54話:夢と現
おぼろげな空間──ラグナは、スカハサに中庭に居た。身体を地面に伏して、頭はスカハサの柔らかい太腿に乗せられている。俗に言う膝枕という行いだ。
木陰の下でラグナは、静かに目を閉じて夢心地を味わう。そんなラグナをスカハサは慈愛に満ちた優しい面持ちで見下ろす。
『ラグナ。これより先だが、わしはお前に闇魔法に関するあらゆることを封じる』
おもむろに、スカハサがラグナを撫でながらそんな言葉を投げかける。
『何故ですか?』
スカハサの言葉に、当然ラグナは問い返した。
『お前のこれからの為だ。この才能は、いずれお前自身の力で伸ばすのだ。その時までは──封じておけ』
その言葉に、何も言い返す事が出来ず首を傾げる。
『それは何時なんですか?』
『さあ、何時だろうな。 何年先かもしれない。何ヶ月先かもしれない。何日後かもしれない。ひょっとしたら、明日かもしれないな』
『それじゃあ、禁じた意味がありませんよ?』
『その通りじゃな』
スカハサは愉快に笑う。
『その日が来るまで、お前はこれを戒めとし精進せよ。いつか、わしがこの戒めを解くその日までな』
スカハサはその問いに対してにこやかに微笑み、ラグナの頬を撫でる。
『今は強くなれ、賢くなれ……その先にきっと、お前が欲するものに気付けるだろうさ』
『僕が、欲するもの、ですか?』
『ああ。今は分からなくても良い。がむしゃらでも、必死でも良いから……お前の思うとおりに、己を磨けば良いさ。良いな?』
『……』
スカハサの手のぬくもりを感じながらラグナは小さくうなずいた。
『良い子だ。さて、ではもう少し休めラグナ……わしが特別に子守唄をやろう』
トン、トン、トン、トン──。
呼吸のリズムに合わせたように、ラグナの胸を優しく叩きながらスカハサは歌を奏でる。
ラグナはぼんやりとした思考の中で、沈む感覚に身を委ねて目を閉じていく。その耳ではスカハサの優しく綺麗な歌に聞き惚れる。
そのまま、まどろみの中へと誘われて、意識を手放そうとした時──。
ラグナは眼を開けた。
横向きになった視界に、黒い髪の少女が立っていた。
少女は、前髪が目にかかっていて顔が判別できない。だが、何時かと同じく、少女はラグナに向けて何かを訴えかけていた。
「………」
パチリ──。
目を開けた時、見慣れぬ汚い天井を見た。さらに、夢の中で感じていた柔らかさと温もりが嘘のように消えた、難く冷たい枕の感触に身体を起こす。
此処は何処だ? しばらく考えてから、ここが寮の部屋だと思い出し、自分が今どこにいるのかを思い出す。
こう思ったのは恐らく、懐かしい夢を見たせいだと考える。
これまで、やわらかいベッドを使って睡眠していたラグナだが、この感触には未だに慣れていない。欠伸を一つ掻き、首と肩を回してベッドを出る。立ち上がってから大きく背伸びをして、着替えに取り掛かる。
(……本来なら、ここでフェレグスの淹れてくれる紅茶があって、それさえあれば体の調子も整うのだがな)
保護者であり、恩師の一人である従者の幻影を写しながらラグナは溜息を吐く。
ちらりと同居人の寝ているベッドへと視線を送る。こちらに背を向けて眠るパーシーの毛布はyっくりとだが、上下に大きく動いて呼吸しているのがわかる。
(寝つけているのは、正直うらやましいな)
若干の気だるさを感じているラグナは、普段より早く目を覚ましてしまったことに気付く。
(その割には、夢の記憶は覚えているみたいだ)
対照的に、自分がつい先ほどまで見ていた夢の内容は鮮明に覚えている。いや、夢と言うよりも記憶と言うのが正しいのかもしれない。
四年前──師スカハサから言われた言葉だ。
(あれは、何があったのだったか……)
掌を見つめながら、何故、スカハサが自分に対してその戒めを与えたのか、思い出そうと記憶をたどる。だが、途中でまるで巨大な崖に打ち合ったかのように、その先の記憶を思い出すことは出来なかった。
ただ、覚えているのは……師匠の言葉を受けいれて、それを頑なに守ると誓ったことまでだ。
何故、その誓いをしたのかは忘れてしまっていた。だが、気がかりがある。
いつか見た夢と同じく、あの空間にはいる筈の無い少女が居た。
(あれは誰なんだ?)
何故、覚えていないのにあの少女は記憶の中に居るのか……。
焼き付いて消えない……。あの少女がそうかと考えたが、それは当人に否定された。
(あの子は誰だ? 何故俺の中に居る。なぜあの場所に現れた。それも、二度も──)
当初は、まず怒りを抱いたのを覚えている。大事な場所に踏み込んできた部外者──だが、今あるのは不可解だ。頭の中で無数の糸がほつれて思考が思うように纏まらない。最終的に、首を横に振って思考を全て投げ出した。
分からないものに対して時間を使い続ける事はしない。心身を持ちなおす為にも新しい事に思考を向ける。
そして、真っ先に浮かんだのは朝の鍛錬の事だった。少し早く起きたので、その分も鍛錬に使おう。熟睡しているパーシーの事を気遣い、足音を立てないように注意しながらラグナは一人部屋を出ていく。ラグナが学院生活は、入学から早数日が経過していた。
石床の様に硬いベッドでの睡眠など、未だに慣れないものも多々あるが、ラグナは少しずつ適応しながら、自分の日常を送っていた。
まず朝一の鍛錬──剣の素振りに、空白の時間で魔法の練習も行う。十全な睡眠を取れていない不調子な肉体は、実際に動かす事で持ち直す。悪く言えば単純な行動はセタンタ譲りだろう。
ただ、今までと違い実際に相対する相手が居らず、一人で剣を振るう。競う相手が居ないということはラグナに物足りなさを感じさせる。内側に芽生える不満を振り払うように時節、剣を強く薙いだ。
割り切っている。少なくともラグナはそのつもりで居るが、それで感情の全てを把握して制御する事はできない。ラグナは、まだ十二歳だ。大人と呼ぶには程遠い。大人びた印象を抱かせる静かな子供である。これまでの環境と違い、間近に強者や知者の見当たらないこの環境でいかに自分を強くするか……それを未だに見出せずに居る。
この学院に居る事がもっと別の思惑があっても、それがラグナの本質に変化を及ぼす事はない。
競う相手もいない。緊張感も何も感じる事の無い空を相手にするラグナは時節、遥か北の地へと視線を向けるのだった。




