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39話:穢れた人の歴史

ラグナに乞われジークフリードは、ゆっくりと人の時代へと移った歴史を綴り始める。


神戦(ラグナロク)を生き延びた神々は己達の過ちを繰り返さぬ為に新たな種を生み出した]

「新たな種……それが【人間】か」

[そうだ。外見は自分達に近い。しかし、この世で最も非力な存在としてな]

「神に近く、しかしこの世で最も弱い生き物……ねえ」

「……何だよ」

「いいや別に」


 自身に怪しい視線を向けるセタンタをラグナは睨む。セタンタはおどけたように肩を竦めてジークフリードに視線を戻す。


[姿を消した神々は啓示と言う形を使い人間の中で優れた能力を持つ者に接触した。彼らを導くことで人間全体を正しき方向に導こうとしたのだ。当初は人間達も慎ましい生活を送っていた]


 だが──。

そう区切るジークフリードは瞑目する。


[間もなくして人間達は増徴するようになった。啓示を受ける者達は自らを【導く者】と称し、人間達と先住者──亜人達との戦いを引き起こした]

「なんでそんな事をしたんだ?」


 呆れを含んだ声でラグナは質問する。

 セタンタやエルディアとの戦いから亜人の能力の高さを良く知るラグナには、当時の人間達が何を根拠に亜人達に戦いを挑んだのか、全く理解できなかった。


[人間ではない我には、何故そのようなことを始めたかなど理解できぬ……だが、神々の干渉が奴らにあらぬ自信を付けさせたのだろう]

「神々は、亜人達には啓示を授けなかったのか?」

[否、人間と亜人の双方に啓示を授けていた…………だからこそ亜人達は人間を攻めようとはしなかった]


 ラグナは考える。もしも亜人側から仕掛けていれば人間達はあっけなく滅んでいただろう。己とセタンタとの間にある差を知るからこその予測だった。


「…………それで、戦いはどうなったんだ?」


 その問いに対して、ジークフリードはかつてを思い出し、呆れたように瞑目しながら語る。


[星をも一度は滅ぼしたあの戦いを、(したたか)かに生き延びた者達が赤子同然の種族に負ける道理があると思うか?]

「挑んだくせにボロ負けしたのかよ」


 ジークフリードの答えに、セタンタは呆れた声を漏らす。ラグナも言葉には出さなかったが同じ気持ちでジークフリードの言葉を聞き続ける。


[だが、一つの神秘が人間達の中で生まれたことによって、戦いは変わった]

「一つの神秘?」

[ラグナ、人間であるお前ならばこのとき人間達の中に何が生まれたのか理解できよう]

「…………魔法か」


 その問いに考え──導き出したラグナの答えにジークフリードは頷いた。だが、その答えと共にラグナには新たな疑問が芽生える。


「それなら亜人の中にも魔法が扱える者が現れてもおかしくなかった筈だ。何故、今この時まで亜人は魔法の力が扱えないんだ?」

[お前の疑問はもっともだ。だが、人間と先住者──亜人とでは根本的に種としての誕生の経緯が異なっているのだ]

「……どういうことだ?」

[亜人達は、はるか昔よりこの星に生きる生命が【より高みへ】と言う生命としての理念から、長い時間をかけて己の体を変化させた者達だ。謂わば【進化】による発展によって生まれた【人】なのだ]

「…………」

[だが、人間は違う。神々が自身達を真似て作られた経歴を持たぬ者達だ。故に神々を模倣である人間には、神々の残滓に対する素質があったのだ]


 ジークフリードの言葉にラグナは神々の残滓である魔素の知識を振り返る。


[【神と共にあり人となった者達】と【神に手よって人として生み出された者達】──同じ人だが、そこには大きな違いが生まれた]


 ジークフリードから聞かされた人間の誕生の経緯は、ラグナの心中を驚愕で埋め尽くすのには十分すぎた。それでも、その中にある【神々の姿を模倣した存在=人間】と言うキーワードから、ラグナは自身とスカハサの体の特徴が同じことに納得する。 

 そんなラグナの様子を見ながら、ジークフリードは目を伏せた。


[思えば、神々の望みともいえる思惑はこの時点で破綻の兆しを見せていたのかもしれない。導く者達によって先導された人間と、己達の身を守る亜人達の戦いは一方的なものから徐々に拮抗するようになった]

