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42話:赤き竜の家

 目を開ける。そして瞬時にそれを夢だと判断する。

まどろみの中で見たその世界は、その者にとって懐かしいものだった。



(ここは……師匠の屋敷か)


 産まれた場所ではないが、育った家の中は彼に記憶に鮮明に刻まれている。


 自らの手足の感覚がおぼろげな世界を進むと、無邪気に屋敷の廊下を走り去る少年の後ろ姿を捉える。一目見て、それが幼い自分自身だと理解した。

 その背中を追い進むと、部屋の一室の窓から外の世界を見つめる姿があった。

傍らに立ちそれに倣って外を見ると、魔物の死体を引きずって帰って来る兄弟子が居た。

 この景色は、ラグナもよく覚えている。


(懐かしいな。まだ文字を習い始めた頃か)


 四歳の頃、学ぶことがとにかく好きだった自分の憧れ。

 いつか自分も、彼のように強くなりたいと思い焦がれ……こうしてあの姿を目に焼き付けた。


 窓の景色から再び子供へと視線を移すと、子供の姿は既に無かった。


(この日々から、もうそれだけの歳月が経ったのか)


 書斎の扉を開いて中に入る。

 子供は書斎の一角で、従者から黙々と知識を学ぶ後ろ姿を見る。

 

花の咲く中庭に出る。

子供は師の膝の上ですやすやと眠っている。


(いつか、ここに帰って来る時が来るのかな?)


 子供と師匠の下に歩み寄りながら、ラグナはふと願う。

 寝顔を見つめる師匠の顔が此方を向く。


 あと一歩、踏み出せば彼女の顔に手が触れられる距離になる。

 

このまま触れたらどうなるのだろう? そんな疑問が沸き上がる。

 触れればそこで夢が終わるのだろうか? それは嫌だ。いっそ、このまま夢を見続けたいなどと、欲が出て来る。


 だが、それ以上の欲に突き動かされ、己の手を彼女の頬へと伸ばす。

 会いたい。

触れたい。

声を聴きたい。


(師匠──)


 指先が触れる。その瞬間、ほんのわずかだが、後ろから引っ張られる感覚に襲われる。

 何だ? 思わず振り返る。クリード島にはいない存在だった。


 青い服のドレスを纏った少女。

黒く長い髪に目が隠れているが、顔の下半分が白百合のように白く。その手足は細い。大人が強く握れば、きっと呆気なく手折れてしまうのではないか? 脆く儚くい……しかし、とても綺麗な肌をした少女だ、


『──』

(何? いや、お前は──誰だ?)


少女はラグナを引き留めるように服の裾を掴み、彼へと呼び掛ける。

だが、ラグナは答えない。そもそも、彼には自分を引き留める少女の正体が分からない。


戸惑うラグナだが。次に彼の心に居抱いたのは、怒りだ。

スカハサ達と共に過ごした思い出の詰まったこの屋敷──そんな場所に、土足で踏み込んだ人間の少女に対して、例え夢の中であってもラグナは怒りを向けた。


しかし、これは夢だ。怒りを抱いた所でその少女に届くことは無い。


『──』


 何かを言っている。その声は細く小さく聞き取ることは出来ない。


(何を言っている?)


 耳を澄ませると、少女の声が届く。細く弱弱しい声だ。


『また、会えるな?』

(疑問形、何のことだ? そもそも、お前は誰だ?)

『わたしは【──ナ様】』

(……何だって?)


 少女の声ではない。別の声が聞こえる。夢の中のふわふわとした夢の中の感覚が突如、宙へと引き上げられるように鮮明なものになって行く。


(待て。お前は誰だ!? 何で俺の夢に!!)

