45話:入学試験
「どこか変なところはあるか?」
「いいえ」
ラグナの問いにフェレグスは迅速に答える。
上半身──黒色の服の上に深緑のコートを羽織り、更にその上には長剣を差す。右手は手袋、左手には重厚な|を身につけている。
下半身──短剣を帯びたレギンスの上から鋼鉄の|を装着し、脚全体を覆い万全の守りを備える。
正しく、剣士。そう呼べる偉丈夫の姿をフェレグスは一つの芸術品を愛でるように見つめる。
「頼んだぞ」
「御意」
二人は短い言葉を済ませて、ラグナは家を出る。
既に長い言葉は要らない。互いのやる事、する事は決まっていて、それをお互いは無難に終わらせるだろうと言う信頼があった。
時に従い、時に逆らって雑多の人の波の中をラグナは進み歩く。それは普段の目的地の無い歩みではなく、定めた目的地のある前進だった。
進み──、やがて一つの場所で脚を止める。
見上げる。豪奢な正門と広大な敷地。そしてその先にある屋敷のような建物。
この場所が、以前ラグナ達に、入学状と願い状を送りつけてきた【レムス学院】だ。
何故、ラグナが此処に来たのか? 元々、ラグナはこのレムス学院に入る事をフェレグスと決めていた。だが、それは貴族としてではなく、多くの人との関わりを重んじて平民としての編入だった。
そして、今日は平民の入学志望者を選定する試験がある。それを受けに来たのだ。
(内は腐っても、学び舎としての設備は充実しているな)
正門を潜り抜けながら、ラグナは周囲の風景を見渡す。
広い敷地は手入れが行き届いており清潔に感じられる。近づくに比例して大きくなっていく建物も、月日の経過から亀裂が走っているなど朽ちた部分もあるが、それが風情を感じさせる。
奥には訓練場のような建物があることもラグナは見逃さない。
観察しながら進んでいる、その時、二人の男が立ちはだかる──鎧甲冑を纏って槍を持つ。
番をしている兵士だと言うのはすぐに分かった。
「……何でしょうか?」
普通の態度で、普通の言葉を使う。だが、甲冑の奥から送られる訝しげな視線を感じ取って、ほんのわずかに身構える。
「貴様。そんな身なりで何をしている
「何を、と言われても……今日行われる学院の試験を受けに来た者です
「試験だと? お前はふざけているのか」
「……?」
怪しまれていると言うのは分かるが、言葉の意味を汲み取る事が出来ず、ラグナは首を傾げる。
だが、兵士からすればラグナの背丈は怪しかった。同年代の子供達と比較して頭一つ分以上の大きさの彼が、いきなり子供達に混ざって正門から入ってきたら誰だって怪しむだろう。
ラグナは改めて周囲を見渡す。そこで始めて自分が呼び止められた理由を理解し、自分は潔白である事を説明する。
証拠と呼べる者は無いが、言葉で理解してもらうしかなかった
「……本当にお前は希望者なのだな?」
「はい」
「…………分かった。そういうことにしておく。試験は闘技場で行う、呼び止めて悪かったな」
「いえ、ありがとうございます」
納得を得て、解放されたラグナはそのままの足取りで闘技場と称された、訓練場のような建物へと向かう。
建物に入る。石畳を敷き詰められた広場を円の壁で囲い、その上に観席を作った造りは、自然の中や屋敷の中庭で鍛練を行ってきたラグナには珍しいものだった。
そして、入ってきたラグナに幾つもの視線が集る。
多くは興味だった。先ほどのこともあり、自分が大きいからだと割り切るが──。
その一方で一つ、二つ。異なる感情を込めた視線があるのにも気付く。
(強いのか、或いは……)
誰が、何処からその視線を向けてくるのか。その気になれば探し当てる事は出来るだろう。
だが、これから大事な事がある手前、万が言いを考えてそれに労力を使いたくは無いと判断して放置する。
ただ、不意打ちも考えて、ラグナは中央の集団から離れている者達に倣って外側に移動した。
ラグナより先に居て、壁際に陣取っていた者の目を無視してその近くに陣取る。
あとは時間が来るのを待つだけだ。
ラグナが来た後も少しずつだが志望者達が入り口から入ってくる。