「破綻……」


 ジークフリードが悔恨の様にこぼした言葉を、ラグナは聞き逃さなかった。尋ねようとも思ったが、ラグナは話の先の中に答えがあるのだと睨み物語の続きを聞く。


[再び起きた争いの火種は星の傷の癒しを遅らせた……神々も人への采配をどうするか考える中で、再び一つの転機が訪れた]

「転機?」

[人間の中に、亜人との融和の道を模索するものが現れたのだ]

「それは…………そんなに特別なことなのか?」


 首を傾げなら発せられたラグナの問いに対して、ジークフリードは静かに笑いながら答える。


[お前はセタンタやフェレグス達を始め、【人間以外の人】と共にする時間が長かった故にそう思うのだろう。だが、お前の価値観は当時の──否、今を生きる人間とも大きく異なっているのだ]

「…………」


 そう言われたラグナの脳裏には、フェレグスの言葉がよぎる。


『価値観とは、その場に生きる環境によって人それぞれです……だからこそ、知らないものや新しいものに対し、興味や関心を抱くというのは大切なことなのです──』


 ラグナは静かに自身の胸に手を添える。

 知らないもの、新しいものへの興味や関心──ラグナの探求心や好奇心として、今も彼の根底に根付いている事だった。


[かの存在は人間の歴史における特異点だった。その者は優れた人間ではなかった。しかし──故にその者は、啓示を受けたのではなく【己の意思】で人間と亜人の融和を志し、その為に奔走を始めたのだ]

「……それで争いは無くなったのか」

[……当然だが簡単に争いが終わることはなかった]


 ジークフリートの言葉にラグナとセタンタは当たり前だよなと溜め息を吐く。


[これは真理と言ってよいのだろう──正しき事というのは積み上げるに苦労するが、些細な事で崩れるほどに不安定なものだ。しかし、悪い事と言うのは積みあがるのには大して苦労しないにもかかわらず、それを崩すには相応の苦労が必要になるのだ」

「嫌な真理だな……それだと、融和が正しい事で、争いは悪い事って事か」

「おいおい、それじゃあ獣人は生まれ持っての悪みたいじゃねえかよ」

「セタンタ……お前達獣人はもとよりそういう習性、信念をもって進化した生き物だ。かの白き狼達の覇道も──時の流れで廃れた戦士と言う己達の本質を蘇らせようとした暴走だったのだ」

「……良い迷惑だな」


 ジークフリードは空を仰ぎながら話を続けた。


[エルフ、獣人、ドヴェルグ、翼人──融和の者は長い時間を使い、人間と亜人達は互いを知る機会を設けて親睦を築いた]

「……長い時間をかけて、か」

[しかし、かの融和を説く者は人間の──導く者達によって国を追われた]

「何故追い出したんだ? 彼等は戦争を望んだのか?」

[戦争を望んだのでは無い。支配を望んでいたのだ……誰よりも上に立ちたいという欲望といっても良いだろう]


 ラグナはその答えに侮蔑とも言える感情を抱く。生きる事を本質と捕らえるラグナには、その欲望が全く理解できないものだったからだ。


[神々はその者に期待した。争いを終える者として、自分たちの夢を実現させてくれるかもしれぬ者を見守った。やがて、融和を説く者は、同じ心を持つ者達と共に──【人が住む国】を興した]


「人が集った国──」

「そいつはつまり──」


 ラグナとセタンタは顔を見合わせて二人は頷いた。自分たちが思い浮かべた人が集った国──それは【人間と亜人が共にある国】だと言う同じ答えを導き出したからだ。


[【支配】ではなく、【共存】を尊重したその国には、争いに疲れた者達や平和を望む者達が種を問わずに訪れた。繋がりは大きな力へと変わった。違いを受け入れ、足りぬものを補い合う──衝突が無かったわけではない。しかし、否、それこそが神々が望んだ世界だった。何よりも神々が愛した世界がその国にはあった]


 天を仰ぎながら語るジークフリードはラグナ達へと顔を下ろす。誇るように、喜ぶように、懐かしむようにジークフリードは謳った。

 その物語に、ラグナ達の胸には大きな熱い何かがこみ上げた。


 しかし、そんなラグナ達を見据えながら語るジークフリードが突然俯き瞑目する。その姿に、ラグナは眉をしかめる。


[だが、その期待は、夢は、希望は……ほかならぬ人間の手で壊された]

