36話:生きる為の強さ
白狼族の戦士エルディアは、前族長の息子である。同時に現族長メイヴの腹違いの弟だ。
彼には白狼族の男。そして、長の息子にふさわしく育てる為の激しい鍛練が施された。将来は次の長に……父親は彼に期待を込めて厳しく接した。
だが、エルディアから見てその男は、白狼族の頂点としては立派だが──長さとして、父親として、男としては【最低】だった。
白狼族は強さを誉れとする部族だ──強い者こそが正しい、強い物との戦いこそが喜びだと考えられている。故に最も強い者が長となり支配する。そしてエルディア達の父は、その強さを笠に傍若無人な振る舞いをした
気に入った女がいれば、所帯を持っていようとお構いなく手篭めにする。
逆らう者がいれば、力で屈服させ気に入らなければ殺す。
強さを重んじる彼らの領域でも、それは明らかに度の越した暴威そのものだった。しかし、その力ゆえに誰も逆らう事ができない。
【歴代最強】──同時に【最低最悪】の族長。それが、エルディア達の父親に畏怖と積怨から込め付けられた言葉だ。
そんなエルディアの父親が殺されたと言う一報は部族内を震撼させた。
エルディアの頭の中には、あの時の情景が今も焼きついている。断末魔を聞き、父のテントに入った彼が時に見たものは──首の無い屈強な裸体。床に転がる苦悶に満ちた胴の無い父の首。
そして血塗れの手で剣を持つ、剣よりも鋭く冷たい輝きを目に宿した裸の腹違いの姉の姿だった。
何が起こったのか? 何が起こりそうだったのか? 既に妻を娶っているエルディアは嫌でも理解した。
だが恐怖は無く、エルディアは新たな長の前にひれ伏した。真に敬うに値する人物が直ぐ近くにいた事を、彼はその時知った。
メイヴは新たな白狼族の長を名乗る。女が新たな長となる──いくら族長を殺したとは言え──女。それも前長の娘が継ぐ事に男共はこぞってそれに異議を唱えたが、それら全てはメイヴの手で葬られていった。中にはエルディアを担ごうとした者も居たが、彼等もエルディアの手で屠られその首をメイヴの前に晒した。
メイヴは、白狼族を真の強者と言える高みに連れて行こうとしていた。それは立ちはだかるもの全てを支配化に置く【覇道】だった。
それを常に傍らで見たいと決意したエルディアは、【最強最低最悪の長の子】ではなく【最強最美最凛の長の弟】としてより一層と研磨に励むようになる。
そんな彼が、白狼族の第二位の地位を確立するのは当然だった。
白狼族を掌握したメイヴは次に外へと目を向ける。手始めに西から東へ──獣人の部族たちの支配に乗り出す。
女戦士で構築される兎人の部族は、族長をメイヴ自らが殺すことで従えた。
温厚、勇猛関係なく数多に存在する猫人の部族は、エルディアが蹂躙し支配下に置いた。
気付けば平原のほぼ全てが白狼族の支配下となっていた。
だが、彼女達の支配は止まらない。否、渇きが潤わなかったのだ。白狼族として、戦いに生きて戦いに死ぬという理念が果てない強者を求めた。
しかし、外に目を向けて尚、見えることが出来ない強者──いつまでも現れぬ存在にエルディアの抱いていた期待は、諦めへと変わっていた。
森のエルフ族に山麓の翼人族──姉の覇道の傍らで満たされない渇き──最早期待も抱かぬ中で、その強者は唐突に現れる。
それは小さな人だった。自分よりも幼い人だ。だが、目に宿るそれは、これまで見てきた戦士たちと何かが違うと、エルディアは読み取った。
そして、自らに手傷を負わせ、尚も果敢に挑む小さな人にエルディアは長らく眠っていた【本来の自分】をさらけ出した。
そして久しく本気の自分をぶつけ──それを出させてくれた小さな戦士に敬意を払いながら、目の前の命を刈り取るべく鉈剣を振り下ろした。
縦に一筋──ラグナの額の左側から頬に掛けて縦に一筋の傷が走る。そこから血を流しながらラグナの身体は仰向けに崩れる。白狼族が、エルフが勝敗を決したと確信する。
だが、ラグナは倒れない。身体を仰け反り、腕の力と倒れる勢いを利用して後ろに下がる。俯き、左目を手で覆い膝を着く──その手の隙間から血が流れ落ちる。
しかし、ラグナは顔を上げる。その右目に宿る戦意は、まだ消えていない。
驚いただろう。誰もが勝利と敗北を確信した瞬間だった。
だが、確信していなかった者が二人居る。見守るセタンタと、戦っているラグナだ。
