35話:決闘
エルフの長アーロンは、窓から里を一望する。
そんな彼の背中を不安げな面持ちで部下達が見守っていた。
「本当によろしかったのでしょうか」
恐る恐る一人が不安の言葉を小さく零す。周囲の者も口には出さないが、その言葉に同調していた。
「悔やむ気持ち、不安も分かる──だが、彼に賭ける他あるまい」
「しかし、我々エルフの行く末をあの者達に託すと言うのは、その──」
「人任せ……そう言われても、否定出来ないだろうな」
彼等に振り返らず答えるアーロンは言葉を濁す。彼等の脳裏に過ぎるのは三日前、ラグナ達から提示された策だ。
獣人族のしきたりに基づいた決闘──白狼族に抗うにしろ、従うにしろ、戦いから逃れることはできない。
そしてその代表として、ラグナ達が代理に戦うと申し出た。それに勝てば良い──言うのは簡単だが、行う事は難しい事をエルフ全員が理解していた。
ましてや、自分たちとは本来無関係のラグナ達にそれを担わせる事をアーロン達は心苦しく感じた。
だが──その言葉を受けて尚、ラグナは笑みを浮かべて言葉を続ける。
『代理と言っても──これは俺が単純に気に入らないからやるだけです。俺が勝てば、恩のあるエルフを巻き込むなと言います。負けても、【そこの人間が勝手にやったことだ】、とでも言って、言い逃れくらいは出来るでしょう。』
負ければ、自分を切り捨ててくれれば良い。そうすればエルフはまだ猶予を得る事ができる。
その算段に対して、確かにそれならば──、と納得する者も居た。だが、それはあまりにもラグナに対しての負担を強いる事だった。なぜそうまでしてくれるのか? アーロンは、問わずにいられなかった。
そんな疑問に対しても──
『俺は此処で、生きる中でこれは決して失っちゃいけないものを思い出させてもらいました。だから、それに対する恩を返したい。それに──困っている人達が居て、それを前に何も出来ないならともかく、何もしないのが嫌なんです』
微笑みながらそういう少年の姿に──アーロンは、止めろと言う言葉を口に出すことは出来なかった。そして、エルフを介して決闘の挑戦状を送った。
だが、未だにこれで良かったのか? そんな気持ちがアーロンの心を揺らがせる。
メイヴに与えられた期限の内に既に六日が経過している。それからおとさたは無い。恐らく、翼人族との戦いに供えているのだ。白狼族から見れば、エルフの抵抗などいつでも潰す事のできる小さな出来事なのだろう──アーロンには、それが分かる。
「……信じるしかあるまい」
だが、自分達の命運を背負い、担ってくれると言ってくれた少年に対して、自身達の全てを託した者の長として、そういうのが精一杯だった。
だが、同時に心の内では、【もしも】の事も想定する──卑怯な事だと思うがそれを考えるのが、長としての使命だと、自らに言い聞かせる。
その眼下では、普段の生活に戻りつつあるエルフ達の姿があった。
同時刻──エルフの里の近くでは【魔王蟲】が姿を見せていた。
魔王蟲がガチガチと顎をぶつけて威嚇する。目の前には、肩で呼吸しながら両手剣を構えているラグナが居た。両者の周囲には魔猪を始めとした魔物の亡骸が放置されている。
もたげた頭を左右に動かし、魔王蟲はラグナ目掛けて飛び掛る。それが自分を捕らえるよりも早くラグナは上へと跳び、落下の勢いと共に魔王蟲の背に目掛けて振り上げた剣を薙ぎ払った。
両手剣は硬い甲殻を斬り裂き、魔王蟲の胴へと食い込む。噴き出す体液が掛かるのを無視して、剣を振りぬき身体を両断した。
ギチギチ──と、鳴き声の様な音を発しながら、魔王蟲はそれでも活動を続ける。残った脚を動かして、執拗にラグナを襲う。
「ッ──!!」
ラグナは腰から魔導銃を抜き、魔王蟲の脚を吹き飛ばした。バランスを崩した魔王蟲に剣を肩に担ぐように構えて地面を蹴る。そしてそのまま頭部目掛けて振り下ろし、魔王蟲の頭を両断し、命を完全に奪い取った。
「よし、そこまでだ」
木の上から聞こえたセタンタの言葉と同時に、ラグナは地面に剣を刺して倒れる。白狼族との決闘に備えて、ラグナとセタンタは里の近郊の一部を使った猛特訓に励んでいた。
セタンタとの一対一に加えて、【魔王蟲】、【角兎】、【頭喰蝗】など森に住む魔物達の単独狩猟──エルフ達の里を訪れる以前の生活を送っている。
その様子は狩人達を通じて、アーロン達にも伝わっているが──自分達よりも遥かに幼い少年が、一人で怪物に挑む姿は、異様な光景だった。