「…………何があったんだ?」

[導く者達はその国を良しとせず──融和を解いた主導者を殺し、親交を騙って亜人達を騙してかの地に攻め入り──融和の国を滅ぼした]

「ッッ──!」


 『そんな馬鹿なことがあるか』──ラグナはそう叫ぼうとした。

 そう言おうとしたが、ラグナは口をつぐむ。語る前にジークフリードが言わんとした言葉、そして先程口にした破綻と言う言葉が、これを意味していたことだと理解したからだ。

 それはジークフリードの言葉が事実であることの証明にもなった。


[時を省みれば、五百年もの時が経過していた。その間に導く者達は己達の地位を磐石なものにし、人間達は圧倒的な数にまで増えていた。その数の暴力と主導者達を失った事により──五百年の歳月をかけ積み重ねて築き上げた融和は、一年の時も経たずして崩れ去った]


 正しい事は積み上げるのは大変だが、些細なことで崩れ去ってしまう──ジークフリードが言っていた言葉がよぎる。

 しかし、ラグナにはどうしてそんな事を行ったのかが理解できなかった。


「分からない。何故だ、何故そんなことをした……何故だ!!」


 拳を強く握り締めて、ラグナは吠えるようにジークフリードに問うた。ラグナの心中に渦巻くもの──それは紛れもない怒りだった。


「彼らが何をしたというんだ!? 導く者達に不都合なことをしたのか!! その国の者達は──ただ平和に暮らしていたのではなかったのか!!!!」

[………………]


 怒りをぶつけるようなラグナの問いに、ジークフリードは無言を貫く。やがて、ジークフリードは悲しげに声音で事実を突き付けた。


[人間は……欲に負けたのだ]

「欲に、負けた?」


 答えを復唱するラグナに、ジークフリードは静かに頷いた。


[導く者は、自分達を指示せずに発展していく者達が許さなかった。『世界を導くのは我々だ。』『この地の頂に立つのは我々だ。』支配への飽くなき欲望から、導く者達の国は融和の国を滅ぼした]

「そんな理由で人間達はその国を滅ぼしたのか? そんな、理由で?」


 信じられない──愕然とするラグナを見据えながら、ジークフリードは残酷な歴史の物語を続ける


[支配を是とした導く者達の国にはおのずと【身分】という仕組みが出来ていた。滅ぼされたその国に住む住人たちは、その国に連れて来られ……その身分の中でも最も下である【奴隷】へと落とされた]

「ど、れい?」


 聞いた事の無い言葉にラグナは尋ねるようにセタンタを見る。しかし、セタンタもまた目を瞑り沈黙する。それに答えたのはジークフリードだった。


[人間達が作り出した身分──あれはもはやそれにすら含まれなかった。故郷を奪い、生き物としての自由・尊厳・権利を奪い、道具の様に扱った。おぞましい光景だった……同じ人から、生者が産まれたとき平等に持っている権限の全て奪ったのだ]

「……」

[ラグナよ、お前は人間の世界にて車を引く馬を見た事があるな?]


 愕然とするラグナはジークフリードの問いかけに力なくうなずいた。繋がれた馬は手綱を握られ、時に鞭を入れられながら道を行く光景がラグナの目に浮かぶ。


[それを、【人】にやらせたのだ]

「────ッ!!」


 その言葉と同時にラグナの脳裏に浮かんだ光景が変わる。馬ではなく、人が車に繋がれた異様な情景。亜人達……エルフや獣人に向けて、人間が後ろから手綱を握り鞭で叩く──ラグナには到底受け入れられない世界。

 ラグナはエルフ達を知っている。必然、ラグナの脳裏浮かぶ映像ではそんな扱いを受ける者達が彼等彼女(アーロンやフィオーレ)達へと置き換わった。


「ッ! うッ、ェッ──!」

「ラグナッ!?」


 それはラグナにとって、吐き気を抱くほどの異質な光景だった。それを想像したラグナは嘘だと断じたかった……しかし、ジークフリードの語る物語が事実であるという事が、ラグナにその光景を過去に起きた現実であることを告げる。


