2話:師への直談判
「外の世界に行きたい、だと?」
スカハサは、自室にやって来たラグナの言葉に怪訝な表情を浮かべる。
初めは冗談か? そう思いスカハサは目の前の弟子を見るが、その眼から伝わるのが嘘でも冗談でもなく、本気である事を感じ取り、椅子に深く寄り掛かった。
「藪から棒に何を言い出すのかと思えば……」
「お願いします。許可を頂けませんか?」
「…………はぁ」
溜め息を吐く彼女に、ラグナは再度、頼み込む。沈黙の後──スカハサは、厳しい視線となり──
「駄目だ」
鋭い刃物で切り付けるような冷たい拒絶の言葉を述べた。
ラグナは、そんな彼女の迫力に一瞬たじろいでしまう。しかし、直ぐに持ち直し、スカハサを見つめる。
「どうして、駄目のですか?」
「お前はまだ未熟だ。この島の外に何があるかも大して知らないお前を、外に出して無事に帰ってくる保証はない。そんなところに、お前をむざむざと送り出すと?」
「……」
未熟──師匠からの冷淡な言葉に、ラグナは目を瞑る。
ラグナは。自分なりに努力をしてきたと自負はしている……それでもまだ、足りないという現状を尊敬する人物に付きつけられた。
ラグナの心中で、納得と不満の二つが混ざり合い複雑な心境となる。
(だが、それでも──)
まだ糸口がある。ラグナは目を開く。真っすぐにスカハサを見つめる。射貫くようなスカハサの紫色の瞳が放つ視線を、幼さを残した丸く丸い瞳が受け止める。
説得すべく何かを口にしようと考えるラグナ──すると、スカハサの口元が笑みを浮かべる
「……良い眼だな」
「え?」
「強い意志を抱いたものの眼には、それ相応の輝きが宿るものだ」
「……そ、そう、でしょうか?」
冷たい気配から一変して普段の慈愛に満ちた表情を浮かべるスカハサの姿に、ラグナは、頬を赤く染める。
「なあ、聞かせてはくれないか? お前が外に行きたいという理由を──」
「それを述べたら、師匠は、僕が外に行く事を許してくれますか?」
「ふむ……考えを改めるかもしれないな」
「……聞いて、怒りませんか?」
「それも、内容次第だろうな」
微笑むスカハサに対して一瞬、罪悪感から苦しげな表情をしてから、ラグナは、スカハサに外に行きたい理由を口にした。
「父と母を、知りたいです」
「…………理由は?」
「どんな人か、気になるからです」
「成る程……単純だが、分からんでもない」
納得したように、スカハサは微笑んだ。だが、その眼には小さな哀愁を感じさせる。彼女の眼に宿るその感情を、自分が齎したと自覚するラグナの心には、重く冷たい痛みが圧し掛かった。
「なら、ラグナ……お前は、この島での生活に不満があるのか?」
「ありません」
「ならば、本当の親が恋しいと思うのか?」
「……分かりません」
問われる言葉に、決して、ラグナは嘘を吐く事だけはしなかった。やがて──スカハサは、深い溜め息を吐いた。
「お前の中で何かが燻ぶってしまっていると言うのは分かった。だが、そうか──成る程な」
「すみません、師匠」
「別に、謝ることは無いぞ? お前は聡い子だから、そう言うのを自力で学び取っただけに過ぎない」
「……あの、それで師匠のお考えに変化は?」
「うぅむ……聞いた限りだと、お前の心境は理解した。だが、それでもわしの気持ちは、反対だな」
「そう……ですか」
ラグナは瞑目する。落ち込んでいるというよりも、思案に耽っているとスカハサは判断した。
「…………ふむ」
簡単に諦めようとしない──そんなラグナの様子を見て、顎に手を添えながら思案に耽るスカハサ──やがて、机の引き出しから小さなベルを取り出し鳴らす。間もなくすると、扉の向こう側を誰かがノックする。
「入れ」
「失礼いたします」
スカハサの言葉に丁寧な口調で返して入って来たのは、従者のフェレグスだった。
フェレグスはラグナの姿を見ると彼に一礼して、スカハサの前に立つ。
「いかが致しましたか?」
「何、お前に少し聞いてみたい事があってな。単刀直入に聞くが……お前から見て、ラグナはどう見る?」
「……と、おっしゃいますと?」
「何、単純な評価だよ……ああ、わしの目の前だとか、本人の前だとかそういう所は無視してだ。お前の意見を聞かせろ」
「…………」
困惑の表情を浮かべて、フェレグスはラグナを見た。本当に言ってよいのか? フェレグスは、ラグナに対して目でそう問いかけた。それに対して、ラグナは頷いた。
「では、僭越ながら申しますが──」
彼の目に宿る意志に並々ならぬ何かを感じ取ったフェレグスも、意を決してスカハサの言葉に従う事を決める。
「八歳の身で、文武を良く両立していると判断します」
「それだけか?」
