温かくも無い。ただ深く重たい彼の呟きだった。虚空の中に寂しさを抱いた言葉が、ラグナの口から零れ出た。


「……」


 その独白のような言葉を唯一聞いたアリステラは、彼に掛ける言葉が浮かばなかった。

 自分にとっての当たり前が無くなった世界に対して、何処か馴染みきれず胸に穴が開いてしまったような感覚だと、ラグナは思いながら自身を振り返る。


 クリード島に居たころ、身近に居た三人の師に憧れを抱いた。

 スカハサのような魔法の使い手。

 セタンタのような武勇の担い手。

 フェレグスのような知識の担い手。

 彼女彼らに憧れて、その弟子として、弟分として、教え子として必死に彼らの背中を追いかけた事が始まりだった。

 それが遠くて険しくて……ただ【何か】があって、ラグナの道はそれしかないのだと改めて理解してから、甘ったれた考えは消えて走ることだけを選んだ。

 八歳から十歳になるまで、とにかくラグナは必死だったと思う。何度もセタンタに打ち負かされ、木剣で手足や顔を打たれて地面に背中から倒れたことなど、数える事すら億劫なほど経験した。そのたびに、ラグナは立ち上がって再び向かい合った。

 魔法の失敗もした。自然の仕組みを知り、それを利用して空を飛んでみようとした。結果的に空を飛ぶことはできたが、初めての飛翔は、そのまま海へと墜ちる失敗を味わった。

 それでも、姿勢の制御を加える事で、魔法の仕組みとして荒はあるものの飛翔の魔法を独自に編み出して見せた。

 

 環境もそうだった。安全な屋敷の外には凶暴な魔物が生息していた。

 八歳になるまで、ラグナは魔猪を狩る事が出来ず見つかれば逃げ隠れしていた。そして二年後──これまでの雪辱を晴らした。

 そして魔境での生活でも、人間が未だ入り込めていない領域に生息する魔物達をセタンタと共に観察し、戦い方を見つけて狩り、その身体を糧にして喰らう。その日々はエルフとの交流を除いて続いた。


 その全てが、ラグナの根幹にある生きる事への執着とも言える感情が基──。

 まだ物心が着く前。死ぬ事を望まれて魔物の生息する森の中に捨てられたとき──運命に逆らって現れた女神の胸に抱かれた時、自身の運命に抗おうとその手を掴んだときに宿った【求生者】としての意志は、今もラグナの中で強く燃えている。


 そしてラグナが見てきた世界は、強くならなければ生きていけないという酷く単純で、美しくも残酷な世界が大半だった。人間社会にラグナが馴染みきる事が出来ない事は無理も無いし、ラグナ自身もそれはある程度理解して、自覚もしていた。

 だが、それを理解したからと言って納得をしている事ではない。

 何に対しても必死だったラグナに対して、今の環境は【(ぬる)い】と言うのがもっともしっくり来る言葉だった。

 この学院だけではない。ラグナが見てきた安穏と暮らしている者と、立場を奪われ居場所を失って、それでも生きる事を諦めずに悪事と知りながらも抗っている者達との違い。

 ラグナから見れば、それは雑多の小石とその中に混じる小さな宝石ほどの違いが見えた。そしてこの学院にはそんな宝石のような人物が居ない。

 真実の歴史を知ったときから、ラグナの中で人間と言う種族への信頼は大きく損なわれた。だが、それでも期待をしていなかったわけではない。

 それらもまた、この学院に来る前までの生活の中で、擦り寄ってくる者や利用しようとしてくる者を見ている中で、失っていった。

 大きく削ぎ落とされた感情は、時間が経つに連れて少しずつ磨り減っていき、心に負担となっていった。

 それらはフェレグス達との交流を経て紛らわしていたが、今この場に一人しか居ない状態ではその手段すらなく内側に積もって行き、新たな闇へと変じて行く……。


 そんなラグナの信条を、アリステラが解する事はできない。出来る筈がない。根本のところで二人は──否、彼と彼女達では価値観が大きく異なっているのだ。ただ、アリステラには分かる事は一つあった。

 あの時からそうだった。大人に対しても恐れることなく、自分を連れて逃げてくれた事。あの理不尽な罵声を受けて尚、涙を流さなかった心の強さ。

 その時から、自分なんかよりもずっと、ラグナと少年は強かった。そして、彼がそこから進み続けていたのならば──。


(この人は、強くなりすぎてしまったのね……)

 

 立場や身分などとは無縁な場所の高みに居るからこその孤独。自分がかつて味わった異孤独とも違う一人の場所に行き着いてしまったのだと彼女は捉えた。

 変わろうとするきっかけを与えてくれたその人物は──自分がそうする前からそうしていて、自分が始めたその後も続けていたのだ。


(ああ、遠いな……)