本来なら──先ほどの一撃はラグナの顔の半分に突き立っていた。だが、倒れる身体を起こそうとしていたラグナは、その一撃を捉えた瞬間、それをかわす為に敢えて力を抜いた。それにより重力に従い後ろに倒れる。そして倒れながら僅かに後ろへ跳び距離を取る。
額から瞼、頬へと掛けて傷を負うも、ラグナの命までは刈り取れていない。
「組み伏せられる、地面に叩き付けられる、身体を木剣で打たれる、顔を殴られる……この程度、どうってことないな!」
それを示すようにラグナは左目の血を拭い、口から赤い唾を吐き出して豪語する。
そして、立ち上がり武器を構える。
「……へえ、そう来ないとな!」
エルディアは一瞬、呆けた顔をして──次に残忍な笑みを浮かべてラグナに向け再び仕掛ける。
胸から腹に掛けて付けられた太刀傷から流れる血を無視して、先ほどと同じく左右に跳びながらラグナへの距離を詰める。
ラグナは大きく息を吸い込み、下段に構えて地面を蹴る。
振り上げられるラグナの一撃を、エルディアが盾でいなす。
振り下ろされるエルディアの反撃を、ラグナは身体をよじりかわす。
攻撃と守りの応酬が二人の周囲に血風を巻き起こす。
片や欲望を満たす為と言う本性を曝け出して。
片や背負う使命と己の目指す高みへ一歩近づく為に。
両手剣の先がエルディアの腕を深く切り裂く。血飛沫が上がるにもかかわらず笑い──剣を薙いだ。首を狙った一撃に対して──ラグナは身体を後ろではなく、前に倒す事で避けた。そこにエルディアの膝が襲い掛かりラグナの身体を打ち上げる。骨を軋ませ、内臓に鈍痛が広がる。
「ガッ、ハッ!」
ラグナの口から苦悶の声と共に血と唾が零れる。小さな身体は腹に入った一撃で後ろに飛ぶ──しかし、飛ばされながらも横に薙いだ両手剣の先はエルディアの鎧を裂く。
地面に倒れるラグナだが、しっかりと受身を取り、すぐに起き上がり再び構えを取り直す。
「ぐッ──ははッ、面白い、面白いな!」
それでも尚、エルディアは楽しげに笑う。外観的に見ても身体中の傷から血を流すエルディアのダメージが多いのは明らかだ。
だがラグナも見た目のダメージの少なさとは裏腹に肩を上下に動かしながら乱れた呼吸をしている。
笑うエルディアに、息を乱すラグナ──明らかにラグナの方が不利に追い込まれている。
だが、それは当然だ。
ラグナは人間で、エルディアは獣人──根本的な種族の力の差がある。さらに子供と大人の体格差を補うのに、ラグナは身体強化で限界まで能力を引き上げている。
だが、その戦い方は長くはもたない。ラグナもそれを自覚して短期決戦で挑むつもりだった。
しかし、ラグナの予想を外れた長期戦に持ち込まれた。時間の流れはラグナを窮地に追い込んでいく。
(ジリ貧だな……どうする?)
ラグナは考える。どうすれば、エルディアに勝てるか? 勝てる算段はあった──だが、それはもう通じないことは理解している。次の勝算を見出すしかラグナに活路は無い。
その上で頭に浮かんだのは博打とも言える手段だ。
決するか否か、考える──そんなラグナの脳裏に浮かぶのは、魔法を教わる前にスカハサとセタンタから言われた言葉だ。
一番目に死ぬのはどんな者か? そんな問いかけに、幼いラグナは分からないと答えた。
スカハサ達は【運の悪い者】だと答えた。こればかりはどうしようもないと苦笑いしながら、彼女達はラグナに運の大切さを教えた。
次に死ぬのはどんな者か? ラグナはとりあえず【弱い者】と答えた。
セタンタは、それは三番目だと言う。スカハサは、二番目に死ぬのは、己の力を過大に評価し無い知恵を振りかざすような【頭の悪い者】だと教えた
授業の終わり──スカハサは最後まで生き残る者はどんな者かを尋ねた。
ラグナは、運の良い者と答えた──スカハサは、その答えに首を横に振る。
スカハサは【最後まで諦めない者】だと、ラグナに教えた。
瞼を開ける。運のめぐりなどラグナ自身どうする事も出来ない事を理解している。だが、最後まで諦めない事──そして、頭の使い方と腕っ節は最高の師達からの賜りものだと自負している。
(俺は……もう逃げない)
その根幹にあるのは、二度と手放さないと誓った【不屈の精神】だ
(短剣は、盾で殴られた時に落したか)