剣を持つ者。槍を持つ者。斧を持つ者。弓を持つ者。無手の者。
皮鎧、鉄の鎧、ローブ、軽装、重装などのさまざま恰好をしている。
闘志を滾らせる者。静かな者。落ち着こうと深呼吸をする者。
その様子を見ながらラグナは時が来るのを待っていた。
ふと、首から掛ける二つの首飾りを手に取って見つめる。懐かしむようにそれを見て、特にエルフから贈られた木片と翡翠の石の香りを嗅ぎ、心を落ち着かせる。
やがて、五人の大人たちが入ってくる。
ローブを着込んだ、いかにも魔法師と言った姿の女性と男性。
鉄の鎧に大剣を背負った大男と皮鎧の女剣士。
そして、中央に立つ紙の束を持った男性が受験生たちを呼び集める。
「今日はよく集ってくれた英雄の卵達よ。私は、教員のアデルという……君たちの試験の総監督を務めさせてもらう
注目を集まる中で堂々と言葉を並べる優男──アデルと名乗った男を観察する。
「試験方法は実技だが、魔法は魔法として。武術は武術としてやってもらう。二つの訓練場を使うので、各々が自信のある方で選んでくれて構わない。両方に自信があるものなら事前に話してくれ」
(フェレグスの言うとおりだな……)
情報通りの内容にラグナは内心で安堵する。
魔法試験の志望者達はローブの男女に連れられて別の訓練場へと連れていかれ、この場に残った者達は大男と女剣士に準備を促される。
その様子を尻目にラグナは一人、アデルの前に立つ。
「……君は?」
「受験者のラグナと言います。先ほど、魔法と武術の両方に自信のあるものは教員の下に行くように言ったのでそれに従いました
「何? 君は……受験者なのか?」
「…………何か?
「ああ、いや、すまない……一瞬、そう見えなくてな」
(またか……)
二度目となればラグナも辟易する。
アデルの疑問が、自分の姿が年不相応に見えるからだということは彼の目を見て読み取れた。普通に過ごしてきただけにもかかわらず、この扱いをされるのは不本意だった。
「だが、しかし、本当に現れるとは思っていなかったからどうしたものか」
「……居るかもわからない者に対して対応を取っていたのですか?」
ラグナの態度に冷気が帯びる。
アデルもそれを感じ取り、先ほどの失礼も踏まえて謝罪してくる。
「いや、すまない。こういうのはより腕に自信がある方を選んでくれて構わないのだが……君は両方に自身があるのだな?」
「最高の師から教わったと自負しています」
「ふむ……では、君は先に魔法の試験を、次に武術の試験を受けてくれ」
「わかりました」
素直に応じてラグナはその場を後にする。
(悪人、ではなかったな……)
良くも悪くも普通の大人──そうアデルの事を心の中で評しながら、ラグナはその場を後にした。
少し遅れて魔法の試験場へと入る。既に試験は開始されて受験者たちは各々、試験官達の前で各々魔法を披露している。
試験の順番を待ちながらラグナはその様子を観察する。大体の者は自分が最も得意とする属性魔法なのだろう。
また、得意とする者達はやはり自身があるのだろう。動きには無駄がなく、表情には自信があるのが見て取れる。
ただ、ラグナには一つ分からない光景があった。
それは人々からすれば初歩だった。だが、それを省いて育った者にすれば未知そのものだった。
「この手に集い、そして彼方の敵を焼き尽くせ!」
そう告げて魔法を操る少年の腕から【火球】が放たれる。その先にある鉄の人形へと飛び、そして当たると同時に爆ぜて消える。
「地より出でて、敵を貫け!」
そう告げる少女の足元の地面が浮き上がり石の槍へと変じる。そして同じく鉄の鎧へと鼻垂れて鎧をへこませて砕ける。
その情景を、ラグナは興味深く見つめる。
あれはなんなのだろうか? そしてラグナは純粋な好奇心と疑問から、順番を待つ少女の一人に尋ねた。
答えの前に、その少女はラグナに対して奇怪の眼差しを向ける。
『お前は何を言っているんだ?』 そんな感情が表情にはあった。だが、それでも彼女は親切に教えてくれた。
「【詠唱】よ」