 目指していたその人は、自分よりもずっと先を進んでいて……否、今もまだ駆けていたのだと、改めて実感した。それは凄い事だと思う一方で、酷く孤独で寂しいものだとも感じられた。

 四年前の出来事の事を、アリステラは良く覚えていた。

 ラグナという少年が語ってくれた自身の回りに居る人々のこと──何処か誇らしげで、楽しげで、その時だけは年相応の子供っぽさを表に出して語っていた彼の表情が浮かぶ。あの時は理解者が居る事に羨ましいと思っていたが……今なら、自分がそれからも眼を背けてしまっていたのだと振り返る事が出来る。


(けれど……)


 再会した時の彼の素顔もまた、彼女の記憶に焼きついている。

 自分よりもずっと大きかった背丈、あの時と同じ金色の髪は伸ばして、年相応の幼く丸みを帯びた瞼の内、左側は帯で隠れ、無事な右目は刃のように鋭くなっていて静かな怒りを宿したかのように瞳は赤く輝いていた。

 似ていると漠然と思った。だが、きっと名前を聞かなければ確信を得ることはできなかっただろう。

 それだけ彼は、変わっていた。


(当然よね。進もうとしている人が、何も変わらないはずが無いもの……)


 それは他ならぬアリステラ自身もそうだったからだ。

 御伽話ばかりを読む事を止めて、魔法所を開き、父に頼んで講師を招きいれて魔法と、女には不要と言われた剣術を学び始めた。

 始めは建前ばかりの説得で、次には影からの嘲笑を味わった。それを他所に彼女は今まで何もしてこなかった分を取り戻そうと必死に手足頭を動かした。

 嘲笑は消えて、やがて奇異の眼差しで見られるようになっても彼女は辞めなかった。やがて、彼女は自分自身の手で自分の地位を作り上げた。

 誰にも馬鹿にされない。領民を愛し、領民に愛されるグラニム家の長女としての確固たる地位を──。

 それはとても誇らしいことだ。それでも彼女は分かった。否、聡明になったからこそ理解してしまうのだ。

 自分と彼の間には未だに大きな隔てりがある事を──。


 ラグナが目標と定めるセタンタ達との間に長大な道があるように、アリステラとラグナの間にもまた果てしなく長い道があった。


「……悪い。結局、つまらない話をしてしまった」


 返す言葉が無かった。やがて、ラグナはそう侘びるの言葉が零れる。


「そんな事は無いわ。きっと、私も貴方にした言葉も似たようなものだった」

「…………そうか」


 その言葉に、アリステラは少しおかしくて笑ってしまった。


「私に対してもそんな事は無かった、くらいは言ってほしかったわ」

「む? んん、振り返ったがアリステラの会話も俺とあまり遜色なかったような」

「お世辞でも良いから、そういうことにしたほうがいいのよ」

「…………そう、か。そういうものか?」


 むぅ、と唸りながら、ラグナは自分自身を納得させる。

 

「そろそろ戻らないとまずいな」

「そうね。残念だわ」


 名残惜しいとアリステラは思うが、時間の流れを止める事はできない。戻らなければならない。

 だが、ラグナはそこで疑問をぶつける。


「……なあ、俺と話しても面白くは無いだろう?」

「いいえ、この時間が私にはとても大事な事だから……」

「どういうことだ?」

「……それは──」


 ふと、辿りついた疑問に対してアリステラは一瞬、答えるか迷った。だが、直ぐに首を小さく横に振ってその選択を振り払う。


「それは……秘密よ」

「…………そう、か」


 その答えに対して、ラグナは釈然としないながらも納得したように答えて立ち上がる。


「次はいつ此処で会えるかしら」

「さあな……俺にはわからん」


 何処かそっけない言葉だったが、それもそうだとアリステラも納得する。


「それじゃあ、また何時か会いましょうラグナ」

「──ああ」


 二人は静かにその場を後にする。普段は人が寄り着く事の無い境界線の上は、二人だけの場所。

ラグナにとっては安らぎの場所で、アリステラにとっては再会の場所だ。その場を立ち去った後──ラグナは何処か胸の中に沈んでいた黒く重たいものが、幾分か霧散している事を不思議に思う。

 そしてアリステラは、充実感とほんの僅かな不満を胸の中に押し込めて前を向くのだった。


例えるならば……

プロローグから八歳になるまでのラグナ=仔犬

一章(八歳)のラグナ=野良子犬

二章(十歳)のラグナ=仔狼

現在のラグナ=若い一匹狼

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