43話:王国とラグナ
ロムルス王国の首都。王都アーレスは象徴であると同時に、守りに特化した都だ。
象徴となるのは建国時に廃城を修繕して建てられた白亜の王城である【ウォル・マグナム城】だ。
元々王都自体は、戦乱の名残である巨大な壁に囲まれている。この外壁は東西南北に門を設置し、その上部には魔導砲と呼ばれる戦闘用の魔道具が配備されている。
魔導砲とは巨大な砲身の底に幾つもの爆発属性を付与した魔石を設置し、衝撃を与える事で砲丸を遠くに打ち出す兵器である。戦乱当時は強大な兵器として活用されていたが、現在は魔石の枯渇により生産・活用はされていない。
尚、ラグナが八歳の時に作り上げた魔導銃は、この魔導砲の構造を参考にしている。
威力を抑え小型化し、より汎用性を取り入れることで作り上げた魔導具である。最も、ラグナ本人が作っていたものはラグナが白狼族のエルディアとの戦いで盾代わり使われて、破棄されている。
作る事は可能だが、ラグナは左手を損傷し自由が利かないため複製はしておらず、現物は失われている。
そんな城壁に囲まれた王都の心臓部はさらに堀と城壁によって守られており、万全の守備で鼠一匹入ることは無い。
次に、その城を囲むように幾つもの豪邸が建てられている。
これらは国と束ねる王家に仕えている貴族達が暮らす屋敷だ。そのため此処は貴族区と呼ばれている。位の高い家ほど、見栄えのある屋敷に暮らしている。
そして、さらにその外側にあり、外壁と最も密接な場所が、商人から一般市民が暮らす【住民区】とされている。
ラグナの暮らすウェールズ商会があるのはこの住民区と貴族区の丁度、境界付近になる。
厳密には他にも区と呼ぶところは存在する……例を挙げるならば、最底辺の立場に落ちた者達が細々と暮らす暗黒街が、これらについては関係がないので次の機会の説明とする。
そして、城壁の外側には小さな農村地がいくつか存在する。これが王都の衣食の要でもある。
王都から離れるとこんどは王に仕える貴族達が持つ領地になる。
さらに四方を王家と密接なかかわりを持つ四つの大公が治める【四公国】が守っている。
東には、穏やかな気候と海に面した【グラニム公国】。
北には、魔境と面した冒険者たちの行き交いの激しい【ヴェルン公国】。
西には、エイルヘリヤと面して国境の守備と高い軍事を誇る【グリンブル公国】。
南には、温暖な気候と広大な土地と、資源に恵まれた【ニルズ公国】。
それらに守られた王国(と四公国)は、人々にとっては比較的安全な国として成り立っていた。
そんな王国だろうとラグナが過ごす時間には大した変わりはない。
十歳となり、半年の期間を経て魔境を踏破し、様々な出会いを果たしたラグナが、ロムルス王国に移り住んでから既に一年と半年が経過していた。
既に十二歳を迎えたラグナだが、その生活は、日々の日課の繰り返しだ。
朝は目覚めて、フェレグスの紅茶を飲んでから朝食を取る。
その後、中庭に出て剣の素振りを百回行う。
朝の鍛練を終えた後は、フェレグスに連れ添い、商会の経営を手伝う。
ハッキリと言えばラグナは、お飾りの会長だ。
ウェールズ商会が名も知れぬ小さな商会だった頃──両親を野盗に殺され、自身も左目や腕に傷を負いながらも生き延び、両親が残した商会を部下と共に切り盛りし、ここまで伸し上げた。
そんな嘘八兆の背景を作り上げているが、実際にはフェレグス一人で立ち上げたものだ。
フェレグス本人もあくまでもラグナが衣食住に困らせない為で、ラグナの行動に一切の制限を設けなかった。
ただ、ラグナの本質は知的好奇心と探求心の塊だ。何か新しいものがあれば気になるし、調べてみたくなる。