 こみ上げる吐き気にラグナは口を抑えて膝を付く。差異はあれど同じ人から他者の尊厳を、権利を、自由を奪った挙句、何故同じ人に向けて何故そんなことができるのか。

 否──それ以前に、ラグナには理解も許容も出来なかった。


「た、たかが……そんな事だけのために、人間は裏切ったのか? 築き上げてきた平和を、そんな下らない事の為だけに壊したって言うのか!!?」


 吐き気に苦しみ、セタンタに背をさすられながらもラグナは声を張り上げた。


「そうだ。人間は融和の国の民達を男から女、子供から老人に至り等しく道具として扱った。使えなくなれば捨て、壊れれば捨て、新品を使う。財の証明として、家畜の代用として、肉欲の捌け口として──人の歴史は争いを経て、手を取り合った果てに──人ではなく(けだもの)にまで落ちた」

「──ぁ…………ぁぁ……」


 穢れている。狂っている。 

 その言葉にラグナは頭を抱えて地面に屈した。吐き出すことのできない感情に頭を掻き毟る。同じ人間として、今日この日ほど【自分が人間として恥ずかしい】と思ったことはなどラグナにはなかった。

 憤怒と悲嘆、絶望と失望、憎悪と悔恨──様々な絵の具を一度に同じ場所にぶち込み、それをぐちゃぐちゃと混ぜた。そんな感情がラグナの頭と心をかき乱す。

 何よりも、自分は元々そんな連中と同じ【人間として生まれた事】が、何よりもラグナの心を打ちいた。。


「こんな、ぅそだ……ぉれは、俺はそんな気持ちの悪い生き物に産まれたのか? 俺は……俺の体は、あ、ぁ、ああぁぁぁあぁぁあぁぁぁぁああああ……ッッ……」

「ラグナ、おい、しっかりしろ!!」



 セタンタの呼びかけラグナの耳には届かない。

ラグナは崩れる心を保つことが出来ず、頭を抱え、うわごとを繰り返す。嫌悪から髪を掻き毟り、自らの顔に爪を立てる。


 ラグナは、産まれて初めて絶望していた。

 人間であること──自分の種が、なんと穢れていておぞましいのだろう。

 この体を作る骨が、血が、肉が、内臓が、皮が、爪が、歯が、目が、鼻が、口が、耳が、髪の毛が、手が、足が、胴が、頭が──人間である自身の身体を何よりも嫌悪した。


 光を失った目をしたラグナは顔を上げて、縋るようにセタンタの肩を掴んで懇願する。


「セタンタ、俺を殺してくれ。死なせてくれ……」

「なッ──何言ってんだてめえ!」


 信じられない懇願にセタンタはラグナの肩を激しく揺するが、ラグナは絶望していた。


「こんな、こんな、自分が惨めな気持ちは……生きている事を恥だと思ったのは、初めてだ。俺は、人間って生き物は……こんな穢れた生き物だったのか? こんな、こんな事を、初めから知ってたら、俺は人間になんか生まれたくなかった。こんな怪物になんか産まれたくなかった」

「おい!」

「殺してくれ、人間であるという事が嫌だ……どうして、どうして師匠は、(にんげん)なんか助けたんだ……」

「ッッ──!!」


 心が砕け弱弱しく零れたラグナのその言葉を聞いた瞬間、セタンタは彼の頬を思いっきり引っ叩いた。


「──!」

「二度とさっきのセリフを言うな……お前は、違うだろうが!!!」


 人間の行いに絶望するラグナをほんの僅かに立ち直らせたのは、セタンタの叱咤だった。セタンタに肩を掴まれ激しく揺さぶられてから、漸くラグナはセタンタの顔を見た。


「セタンタ、でも、人間は、俺は……」

「ああ、確かにお前は人間だ! だが、お前は根本的な部分が【奴ら】とは違う!! お前は恥知らずなんかじゃねえ! 俺達の自慢の弟子だ!!」

「違う……違うよ……人間なんて生き物は産まれたその瞬間から悪だったんだ……この世のどんな生き物よりも汚く穢れて狂った醜悪な存在だ。産まれちゃいけない生き物だったんだ!!」

