38話:銀麗の竜王
三月中に二章は終わる予定です。
ラグナはその存在を見た瞬間、この存在にはどんな努力をしようとも届かない事を改めて確信した。
大きさがどうとか姿がどうとか、そんな差など些細なものだ。ラグナとジークフリードでは身に纏っているものが違った。
高位、高貴──万物の頂に立つ存在だけが放つだろう気風を、ただそこに佇むだけで感じさせる。それほどの大いなる存在だとラグナが肌で感じたのは、スカハサ以外では初めてだった。
そんな銀色に輝く壮麗なる異形を、ラグナは畏敬と羨望を込めて見上げた。
[こうして直に顔を合わせるのは十年に遡る。風前の灯に消えようとしていた命が、良くぞここまで強く燃え上がった]
体から放たれる威厳とは裏腹に、慈愛の眼差しでラグナを見下ろしながらジークフリードは懐かしむような声を綴る。そして、セタンタへと目を向ける。
[良くぞ我らが末弟を導いた。大儀である、最後の黒き狼よ]
「大したことじゃねえよ。元々はコイツを見究めるのが俺の役目だった……俺を納得させたのはコイツだ」
ジークフリードの賛辞に対して、セタンタはラグナを指しながら軽口を叩く。しかし、その尻尾が小さくだが左右に振られているのをラグナは見た。
そんなセタンタから、ジークフリードはラグナへと視線を移す。
[……改めて名乗ろう。我が名はジークフリード。この霊峰にて竜達を束ねる銀麗の竜王。そして、神の言葉に従いこの世界を監視し、その行く末を見定める者だ]
銀竜ジークフリード──改めてそう名乗った竜の王は、その背から生える六枚の大翼を広げて名乗る。祭壇の遥か上に空く大穴からは日差しが差し込み、銀の鱗と白金の翼膜が光を浴びて美しく煌く。
「……改めてラグナです。竜王ジークフリード、こうして見える事が出来た事を光栄に思います」
[かしこまった言葉は良い。お前は我が弟も同然の存在……家族と話すように我と対話してくれて構わん]
「…………分かった、ジークフリード。会話を聞けば、貴方は俺を知っているみたいだが……」
[うむ。物心の付いてない赤ん坊の頃に、お前は主によってここに連れて来られた]
「やっぱりか……その時に俺は貴方の血を飲んだのか」
ラグナの答えにジークフリードは首肯する。
[深い森に捨てられ魔物の餌になろうとしていたお前は、我が主スカハサに拾われた……だが、主の手でも産まれたばかりの……そのうえ、碌に乳も与えられず捨てられた赤ん坊の命を繋ぎ止める事はできない。そこで彼女は我の下を訪れ、我が血をお前に与えたのだ]
「竜の血は【万能の霊薬】……俺はそれで生き長らえたんだな?」
[その通りだ。だが当時のお前は赤ん坊……故に、お前に与えたのは爪の先にも満たぬ一滴だ]
ラグナは納得して左眼に触れ、次にセタンタを見る。
セタンタによって引き出された竜眼が左眼だけだったのは、自分に与えられた血が本当にごくわずかだったからだ。
かつて、セタンタが言っていた言葉を思い出し……自分は認められたのではなく、生かされるために与えられた事を理解した。
「生かされる為……か……」
「ラグナ?」
「いや、何でもないさ……ただ、改めて知っただけさ」
セタンタの呼びかけに、ラグナは無理矢理笑みを浮かべる。自分が森の中で捨てられたという事はスカハサから聞かされていた。ラグナは彼女の言葉を疑っていたわけではなかったが、改めてその事実を告げられ──
【自分は産まれ出た瞬間、周りに死を望まれた子だった】のだと知った。