商会という自分にとって未知のものが目の前にあるのに何もしないラグナではない。計算などを行い、フェレグスのサポートを行いながらその仕事内容を学んでいる。
そうした若いながらも勉学に励む姿は、フェレグスが雇った雇用人達から好意的に映っている。
昼食を食べ終えると再び素振りを百回行い、魔法の鍛錬を行う。
それが終わると再び、フェレグスと共に座学を含めた商会の経営の手伝いを行う。
尚、来客者がいればそれはフェレグスが対応することになっている。
ここでいう来客は、様々な人間がいるが──主にウェールズ商会と手を結びたい商人と、力を取り込みたい貴族だが、それは決して歓迎できる者達ばかりではない。
今後のラグナの王国での生活を考慮しての意向もある。
それとは別に『ウェールズ商会の長は齢十を超えた程度の若造だ』、という理由で無礼な輩が、時節訪れるからだ。
そう言った人物をラグナに合わせたところで不快になるだけだと、フェレグスが追い返す役割を務めている。
それらを方針の結果。ウェールズ商会の若き長【ラグナ・ウェールズ】の顔を実際に見たことがあるものは、とても少ない。
ラグナも外出はするが、用いるのはフェレグスが用意した隠し口だ。
その時は供回りなどつけずに伸び伸びと気の向くままに歩く。ただ、あるがままの外の景色を見て帰ってくる事で、ラグナは人間を学ぶのだ。
夕方になるとそれらから解放されたラグナは、チェスの研究を行う。
チェスはロムルス王国で過ごすようになってから、フェレグスが持ち込んだもので、頭を使うゲームとしてラグナは大いにのめり込んだ。
培った教養と知識もあり、フェレグスと対局することでその腕はメキメキと上げていく。
しかし、自身にチェスを教えた張本人であるフェレグスには一度も勝てていない。
尚、現在のラグナの記録は百九九戦〇勝百九九敗と勝ち星は無い。
次の勝負で負けると二百敗目になることもあり、ラグナは静かに闘志を燃やしている。
そしてベッドの上で本を読み、ラグナは眠りに就く。
一日の内でどれだけの休みを取っているのかと不安になるラグナの私生活だが、それでもやる事する事の合間にはキチンと休息をとっている。
そもそも、ラグナにとってはそれが普通であり、当たり前の日常なのだ。彼にとっては、学ぶ事も鍛える事も知る事も、等しく己が生きていく強さの糧だ。
それはラグナの生まれ持っての本質ともいえる。
鍛錬の日々であるクリード島を出て、生と死が繰り返される魔境を抜け、治世のど真ん中である今の地に居ても、ラグナの中から求生者としての本質が変わることは無い。
生き残る為に、強くなる。
強い者と弱い者なら弱いほうが先に死ぬ。それは当たり前だ。
生き続ける為に、賢くなる。
賢い者と愚か者なら愚か者が先に死ぬ。それが当然だ。
生きる事を誇る為に、気高く高潔にあり続ける。
下卑た性根に、卑劣を極めて生きた命に価値などある筈がない。
それが、女神に拾われ、銀竜に救われ、竜に認められた武の極みと、神に惜しまれた智の極みの中で育った人間──ラグナが見出した生き方だ。
その日、ラグナは供を連れず一人、外出していた。
これは日々の日課では無いが、ラグナが良く行う事の一つだ。
本来、ラグナのような立場の人間は一人や二人は護衛をつけて出歩くが、フェレグスはラグナの意向を尊重して彼を一人で外出させる。
十二歳のラグナだがそもそもその肉体は、同年代の物達と比較すれば頭一つ分大きい。
普段から鍛練を怠らず徹底的に鍛え抜かれた鋼の如き肉体。その肉体は、肉・野菜・穀物を均衡良く摂取する事で維持されているからだ。
十五歳で成人と見做される人間の国の中、普段から落ち着き大人びた雰囲気をかもし出すラグナは見ず知らずの人間から見ても大人の一人に見える。
よく言えば、発育が良い。悪く言えば、歳不相応なのだ。
