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37話:目覚め、旅立ち……果てに待つもの

 エルフの里に帰って来たラグナには、当然だが安静が言い渡された。

 顔には左の額から頬に掛けて縦一筋の傷が走り、左目を塞いでいる。

 左腕は掌から前腕部の中間まで裂けている。


 ラグナの状態は誰の目から見ても重体だった。そのラグナも里に着いた頃には血を流しすぎて意識を失っていた。

 直ぐに手当てが施され、セタンタの手当てとフィオーレ達エルフが持ってきた大量の治療薬や道具のおかげで、ラグナは一命を取り留めた。

 顔の左側と左腕に白い布を何重にも巻かれたラグナは、借り部屋のベッドに寝かされた。

それから目覚めないラグナをセタンタが看て、フィオーレ達が何度も様子を見に来た。


 ラグナが目を覚ましたのは、それから三日後だった。

 昼頃──ラグナはゆっくりと目を開ける。視界の左側が真っ暗である事を認識し、ラグナは気配を感じて顔を左へと向ける。

 椅子に座って「よっ」、と手を上げるセタンタを見つけ、ラグナは笑みを浮かべる。


「おはよう、セタンタ……どれくらい眠ってたんだ? 随分と長く眠ってたのか?」

「いや、まだ三日しか経っていない。あの怪我ならもうしばらくは寝ていると思ったが……少し早かったな」

「……そうか」


 ラグナは上半身を起こして自身の左腕を見る。白い布で何重にも巻かれた左腕──ラグナは試しに動かそうとするが、頑丈に固定されているのかビクともしなかった。

 痛みは感じない──同時に自分の体の感覚が鈍くなっている事に気付く。


「フィオーレちゃんに感謝しろよ。お前を助けるために色んな薬作ってはお前のところに持ってきてくれたんだからな」


 ラグナは、セタンタから自分が眠っている間の事を聞かされる。

 まず、白狼族は決闘の内容の通り、エルフに手を出す事を止め──それどころか、翼人族達との戦いも行わなかったこと。

 エルフ族は、白狼族達が撤収した事に安堵しつつ──ラグナの治療に全面的に協力する事を約束してくれたこと。

 捕らえられていたリンク達猫人族はセタンタが釈放を申し出て、アーロンはそれを承諾し、平源へと帰っていったこと。

 

「何故、リンク達を解放させたんだ?」

「そりゃぁ──お前ならそうしただろ?」

「……そうだな」


 ラグナは小さく笑みながら窓の外へと目を向ける。

 リンク達のやった事は最善とは言えないが、それはあくまでエルフに恩を返す手段だった。

 許すか許されないかはアーロン達が決めることだが、彼等は許しを得る資格があるとラグナは思っていた。

 行いが善であろうと、悪であろうと、【信念を持つ者】には敬意を払う──これもまた、ラグナが三人の師から学んだ心だ。

 それは、ラグナをそういう人に育てた片鱗を担ったセタンタも同じだ。


「少なくともメイヴたちがリンク達を殺す事は無いだろ。あいつらもお前に借りができたって、いつか返しに行くってさ……」

「別に、そんな見返りなんて求めて無いんだけどな」


 ラグナは苦笑していると部屋の扉が開かれる。ラグナがそちらを向くと、そこに居たのはフィオーレとアイリスだった。彼女達は目覚めたラグナを見て、目を見開き固まっていた。