【ラグナ様】


 年老いた男の声に意識を引き上げられながら、ラグナは少女に問うた。

 しかし、少女はその疑問には答えない。それでも何かを呼びかけ、遠ざかって行くラグナへと言葉を発する


『さよならなんかじゃない』

『わたしは、あなたの事を忘れない。だから──』

『ありがとう。また会いましょう。ラグナ』



「ラグナ様」


 呼びかけられ、ラグナは目を覚ます。此方を見下ろすフェレグスと目が合い、ラグナはようやく木陰で転寝をしていた事を思い出す。


(……何か、夢を見た様な)


 見ていた夢を思い出そうとして、首と頭が痛い事に気付く。木の根を枕の代わりに使っていたせいだろうと、頭を抑えながら身体を起こす。


「立てますか?」

「ぁ? ああ」


 差し出されたフェレグスの手を掴もうとする。


「……」


 その時、咄嗟に左手を差し出してしまう。中指と薬指の間から手の甲に走る傷痕がラグナ達の目に止まる。


「……ラグナ様」

「……参ったな。まだ、寝ぼけているみたいだ」

「いえ、申し訳ありません」


 気まずい空気の中でラグナは苦笑いする。

今度は右手でフェレグスの手を掴んで立ち上がる。服に着いた埃を叩いて落とす。


「それで、どうかしたのか?」

「……どうかしたのか、ではありません。このような場所で眠るのはお体に障ります」

「そうか? 木漏れ日が心地よくて丁度良かったんだが……」


 フェレグスの忠言に対して、肩を竦める。サバイバル生活の癖は、まだ彼の身体から抜けきっていなかった。

フェレグスもそれ以上小言を言うことは無く、歩くラグナの数歩後ろをついて歩く。


「敷地内とは言え、立場がございます。あまりこういった行動は慎んでください」

「……分かった。今度からは一言告げてから行く様にするよ」

「そう言う問題ではありません。どうやら、魔境での生活でセタンタの影響を受け過ぎたようですな」

「別にそう言う訳じゃないと思うのだが? ああだけど、また魔猪の肉を串焼きにして食べてはみたいとは思うけど」

「そのような雑な食べ物を与えるなど、私には出来ません。肉だけでなく野菜なども食べませんと……」


 溜め息を吐きながら零れるフェレグスの言葉に、ラグナは困った表情をする。

 話しながら進んでいくと、木々の間を抜けると屋敷が見えて来る。

 空を見上げると太陽は真上まで登り強い日差しを浴びせる。


「もう昼か……」

「直ぐに昼食の準備に取り掛かります」

「頼む。みんなにも休むように伝えてくれ」

「かしこまりました」


 一礼し、一足先に屋敷へと向かうフェレグスを見つめながら、ラグナもゆっくりと前へと足を踏み出す。


「…………」


 ふと、背後を振り返る。何の変哲もない屋敷の敷地に作られた小さな森がそこにあるだけだ。何かがそこにあったわけではない。

 ただ、朧気に記憶に残る夢の内容が、ラグナの頭に引っかかる。


 おぼろげな記憶の少女──眼帯で隠された左目に触れ、次に首から掛かる二つの首飾りに触れる。

 二年前の記憶を遡るが、その正体に該当する人物はいない。

 

