49話:再会の少女
今後の話の流れと、二人のやり取りを重視して書き直しました。
実力不足により、恥ずかしい限りです。
名前を教えてほしい。彼女はそう言った。
そう言われた相手は、名前を教えた。
ただ、それだけの事だった……特に変な事など無い。ごく自然の事であり、片や貴族の少女で、片や素性の知らぬ平民の少年である事による身分の差を除けば変な事ではない。
「ラグ、ナ──」
だが、彼女にとってそうではなかった。
彼女は覚えている。自分を助けてくれた少年の面影が蘇る。
黄金の髪。
紅蓮の瞳。
そして、ラグナと言う名前。
「あ……」
金色の少年なら探せば居るだろう
赤い眼の少年なら探せば居るだろう
ラグナと言う名前の少年なら居るだろう
金色に赤い瞳の少年ならば? 丹念に探せば世界中に何人かいるだろう。
ならば、金色の髪に赤い瞳を持ち、ラグナと言う名前の少年ならばこの世界に何人いるのだろうか?
いいや、それはきっとこの世界に一人しか存在しないだろう。
あの日、一人の少年に牙を剥いた理不尽な現実を見た瞬間から、彼女の中から運命や白馬の王子と言う言葉は消えていた。
だが、その一方で彼女は、この再会を諦めきれずに望んでいた。
願いが叶うなら、もう一度会いたい。心の奥底でそれを願い続けていた。
「──」
見た時、似ていると思った。
夢なのか? アリステラはそう思った。
だが、目から溢れ頬を伝って落ちた滴の感触が、彼女に現実だと突き付ける。
ラグナ──目の前の金髪赤眼の少年は、確かにそう名乗った。確信した。目の前にいる少年は、疑いようもなく、間違いなく、あの時出会った少年なのだと──。
「……おい、大丈夫か?」
「え……」
ふとアリステラは自身を気遣う声を掛けられ、呆けた声を返してしまう。
「涙。また流れているぞ」
「ッあ、ごめん、なさい」
少年に──ラグナに目元を指摘されて初めて自分が涙を流している事に気付いたアリステラは慌ててそれを拭う。拭いながら、泣かないと自分に決めていた誓いを再び破ってしまった羞恥からラグナから顔を背ける。
「本当に平気か?」
「ぇぇ、目に埃が入ったのかしら……ごめんなさい」
「……何で謝る?」
「だって、貴方に気を遣わせて」
「……何もしていないのに謝られても困るんだが、俺が悪いみたいじゃないか」
そう言いながら、ラグナはバツの悪そうな表情で頭を掻く。
その姿が、アリステラの脳裏に残る幼い頃のラグナの記憶と重なり、彼女は涙を拭いながら、ほんの少し笑みを浮かべる。
それに気付かないラグナは困っていた。
まさか、名乗った時に相手が泣くなどと誰が予想できようか? ましてや相手は女の子であり、貴族だろうと平民だろうと、泣いている相手に背を向けて立ち去るような薄情者にはなれなかった。
だが、その考えはラグナが被ろうとしていた氷の仮面を落としてしまい、本来のラグナという人を表面化させてしまう。立ち去ろうとしていた足をラグナの良心が止めて再び少女の方へと身体を向けさせる。
「それで、アンタは名乗らないのか?」
「え、あ。そうね……私は──」
呼吸を整え、名乗ろうとして──もう一度呼吸を整えた。
そして──
「私は、アリステラ」
「アリステラ……」
名前だけを答えた。その名前を聞いて、ラグナは小さく復唱する。
アリステラは願った。覚えているのなら、気付いてほしい。覚えてないのなら、思い出してほしいと──。
「……それだけか?」
「え?」
素朴な疑問の問いかけにアリステラは意外な顔をする。真意の測れない言葉に、戸惑う。
「何か、変だったかしら?」
「アンタは、貴族の生徒だろ? あまり知らないが、貴族っていうのは妙に長ったらしい名前を名乗ると聞いていたのだが……違ったか?」
それを聞いて、アリステラは納得すると同時に心の中で肩を落とす。覚えていて欲しかった。名前を聞いて思い出して欲しかった。その思いは届かなかった事を理解したからだ。
(そう、よね……もう、四年の間、一度も顔を合わせる事も無かったのだから)
むしろ忘れていてもおかしくはない。自分にとっては大事な事であっても、向こう側が同じ思いを抱いているなんて期待していたのが、自分の我儘なのだと、アリステラは自身にそう言い聞かせる。そう言い聞かせた上で、アリステラはラグナに微笑みかける。