だが、ラグナからすればこれは日常茶飯事でむしろエルフの差とでの生活の方がラグナにとっては珍しいものだった。何より自分が生きて行く為、強くなる為にはこうするのが一番手っ取り早かった。
「使い心地はどうだ?」
「ああ。最初は重さが違ったけど、もう慣れた」
セタンタの問いに対して、ラグナは上半身を起こしてそれを握り直す。
自身の得物──魔王蟲の大顎の一部を削り、柄にした両手剣が黒い光沢を放っていた。
「急ぎで作ったから、形は少し雑なのは勘弁してくれ」
「頼んだのは俺なんだから、別に謝るなよ」
決闘を明日に控える中──ラグナが使い慣れている剣から得物を換えたのには理由がある。白狼族から猫人を守った際、ラグナは短剣を使ってその一撃を庇い防いだ。その際、ラグナの短剣は一方に亀裂が走り、使い物にならなくなった。それは、挑戦状として送り付け、残ったもう片方──角兎の角と頭蓋骨は、そのまま副武装として所持している。
無論、使い慣れている剣を使うのは、当たり前の判断だと言う事をラグナは理解している。しかし、武器の質の差は無視できるものではない。同じ剣でも、自身が今まで使って来た鉄剣では、相手の剣を受けきることが出来ない……ならば、少なくとも打ち合える武器を用いる。そして、それを使いこなせる程になるしかない。この厳しい修練も、その一環だった。
ラグナは頭部を両断されている魔王蟲を見た後、次に手足を見る。同じく魔王蟲の甲殻で作った【臑当】、頭喰蝗の顎で作った【篭手】。急ぎで作ったにしろ、動きを阻害しない軽さと頑丈さは確かな物だと実感させる。
「だが、申しわけ程度の防御だ。まともに食らえば──」
「分かってるさ」
ラグナは、現に白狼族の一撃を受けている。主武器ではないなどと言い訳はしない。それだけ重たい一撃だった事を、ラグナの腕が記憶している。
(いや、違うな……力だけじゃない。速さも見た。殺気も感じた)
それは猫人達とは比較にならなかった。だが、ラグナの心に恐怖は無い。なぜなら目の前には、奴よりも重たい一撃を加え、速く動き、大きな圧を放つ者が居るからだ。
弟子として、弟分としてそれを常に傍らで見て、感じて、受けてきた。そんな存在に憧れ、目指すのならこの程度の障害は乗り越えなきゃいけない。
勝たなきゃいけない──誰かと、自分の為にと言い聞かせるようにラグナは拳を強く握り締めた。
ラグナは、誰もが寝静まった頃に外に出ていた。月と星が輝く──黒ではなく、藍色の夜空を美しいと思いながら、同時に懐かしいと感じながら、そして寂しさを感じながら見上げる。おもむろに月へと手を伸ばす。ラグナの目からすれば、手をかざせばすっぽりと収まってしまうくらい小さな月。しかし、閉じた手は虚空を掴む。引き戻して何も無い掌を見つめ、ラグナは眠りに戻る。
ラグナは夢を見る。それは魔境で初めて眠りについた頃──夢の中で見た銀色の存在と会う夢だった。
翌日、ラグナは装備を整えて外に出る。エルフ達が様々な面持ちでラグナを迎えた。
「ラグナ君」
その中からアイリスを連れ立ったフィオーレが言葉をかける。だが、それから先に言葉は続かない。
不安、期待──様々な感情を目から読み取ったラグナは、あえて何も言わず……笑みだけを返した。
見送られ狩人に案内された先では、白狼族の使者が待っていた。決闘の場への案内人らしく、ラグナを連れて行くらしい。
ラグナの他に見届け人としてセタンタと狩人のリーダーが付いて行く事になっている。三人は使者に連れられ、森を出て平原へと向かう。
初めて見る平原は、その言葉の通りどこまでも広がる短い草に覆われた緑の地だった。
「此処は、神々の古戦場だったらしい……地面の下には大量の骸が転がってるそうだ」
「そうなのか…………」
神々の古戦場──そう言われても、ラグナが何か感じる事は無い。ただ、ほんの少しだけこの光景に寂しさのようなものを感じるだけだった。その平原を進むと白狼族──そしてそれに付き従う獣人族達を捉える。
その戦闘にはメイヴの姿があり、その隣で闘気を滾らせる巨漢の男が居た。
やはり──ラグナは心の中で小さく零す。【もう使えないから】、という理由であの短剣を送りつけたのはラグナだったが、向こうはそれをきっと借りを返すという意味で捉えたのかもしれない。そんなたいした意味はないと思いながら、少し唇の端を上げた。
「久しいな。小さき者」
三人の足が止まると、メイヴが言葉を発する。彼女の後ろに居る白狼族は、ラグナを見定めるような眼差しを向けて、やがて小さな嘲笑を浮かべる。
侮られている──それを感じ取りながら、ラグナも言葉を返した。
「そうだな。大きな奴」