それだけ言って、少女は自分の番と呼ばれて行ってしまった。
(詠唱……なるほど、あれがそうなのか)
答えを聞いて改めて納得したように、目の前の景色を見つめる。
詠唱……魔法の初歩であるそれをラグナは知らない訳ではなかった。単純に見た事が無かっただけだ。
女神であり、ラグナの親であり、魔法の師であるスカハサの教え方は悪く言えば大雑把だった。
原料である魔素。実現する方式の知識。それを制御する精神。それに耐えうる体力の四つの要素を教え、基礎を学ばせた後のスカハサの教え方は、実践のみだ。
それも魔物が跋扈するクリード等を生き抜くためであったが、ラグナからすればそれはスパルタ教育だ。
殺す気は無くても殺意のある攻撃。そんな魔法による猛撃を命懸けで逃げたのがラグナの最初の頃だ。
尚、その頃にはラグナは身体強化を使っていた。
それから次に逃げるのをやめて避けること、防ぐことを意識した。
そして猛攻の隙間の中で反撃することを考えるラグナは、いかに早く魔法を展開するかを考えさせた。
魔法の知識に関して、基礎の知識と速さの追求から詠唱と言う初歩方法を省いたラグナからすればの目前の方法は生まれて初めて見る珍しいものだった。
「次の者」
そう呼ばれて、ラグナが呼ばれる。
自然と視線がラグナのほうに向けられる。だが、ラグナはそれに物怖じはしない。
「…………もういいのでしょうか?」
「ええ」
確認し、承諾を得たラグナは小さく息を吸い、静かに狙いを定める。
「ッ──!」
刹那、左手を薙ぎ払った。
瞬間に生じた風圧は風の刃の魔法と化す。【風刃】と言うありふれた風魔法の一つだ。
その一撃は鎧の僅かな隙間へと吸い込まれるように命中し、その胴体を両断した。
無詠唱。そして手足の動きに合わせた反射意識の応用による魔法の発動。
ラグナがスカハサとの訓練、そして魔境でのサバイバルとエルディアとの死闘の振り返りから編み出した高速魔法である。
ガラン──落ちた鎧の音が響く。
一瞬の静寂に包まれた。
「……もういいでしょうか?」
「え? ええ」
ラグナの問いかけに我に返った試験官の二人は、未だ信じられないものを見たと言う雰囲気の中で当事者の背中を見送るしかなかった。
そんな視線の数々をどこ吹く風と流して、ラグナは武術の試験受ける為に戻ってくる。
大剣を使う大男と戦う者と女剣士と戦う者。弓矢の使い手は離れた位置でアデルから腕魔を見られている。
終わった者は帰り支度をしているか、息を整えている。
(制限付きの模擬戦か……)
「良し、ここまでだ!」
太い声が聞こえてそちらを向く。
大剣を担いだ大男と激しく肩を上下する少年が向かい合い一礼する。
「さあ、次は居るか!」
張り上げる大男は次の相手を求めるが、誰も名乗り出ない。どうやら既にほとんどの者は試験を終えているらしい。
ならばと、ラグナは進み出る。
「ん? さっきまで居なかった奴が何でここにいる?」
「彼は両方の試験の志望者ですので先に魔法の試験を受けていたのですよ」
ラグナの姿を見て、大男は疑問をぶつけてくる。
しかし、ラグナが答えるよりも先に彼を見つけたアデルがその疑問に答える。
「ほお──大した自信家のようだな」
疑惑から一変して品定めをするような眼差しを送り、ラグナを自身の前へと誘う。
それに応じるように背中の剣を引き抜きながらさらに一歩進み出る。
「……貴方は冒険者か?」
「ああ、年に一度、こういう依頼が来るのさ。羽振りがいいからな」
(やはりか……)
「始める前に質問してもよろしいですか?」
「何だ?」
「模擬戦での身体強化を含めた魔法の使用は許されているのでしょうか?」
「いや、あくまでも当人の本来の実力を量る為だから魔法の使用は全面的に禁止だ」
「分かりました」
確認を終え、改めて向かい合う。
両手で剣を持ち構える男。
片手で剣を握るだけのラグナ。
気を研ぎ澄ますラグナ。
気を解き放つ男
「……」
ただものじゃない。
大男は、一瞬でラグナの力量を読み取った。容赦なく照り付ける日差しの暑さのせいではない汗が、男の頬から垂れ落ちた。