「セタンタはどうやって竜の血を貰ったんだ?」
心に圧し掛かる重い痛みを消すようにラグナはセタンタに問いかけた。
「そんなの単純だ。何度もコイツに挑んで認めさせたのさ」
「……」
『決まってんだろ?』と、そんな軽い雰囲気でセタンタが放った言葉に、ラグナはぽかんと口を開けた。それに対してジークフリードは大きく笑う。
[懐かしいな……主に『おい、コイツを適当に鍛えてやれ』と、投げ込まれた貴様を指先であしらっていたのだがな]
「生き残るには強くなるのが一番の近道だろ? 師匠にそう言ったら、『じゃあここで死ぬ気で強くなれ』って、送り込まれたんだ」
[我に挑み、怪我をして、治ったらまた挑んで……お前のしつこさには呆れたものだ]
「うるせぇ……だが、その甲斐は確かにあっただろ?」
[そうだな……現に我はお前を認め、この血を与えたのだからな]
懐かしむようにセタンタ達はかつての思い出を語る。それを聞くラグナは呆気にとられるものの、セタンタの強さの一端の経緯を知り、ラグナは内心で舌を巻いた。
だが、ラグナの中には新たな疑問が芽生える。師匠スカハサとジークフリードの関係だ。
「貴方は師匠の事を『主』と呼んでいるが、貴方は師匠スカハサとはどのような関係だ?」
[かつては彼女の弟子同然の存在だった]
「──貴方が、師匠の弟子?」
[不思議か? だが、驚く事はあるまい……我とて生まれたときからこのような姿ではない。それに姿形は違えども、我らはこうして言の葉を交えているのだからな]
「それは……いや、そうだな。貴方の言う通りだ」
自分達の兄弟子であることに驚き、疑問を口にしてしまった。
それに対してジークフリードは笑みを含めた声でラグナに答えた。
[──とは言え、その程度の縁で我は主の気まぐれに付き合おうとはしない。セタンタの件も、お主の件も含めてな]
「師匠の気まぐれ?」
[その通りだ……ラグナ。いや、敢えて【黄昏の神子】と呼ぼう]
「……黄昏の神子」
当然ラグナはその呼び名に対して疑問を投げかける。フギン達がラグナを示して言った言葉は、彼には馴染みのない言葉だった。
「その黄昏の神子と言うのは何の事なんだ?」
[そのことも含めてこれから話をしよう。お前が我が元を訪れた暁にはお前に歴史の物語を綴るように任じられたいたからな]
「歴史の、物語?」
[我ら竜はこの世界の監視者であると同時に、この世界の歴史を謳い綴る記録者でもある。我ら竜の記憶には、最古から現在に至る全ての歴史が詰まっているのだ]
ジークフリードはそう言いながらセタンタを一瞥する。
[セタンタにお前をここに連れて来るかを見定めさせたのは──今を生きる者達から見てお前が全ての真実を知るに足る者かを計る為だった]
「……全ての真実?」
[そうだ。だが、その話をする前に、お前には主の──スカハサの真実を明かさなければならない。子であるお前達には、それを知る必要がある]
ジークフリードの言葉に、ラグナは訝しんだ。
「師匠の……何の話だ?」
[ラグナよ……お前は心の奥底で師に対して疑問を抱いているのではないか? 彼女は何者なのか、何故あのような孤島に暮らしているのか、何故あれほどの規格外の力を持っているのか──考えた事はあるだろう]
「…………それは、師匠だから、だろ?」
ジークフリードの問い対して、ラグナが出した歯切れの悪い答えは、ラグナ自身に言い聞かせるかのようだった。