エルフから送られた深緑のコートを羽織ったラグナは商店街を進む。
護身用に背中に刺した剣のおかげで、ラグナは冒険者の一人として周囲の目から見えていた。
何食わぬ顔で人々の流れに逆らう事はせず、それでもラグナは人々の様子を、観察しながらゆっくりと歩き続ける。
世間話をする女性達の姿。
人ごみなどお構いなく走り回る子供達。
全てを諦めた様子で路地裏に隠れ座る男か女かも分からない身なりの者。
それら全てをラグナは知識として頭に刻み付ける。
そんな時だった。喧騒とする人ごみの中で、一際荒々しい声をラグナの耳が捉える。
ラグナは人ごみを掻き分けてその場所へと早歩きで向かう。
行き交う人々の中で野次馬を見つけたラグナは、その中に自分の体を突っ込んで何が起きているのか確認する。
男が誰かに暴力を振るっていた。
誰かと言うのは、その人物が男か女か分からないからだ。汚れた衣服に傷を負った裸足。
髪は無造作に伸ばされており、地べたを這い、それでも何かを大事に守るように、その人間はおなかの下に両手を突っ込んで抱えている。
そんな誰かに対して、男は口汚い言葉を吐きながら蹴りを入れる。力任せに放たれたその一撃を受け、苦悶の声を挙げる。
次に男は髪を引き上げる。此処でラグナは殴られている人間が女である事を知る。
髪を引っ張り上げられ露になった薄汚れ痩せこけた顔。その顔には殴られた跡がある。抵抗する力も既に無くだらりとした彼女だが、それでも両手では赤い実を守るように懸命に抱えている。
男は止めとばかりに拳を大きく振り上げる。
抵抗する力も無く苦悶の声を挙げながら、女は周囲を見る。
助けを求めるように、怒りを込めて、消えそうな光の中にそれでも奥底に輝きを秘めて女は人々を見る。
だが、その言葉に答えるものはいなかった。
怯えた目で素通りする者。
見世物を見るように楽しげに見る者。
汚い物に対して蔑みを込めて見下ろす者。
誰もそれには応えない。他人事と傍観者であり続ける。
ただ一人、を除いて──。
「コノヤロォ!!」
怒りの声をともに男は振り上げた拳を、少女の横顔へと振り下ろした。
「──ッ!」
それをラグナは横から掴んで止める。
乱入者の出現に男と周囲の人間は驚きの表情を浮かべる。
「な、何だテメエ!!」
驚き、次に怒りの表情をラグナに向ける男──射殺すような眼差しを向ける。
対するラグナは、涼しい顔のままその視線を受け止める。ラグナからすればこの程度の殺意などどうと言う事など無かった。
「…………」
無言のまま、しかし不快な者に対する怒りの感情を鋭くした目に込めて、掴んでいた男の腕を強く握り締めた。
骨を軋ませる程の握力に、凄んでいた男は次第に痛みに顔をゆがめていく。堪らずもがく様に手を振り払い、女を掴んでいた手も放して後退る。
解放され、しかし立つ力も無く路上に倒れこむ女を、ラグナは静かに見下ろす。
その眼に同情はない。ただ観察するように、見定めるように彼女を凝視し──やがて、一度瞑目してから男へと顔を向ける。
「こんのガキが……」
怒りの矛先をラグナへと向ける名も知れぬ男は、拳を構える。
だが、それに対するラグナは先程の怒りが嘘のように空虚な視線を向ける。
構えることはせず、懐から出した銀貨を男に投げ渡した。
男は一瞬、呆気にとられる。投げられた銀貨とラグナを何度も交互に見る。
「これで十分だろ」
「──チッ、次はねえからなッ!」
バツの悪そうな顔で女に最後に怒鳴りつけると男はその場を去る。何も言わずにラグナはその背中を見送り、次に傍観者たちに男に向けた怒りよりも強い怒りを込めた視線を向ける。
失せろ。
隻眼の迫力も合わさり、見ていただけの者達はその威圧に圧されて立ち去っていく。人だかりが無くなり、人の波の中で改めてラグナはボロボロの女を見下ろす。