「ラグナ、君……?」

「フィオーレさん、おはようございます。あの、セタンタから聞きました。俺の怪我の治療に力を貸してくれていたんですよね? ありが──」


 ──とうございます。

 感謝の言葉をラグナは言う事が出来なかった。なぜならフィオーレがラグナを強く抱きしめたからだ。

 突然の出来事に、ラグナは目を丸くし、思考が停止してしまう。やがて、鼻腔を撫でる彼女の優しい香りに事態を理解して顔を赤くした。


「ぁ、ぁの……」


 戸惑いながら、ラグナはフィオーレに声を掛ける。何故、自分を抱きしめるのか? ラグナにはいまいち分からない事だった。

 だがその呼びかけを無視して、フィオーレはラグナのことを更に強く、そして優しく抱きしめる。


「良かった。目を覚ましてくれた……」


 涙に震える声にラグナは、更に戸惑う。

 どうして泣いているのか……視線を泳がせると、アイリスも泣いていた。慌ててセタンタに目を向けるが、肩を竦めるだけだった。

 仕方なく、ラグナは少しそのままでいる事にした。


「無理をして……心配を掛けてしまって、ごめんなさい。それとありがとうございます」


 ラグナの口からは、感謝の言葉と謝罪の言葉が再び零れた。


 泣き終えたフィオーレは、今度はラグナに説教を始める。

 「怪我をするにも限度がある」「無理をするにも程がある」「もっと自分を大切にしなさい」

 繰り返し言われる言葉に、ラグナは自然とベッドの上で正座をした。俯いて「はい」「すみません」を繰り返して謝罪する。


 その様子を見るセタンタは腹に力を入れて、小刻みに震えながら笑いを堪えていた。

 自身の左斜め後ろで笑いを堪えるセタンタに、ラグナは恨めしそうに視線を向けるが、フィオーレにそのことも指摘され再び謝罪の言葉を口にした。


 笑いを堪えるセタンタだが、実は彼もラグナが目覚める前に彼女から説教を受けていた。

 「こんな小さな子に大怪我を負わせるとは何事か」「弟分のことを大事にして信頼しているにしてもこれは無理をさせすぎだ」

 そういうのが苦手なセタンタは当然逃げようとしたが、フィオーレの迫力に押し負け、今のラグナ同様に正座をして謝罪を繰り返し述べていた。


「本当に、お願いだから。もっと自分の事も大切にして」

「はい、すみません」

「──よろしい。さあ、布や薬を替えるから傷を見せて」


 ラグナは再びフィオーレに頭を下げる。

 長い説教から解放されたラグナは、改めて左腕を差し出す。ゆっくりと布が解かれ、傷が(あらわ)になる。

 その傷を見て、ラグナはフィオーレが何故あそこまで怒ったのかを理解する。

 前腕の中間から、中指と薬指の間にかけて赤黒い裂け目が出来ている。その裂け目は糸で縫い合わされている。我ながら無茶なことをしたと、ラグナは顔を歪めた。


「薬が効いてくれたおかげかしら。出血は完全に止まったようね」


 血を吸った布を捨てながら、フィオーレは安堵の声を漏らす。


「これもフィオーレさんがやってくれたのですか?」

「針を縫ったのはセタンタさんよ。私達はその間に薬を調合していたの」

「言っとくが、動かそうなんて思うなよ?」

「分かってるさ」


 言われたとおり、ラグナは大人しくフィオーレの手当てを受ける。小さい頃に怪我をしたのをスカハサに手当てしてもらった事を思い出して懐かしく思った。

 そのまま、縫い合わされた傷に薬に浸された布が近づく……


「あとな……覚悟しておけよ」

「──え? セタンタそれはどういう──」

「じゃあ行くわよ。少し沁みるけど我慢してね」


 【少し】──その言葉にセタンタ譲りの勘の良さが、ラグナに対して警笛を鳴らした。だがそれは傷に薬漬けの布を貼られる直前だった為、もはやどうする事もできなかった。

 例え、痛み止めの効果で感覚や痛覚が鈍くなっていても、沁みるものはとにかく沁みるし、痛いものはとにかく痛いのだ。