「よく考えろよ!!」

「何を考えろと!? 俺に……こんな恥を恥とも知らないような生き物に何を考えろって言うんだ……」

「思い出せ! 今の亜人はどこに住んでいる!?」

「ぁ…ぇ?……何で?」

「良いから答えろ!」

「魔、境……」

「そうだ。だがお前が初めて人間の国に行ったとき、そこに亜人は居たか?」

「いな、かった……」

「なら、そうなった経緯がある……そうだろ、ジークフリード!」


 セタンタの呼びかけにジークフリードは頷き、再びラグナへと語る。


[確かに、かの国の者達はことごとく道具として使い潰される日々を送っていた。だが、神々は彼らを見捨てようとはしなかった]

「…………」

[神々はかつて融和を解いた者の血を引く者達に最後の啓示を授け、そして我ら竜に命じて、かの国の者達の救出へと赴かせた]


 ジークフリードは地面に手を着くラグナを見下ろしながら彼に希望を綴る。


[我らは咆哮を上げ、神々の怒りの代弁者として傲慢なる人間達に牙を剥いた。融和の民達も我らの咆哮と共に立ち上がった。導く者達に反逆し、虐げられる人々を助け、竜の背に乗って人間達の手の届かぬこの地へと移り住んだ]

「…………………」


 光が消えかけたラグナの目に僅かな光が宿ったことにジークフリードは心の中で安堵しながら話を続ける。


[しかし、かの国の人の多くがあの生活の中で大勢の命が失われていた。この地に新たな国を作る余力もないほどに彼らは弱りきっていた。我らに出来ることは彼らに人の手の届かぬ地での安寧を与えることだけだった。この魔境は恐ろしいが、それでもあの環境よりは遥かに裕福だ……そこで彼らの傷が癒えるのを見守ることにした]

「だが、人間達は──」

「亜人達は、共に手をつないでくれた人間にまで嫌悪を抱くことはなかった。彼らも自らの力を惜しむことなく、亜人の為に尽力した。例え彼らより短いしょうがだとしても、融和の志を受け継ぐ人間達は、多くの知識と文明を仲間と共に築き、それを遺して逝ったのだ」


 断ち切れる事の無かった絆──それを知り、その痕跡を見てきたラグナは静かに涙を流した。その眼に光は戻っていた。


[ラグナ──人間には二つの生き方があった。支配するか、共にあるか──今、お前の胸の中に宿るのはどちらだ?]

「……支配になんか、興味はない」

[ならばその志を誇れ。お前の胸にあるのは、今は亡き融和の人間達より受け継いだ高潔な精神なのだからな]


 高潔──その言葉を受けたラグナは涙をぬぐい、自らの胸を強く握りしめた。そんなラグナの肩をセタンタは優しく叩く。


「もう大丈夫か?」

「……ああ。変なことを言ってごめん、セタンタ」

「──俺は何も聞かなかったぜ。な? ジークフリード」

[うむ]

「…………ごめん、ありがとう」


 死なせてくれ、殺してくれ──言ってはならない言葉だった。それを無かったことにしてくれた兄弟子たちにラグナの目に涙が再びこみ上げて、それを見られるのが恥ずかしくてこっそりと目元を拭った。


「ジークフリード。物語は……これで終わりなのか?」

[……残念ながら、まだ知らなくてはならない事がある]

「………………聞かせてくれ」


 ジークフリードの言葉にラグナは目を閉じる。心を持ち直し、光を取り戻した目で彼を見上げた。


[導く者達の行った獣にも劣る欲望の行いは神々が見放すのに十分すぎた。何よりも、このような存在を生み出してしまった神々は地上に関する一切の干渉を止めることを誓ったのだ]

「……なら、どうして師匠は俺を拾ったんだ?」


 当然のように出てきたラグナの問いに、ジークフリードは暫く瞑目する。


[…………それは後程話そう。啓示を失った導く者達は恐怖した。支配を逃れた者達の復讐を恐れた。故郷を奪った者達の報復に(おのの)いた。尊厳を奪った者達からの憎悪に震えた。自分たちの罪深き所業から逃げようとした。そして自らの正当性の為に神を騙りだした]