女の横首に指を添える。
温もりは無い。だが、それでも添えた指には血の流れを感じ取った。
(碌な食べ物にありつけていないな……このまま死ぬのも時間の問題か)
「……、……」
呼吸なのか? あるいは声なのか? それほどか細く、弱弱しい何かを吐き出しながら女は大事に抱えていた赤い実をラグナへと差し出す。
「……礼のつもりなら要らん。俺が勝手にやっただけだ」
ラグナはハッキリとした声でそれを拒絶する。
しかし、女はそれでも差し出した果実を引っ込めようとはしない。彼女が何をしたいのかをハッキリさせるために、彼女の顔の近くに耳を寄せる。
「おねがい、します。これ、を、子供、達に……」
「子供?」
消えそうな言葉を聞き取り、ラグナは立ち上がり、周囲を見渡す。雑多な人間達を無視し、確実にそれを見つける為にラグナは己の視覚を強化し、研ぎ澄ませる。
そして、人の流れの外側──無数にある陽の当たらない薄暗い路地裏から隠れるように人々を見つめる小さな影を見つける。
大きな子供と小さな子供。どちらも女と同じようにボロボロの布を服の代わりに纏っていた。
「わた、しは、いいか、ら。おねがい、します。おねがい、します」
「…………分かった」
全てを理解し、彼女の意思を組んで、ラグナは女が命がけで守った赤い実を確かに受け取る。
「あ、りがとう、ございます」
そう言って女は、血を垂らした口でどこか幸せそうに笑う。そして差し出した手は石畳の上へと落ちた。
ラグナはもう一度、女の首に手を添える。まだ血の流れを感じる。死んだのではなく、気を失っただけだった。
小さく安堵の息を漏らし、ラグナは赤い実のへたを加えると女を魔法で浮かべてから右腕だけで担ぎ上げる。
こういう時に左手が自由に動かないことに不満を心に抱きながら、子供達へと近づく。奇怪な眼差しを向けてくる有象無象の一切は無視した。
大きい方が、小さい方を守るように前に出る。健気な様子を見下ろし、敵意と警戒心……動物のようだと思いながら、同じような時期があった自分の事を思い返してラグナは遠い昔の事のように懐かしさを抱く。
そんな子供に向けて咥えていた果実を子供へと放り投げた。
「来い」
それだけ告げるとラグナは外出を中断して屋敷への帰路に付く。
子供達は、ラグナの言葉に従ったわけではない。餌に釣られたわけではない。ただラグナが連れて行く母親と離れたくない一心で、その背中を追いかけた。
薄汚れたの人間を悪臭も気にせず担ぎ、その後ろに同じく汚れた子供達を連れて進むラグナの姿は異質だった。
誰もが奇異の、或いは、忌避の眼差しをラグナに向けてか少しでも彼から距離を置いて歩く。
だが、ラグナはその一切のすべてを無視して、家へと帰る。周囲の視線に対してラグナが抱く感情はない。
何もしない、何もしなかった連中からの視線ごときに、ラグナが動じるはずなどない。
屋敷に戻ったラグナはフェレグス達に女と子供を預けると一人自室に戻った。それから間もなくして、フェレグスが部屋に入ってくる。
「あの三人の様子は?」
「子供達のほうは比較的に健康ですが、母親のほうはかなり衰弱しています」
「殴る蹴る……だけで、あそこまでにはならないか」
「はい。極度の栄養失調です。手足も細く、恐らく口に含められるものが手に入っても、ほとんど子供に与えていたのでしょう」
「……そうだろうな」
窓の景色を見ていたラグナは振り返り報告を聞く。予想していた通りの答えが返ってきたことに溜め息を吐く。
「命は助かるのか?」
「必ずや」
「頼む」
そう言って、再び窓の景色へと視線を移す。しかし、先程の無感情な眼差しとは違い、外を見るラグナの目には侮蔑の感情が込められていた。