 薬塗れの布が傷口に触れた瞬間──。


 ラグナは十年の人生の中で、産まれて初めて悲鳴を挙げた。



 『それじゃあ、お父さんにも伝えてくるから』

 そう言ってフィオーレ達は部屋を後にした。再びラグナとセタンタが残される。


「腹減っただろ? 何か持ってくるか?」

「ありがとう」

「おう」

「…………いや、待ってくれセタンタ。聞きたい事があるんだ」


 二人きりになり、ラグナは改めて真剣な面持ちをセタンタに向ける。

 セタンタも本気の会話だと読み取り、口を引き締める。


「まず、俺の左腕だけど」

「ああ。当たり前だがあと数日はその状態だな」

「それは分かるよ。ただ、俺の左手は──」

「……そうだな。ハッキリ言えば、【お前の左手はもう動かない】」


 もう動かない──ラグナは静かに左腕を見る。

薄々分かっていた。ラグナの表情からはそんな心の声が読み取れた。


「言い方は大げさだが、内側の神経や腱がブッツリ切れてるんだ。治るにしても時間は掛かるし、治った後も前みたいに自由に動かせないだろうよ」

「……そうか」


 納得したように、仕方が無いと割り切るようにラグナは右目を閉じる。自由に動かない手──それを改めて知った気持ちは本人にしか分からない。

 事実を突きつけたセタンタも、次の言葉が見つからずに眼を伏せる。

 だが、やがて目を開けたラグナは切なげに……しかし、笑みを浮かべる。


「無事ではすまない事は覚悟していたさ。むしろ、手一本で命が繋いだ上に、本懐も遂げたのだから儲けってものだろ?」

「ラグナ……」

「腕自体はまだ動く。なら使いようはあるさ」

 笑うラグナに、セタンタはそれ以上何も言おうとは思わなかった。

 そして、ラグナは再び真剣な表情に戻る。


「それで──次が本当に聞きたい事だ」


 そう言ってラグナは、自分が眠っている間に起きた事を話す。

眠る者に起こる出来事……それは夢だ。ラグナは自らが見た夢の内容を打ち明ける。

 どこか岩肌に囲まれた祭壇にて巨大な銀色の存在に出会う夢。

 ラグナはそれを所詮は夢の話だと割り切っていた。

しかし、もしかしたら魔境にきた理由がそこにあるのでは無いか? そんな疑問は、同じ夢を見るにつれて大きくなった。


 その疑問は、エルフの里でのセタンタとの模擬戦の中で見た彼の眼によって予想へと変わる。

 その眼を見たのは、ほんの刹那の時間だった。だが、ラグナの脳裏には、それは今も鮮明に刻まれている。夢で出会う存在の眼と同じ、煌々と輝く眼の奥に縦一線の瞳孔を秘めた……目を合わせた者を惹き付け離さない。恐ろしくも美しい眼だった。


「眠っている間も俺はそいつと会う夢を見た。言葉とかを聞いたわけじゃないけど、今回は違った。『お前が来るのを待っている』──あいつは、俺にそう言った」


 ラグナの言葉を、セタンタは口を挟まずに聞いた。それは決して嘘と切り捨てるのではなく、真実なのだと受け入れていた。


「師匠が俺を送り出した事に──俺には知らされてない別の思惑がある。セタンタ、お前はそれを知っているんだろ? 俺が夢で見たもの正体も、師匠の考えも……そうだろ?」

「……チッ、あのヤロウ。余計な事しやがって」


 バツの悪そうに言葉をこぼすセタンタ──その言葉は、肯定だとラグナは判断する。


「だが、この話はアーロンのおっさん達にも話さなきゃいけない……このまま『はい、さようなら』、って程の薄い縁じゃないだろ?」

「──…………分かった」


 セタンタの言葉に対して、ラグナは口を開こうとする。しかし、声を出す前に口をつぐんで代わりの言葉と共に首肯した。その後、セタンタに促されたラグナはベッドを出る。

 外に連れ出されその道中、ラグナの目覚めを知って押し寄せるエルフ達から感謝の言葉や具合を気遣う声を送られる。戸惑うものの、ラグナ達は大樹の城のアーロンにいる元を訪ねる。