ブフッ──! ラグナの後ろで、セタンタが噴出した。ラグナは呆れたように溜め息を吐いた。
「翼人族との戦いはいいのか?」
「それより先にエルフを取り込む。従うならよし、抗うなら飲み込むまでのことだ」
エルフなど障害にもならない。事のついで──そう言わんばかりの言葉に、見届け人としてきた狩人は怒りに顔を歪ませる。だが、その言葉を発する前にセタンタが制した。
「先に言っておく。俺はエルフの代表ではなく、お前らのやりようが気に入らないからエルフの肩を持つに過ぎない。俺の敗北が、エルフの服従だと思うな」
エルフの為に戦う──それはラグナの本心だが、あくまでも自分の義憤から起こした行動だと、ラグナは白狼族に釘を刺す。
「エルディア。奴を殺せ」
「……承知した、【姉上】」
メイヴに呼ばれた鉄仮面の様に感情の無い面持ちのまま前に出る。エルディアと呼ばれた男は、腰の鉈剣と背の丸盾を抜きながらゆっくりと構える。
「俺が勝てば、エルフには手を出すな」
「…………良いだろう」
ラグナは言質を取る。そのまま無表情で相手の男を見据えるが、獲物を握るラグナの手には力が籠る。
「さあ、始めよ」
始める──メイヴの一言と同時に、ラグナは身体強化を施して一気に加速した。走りながら、背中の柄に手を伸ばし──引き抜くと同時にエルディア目掛けて跳躍する。
「ッ!?」
予想以上の速さにエルディアは目を見開く。咄嗟に盾を構えようとして、【受けきれない】と察知し横に飛ぶ。直後、自らの居た場所に一閃が振り下ろされる。その側面を狙おうとする──が、それを諦めて構えを直した。
なぜならラグナは、既に剣を水平に構えていたからだ。もしもエルディアが踏み込んでいれば、空かさず二撃目を放っていただろう。
「……面白い」
構えながら、エルディアは少しだけ笑う。
張り詰めた空気の後、お互いがジリジリと様子を窺う。先ほどの返礼と言わんばかりにエルディアが動く。走りながら鉈剣を振り下ろし、先端部が両手剣を捉えた。魔物の骨を削り作られた骨刀と、虫の顎で作られた両手剣がぶつかり合う。
押し込むエルディアと押し返すラグナの鍔迫り合い──端から見れば、巨体のエルディアの攻撃の方が有利に見える。
「──ォオオ!!」
だが、それを裏切るようにラグナは押し返した。次いで放たれた反撃が、エルディアの掲げた丸盾に一筋の太刀傷を与える。
「エルディア様!?」
信じられない──そんな光景に白狼族の一人が思わず声を挙げる。動揺が走る白狼族側。対してセタンタは、腕を組んで落ち着きを払っている。狩人のリーダーも声には出さないがラグナが押していると見て、僅かに目を輝かせた。
その眼差しを受け、再びラグナが攻勢に出る。自力に加え、身体強化により底上げした腕力は両手剣を軽々と振るう。その体格、重量からは予想できないだろう重く鋭い連撃がエルディアに襲い掛かる。
「……」
エルディアは攻撃を盾でいなすか、身をよじる。しかし、攻めに転じることが出来ず徐々に押されて行く。防ぎきれずに衣服やその下の皮膚を剣先が掠めて血が流れる。
ラグナは剣を構えると同時に蹴り放った。その一撃は、エルディアが構える盾を腕ごと打ち上げる。次いでラグナは振り上げた脚を踏み込みに転じ、がら空きになった胴目掛け剣を振り上げる。
エルディアの胴鎧が割け、傷口から鮮血が噴き出した。
今度こそ一撃が入った……白狼族が一人を除いて騒然とし始める。エルフは、拳を握った。
そのまま、ラグナは追撃を繰り出そうとする。
「…………ッ──」
「…………!」
ラグナは後ろへと下がる。その選択に何故止めるのだと怪訝な顔を浮かべる。だが、セタンタは何かを察知し、目を鋭くする。
「ククッ──」
それに答えるように、エルディアが笑った。可笑しなことがあったように、楽しい事があったように、胸から腹にかけて一筋の傷を負って血を流しながら──それでも愉快に笑う。
何故、笑っているのか? ラグナにはそれが分からない──だが、止めを刺そうと前に踏み込もうとしたとき、【勘】が警笛を鳴らした。
『勘って言うのは、生きる為の本能そのものだ。漠然とだろうが、それに従え』
まだ本格的な武術を教わっていない頃──セタンタに口すっぱく言われてきた言葉がラグナの脳裏を過ぎる。ラグナはそれに従った。ただ、それが無ければ自身は間違いなく踏み込んでいた事は分かった。
傷を負ったにも関わらず、笑うエルディアを見据え──それは正しい事だったと確信する。だが、ラグナには理解できない。何故目の前のこいつは笑う? 笑っていられる?