「あの親子に何があったか分かるか?」
「いいえ。しかし、おおよその見当は付きます」
「聞かせてくれ」
「…………恐らく、貴族に手籠めにされた女中の者でしょう。子を身籠り、それから何かの経緯で都合が悪いと、仕事場を追われあのような場所で暮らすことになったのだと思います」
ラグナは何も言わない。フェレグスへ振り替えることはせず、窓から外を見る。
ただ、蔑みから一変して、窓に映るその赤い眼は鋭い。そこには明確な怒りが宿っていた。
「この国で暗黒街に暮らす子持ちの女性と言うのは大半がそう言った境遇の者です」
「なら、あの子たちの親は今もこの町の上でのうのうと暮らしているのか?」
「恐らく」
「…………」
目の鋭さが一層増し、眉間に深くしわが刻まれる。強く握る拳には血管が浮かび上がり、爪が食い込んで血が滲む。
「……母親が回復したら、彼女には今後について問う。彼女が望むのならそのまま住み込みで雇用しよう」
「子供達は?」
「読み書きだけでも教えれば役に立つ。見習いとして母親の近くで使ってやれ」
淡々と──沸騰する感情を抑え込む様、にラグナはフェレグスに指示する。
しかし、そんなラグナの背中を、フェレグスは怪訝な表情で見つめる。
「お言葉ですが、既に何人かそのような人材を雇っています。何故、そこまでするのですか?」
「何?」
ラグナはフェレグスへと振り返り、重く冷たいフェレグスの視線を真っ向から向き合う。
実際、フェレグスが口にした言葉は事実だ。今回助けた女が特別だったわけではない……このウェールズ商会にてフェレグスの貴下で働く者達の殆どは、ラグナがこの一年と半年の中で保護した者達だ。
「……」
「もしもご自分の立場と、彼ら彼女たちを重ねているのでしょうが、それではキリがありません。今後はこうした行動は控えたほうがよろしいかと──」
「俺は絵空物語にしか存在しない、聖人もどきや救世主風情を気取るつもりなどない」
フェレグスの言葉が言い切る前に、ラグナは答えを返していた。
「ああ。否定しない。重ねているさ。だが、全ての人間相手に、同じ眼差しを向けるほど傲慢になった覚えはないし、馬鹿になった覚えはない」
「ならば何故、あの親子に手を差し伸べたのですか? それも民衆どもの視線の中で──」
「俺がそうしたかったからだ」
「それだけですか?」
答えたラグナに対して、フェレグスはさらに鋭い言葉を投げかける。
その言葉には暗に、ラグナの勝手な行動によって、ウェールズ商会に要らぬ問題を持ち込んだことを叱責が潜んでいる。
それに対して、ラグナは答えない。無言を貫くが、それを許すフェレグスではない。
「話しなさい。それも貴方が負う責務です」
その言葉を受けて、ラグナは溜息をついた。
その背中を見据えるフェレグスの目は厳しい。しかし同時に、見守るような温かさも含まれていた。
彼は信じているのだ。ラグナにはそれを行動に移した大きな理由があるのだと──。
やがて、ラグナは答え始める。
「……あの女が、生きる事。生かす事を諦めていなかったからだ」
外の景色から、フェレグスへと振り返りラグナは言葉を続ける。
「俺もそうだ。師匠達に出会い、生きようとして俺は生かされた。彼女もそうだ。子供達を生かそうとして、抗っていた」
女に自身と同じものを見出した。
母性と言う何よりも強い愛情を感じた。
それをよく知っているからこそ、ラグナはそれを見て見ぬふりしなかった。
「道端の隅で、動かず空を仰いで助けを待つだけの──生きる事を諦めている連中に手を差し出すつもりはない。貧しいものを足蹴にする富める者と手を握るつもりもない」
自分は抗った。救いを待ったのではない。自分の意志で、救いを求めた。