 本来なら、番人によって気軽に入れない場所だが、門番達はラグナ達を快く通してくれた。そのまま、アーロン達の元に案内される。

 長の部屋では、アーロンの他にもフィオーレ達が居た。彼等は目覚めたラグナの突然の来訪に驚いた。


「──!」

「怪我は、もう良いのか?」


 怪我人が出てきた事にフィオーレが何かを言おうとする──しかし、アーロンがそれを制してラグナへと言葉を投げかける。


「ええ、おかげさまで動けるくらいには回復しました」


 そう言って笑うラグナだが、顔と腕を布で覆われた痛ましい姿に、フィオーレは眼を細める。

そしてアーロンは、立ち上がると同時に頭を深く下げた。


「我々の未来の為に戦ってくれたことに深い感謝を──そして、君のような幼い少年に、我々の命運を押し付けてしまった事を、改めて侘びさせてほしい。すまなかった」


 ラグナはアーロンの行動に驚きつつも、その言葉を受け入れる事にした。

 義憤もあった。同時に、恩返しもしたかった。自分が勝手に首を突っ込んだ事だったが、それが結果的にエルフ族を助けられた事に、ラグナは安堵した。


 謝罪と感謝を受け入れて、ラグナは改めて自分達の今後について話をしようとする。しかし、それはセタンタに制される。


「ちょい待ち──その前にアーロンのおっさん。ラグナも目覚めたんだから、あの件もコイツは聞く権利があると思うぜ?」

「しかし、あの件は──いや、そうだな。ラグナ君、君が眠っている間に新しい問題が生じていた」

「新しい問題ですか?」

「以前、話題に出ていただろう【翼人族】のことだ。どうやら、彼等は君の戦いを見ていたようで、君の身柄を要求してきたんだ」

「──……何故?」


 ラグナは首を傾げる。どうして翼人族が自身の身柄を求めたのか分からなかった。その様子に、セタンタは溜め息を吐く。


「前に話したろ? 女しか生まれない連中が、男をほしがる理由なんて一つだろ」

「…………ん~?」

「……ああ~、分からんなら今は良いか」


 セタンタの言葉にラグナはさらに首を傾げる。その様子に、セタンタは後頭部を掻きながら呆れたように呟いた。


「しかし、その問題はもう解決したという事ですよね?」

「ああ。セタンタ殿のおかげでな」

「何をやったんだ?」

「別に、お前と同じだ。『気に入らねえから相手してやる』、って喧嘩売っただけだ」

「それを、俺の時と一緒にしないで欲しいな」

「似たようなもんだろ?」


 そう言ってセタンタはニヤリと笑う。

 ラグナはジト目でセタンタを睨む。しかし、その視線を受けてもセタンタは笑みを消さない。


「まあ、俺が無事って事はセタンタが勝ったんだな?」

「当たり前だ、俺を誰だと思ってやがる。【たかが空飛べるだけの連中】なんぞ大した事ねえな」

「ああ、そうかよ」


 その空を飛んでいるやつにどうやって攻撃を当てるんだよ? ラグナは当然そう思ったが、セタンタだから出来るのだろうと割り切った。


「俺が寝ている間にそんな事があったというのは分かった。それで、アーロンさん達に話したい事があるのですが──」

「聞きましょう。今回のことで、何か私達に与えられるものがあるのなら善処しましょう」

「いや。単刀直入に言えば、俺達はこの里を出ることにした」


 セタンタの言葉に、エルフ達は驚き固まる。ラグナは冷静にセタンタを見る。ベッドで言っていた言葉に、薄々とした予感をしていたからだ。


「どうして、もっと一緒に居ようよ!」


 最初に言葉を発したのはアイリスだった。エルフとは言ってもまだ幼い少女の純粋な言葉だった。無言のラグナを見て、何も言わないセタンタを見て、驚き固まる父と姉を見上げるアイリス。

