55話:教室風景
ラグナは学院での生活では、基本的に一匹狼である。
少し離れた位置から他者の様子を伺い、必要最低限程度の関わりを保つ事で、自分の領域を守っている。それはラグナが確固たる自分と言う信条ゆえだ。
己の領域に他者を踏み込ませず、同時に踏み入れず──厳格に励んでいる。
そうした外見、雰囲気を醸し出しているラグナの姿は同級生達からすれば──怖い。この一言に尽きてしまう。一部の者を除いてラグナは人とのかかわりなど殆ど無い。
授業が区切りに入り、短い休憩に突入する。静かに教鞭を受けていた生徒達が解放されて、ざわつく中で、ラグナは無言のまま後片付けを行う。
年相応の者達とは対照的なラグナの様子はやはり室内全体からは浮いているように見える。それを意にも介さず一人、次の準備を始めるラグナ──。
「ラグナ君。今、良いかい」
声に反応して、ラグナは顔を上げる。
人の良さそうな涼やかな表情から、緑の瞳で見つめてくる少年──パーシーが居る。
ラグナの同室であり、教室の纏め役を務めているパーシーの呼び掛けに、ラグナは顔を上げる。
「何だ」
怒っているわけではないが、鋭い隻眼から睨まれるような眼差しを向けられる。しかし、慣れているパーシーはいつもの事と苦笑いするだけだ。
「次の授業だけど、またラグナ君にも頼むってさ」
「分かった」
苦笑しながら案件を告げるパーシーの言葉に、ラグナは立ち上がりながら答える。
ラグナ達の授業内容は三種類存在する。
歴史学を基本とした座学。
魔法に関する知識学。
訓練場で教員を相手にした実技鍛練。
一年では、学院内にて基礎知識や体力を身に付ける事を目的としており、二年目以降は更に多くの科目が課せられる
その実技においてラグナは、同年代の生徒を相手にしている。つまり、ラグナは教わる側ではなく教える側に立っている──これは、異例中の異例だった。
生徒達からは距離を置いている(置かれている)一方で、教師達からはラグナの評価は高い。知識面で利口であり、身体面でも優れた実力を発揮する優等生。文武両道を地で行くラグナの姿は、平民生の中で群を抜いている。
その証としてラグナは、入学試験において唯一──学院の歴史上で初めて、現役の冒険者を相手に白星を上げた生徒だ。無論、多少の手加減はされていただろう──少なくとも回りはそう思う筈だ。だが、それでも子供が大人に勝つのは難しいことであり、本来なら互角に戦う時点でありえない事だった。
無論、ラグナも初期の授業では教わる側だった。だが、直ぐにラグナの異質性を肌で感じた教師は、生徒達の可能性も考慮し特例として、ラグナの立場を一時的に教育者側に移したのだ。
パーシーの言伝はそういうことである。
(まさか、教える側に立つとはな……)
この環境に身をおいて、自身が師や兄弟子達の立場に移った事に感慨に思いながら……しかしそれにもかかわらず、何処か不服そうに溜め息を吐く。
「どうかしたのかい?」
「何でもないさ」
当然だが、目の前に居るパーシーはその溜め息に気付いて問い掛けるが、ラグナは首を横に振って答える。
「気が乗らないのなら、断ってもいいと思うよ」
「嫌、と言う訳ではない…………ただ、少し疲れだけだ」
「……そうかい」
曖昧な答えで、ラグナは溜め息を誤魔化した。ハッキリ言ってしまうのは簡単だが、それを口に出すような安直な事はしない。
「なら、お手柔らかに頼むよ」
パーシーは苦笑し、それだけ告げるとラグナから離れていった。
「……ふぅ」
心の中で蓄積されて行く不満──それから目をそらすように、ラグナはもう一度溜め息を吐いて、天井を仰ぐ。
「また溜め息を吐くのね」
「……」
そんなラグナに対して二人の少女が、パーシーと入れ替わるように近づく。
ローブに身を包んだ魔法使い然とした赤毛の少女マリーと、布製の服にベストを羽織った軽装の藍色の短髪の少女アンナだ。両名とも、ラグナと接点を持っている数少ない人物の一人だ。
「お前らか、何の用だ」
「話、聞いてた」
「ああ、成る程な」
アンナの言葉に、ラグナは納得したように二人を見る。
「半端な気持ちでするくらいなら、嫌と言えば良いじゃない」
「そのつもりは、ないのだが……」
「他人の目から見ればそう見えるわよ」
「……気をつけよう」
棘を含んだマリーの言葉に、ラグナはまた再び溜め息混じりに言葉を返す。溜め息とともに言葉を返されたことに対して、彼女はムッと眉を顰めて睨みつける。
ラグナ自身、マリーが自分に対して敵愾心を向けている事は察知している。しかし、それを向けて来る理由を解しては居なかった。
実際、マリー自身はラグナをライバル視している。しかしラグナは、それを無視しているので一方通行の意識なのだ。
同じ感情で比較するなら、ラグナからセタンタへの意識がある。
ラグナは、兄弟子にて師あたるセタンタの事を、最も身近に存在する目標──ライバルに定めている。それと同時に、彼の事を無二の友と敬意もある。
しかしマリーからラグナに対しては、一方的な対抗心しか存在しない。よって、ラグナから見てマリーと言う少女は──。
特に理由も無く、自分に突っ掛かって来る、良く分からない相手──と言う認識だ。
先程のやりとりのように、ラグナに対して時節、棘を含んだ物言いをしてはラグナから適当にあしらわれてる。そんなラグナの態度が、彼女の年相応の自尊心などを刺激し、マリーはラグナを睨みつける。
二人の間に空気が重くなり、周囲の者達が遠のいていく。
「マリー、落ち着いて」
「……ふん」
唯一人、マリーの傍らに立つアンナが割り込み、彼女をたしなめる。途端に、マリーからにじみ出ていた苛々とした空気が消える。小さく鼻を鳴らして、マリーはその場を去る。
「ラグナも」
「ああ」
次いで、ラグナも窘められて小さく頷いた。マリーとラグナの間の空気が険しくなった時に割って入るのは、決まって彼女か、パーシーのどちらかになる。
アンナ自身もラグナと同じく、教室の空気には溶け込もうとはせず不思議な空気を纏っている。
「余計な手間を掛けた」
「構わない、何時もの事」
「……そうか」
日常の一環と、そう返されたラグナは息を吐いて肩を竦める。
「……」
「…………」
「………………」
ジッ──と、アンナはラグナを見つめる。無言な上に無表情な少女に対してラグナも何も言わず見つめ返す。マリーとラグナの間に流れたバチバチとした空気とは打って変わった。静かで不気味な空気が漂い始める。
やがて、ラグナはやれやれと小さくぼやいた。
「……行くぞ」
「分かった」
沈黙を破るようにラグナあ告げる。それにアンナは頷き、先に進む彼の後ろに続く。
 