あの女もそうだったと、ラグナは見た。何もし開ければ死に行く三つの命だが、自分が守りたい命を守るために、赤い実を持って走った。
「しかし、あの赤い実は盗んだ物です。ラグナ様は盗人に手を差し出すのですか? それは、ラグナ様が最も嫌う事のはずです」
「いいや、違うさ。彼女は違う。彼女達はそれしかなかった。それしかないから、命懸けだったんだ」
生きる為に、命を賭ける。その矛盾は、ラグナの中にもある。生きる為に狩り殺す。
女もそうだ。子供を生かすために、己の命を賭けて子供たちの前で悪事に手を染めた。手を染めるしかなかった。
だが、ラグナはそれを悪い事だと理解しても、それを嫌悪する事はしなかった。
人間の真実の歴史を知ったあの瞬間──ラグナの中では【死んでもなりたくないもの】が生まれた。
それは──卑怯者と恥知らず。
自分の行いを省みて、悪を悪と断じず、真実を覆い隠すような恥知らずを、ラグナは永遠に蔑む。
見て見ぬふりをする。自分に力が無いのなら、悔しめば良い。
だが、止められる力があるのに、目の前で助けを求める者を助けない卑怯者にはなりたくない。
ましてや、その様子を娯楽のように楽しんで見るような卑劣など理解できない。
「彼女の行いは、生きるための抵抗だ。決して恥ずるものではないと、俺は思った」
赤く輝くその眼にはなによりも強い光が灯っていた。
その言葉には威風のような重みがあった。
「俺にとって、己の命を決して手放そうとしない。最期の最期まで足掻く命は、この世界で最も美しいものだ。あの宝石のように美しく、そして太陽のように眩しく輝く命を失うのは惜しい。誰も救い上げないのならば、俺が救う。そうすると、そう決めたから、俺はそうしたんだ。」
「故に、助けたのですか?」
「そうだ」
ラグナは答える。ハッキリと、それを聞き届けたフェレグスは沈黙する。
やがて、そのすべての意思を汲み満足し、そして誇らしげに教え子に深々とその頭を下げる。
自分たちの教え子は強く、賢く、何よりも清い心の持ち主だ。
強いだけでは駄目だ。心の無い力は【暴力】にしかならない。
賢いだけでは駄目だ。心の無い智は【邪道】しか見出さない。
同時に心だけでは駄目だ。力が無ければ立ち向かえない。知恵が無ければ考えられない。
力と知恵と心の三つを全て兼ね備えたラグナは、フェレグス達の結晶そのものだった。それを今、目の前で発揮したラグナに、それを知識と道徳心を教えたフェレグスは何よりも喜びを感じた
「ならば、私はラグナ様のその意向を粉骨砕身して支えましょう」
「負担をかけて、すまない」
そして最後に、己の行いがフェレグス達に厄介事となってしまうことを、ラグナは謝罪する。
だが、フェレグスはそれに対して笑みを浮かべたまま首を横に振る。
「私はラグナ様の言葉聞けて満足です。そもそも、このウェールズ商会そのものはラグナ様の為だけにあるもの。貴方様の意向に沿ってこそ、その存在意義があるのです。事後処理などは我々に任せラグナ様は、己が正しいと思う道を迷うことなく突き進んでくだされば良いのです」
ただそれだけを望む。進み続ける若者に、己の教え子に対して、既に時間の止まった自分ができる役割はそれだ。
教師として、ラグナの進む道を支え続ける。その先で何かを見出すことを信じている。
その言葉は、その心は、スカハサからラグナの事を託されたフェレグスの嘘偽りない本心だ。
「……ありがとう」
ラグナはそう言ってほほ笑む。その笑みには悲しさも含まれている。
その悲しさもまた、ラグナが持つ優しさの片鱗だと、フェレグスは知っている。
強く、賢く、気高く、そして優しい。
ラグナの赤い目に因んで名付けた【赤竜】の名前に恥じず。教え子の心