「【神を騙る?】 今度は、何をしたんだ?」

[人間達は教えと言うものを生み出した」


 曰く、自らは光の神々によって生み出された使途であり、善の徒である。

 曰く、我らは地上の安寧を導く者であり、北方には(おぞ)ましい魔の者達──【魔族】が我らを脅かそうとしている。

 曰く、同じ人間にも魔の者と通ずる者たちがいる。その者たちは【黒き魔法】を操り、人々に災いを招くだろう。


[人を束ねてきた導く者達は、それらを無垢なる同胞(にんげん)達へと吹聴し続けた……それらはやがて真実を覆い隠し、欺瞞に満ちた正義の旗を作った。その果てに今を生きる人間達にはその偽りが真実となり、真実は偽りへと隠された。その教えは神聖なる教え──【聖教】と呼ばれ今も人間達を支配している]

「黒き魔法……それに──」

[そうだ。奴らは自らの正しさの象徴として光を尊び、それに対して相反する闇を悪の象徴として晒し上げたのだ]


 その瞬間、ラグナの顔が怒りにゆがむ。忘れもしない二年前の出来事が──ラグナから一時は優しさを奪った記憶がラグナの脳裏を過ぎる。


「じゃあ俺は……そんなデタラメのせいであんな思いをしたって言うのか?」

[お前だけではない……今日この日にも、その力の素質を持って産まれた者は人として扱われた事は無い。さらに時の流れと共に、人間の中では闇を──それを連想させる【黒】を蔑む風潮が生まれた。歪みはさらなる歪みを生み出し続けたのだ]

「ッッ────!!」


 歯ぎしりをするラグナの口から、力強く握りしめる右手から血が滴る。

 「くだらない」「ふざけるな」「何が神聖なる教えだ!」──ラグナの心と頭を、憎悪と憤怒が塗りつぶした。その激情はラグナの左目を──【竜眼(ドラウプニル)】へと変貌させる。


「そいつらは、何処まで恥知らずならば気が済むんだッッ! 俺は…………俺のような人間はそんなくだらない事のせいで、捨てられてきたのか……」


 必然、それが自分一人で済んだことではないことをラグナは理解していた。だが、あまりにも下劣な理由に、ラグナは同じ人間に侮蔑を抱かずにはいられなかった。

 惨めな気持ちになる……先程とは違う形で、ラグナは自分が人間であることが恥ずかしく思えた。

 怒りに染まるラグナを、ジークフリードとセタンタは静かに見据える。やがて、ラグナはゆっくりと拳を解いた。


「それが、今も続く人間の所業か……」


 呆れたように、しかし怒りを含めてラグナはそう吐き捨てた。

 同時に、諦めのような感情がラグナの心を埋め尽くす……。


(せめて、誰でもよかったから魔境に住む人間達と話がしたかったな……)


 すでにこの世界にはいない、誠に称されるべき人間達を思いながら……ラグナの心から同じ人間に対する期待が消えて無くなった。


「……なら、答えてくれ……人間への干渉を辞めたにもかかわらず、どうして俺は師匠に──スカハサに拾われんだ」


 そしてラグナは再びジークフリードに問いかける。


[主がお前を連れてきたとき……我はその道楽に呆れたが、お前の目を見て今理解している。お前の目に宿る強い意志──生きたいという思いを、当時の主は聞き届けたのだろう]

「……………そうか。俺は、そうだったんだな」


 ジークフリードの言葉にラグナは空を仰ぐ。言葉は出なかった……ただ、師に対する感謝と謝罪と思慕が彼の心を埋め尽くした。


[これで我が物語は終わりだ……さて、ラグナよ。思うことはあるか]

「……やっぱり話が大きすぎて、俺は半分も理解できたか分からない。だが、少なくとも師匠が特別な存在だって事は理解した。後は……俺は一生、自分が人間であるという事を蔑むだろう──」


 その答えにジークフリードは目を瞑る。しかし『ただ──』、そう続けるラグナにジークフリードは再び瞼を開ける。


「俺は師匠の弟子である事を、スカハサの子として育った事を生涯の誇りとして──これから先も生きていくよ」


 驚愕や絶望や失望──負の感情に塗り固められた心の中で、スカハサと言う存在はそれでもなおラグナの中で大きく輝いていた。その輝きは確かにラグナの双眸に宿っていた。

その眼を見て、ジークフリード達は静かにほほ笑んだ。

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