「貴方も名前しか名乗っていないのなら、私も名前だけ名乗るのが礼儀でしょう?」
微笑み、返した不適な言葉にラグナは驚き固まった。
「貴方にも家名があるのなら、それを明かすことで私も全てを名乗りましょう」
「ッ、…………」
さり気無い質問から虚を突かれ、質問を返されたラグナはバツの悪そうな顔を背ける。
『そんなものはない』と、言えば簡単な事だっただろう。
時として必要な嘘もあるだろうと、ラグナは嘘が嫌いだがそう割り切っている。だが、嘘を吐くことに慣れていないし、慣れたくないという思いから、咄嗟に直ぐ嘘を吐くことが苦手だった。だから、彼女の言葉に対して思わず詰まらせてしまった。
アリステラはラグナが隠し事をしている事を察知する。
やがて、ラグナは両手を小さく挙げて降参の意を示した。
「分かったよ。アンタに打ち明けるつもりはないなら、それで良い」
「なら、お互いまだ名前だけと言う事で良いかしら?」
「…………」
アリステラは何も言わないラグナに近づく。
ラグナは動こうとして、足が竦んだとかそういうわけでは無いのに、動けなかった。立ち去ろうとして、二人に生じた距離はあっという間に縮まる。
「良いかしら?」
「ぁ、あぁ……」
微笑むアリステラの言葉に、困惑顔のまま頷くラグナ。
この場の主導権は、ラグナから彼女の下に移った決定的瞬間だった。
アリステラと言う少女は静かな少女だ。
女の身では不要の剣を磨き、貴族の身では不要な魔法を学び、令嬢としては不要と言われる知性を磨き、それを貫き続ける芯の強い女性になっていた。
そんな彼女を突き動かすのは、興味とも違う。純粋な想いだった。
その想いが何なのか? アリステラ自身は知らない。
ただアリステラにとって、この邂逅は夢の様な現実であり、あの時に何も出来ずに別れを告げられる続きの物語なのだ。
少女は心の中で必死になっていた。掴めた手を振りほどかれないように懸命に握りしめる。
貴方を知りたい。その気持ちに従い、アリステラは今までの人生の中で初めて、積極的に行動する。
「ねえ、折角お互いの名前を教えたのだから、名前で呼び合いましょうよ」
「ぁぁ? えっと……アリステラ、様。という事か?」
「いいえ」
そんな他人行儀に呼ばないでほしい。あの時と同じで構わない。寧ろ、そう呼んでほしい。
そう願いながらラグナの言葉に首を横に振る。ラグナは再び困惑しながら、彼女の望む答えを返す。
「なら、アリステラ。あんたの事はそう呼んでいいのか?」
「はい」
パッ、と咲いた花のようにアリステラは、嬉しさから笑顔になる。計らずも、その笑顔にラグナは不意を突かれて魅入られてしまう。それが、彼の拒否するという選択肢を消した。
「だが、良いのか? 俺は──」
「平民生とか、そう言う事は関係ありません。立場は違えども、私達は同じ学び舎で学ぶ子供なのだから……それに、これは私の我儘みたいなものだから」
「我儘?」
「いいえ、何でもありません……」
つい零した言葉を拾われたアリステラは慌ててその言葉をもみ消す。一瞬、怪訝な表情を向けられるが、直ぐに元の顔に戻るラグナを見て、アリステラは彼をここに留まらせるべく、さらに一歩踏み出す。
「あの、もし良かったらここでもう少しだけ私とお話をしませんか?」
「……何で?」
当然、疑問の声を返される。一つの衝動に駆られた行動ゆえに、アリステラの選択に計画性は無い。ただ、ラグナと言う人間を知りたいという思いのままに行動する。
「私の従者に頼んで、この場所には一人でいましたの。元々、教室の空気が嫌でここに居ただけなのですが……貴方さえよければ、私の話し相手になってくれませんか?」
「…………」
無言。ラグナの赤い隻眼が、アリステラの蒼い双眸を見つめる。
心を、考えを、謀を見定めるような鋭い視線を、少女は真っ直ぐに見つめ返す。
「……分かった。俺も、教室の空気に耐えられずに此処に来たからな」
「──! ええ、ありがとう!」
再び花のような笑顔を魅せるアリステラ。
ラグナは一瞬戸惑い、そして僅かに顔を背けた。
 