「ああ、やはり──まぐれではなかったのだな」
笑うエルディアは、隠す事無く言葉として喜びをさらけ出す。
「俺の一撃を受け止める者、俺に傷を負わせられる者! 【姉上】以外に居ないこの退屈な闘争の中で、ようやく──ようやく巡り会えた!! 支配と、そして強者を求めた。まさか、こんな所で出会うことが出来るとは──俺の全力をぶつけられる者が、こんな所に居たとは!!」
笑う。嗤う。哂う。無表情から一変──恍惚と狂気を混ぜたような表情で、たがが外れてしまったように、これまでと全てが変わってしまった様子に──ラグナは、一つの言葉を思い出す。
【戦闘狂】──それが奴らの本質だと、同じ狼人のセタンタから聞かされた言葉。強い奴と戦いたい。それに喜びを見出す。戦いを悦楽として求める。隠されていた本性を、ラグナは今間近で見てそれを理解する。
「さあ、小手調べは終わりだ! もっとやろうぜ!!」
言うや否や、エルディアが踊りかかる。ジグザグに、激しく左右に動きながらラグナへの距離を詰める。
(速い──だが、見失う程ではない)
ラグナもそれに応戦する構えを取る。構えた両手剣に鉈剣がぶつかる。どちらかが砕けるのではないのか? そんな音が響いた。
「ッッ──!」
重たい──、あの時よりも強烈な一撃にラグナの顔が僅かに歪む。
その後も防御を捨てた様にエルディアは鉈剣を振り上げては下ろすを繰り返す。そこに体格差も加わり、徐々にラグナの膝が下がる。
(コイツ、痛みを感じてないのか!?)
それを必死に防ぎながら、ラグナはエルディアを見誤った事を悔やむ。だが、負けるわけには行かないという気持ちで何とか踏みとどまる。
「どうした! もっとだ!! これで終わるなよ、なあ!!」
「こ──のッ」
その言葉を受けて──ラグナは足に力を入れて立ちあがる。
だが、奮う意志とは裏腹に、間近で見たエルディアの目に何とも言えない恐怖を感じる。刃のように鋭い眼を限界まで見開き、そこには殺意以上の何かを宿している。
ラグナが剣を振るうのは、憧れと他に生きていく為だ──そのための強さとして、力を求め、セタンタと言う憧れに教えを仰いだ。
だが、目の前でぶつかるこいつにはそれが無い──自身とは異なる者に対する異質さを、ラグナは二年ぶりに味わった。
「負けて──たまるかぁッ!!」
剣がぶつかった瞬間、ラグナは刀身を殴りその勢いで押し返す。同時に両手剣での反撃は不可能と判断して腰に差した短剣を引き抜く。だが、それよりも早くラグナの頬を丸盾が殴る
盾撃をまともに受けたラグナの身体が倒れかける──それを踏ん張ろうとのけぞる身体に力を入れ、重力に逆らう。
首を回し正面を向く──その眼は、自らに向けて剣を掲げるエルディアを見た。
「じゃあな」
一言──同時に一閃、ひらめくように振り下ろされた一撃はラグナの顔を捉えた。