自身の得物は両手剣と腰の魔導銃であることを確認し、ラグナは右手で肩に担ぐように両手剣を構える。己の全てをエルディアにぶつけて倒す──ラグナは覚悟を決めた。
「へえ、それが最後の攻撃か? おもしれえ!!」
エルディアは、それを封じるのではなく受ける姿勢をとる。ラグナはその様子を見て、自ら土俵に入ってきてくれたことに心で感謝する。
そして乾坤一擲の一歩を踏み出した。初撃と同じ、小細工無しの直進からの跳躍──だが、二度も同じ攻撃は通じない。そう言う様にエルディアは、それをギリギリまでひきつけて反撃に備える姿勢をとる。
だが、ラグナもそれを理解している。自身の背面を【噴出】の魔法で一気に押し出した。
急激な加速──タイミングをずらされたエルディアは歯噛みし脚を動かす。
ラグナも空気の抵抗に遭いながらも左手で魔導銃を構える。刹那──【感覚強化】で視力を上げエルディアへと狙いを定める。
引き金が引かれ、エルディアの足元に五発の炎弾が突き刺さる。それが、反射的にエルディアの動きを止めた。
ラグナが剣を薙いだのはその直後だった。その一撃が、エルディアを捉えようとしていた。
「小細工がああアッ!!!」
咆哮を上げ、エルディアは止まった足を前へと踏み出し懐へと入り込む。同時に左手の円盾がラグナの一撃を横から殴りつけた。
止まらない──受け止めるのではなく軌道を逸らす防御で剣は狙いから外れる。
「!」
ラグナは剣を手放した。
得物を手放す──力が抜けたのか或いは──どちらにしろエルディアは目を見開き、歯をむき出して笑みを浮かべる。
「ハッ、楽しかったぜ! 今度こそ逝けッ!」
エルディアは勝ったと確信する。そして今度こそ敬意と共にラグナの首に目掛けて鉈剣を薙ぎ払った。
鉈剣は皮を裂き、血が舞い、肉に食い込み、骨を断った。しかし、その刀身は動きを止める。
「な……にッ!?」
ラグナの首ではなく、左腕から血が流れる。腕だけでは防ぎきれないと判断してラグナは、鉈剣の力が発揮できない最も細い刀身の根元へ掌をかざして受け止める。
さらに、使い物に弾切れとなった魔導銃。そして、ラグナを守る篭手がその勢いを殺す。
鉄の魔導銃、鍛えられた左腕、魔物の篭手によって、エルディアの一撃は完全に防がれた。
「ぐッ……ぁッ…………ッ!」
しかし、尋常ではない激痛がラグナを襲う。肉を切り裂き、骨を断った──身体の奥深くに異物が入り込む。耐え難い激痛がラグナの意識と動きを縛り付ける。
「ッ──おおおあああああああアアアアアアッ!!!!」
傷付き、閉じていたラグナの左目が開く──血に染まる中で、その瞳孔が赤く輝いた。
縛ろうとする鎖を引き千切り、ラグナは吼えて前に進んだ。そして踏み込みと同時に右手をエルディアの胸に添える。
ラグナは、基本的に対人戦では【属性魔法】を使わない。攻撃する時に魔法へ向ける意識が隙となってしまう事を、幼い頃のセタンタとの鍛練で嫌と言うほど実感したからだ。
だからこそ、一対一の戦いでラグナが使う魔法は【身体強化】だけだった。
だが、ラグナはこの状況下で最善手を選ぶ。
【紫電】──二年前のラグナが自力で至った雷の属性魔法であり、ラグナの中で最も威力のある魔法だ。ラグナの右手から生じた紫の閃光は、そのままエルディアの身体を包み込んだ、電撃の猛威がエルディアの全身を駆け巡る。
ただありったけを。
制御しながらも加減は一切無視した最後の一撃──
閃光が消える──エルディアの身体が仰向けに倒れた。左手に刃が食い込んで尚、ラグナはまだ立っていた。過剰な魔法の使用による疲労が、ラグナの身体に襲い掛かる。それでもまだ立ち続ける。
勝者と敗者が決まった。
「…………グゥッッ!!」
痛みに耐えながらラグナは左腕に食い込む鉈剣を引き抜いた。そこから夥しい量の血が流れる。
出血を無視し、おぼつかない足取りで近づき、その剣先はゆっくりと、倒れるエルディアの首へと向けられる。
「…………」
ラグナは何も言わない。誰も彼もが何も言わない中──張り詰めた空気が支配する。
やがて……ラグナは剣を投げ捨てた。そしてゆっくりとセタンタ達の下へと向かい始める。
「待て!」
その姿にメイヴが声を荒げた。
「……何?」
疲労困憊の中、ラグナはそれでも振り返る。
「何故止めを刺さない」
「勝負が着いたから……どう見たって、俺の勝ちじゃん」