スカハサは何者か? そのことについてラグナは考えた事はあった。だが、幾ら考えてもそれが分からなかった。疑問は彼女を知れば知るほど大きくなり……やがて彼女は凄い人物だと、ラグナはい自分にそう言い聞かせるようになった。
そうしなければ、敬愛するスカハサが恐ろしい何か見えてしまいそうだった。心の底から這い出ようとする恐怖を振り払うように首を振り、ラグナはジークフリードを見る。
「貴方は何が言いたいんだ」
[我が主……スカハサは人間ではない。かつてこの地を支配していた神々の生き残りだ。そしてお前は、その力を引き継いだ特別な人間なのだ]
「──」
突き付けられた事実に、ラグナは絶句する。
神々──その存在はスカハサやフェレグスから聞かされている。
かつて人間が生まれる前の時代に君臨した者達。
超常の力を振るった最強の存在。
そして【神戦】の果てに滅び去った支配者達。
「神々はそのことごとくが滅びたと聞いた。師匠が? 何を証拠に!?」
嘘だと噛み付くように、虚言だと嘲笑うように、ラグナは吼えた。セタンタも腕を組んで無言を貫くが、ジークフリードに鋭い視線を送る。
しかし、その言葉に対してジークフリードの態度に変化は無い。
[秘匿されるべき事実だからだ……だが先も言った通り、お前には全ての真実。歴史と言う名の事実を知る資格と、その必要がある]
「ッ……なら、セタンタもそうだろ? セタンタも師匠の下で育ったのだから」
「違うぜ、ラグナ」
セタンタが示した言葉は、セタンタ自身によって否定される。驚き見開いた眼でラグナはセタンタを見るが……彼は沈痛な面持ちでラグナへ言葉を続ける。
「俺はお前と違って部族が滅びて一人で生きていた中で師匠に拾われた。お前は産まれて間もない頃に師匠に拾われた」
「……それの何が違うんだ?」
[赤子は口にすることが出来るものが限られている。ましてや生まれて間もない子は、母親から母乳を与えられなければ生きることはできない。竜血を飲んだのはあくまでも延命の処置に過ぎない。お前は主の乳を飲む事で神の因子を宿し、この世にて唯一にて史上最初の【半神半人】となったのだ]
「ついでに竜の因子もあるから、【半竜】でもあるわけだがな」
「ッ──何だよそれ、訳が分からない」
敬愛する師匠──スカハサの正体が神。自分が人間でありながら神の因子を宿していて、竜の因子も宿している事。突き付けられた事実にラグナは頭を抱える。
理解できるかどうかも分からない……何故、今になってそんな事を知らなくてはならないのか? 乱暴に髪を掻き毟った。
[信じられないか。だが、これより我が綴る物語の中に根拠もある]
「……なら、教えてくれよ、それだけ言われたって今の俺の頭じゃあ分からない事だらけだ」
[……分かった。心して聞くが良い、神々の代より始まった世界の真実を──]
ジークフリードの呼びかけにラグナは睨むような目つきで見上げる。
その目を向けられながら、ジークフリードは歴史の最初期である、神々の物語を語り始める。
[かつて、この星には数多の神々が存在した]
「…………ちょっと待ってくれ、【星】? 星って、あの夜空に浮かぶ星のことか?」
[その通りだ。【浅はかな者共】は【この世界は四角く、地を中心に空が動いている】、などと広めているがそれは偽りだ。この世界は【宙】と言う空間の中に浮かぶ無数の丸き星のひとつに過ぎないのだからな]
「──ああもう、頭が破裂しそうだ」
「……小難しい話なら俺は抜けるぜ?」
[聞けセタンタ。このような話は二度とは聞けぬぞ?]