 森から正門へと視線を移す。鉄格子によって作られた頑丈な門の前には見張りとして雇われた門番が立っているのが見える。そして、その門番の前を馬車や人々が行き交う。


「……この景色にも見慣れたな」


 ラグナがこれまでの生涯の中で見たのは、木々の生い茂る森や山が主だった。

しかし、今の彼に広がるのは建物や石で作られた道と言った、人間の手によって作り出された物達だった。

それらが並ぶその景色をラグナは冷ややかな眼差しで見つめる。ラグナの頭に過るのは、兄弟子のジークフリードから聞かされた人間達の歴史の続きだった。

聖教において、人間とは光の使途と定められている。

神々を失った混沌の世界に舞い降り、世界を託された者達。世界を救う魔族達を北に追いやり、世界に平和をもたらす正しき者達だと──。


しかし、これは偽りである。


支配と繁栄を望み、融和と調和を踏みつぶした上に作り上げられた、自らの行いを隠すために騙った嘘の歴史。その真実を知る人間は少ない。

その虚栄の歴史でも時は刻まれる。


かつて、魔族──亜人と人間が共に暮らす融和の国を滅ぼした支配の国は、魔境を除く大陸全土を統一した国は、支配者達により【聖皇国】が誕生する。


そして、支配者達の指示の下に神々を騙る【聖教】が生まれる。

黒を不吉と定め、闇を災いと広め、真実を嘘で覆い隠した。

無垢な国民たちはその真実を知ることは無く、その国で平和を享受していた。


しかし、己たちの欲望を満たす事しか考え無い支配者達の繁栄が悠久に続くはずはない。束ねる者達は、分け合っていた権力を個々で独占することを望んだ。


誰よりも上に、何よりも上に、歪な土台の上に立っていた大木は、蛆虫に内側を食い荒らされ腐り行く。やがて大木は音立てて崩れるように、聖皇国は分裂する。


支配者たちによる人間同士の争い──群雄割拠へと突入した人間の歴史の果てに、現在はそれらが統合され大きな二つの国となった。


一つは、支配者たちの家系と離れ、聖教を支配の旗とした者達が興した【エイルヘリア神聖皇国】。

一つは、戦乱を勝ち抜き、四つの公国を従える王の国【ロムルス王国】。


二つの大国とそれぞれの国に属する小国が残され収まった騒乱の時代だが、その騒乱は今も水面下で燻り続いていると言う。


聖教のひざ元であるエイルヘリアは。ラグナにとって居心地の悪いものだ。故に人間を知る為にラグナ達が暮らしているのはもう大国の一つである、ロムルス王国だ。

それもその中心である王が暮らす都【王都アーレス】だ。


幼いラグナだったのなら、この景色を未だに目を輝かせて眺めていただろう。

しかし、ラグナは真実の歴史を知っている。だからこそ、通り過ぎる馬車も、行き交う人々も、この景色を決して眩しいものとして捉えることはしない。


(偽る……と言うのなら、俺も同じか)


自嘲しながらラグナは振り返る。

スカハサの豪邸には劣るが、それでも人が暮らすのには大きな屋敷が建っていた。


 【ラグナ・ウェールズ】──それが今のラグナの名前だ。名前を変える事をフェレグスに勧められたが、この名前はスカハサから与えられた大事な名前だという事から固辞した。

 そんなラグナを長とする【赤竜ウェールズ商会】の本拠地がこの屋敷だ。

 人間を知る、というラグナの目的と、ラグナが安心して過ごせる環境を作る、というフェレグスの望みだけで作り上げられた商会だ。


 王都近郊に放置されていた土地の一部を買い、そこで主食であるパンの原料の小麦の生成。さらに食用として育てられる豚や鶏の牧場を設立する事で、高価な肉類の調達を成功させる。

 そして南方より、フェレグスが独自で作った流通ルートから、レモンやブドウと言った果実類を安価で仕入れる。それらを加工して作られたワインやジャムなどの甘味料を商品化する。

それらの商品は、平民から貴族まで幅広く受け入れられ、ラグナ達の資金源と化している。


 しかしそもそも、ウェールズ商会自体は、忌み子であるラグナの立場を隠す為に作られた──所謂【隠れ蓑】の役割が大きい。


 ラグナは忌み子だ。聖教によってあらぬ禍の種と言われる祝福されぬ命だ。産まれた瞬間、実の両親に死を望まれて、森に捨てられた赤子だ。本来の運命ならば死ぬ筈の命だった。

 正しい行いをしても、ただその一点だけで蔑まれる──


 そんな、本来ならば陽に当たる事の出来ない立場に追いやられる忌み子が、一つの商会の長を務めるなど、王国の者達は気づく筈はない。

 フェレグスはラグナの為にとその才気を惜しむことはしなかった。

 その奮闘の甲斐もありラグナは、忌み子としての出自を隠し、新進気鋭の商会の若き長として王都内で平穏……とは言えないが、充実した日々を送っていた。


 現在のラグナの立場は──

 両親を野盗に殺され、自身も負傷。しかし、古い代からの部下の力を借りて商会を引継ぎ、躍進を遂げる若き長だ。


 ラグナ達が暮らしているこの屋敷も、元々は貴族が使っていたものだ。しかし、その貴族は没落しており、この屋敷も売られていた。それをフェレグスが買い、改築したものだ。


(フェレグスも、ここまで張り切る必要なんてなかったろうに……)


 呆れるが、そのおかげで平和に暮らせている事実に対して、ラグナには感謝の念しかなかった。

 同時に、自分達が魔境に居るわずかな時間の中でこれほどの土台を作り上げる知性と手腕に対しては舌を巻くしかなかった。


(フェレグス・ミーミル。叡智の巨人、か)

