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57話:貴族院の風景

 アリステラは教室内の空気を億劫とした様子で眺めていた。


「フンッ、臭い田舎者共め──」

「都の無能がッ」


 これで何度目だろうか……。王都で勤める王国貴族と、各公国から来た公国貴族の衝突は、学園が始まって以来、こうした空気は男子達の間で頻繁に起きている。

 王国内の貴族は公国の者達を田舎者と嘲り、対して公国側は王国の貴族を、惰眠を貪るだけの無能集団と蔑む。


(いつから、こんな風になってしまったのかしら)


 遡る事五百年前──建国の父であるロムルス一世と四公の絆によって守られ、紡がれてきた王国と公国の関係は、いまや冷え切り亀裂に塗れていた。

 四公の一つ──グラニム家に連なるアリステラには、今目の前にて繰り広げられる光景は虚しく映る。

 やがて、立ち込める険悪な空気に耐えられなくなり、アリステラは教室を後にする。おば立ちにミーアが居ないのは、彼女は彼女で従者専用の教室が宛がわれているからだ。

 一人、廊下を歩くアリステラは静かに窓の外へと目を向ける。そこから見えるのは平民生校舎と中庭の風景だ。

 真っ直ぐにその場所を見据えて、次に中庭の中心に聳え立つ大樹へと目を向ける。

  

 そこには誰も居ない。

 アリステラが会いたいと思っている人物は居ない。


(貴方は、今何をしているのかしら……)


 あれ以来、会うことは無い。今日のように中庭に目を向けて、木の根元に居るその人物を見かけても、会いに行こうと移動をした時には、既にその人物は居ないのだ。


(会いたい。話しがしたい)


 ただ純粋な思いが、少女の心を巡る。景色を見つめる眼に、微かな潤みを帯びて無意識に彼女は記憶を想起させる。

 だが、その回想は彼女に向けられた悪意を、アリステラが察知した事で終わる。目を向けた先には此方へと近づいてくる女子生徒の一団が居た。


「あら、ごきげんよう。アリステラ様」


 優雅だが、どこか加虐的な悪意を含めた笑みを浮かべて少女は礼をする。


「ご機嫌麗しゅう、マリエラ嬢」


 アリステラも敢えてそれに気付かぬフリをして礼を返す。

 しかし、彼女に対して向けられるのはクスクスと含み笑いだ。


「そのような畏まった態度は無用ですわ。貴方は大公グラニム家のご息女なのですから。例え──黒い髪であろうとも」

「…………」


 ニコニコとした表情に侮蔑に満ちた眼差し。遠まわしに遠まわしを重ねた侮辱の言葉。アリステラはそれに何も言い返す事はしない。此処で噛み返したところで向こうはのらりくらりとかわされてしまう事が、分かっているからだ。


「聞けば、未だにご婚約が決まっていないとか──可憐なお人だと言うのに、おかわいそうに」


 心底、同情したようにマリエラ嬢は言葉を告げるが、その後ろに控える取巻きの少女達の言葉にならない笑みが彼女の本心を物語っている。

 アリステラは、一度瞼を閉じる。そして考える。

 目の前に居るのは【マリエラ・フォン・マレスベア】──王国内でも屈指の名門貴族だ。大公の地位にも劣らないだろ地位にある彼女の家柄ゆえの横暴だが、それにアリステラは屈しない。


「そうですわね。中々良縁に恵まれておりませんが、こうして己の時間を自適に過ごすのも決して悪いことではありませんよ」

「あら、そうですの? 私は──」


 マリエラはにやりと笑う。

 

「本を読めば教養が着きますし、剣を磨けば健康にも良い事です。何時か、素敵な殿方と添い遂げたとき、常に寄り添いその傍を守る事ができると言うのなら、今こうしている日々は、とても素敵な事だと思うのです。それに我がグラニム家は、今でこそ大公とは言え元は武門の家柄です。その娘が剣を磨く事も父祖の思いを受け継ぐべきことかと思っております」

「──」


 毅然とした笑みを含めて放たれた言葉に、マリエラは咄嗟に言葉を失う。今まさに、さらなる嫌がらせの牙として向けようとした言葉を先んじて言われてしまったからだ。


「それに身体を動かすと言う事はとても健康的なことです。マリエラ様は何か秘訣でもあるのでしょうか?」

「……」


 降り下ろそうとした刃は容易く弾かれ、逆に突き返される。

 アリステラとて幼い頃から黒い髪ゆえに家族身内から冷遇されてきた立場の少女──そこから這い上がった彼女に、この程度の嫌味など微風にすらならない。

 対するマリエラは歯噛みする。

 そもそも何故、態々マリエラがアリステラに嫌がらせをしようとしたのか? その理由は酷く単純──嫉妬だ。それも美意識の高いマリエラが女として本能的に感じ取った嫉妬だ。

 マリエラがアリステラを遠目から見た時、彼女は本能的に【美しい】と思ってしまった。本来ならば、黒い髪ゆえに不吉がられ、蔑まされる橘のにもかかわらず──その髪の色も含めて彼女の堂々とした態度に一瞬、心を奪われてしまったのだ。

 彼女からすれば西方のグリンブル家にて美女と名高いかの三姉妹ならともかく、彼女にまで自身の美貌が劣っていると思ってしまったのは、屈辱だった。


「もし宜しければ、今度私と一緒に剣の稽古に参加してみませんか? 後ろの皆さんも、きっと楽しいですよ?」

「──そ、そうですわね。考えさせていただきますわ」


 彼女には突き返された刃を捌く力は無かったようだ。もしも彼女に尻尾が生えているのならば、文字通り尻尾を丸くして逃げている事だろう。

 オロオロする取巻きを他所にアリステラへと礼をしてから来る時よりも少し早歩きでその場を後にする。それからやや遅れて取巻き達もマリエラの後を追ってその場から居なくなってしまった。