そう言いながらジークフリードは長い尾で二人を囲む。逃げられなくなったセタンタはため息をつき、壁のようにそそり立つ尻尾を見てラグナは改めてジークフリードの大きさに息を飲む。
[緑の陸と青の海によって分かたれた世界は、神々の統治の下に人──今では亜人と呼ばれる数多の種族と、様々な生き物に溢れていた。我もまたその時代の中で産まれた幼竜だった]
「……」
[神々は人と共にあり、安寧の象徴として崇められてきた]
どこか懐かしくむように、しかし哀愁を含んだ言葉でジークフリードは物語を語る。
[だが、神々は頂の存在だが決して完璧たる存在ではなかった……いつからか、神々の中で誰が頂点かを決めようとし、神と人による争うようになった]
「……それが【神戦】の始まりか?」
[そうだ。己こそ頂点と名乗る神。かの神こそが頂点にふさわしいと追随する神々が争い、世界は混迷へと陥った。陸が海に沈む。海から陸が生じる──それを繰り返し、大陸は大きく割け、多くの命が消え、或いは歪な進化をもたらした]
「歪な進化?」
[今で言う魔物達のことだ……あれらは、神々の残滓を過剰に取り込み、それに耐えられなかった生命の末路なのだ]
「──ッ!」
ラグナは絶句した。
神々の残滓──それはラグナもよく知っている魔法の原料となる魔素だ。それが生き物を魔物に変質させたという事など、ラグナが知る由もない事実だった。
そしてそれを操ってきたラグナの背中に冷たい汗を流した
[争いの炎はさらに燃え上り、多くの神々や生き物の種が絶えた。それでも尚、神々の争いは終わらず……そして遂に、星を割った]
「星を割る?」
[言葉通りだ。この星は二つに割れた……即ち、この星に生きる生命全てが絶えようとしたのだ]
ラグナは固まる……頭では納得できても理解が出来なかったからだ。
空に浮かぶ丸い星のひとつだというこの世界が二つに割れる──とても自分には想像できる光景ではなかった。
[星はその全身から血を噴き出し、その血の熱はことごとくの文明を焼き滅ぼした。星の断末魔は嵐となり、黒雲は太陽を隠して営みを、極寒と雷鳴は命を奪った]
「……だが、それならどうして今、俺達は生きている? 星が滅びたというのなら、この血は存在しないだろ?」
ラグナの当然の疑問に、ジークフリードは静かに俯き答える。
[…………我ら竜にも神が居た。父にて母たる竜の祖【神竜ヨルムンガンド】──かの竜はその身体で星を巻き付き、己の命を星に捧げることで死に絶えた星の命を蘇らせた。神々は自らが巻き起こした災厄を目の当たりにし、長き争いを終えたのだ]
ラグナは眉間に皺を寄せて瞑目する。星に巻き付き、自らの命をその星と共有するなど信じられない内容だった一体どれだけ強大な生き物がこの星に暮らしていたのか……想像する事ができず、ラグナは頭を抱えた。
[猛省した神々は地上の代行者として自らに最も近く、しかし最弱なる生命を生み出しそれらに託す事にした。それが【人間】と呼ばれる生き物だ]
「そして、生き残った神々は姿を消した……ということか?」
[そうだ]
神々の代から、人の代へ……そこでジークフリードは物語を一度区切った。
「それが神々の代から人間へと移った歴史の初めのころ…………と言う事か」
「ぁぁ、話が壮大すぎて訳わかんねえ」
[ラグナ、お前は理解できたか?]
「……正直、俺も話がでか過ぎて飲み込めきれないがな」
常人には到底理解できない世界を舞台にした物語だったが、ラグナはジークフリードの言葉は事実である事を理解する。
だが、腑に落ちない表情でラグナは自身の手を見つめる。
(話を聞く限りでは師匠がその神の生き残りの一人として考える事ができるのかもしれない)
しかし、それを信じたくないという心が自分の中を支配する。
[神には老いという概念は存在しない。真理の体現者として、この星の生誕と共に生まれたのだからな]
「……だが、それでもその話だけでは師匠が神だという証拠にはならない」
[そう捉えることも出来るな……だが事実だ。生き残った女神の一柱──闇と死を司る女神【スカハサ】は、神戦の中で生じた孤島に【クリード】と言う名を与え、そこに移り住んだのだ]
「…………」
ラグナは何も言わず、俯いて弱弱しく首を振った。
何故そうまでスカハサが神であることを認めたくないのか分からない……だが、それを認めてしまうと何か取り返しのつかないことが起こる。ラグナはそんな気がしてならなかった。
だが、否定する術を思い浮かばず、ラグナは一度溜め息をついて再びジークフリードを見上げた。
「ジークフリード。話の続き……真実って奴を聞かせてくれ」
「分かった。だが心せよ……これより先の物語は、今にも続く醜き人間の所業を綴る物語だ」
「構わない。貴方は俺に言っただろ? 師匠のことはともかく、俺には世界の真実を知る必要があるって──」
「……良いだろう」
ジークフリードは頷き、物語の続きを始める──神々の代が終わり、人に委ねられた世界の物語が語られる。