「ラグナ様、いかがなされましたか?」


 いつまでも中に入ってこないラグナが気がかりだったのだろう、フェレグスが戻ってくる。

 それに対して、何でもない、と告げてラグナは再び歩み、屋敷の中へと消えた。




 ラグナが森の中で眠っている同じころ──王都の門を一台の馬車が近づいていた。

 カーテンで閉ざされた馬車の中は魔道具で照らされ、従者を供に乗せた少女が本を読んでいた。少女は黙々と本を捲り、従者達はそんな主の邪魔をしないように黙している。


 やがて、馬車が止まる。御者の男の門番がやり取りをする声が聞こえ、次にガラガラと大きな音が聞こえる。


 少女が従者に目配せすると、従者はカーテンの隙間から外を見る。大きな音を立てて架け橋が降ろされていくのを従者が見つめる。橋が降り切ると再び馬車が移動を再開する。

 

 ガタガタと揺れる馬車の振動により読書を中断された少女は敷かなく本を閉じる。

 本を仕舞い、その代わりに荷物の中から古い布を取り出す。その質感を確かめるように、或いは何かを懐かしむように、少女はそれを撫で触り、目を瞑る。

 

 馬車が人ごみを割って中央を進み、平民が暮らす住民区を通り過ぎる。その中で少女はふと、誰かの視線を感じて窓のカーテンを開けた。

 平民が暮らすには大きな屋敷があった。かなり裕福な商人の家だろうと、少女は想い見つめる。門番が守るその正門の奥に少年が居るのが分かった。

 自分ではなく景色の全体を見つめる少年の視線を受ける。遠くて分からないが、黄金の髪が日の光を浴びて美しく輝いていたのが見え──その視線からは、侮蔑を感情を感じとった。

 しかし、少女はそれ以上の事はわからず揺れる馬車と共にその屋敷を通り過ぎた。


 そのまま馬車あロムルス王国の象徴であるロムルス城に近づいていく。そして王城を囲む貴族区へと入る。

そして、数ある豪邸の中でも、一際大きな屋敷の正門を潜り抜け、ようやく止まる。


 荷物を纏め、出迎えの従者によって開けられた扉から、外へと出る。

 ふいに強い風が吹いてきて、少女は思わず目を瞑る。長く黒い髪が靡き、青と白によって彩られたドレスの裾が揺れる。

 

「大丈夫ですか!?」


 咄嗟に、若い従者が風除けとなろうと少女の風上に立つ。風が止み、少女は瞼を開ける。

 海のように深く濃い蒼い眼が自分の前に立つ従者を見つめる。

 強く握れば折れてしまうのではないか? 華奢な身体に白百合の様な肌を持つ小さな少女──しかし、その瞳は深く。そして宝玉のように強い輝きを宿す目に従者は思わず見とれた。


「ええ……庇ってくれてありがとう」

「い、いえ!」


 その瞳に吸い込まれるように見つめていた従者だが、少女の言葉に我に返り、慌てて従者の列に戻る。

 それが少し可笑しく、少女は薄桃色の口紅を差した口元で微笑む。その姿にその場にいる老若男女全員が見惚れた。

 

 黒は闇を連想させる。それ故、貴族を主にした上流階級においては不吉の色とされている。

 (うるし)を塗った様に黒く輝く髪であっても例外ではない。だが、彼ら彼女らはそれを蔑もうなどとは思わなかった。

 彼女は美しかった。微笑む姿も、佇む姿も──立ち会った者だけが理解出来る美麗がそこにはあった。


「お嬢様。御当主様へのご挨拶に参りましょう」

「ええ。案内をお願いします」


 従者たちに案内され、彼女は屋敷の門を潜ろうとする。その前にふと、彼女は空を振り返った。

 雲一つない快晴の空に唯一浮かぶ太陽は、眩く世界を照らしている。それは十二歳を迎えた彼女の新たな門出を祝福している様だった。


「……お嬢様? どうかされましたか?」

「…………いえ、今、参ります」


 荷物を持ち、馬車からお供をする従者に促され、彼女は今度こそ屋敷の中へと消えて行く。

人間の国。ロムルス王国にて、再びラグナ達の時の流れが動き出す。


 その流れは必然か、偶然か。或いは運命か。宿命か。

 黄昏を名に持つ若者と、【宵の姫君】と謳われる少女の再会を(もたら)すのは、それから間もなくの事だった。


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