 娘の(すが)る眼差しを受け、アーロンは険しい顔つきでセタンタに問う。


「何故、そのような事を? 我々は、君達に大変失礼な事をしてしまったのだろうか?」

「そんな事は無いさ。ただ、その時期が来たってだけさ」

「……セタンタ、此処で話すんだろ? 師匠の考えも含めて」

「分かってる、そう急かすなよ」


 そう言ってセタンタは苦笑いするがその直後、真剣な顔つきへと変貌する。


「まずはラグナ……お前が言った通り、今回の魔境に関して、俺は師匠から内密にお前を見定める事を任されていた」

「そうだったのか……でも、具体的には何を?」

「そこまでは言われていなかったが……エルフ達と出会った最初の様子を見れば、何となく察しがついたぜ」

「…………」


 指摘されたラグナは自らの胸に手を当てる。二年前の経験から生まれた。他人への恐怖心から生まれた怯えと警戒心。二年前の経験から無意識に生み出してしまう心の闇だ。


「最初はどうするか迷ったが……お前はここでの生活の中でそれを克服した。お前は自らの優しさを取り戻した。この時点で俺はお前を見直したぜ」

「……それは、俺一人じゃ変えられなかった事だ」


 ラグナは苦笑して、フィオーレとアイリスを見る。二人もラグナに笑みを返した。


「そして次にお前の実力を測る事にした。この魔境に来てお前は確かに腕を上げた……そして、白狼族からエルフを助けたい──誰かのための戦いを経て、お前は自分の信念と力を証明した。俺はそれを見て、師匠の言いつけに従ってお前をある場所に連れて行くことにしたんだ」


 その言葉にラグナはそのある場所というのは、自分が夢で見た場所の事なのだと読み取る。


「事情は分かりました。しかし、この魔境の誰に会おうというのか……差し支えがなければ聞かせてほしい」


 尚も厳しい視線を向けるアーロンに対して、セタンタは静かに言葉を発する。


「──【竜】だ」


 セタンタの言葉にアーロン達は眼を見開いて固まる。


「竜?」

「この魔境の遥か奥地──山岳を越えた先にある霊峰に住む最古の生き物だ。ラグナ、証拠を見せるから左目の包帯を取れ」

「……分かった」


 セタンタに促されラグナは布を取る。やがて露になるラグナの左顔半分。


「ラグナ君──顔の傷が、殆ど治ってる」


 フィオーレの言葉にラグナは驚く。

 ラグナは右手で顔の左をなぞると、傷跡による凹凸(おうとつ)はあるものの痛みは無く、ラグナの視界はより鮮明になっていた。

 腕ほどではないが、三日眠っていた程度では治るはずの無い傷だった。


「引っ張り出すから、俺の眼を見ろ」


 言われたとおり、ラグナはセタンタの目を見つめる。

やがてセタンタの目が変わる。以前見た、金色に輝く眼──それを見るラグナの左眼に、熱のような痛みが走る。


「ィッ──え?」


 ラグナはフィオーレ達を見る。彼女達はラグナの目を見て息を呑んでいた。ラグナは窓を見る。朧気に映る自分の姿だが、いつもと違う。

 窓に映るラグナの左眼は赤く煌々と光を放っていた。その輝きは、色は違えど、それはセタンタの目に宿るものと同じ輝きだった。

 自身の突然の変化に、ラグナも声を出す事が出来なかった。


「【竜眼(ドラウプニル)】──まさか、お二人は……」

「そうだ。まあ、コイツのはまだ不完全だけどな……」


 セタンタは両目の輝きを消して普段の眼に戻す。それに伴い、ラグナの左目も元に戻った。


「俺とラグナは竜から血を与えられた。目的も手段も違ったが、俺達は竜の眷属なのさ」

「まさか……いや、だからこそ納得がいく。特に、ラグナ君の力にはね……」

「……どういう事ですか?」

「竜の血は別名を【万能の霊薬(エリクサー)】と呼ばれ、死にかけた生命を救い上げ、無尽蔵の力を与えるとされている。そして、それを飲んだ者はその証に【竜と同じ眼】を宿すといわれているのだよ」