「私の弟は死闘に望んだ。それにもかかわらず生かすとは……貴様は我が弟に生き恥を晒せと言うのか」
「…………」
メイヴから睨むような視線を送られ、ラグナはふぅ──、と小さく息をついた。
「俺も最初は、そう思ったけどさ……よく考えたら、俺はお前らのやり方が気に入らないだけで、殺したいわけじゃなかったんだよな」
何かを思い出すように、ラグナは答えを続ける。
「俺は、多分負けたら殺されるんだ、って覚悟を決めてたけど──」
ラグナは一拍置き──答えを返す。
「だからって、こいつを殺さなきゃ行けないって訳じゃないだろ? それとも、アンタは自分の目の前で弟が死ぬのを見たいのか?」
「…………いや」
当たり前のように言う。ラグナは元々エルディアとは戦っても、殺す気など無かった事を打ち明ける。戦うと殺すは違うと、彼は割り切っていたのだ。
その答えにメイヴは驚いたように目を見開き、一度瞑目して納得する。
「……ではもう一つ──お前は、何故強くなった?」
「生きていく為だ」
最後の問いにラグナは、至極当然のように答える。それを教え込んだ当の本人は、エルフの隣で静かに笑みを浮かべた。
強さを求め戦う【戦闘者】ではなく、生きる為に強さを求める【求生者】。
エルディアは、強者との戦いに潤いを感じたが、あの一瞬で勝利を確信してしまった。
対してラグナは、勝つ事ではなく生きる事を最後の瞬間まで投げ出さなかった。
似ているようで根本的に異なる姿勢が、二人を大きく分けたのだ。戦う理由がそもそも違っていた事──メイヴはラグナを通じて改めて理解した。
「──約束は守れよ」
「無論だ……引き上げるぞ!!」
エルフには手を出さない。約束の通りメイヴは、白狼族達に撤収の指示を飛ばす。
「え……し、しかし、翼人族とは──」
「聞こえなかったのか?」
何かを言おうとした白狼族の者はメイヴの言葉に口をつぐむ。そして言葉を失っていた白狼族も慌ただしく撤退の準備を始める。
そしてメイヴ自身はエルディアの下へと行く。自分よりも大きな体格の弟を抱き上げ、その顔を見て彼女は苦笑いした。
「満足な顔をして眠って……」
「多分、死んではいないと思うよ」
「……見事だ。幼き勇士よ」
気を失った弟を運ぶメイヴ達に背を向け、ラグナは右手で左腕を締めながらふらふらしながらも、セタンタの下に辿りつく。
「大丈夫か?」
「そう、見える?」
「い、全然」
「じゃあ、そうだろうさ」
苦笑いを浮かべ、ラグナはセタンタに倒れこむ。戦いを見守ってきたエルフの狩人は思わず顔をしかめた。
まだ幼さを残すその顔の左半分は、縦一筋の大きな傷口が刻まれている。
そして、剣を受け止めた左腕は中指と薬指の間から前腕部の真ん中まで達しており、その裂け目からは今も血が流れている。
他にも戦いの中で負った打撲に切り傷、擦り傷──あの数え切れない痛みを、自分達の変わりに負ってくれた事を狩人は理解する。自分達では勝てなかった──狩人の胸中には罪悪感がこみ上げる。
セタンタは自分の衣服の一部を引き千切るとラグナの左腕を何重にも巻いて止血し固定する。
「帰ったら、ちゃんと手当てするからな」
「分かってる。後、ごめん。壊れちまった」
「良いさ。また作れば良い」
「…………そっか。じゃあ、悪いけど、少し、寝る……ょ…………」
「…………おう、お疲れ」
眠るように意識を手放したラグナをおぶりセタンタは狩人に帰るように促す。
「セタンタ殿──今更聞くのもなんですが、何故、貴方が戦わなかったのですか?」
戦いに釘付けになり、聞きそびれていた言葉をセタンタに投げかける。
「理由は三つある。まず一つは、戦うって言ったのがラグナだからだ……言ったくせに戦わないのは、卑怯だろ?」
「……」
「もう一つは──試練だ。これを乗り越えられるか否か? 此処に来た意味をコイツには内緒で見究める必要があった」
そして最後にもう一つ──それを言おうとして、セタンタは誤魔化した。
口に出す必要は無い。自分の弟分は【世界で自分の次に強い奴】だと言う信頼と確信があったから──態々そんな言葉を口にする必要は無い。セタンタは心の中で呟く。
「さてっと──俺も腹を括るか」
空に浮かぶ観戦者見上げ、セタンタは目を見開く。
その目に見られた者達は山麓の方へと消えていったのを見届け──狩人と共に平原を後にした。