「来い!」
意を決し、男の言葉と同時だ。
「──ッ!」
カッ──と目を見開いてラグナは地面を蹴った。見開いた眼で相手を捉え、狙いを定め、獲物に向けて正面から襲い掛かるように小細工抜きの直線である。
男も、一瞬遅れて地を蹴る。
一気に互いの距離が縮まる。互いの剣の射程に飛び込んだ。
男は大剣を水平に薙いだ。まともに入れば子供の体などあっさりと真っ二つに出来てしまう一撃だ。
だが、その一撃は空振りに終わる。
男が剣を薙いだ瞬間、ラグナは宙へと高くに跳んだ。
跳びながら、宙で身を翻す。足は空に、頭は地に向く。
その瞬間、剣を振り下ろした。
男は咄嗟に前のめりに転がる。互いの剣が空を切る。
そのままラグナは再び宙を捩り翻す。体の正面は大人の背中へと向ける。頭は空に、足は地に向いて着地する。
軽業師のような芸当に見物者たちはどよめいた。
そして剣を握り、剣先をやや外側下方向に向ける。余分な力は加えない。ただ、いつでも踏み出せるように脚に力を込め、姿勢を少し猫背気味に低くして次に【構える】。
男の方は自分の直感と直観を信じた事に感謝した。自分の勘が感じたものは決して間違いでも気のせいでもなかった。
同時に、戦慄した。対している相手は年端も行かぬ少年だというのに、あの一瞬で自分よりも実力が上だと理解したからだ。
試験を終えていた女剣士の方もラグナ達のやり取りを静かに、しかし食い入るように見つめる。
「お前、名前は?」
期待を込めて、男は問いかける。
「ラグナ」
「良い名前じゃないか」
答えて、そう返されたラグナの唇が綻ぶ。
だが、すぐに引き締めて再び此方から仕掛ける。
それに対し男は、動かず迎え撃つ構えをとる。
大剣の射程内に入る。斜め上から斬りかかった。
本来ならば下限をするのに一切のそれをしないのは、既にラグナと言う人物が自分と同等の実力を秘めていることを見抜いての事だった。
そして、ラグナはそんな男の期待に応えるように対応する。
走りながら降ろされる剣の角度よりもさらに姿勢を低くし、ラグナは下へと潜り込む。そして男の背後を取る。体勢を崩すことはない。柔軟な体と優れた体幹のなせる業だ。
だが、男も何かしらの方法で対応されることは分かっていた。
伊達に現役を務めている男ではない。足を動かし、体をねじり、背後のラグナへと再び剣を向ける。そして再びラグナを捉えた。
「オオオオッ!」
ここでラグナは吠えた。吠える──声を張り上げることで自らを高ぶらせ、相手を圧す初歩的な行動だ。体を起こしながら左腕で県の側面を殴りつける。それはラグナ自身がかつてエルディアとの戦いで対応された技と同じものだった。
低い体勢から体を起こすように足の力と放った左腕の力を使って剣の軌跡を強引にずらす。
男は驚いただろう。両腕に加えて、重量武器で上から下への攻撃を繰り出す自分の方に勢いがある。それにもかかわらず、少年に押し負けているのだから。
驚愕と共に大剣が打ち上げられる。
防御も回避ももう出来ない。そしてがら空きとなった首筋に刃を突き付けられた瞬間、勝敗は決した。
周囲は圧倒されていた。
戦いは長いようで呆気なく終わった……たった二度の打ち合いだが、そのやり取りは恐ろしく濃密だったことは、戦った当事者が一番理解していた。
そして勝利を収めたラグナは、ほんの少し乱れた呼吸を落ち着かせると一礼してその場を去っていった。
魔法試験のときと同じく、浴びせられる視線を風のように流したラグナはフェレグス達の待つウェールズの屋敷へと変えるだけだった。
疑いもない、心残りもない。自分の持っているものの一部を出しただけだ。だがそこには確かな達成感もあった。
だからこそ、あとは結果を待つだけだが──ラグナはこの先の事を疑ってはいない。
そして、それは帰りを待つフェレグスもそうだった。
それからさらに一週間後が経過する。
学院の正門前に平民舎の合格者を記した掲示板が建てられ掲示される。
そこに【ラグナ】の名前があった。
健やかに成長しすぎた結果がこれだよ!!