「──」

「しかし、成る程。それが貴方達の旅の目的地ですか……」


 ラグナは言葉を飲み込む。自分がいつ? 何処で? どうやってその竜の血を飲んだのか分からない。ただ、彼等にとってもこの眼は特別なのだと理解した。

 もっとも、アーロン達との間に気まずい空気が流れる。


「……あの、俺からも一つお聞きしてよろしいでしょうか?」

「なんでしょうか」


 その様子にラグナは一瞬、言葉にするか迷った。だが、ここに来てずっと気になっていた事を、今ここで尋ねる事にした。


「以前から、此処には人間が暮らしていたと聞いていたし、その痕跡も見ました。何故、こんな危険地帯の奥で人間があなた達と一緒に居たのですか?」

「…………」


 それをラグナに教えたフィオーレは、アーロンを見る。

 アーロンは口元で手を組みながら眼を伏せる。話すべきか、話さないべきか……考えているという事は良く分かる。

 やがて、決意と申し訳なさが交じった難しい表情を浮かべて、アーロンが顔を上げた。


「ラグナ君、その答えは私ではなく君がこれから会う竜から聞くべきでしょう。かの存在の方がこの世の全てをより理解している」

「……そう、ですか」


 その答えに、ラグナは深く聞く事はせず、静かに頷いた。

 重い空気のまま、ラグナとセタンタは部屋へと戻る。


「なあ、セタンタ」


 その帰り道で、ようやくラグナはセタンタに問いかける。


「その竜の血って言うのは、それほど特別なものなのか?」

「まあな。まず竜って言う種族そのものは、この大陸で最強の生き物だ。それに認められるって事だけでも名誉だ」


 だが、とセタンタは挟んで言葉を続ける。


「お前がエルディアに勝ったのは、お前自身の力だ。他にもテメェの覚悟と知恵と勇気とか……まあ後その他諸々でお前は勝ち取ったんだ。だから、変に勘繰るな」

「……ありがとう。そういうことにしておくよ」

「左腕が治り次第出るからな」

「……ああ」


 その夜も、ラグナは月を見上げていた。ただ、いつもと違い月に手を伸ばす事はせず、見上げた顔を俯かせ部屋へと戻った


それから更に一週間が経過して、ラグナは左腕の包帯を取った──指の隙間から前腕の中間にかけて傷跡は残っているが、傷はふさがっていた。


「…………」


 ラグナは左腕を動かす。肘は曲がる。だが、指を動かそうとすると痛みが走る。指は小刻みに震えるだけで指は曲がらなかった。

 左指はもう動かせない──薄々気付いていたその事実を改めて突きつけられ、ラグナは瞑目する。

 そして、魔王蟲の顎の両手剣を立てかけたままにし、ラグナは背中に鉄の剣を差して身支度を整える。

最後に世話になったこの部屋に名残惜しさを感じながらも、ラグナは扉を閉めた。


「竜に会いに行くってことは分かったけど、どうする気だ」

「まずは、北だな。翼人族はぶちのめしたついでにそこら辺も言っておいたから、手は出してこないだろう」

「もし何かして来たら?」

「その時は……まぁ、その時だな」


 にやりと笑うセタンタだが、眼には鋭い光を灯している。ラグナは溜め息をついて深く聞かないことにした。

 そして外に出ると──アーロン達が、見送りに来ていた。


「これは──」


 驚くラグナと、やれやれと苦笑いするセタンタ。

 そんな二人にフィオーレを伴ってアーロンが近づき、深く頭を下げる。


「旅立ちに際して、我々には大して恩を返すことが出来ませんでした……ただ、旅の無事を祈り、せめてこれらをあなた達に貰っていって欲しい。フィオーレ」

「はい」


 フィオーレがラグナ達に差し出したのは、木片に翡翠の石が嵌められた首飾り。そして、小さなの深緑のコートだった。


「これは、エルフが他者に感謝を込めて送る首飾りです。そして、ラグナ君には、フィオーレ達が仕立てた上着を──このような物ですが、どうかお守りとして貰って欲しい」

「……ありがたく、譲り受けます」


 二人は首飾りを掛け、ラグナは剣を外して服の上から新たに深緑のコートを羽織った。

 それから、ささやかなお別れの時間を共にした。セタンタは狩人の若者達から、いつか剣を教えてほしいと乞われた。