 アリステラはそれを見送ってから、再び中庭へと目を向ける。まだ誰も来ていない。会いたい人はそこに居ない……彼女の口から溜め息が零れる


「淑女に溜め息は似合いませんよ。アリステラ」


 掛けられた声に彼女は振り返る。

 赤いドレスに身を包み、綺麗な栗色の髪を靡かせた美女がそこに居た。


「セルヴェリア様……」

「私達に【様】などと仰々しいやりとりは必要ありません。同じ大公の娘なのですから」


 礼を尽くそうとするアリステラを制して名を呼ばれた淑女は微笑む。

 【セルヴェリア・フォン・イーニス・グリンブル】──西の公国グリンブルを治めるグリンブル家の次女であり、アリステラの学友でもある。


「また、こうして中庭を眺めているのですか?」

「はい。ミーアからはあまり立ち入るべきではないと言われてますので──」


 セルヴェリアの言葉に、アリステラは苦笑しながら答える。

 彼女から見れば主が見ず知らずの、それも平民の少年と話していること自体が危険で看過できないものだった。無論、アリステラもラグナについては話そうとした。しかし、それは思いとどまった。

 話せない物語だったし、自分の中にだけ置いておきたいという独占もあった。言う事が楽なのに、彼女はそうする事を選んだ。


「──フフッ」


 アリステラの横顔を見て、セルヴェリアは微笑む。それに対してアリステラは問いかけるが、問われた彼女は「いいえ」と答えてはぐらかした。


「あ。遅れてしまいましたが、パーシヴァル様とのご婚約、おめでとうございます」

「あら、覚えていてくれたの? ありがとう」

「当然です。貴族社会は噂の伝達が早いのですから」

「そうね、お姉さまもそうでしたから……」


 セルヴェリアの一つ年上の姉──長女【アナスタシア】は王太子である【ユリウス・フォン・ユーグ・ロムルス】の婚約者の事を思い出しながら彼女は窓の外へと目を向ける。

 ユリウスが学校を卒業次第、式を挙げる事が決まっている。その事を思い出しながら、セルヴェリアの心はパーシヴァルと言う相手に淡い気持ちを募らせる。


「【三華】と呼ばれている皆様ならとても素敵な結婚式になるでしょう」

「そうねえ……シルヴィアが相手を見つけてくれれば、父上も私も落ち着けるのですが……」


 だが、アリステラの言葉に余計な事を思い出したように、微笑みが曖昧なものへと変わる。

 【三華】とは、セルヴェリア達──グリンブル家の三姉妹の美貌を讃えた異名でもある。その美しさと教養の高さから王国と公国、さらに聖皇国の有力権者からも婚姻を申し込まれる程だ。

 長女アナスタシアは、王太子ユリウスと──。

 次女セルヴェリアは、同じ大公の嫡男パーシヴァルと──。

 そして末妹のシルヴィアは──


『自分よりも弱い男の嫁にはならない』と豪語して全ての縁談を断っている──そんな噂をアリステラは耳にしている。

 

「武芸を磨くことにすっかり魅入られてしまって……最近では、父上に騎士団の設立をせがんだほどなのですよ」

「それは……また…………」


 ため息交じりに知らされたその言葉に、同じく剣を鍛錬として行っているアリステラでさえ困った表情を浮かべる。

 さらにその噂と話から察するに、未だに彼女を負かした男は居ないらしいことも分かった。


「女傑であった母上は寧ろ喜ばしいと笑い、お淑やかな姐上は良い事じゃないか暢気な事をおっしゃって止めませんし……困ったものです」

「グリンブル夫人は、元々女傑として有名でしたから、思う事があるのでしょうね」

「来年にはあの子もこの学院に来ますが、あの性格も私にとっては不安の種です」


 恐らく、セルヴェリアの中には所構わずに誰かに対して勝負を申し込む妹の姿が浮かんでいるのだろう。


「この際、アリステラの弟でも紹介してくれませんか? 武門の息子ならばあの子も納得すると思うのよ」

「それは、申し訳ありませんが難しいです。ダーマッドはまだ六歳で幼く、剣もまだまともに触れません。とても今のシルヴィア様の相手が務まるとは思えません」

「そう……ハアァ、心配だわ」


 妹の将来を心配するセルヴェリア。頬に手を添えて溜め息を吐きながら、彼女は考える。

 その姿を見ながらアリステラは自分の事を振り返る。


(素敵な殿方……)


 その言葉に対して、彼女の中に一番最初に浮かんだのが誰なのか……それは騙るまでも無い。恩人であり、憧れでもある人物。直ぐ近くにいるのに、とても遠くにいる人物への切望が心を痛める。

 

(会いたい。話したい。そして、知りたい。貴方の事を──)


 願いのような想い。それを点がかなえたように窓の向こうに映る景色に人影が現れる。

 金髪に隻眼にて赤眼の少年は、何時ものように大樹に近づくと隠れてしまう。

 弾けたように、アリステラの身体は動いていた。


「アリステラ、どうかしの?」

「ごめんなさい! 急ぎの事を思い出しましたの!」


 セルヴェリアの声に振り返る事無く、ほんの少し走るようにアリステラは中庭へと向かう。今度こそはと逃がさない為に──。


「……全く。あの子にも、彼女くらい強く想える相手が出来れば良いのに──」


 友人の背中を羨ましく思い見つめ、次に中庭へと目を向けてセルヴェリアは静かにその場を後にした。


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