「他にも申すのであれば──根本の性格は、誠実そのもの。また、不足している部分を自覚し、補おうとすると言う非常に努力家でもあります。この世に多く、人間と言う種族はいますが、ここまで自らを課す人間とは、非常に珍しく、だからこそ、私も教鞭に熱が入ると言うものです──と、愚考いたします」
「ぁぅ……」
師であるスカハサからは辛辣な言葉を受けていたラグナは──フェレグスからも同等の言葉を受けると覚悟をしていた。しかし、送られてきたのは、純粋な高評価だった。それは、ラグナにとっても予想外だった事で、顔を赤くしてしまう。
「ならば──外に送り出すと考えると、どう思う?」
「外ですと? もしや、大陸の事を指しているのですか?!」
フェレグスが驚愕と共に口に出した言葉──その言葉によりラグナの脳裏には、彼から学んだ知識が浮かぶ。
大陸と言うのは、クリード島の外に存在する最も身近な地──ケルデニア大陸の事を指した言葉。世界の中心に位置する大陸だといわれている最大の大きさを誇る大地でもあった。そこには人間や魔物など──多くの存在が暮らしているという場所だ。
「それ以外に何があるというのだ?」
「しかし、何故に──」
「ラグナが行きたいと言うのでな。わしは、まだ早いと思うのだが……お前はどう思う?」
「……」
フェレグスがラグナの方を向く。ラグナと目を合わせ、スカハサ同様にラグナの目の中に宿る意思の強さを汲み取り、フェレグスはラグナが冗談ではなく、本音を言っている事を理解する。
ふぅ……、困ったように息を吐いたフェレグスは改めてスカハサを見る。
「答える事は構わないのですが──しかし、この言葉はどのような立場でおっしゃるべきでしょうか? この館の従者としてでしょうか? 或いは、彼の教師としてでしょうか? それとも、それらすべてを取り払った個人の意思としてでしょうか?」
フェレグスの確認に対して、スカハサはやれやれと息を吐いてみせる。
「個人の意見だ」
「では──先も申した通りですが、ラグナ様は非常に聡い子供です。よほどの事が無い限りは、自ら危地に飛び込むことはしないのならば、同伴者を伴う形で、外出の許可をことにしても、よろしいかと存じ上げます」
スカハサは静かにその言葉を聞く。
「これが、個人として──ラグナ様に私が与える評価になります」
「……フェレグス」
そう言いながら、フェレグスはラグナに対して小さな微笑みを浮かべる。ラグナは、彼が自分に味方してくれている事を理解し、心の中で感謝の言葉を述べながら笑みを返した。
「成程、お前の言葉も一理はある──その同伴者に己が名乗り出ると言った所か?」
「それ以外に誰が居ましょう? セタンタは、亜人種です。主は本来なら島の外へ出る事は許されぬ存在。となれば、残る私にしかその役目は務まらないでしょう」
「……道理だな」
スカハサは、納得した面持ちで目を瞑る。そして、再び威厳に満ちた視線をラグナに向ける。ラグナはそれを見て思わず、足を竦めた。
「ラグナ。わしは……お前の願いに対して、駄目だと答えた」
「は、はい」
「だが、フェレグスは、お前が外に出る事に対して反対はしなかった。これで是非については一対一の状態となったと言う訳だ。本来なら──従者の言葉を取るか取らないかは和紙が判断する」
だが──スカハサは言葉を一度切り、再び口を開く。
「従者としてではなく個人としての意見を答えさせた。お前を育てた者の一人として答えならば、聞き入れないわけには行かない」
「師匠──」
「この場合なら、セタンタも呼んで聞くと考えるのだが──あいつもまだ若い。そんな難しい判断などしないだろう。そう考えると、お前が答えを掴み取るには、自分自身の力で勝ち得るしかないというわけだ」
その言葉にラグナの腕に鳥肌が立つ。竦みそうになったラグナだが、スカハサの視線を改めて見つめ罫線─負けるなと己を奮い立たせて見つめ返す。
「どうすれば、良いのでしょうか?」
ラグナは、師に何をすべきかを問う。
「お前に、試練を与える。もしも期限の内にお前がその試練を乗り越える事ができたのならば──わしはお前の外出を認める」
スカハサはその問いに答えた。
ラグナ自身が、課した試練を乗り越える事が出来たのならば外出を認める──ラグナの心に一つの可能性が生まれる。
「ただし! 出来ねば、お前には相応の対価を支払ってもらう」
だが、その直後にスカハサはラグナに対して意味深くも恐ろしげな言葉をぶつける。
「主! それは──」
「黙っていろフェレグス」
物申そうとするフェレグスを一睨みで黙らせるとスカハサはラグナを見据える。
「それでもお前は、挑むか?」
「…………」
ラグナに対して、確かめるように投げかけられた言葉。
瞑目したラグナは、心を落ち着かせるように深呼吸をし──確固たる意志を宿した瞳でスカハサを見て口を開いた。
「やります」
ハッキリとした声が、スカハサの自室に響く
ラグナは、己の目的を果たす為に、試練を受ける事を受諾した。