 ラグナもアーロンや狩人のリーダー達と握手を交わして旅の無事を誓った。そして、フィオーレとアイリスと向かい合う。


「……元気でね」

「はい。お世話になりました」


 フィオーレは名残惜しそうにラグナを優しく抱擁する。長くは無かった時間が、短くも無い時間を共有した。

 名残はあった。改めて、ここで得た綺麗な思い出を振り返りラグナの心にズキリと痛みが走る。


「あの、またいつか……ここを訪れてもいいでしょうか」

「勿論よ。貴方達の事をいつでも歓迎するわ」

「……ありがとうございます。では、またいつの日か」


 そして最後にアイリスだが──彼女はラグナの頬に口付けをした。


「…………」

「助けてくれて、ありがとう」


 そう言うと、赤い顔のアイリスはフィオーレ達の後ろに隠れてしまった。

 ラグナは何が起こったのか理解できず固まる。どう返せば良いのか分からず──ただ、顔が熱くなって困惑した。

 別れを済ませて、二人はエルフ達に手を振りながら北へと歩みを進めた。


 魔物を狩りながら森を抜けた。

 豪雨を岩窟で凌ぎながら一夜を明かした。

 何時の間にか生い茂る木々は無くなり、岩肌だけの道で何かの視線を受けながら奥へと進んだ。

 強風に飛ばされぬように、その冷たさから身を守る為に服を強く掴みながら山を登った。


 やがて、ラグナ達は山々の奥地に一際大きな黒い山を見た。山の頂からは黒い煙が昇り威風を感じさせる。


「ここから先が竜の領域【霊峰】だ」

「……あそこに竜が居るのか」

「ああ。この景色も久々だな」

「……しかし、まだ先がありそうだな」


 自身達と黒い山の間に並ぶ山々を見ながら、ラグナは溜め息を吐く。


「いや、そうでもない」


 そう言ってセタンタは彼方を指差す。その先には小さな点が二つ浮かんでいた。それは徐々に大きくなって……否、ラグナ達に近づいてきていた。

 咄嗟にラグナは剣を構えるが、セタンタに「平気だ」と言われ構えを解く。そして、二人の前に二体の魔物が降り立った。


 それぞれ赤と緑の鱗に覆われた巨大な身体に強靭な四肢、鋭い牙と牙、輝く眼をこちらに向け、巨大な翼を折り畳む異形。

 その姿は、形も大きさも違うが夢で出会った存在、竜と非常に似ているとラグナは思った。


「久しぶりだな【フギン】、【ムニン】」


 その姿に臆する此処と無く、セタンタは片手を上げて二体に声をかける。


[久しいな、黒き狼の生き残り──仔細(しさい)については我らが王から聞いている]

「……」


 ラグナは驚く。確かに声が聞こえた──その声は頭に直接響くような不思議な声だった。そんなラグナに対して二体の竜、フギンとムニンは眼差しを向ける。


[その者が、件の童か……成る程、この力は確かに]

[よくぞ来た、【黄昏の神子】よ。我が名はフギン。そして我が(つが)いのムニン──我らは竜の王の同胞(はらから)だ]


 赤い鱗のフギン、緑の鱗のムニンがラグナをしげしげと見つめながら名乗る。


[王はお二方を待っている。ここより先は我らの背に乗るが良い]

「おう、助かるぜ」

「……」


 セタンタがフギンの背中に乗る。それに倣ってラグナもムニンの背に乗る。二竜は吼え、その翼を羽ばたかせ空へと浮かぶ。そして山々を越えながら黒い山の麓へと降り立つ。


[この先は王の祭壇だ]

[ここより先はお二人だけで向かってください]


 それだけ告げるとフギンたちは再び空へと消えた。セタンタに促され、ラグナも黒い山へと踏み出す。

巨大な洞窟に入り奥へと進む──進むごとにラグナは懐かしさを感じた。そして、遥か奥地にてそれはいた。銀色の巨躯は(そび)()ち、その翡翠の眼は二人を見ていた。


[来たか……待っていたぞ]


 その巨大なる竜はラグナ達を見下ろしながら言葉を発する。


[我が名は【ジークフリード】──銀麗の竜王なり。この最果ての地に、再び良く辿り着いたな、我が弟達よ]


※フギンとムニン

北欧の主神オーディンに仕える一対のカラス。世界中を飛び回りオーディンに様々な出来事を伝える。

番いのカラーの違いは、某飛竜夫婦を参考にしました。

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