32話:獣人族 その1
里は、アイリスが何者かに連れ去られたという事態だけが伝わっており、騒然となっていた。魔物に襲われたという誤報まで伝わっており、それを聞いたアーロンは卒倒しかけた。
直ぐに狩人たちが編成され捜索に乗り出し、女子供は里の中心部であるエルフの長が守る【大樹の城】へと避難を促される。
応接の間にてアーロンは、族長として泰然としていなければならなかった。
愛娘の安否を案じる父親としての面を心中に押し込め、配下に毅然とした面持ちで指示を飛ばす。その姿は──彼に仕える者達にとって頼もしくもあり、痛々しいものだった。
『本当は飛んででも探しにいきたい』──親としての気持ちを必死に抑えている事が、彼らにも良く分かったからだ。
だからこそ、捜索隊の狩人からアイリスが無事に保護された事を聞いた時、アーロンは腰が抜け落ちたように椅子に座り込んだ。喜ぶ部下たちに促されてから父親に戻ったアーロンは、急いで外に飛び出し、戻ってきたアイリスを強く、そして優しく抱きしめて無事を喜んだ。
次に狩人達一人一人を労い──。
フィオーレを抱きしめ褒め称え──。
二度も娘の危機を救ってくれたラグナとセタンタの手を取り、深く頭を下げながら感謝の言葉を述べた。
ラグナとセタンタは照れくさそうにしながらも、エルフ達の歓迎を受けて帰還した。
そして、里の中心にそびえる大樹の城にて、三人の獣人の処遇についての裁判が行われようとしていた。
三人は、ラグナが水魔法で生み出した水の塊を頭から浴びる事で気絶から目を覚ます。そして、自らを取り囲み睨め付けるエルフたちを見て顔を青くした。
話し合いは、難航した──彼らをどう罰するかによって、今後についても変化が起きるからだ。
非道に対して死を与えるべきだと述べる者も居れば、そこまでの事をするのは他の獣人を刺激しかねないと、死ではなくあくまでも厳罰を与えるべきだと述べる者も居る。
それを束ねるアーロンからすれば、娘を危険に晒した三人を許したいとは、到底思えないだろう。だが、今回の犯人はエルフではなく獣人であることから事態は厄介な事になっている。
未遂に終わったが、かつては親交のあった彼等が何故、このようなことをしたのか?
無論、アーロン達は真っ先にその事を問いただした。しかし、三人は頑なに口を割ろうとせず、抵抗もせずに項垂れている。経緯が曖昧な中で『ああでもない。』『こうでもない。』、と次第に被告達を置き座りに、エルフ達の話し合いが激化していく。
その様子をラグナ達は、あくまでもエルフ達の問題と言う事で、離れた場所から見守っていた。
端から見れば、既にエルフ同士の口論に発展しているのでは無いかと、見えてしまう様子に、ラグナは怪訝な顔を浮かべる。
「中々決まらないものなんだな」
「そりゃそうさ。やったのはこいつらだが──感情に任せて深く考えずに済ませれば、向こうが報復してくる可能性がある」
「何故、先に仕掛けてきたくせに仕返しに来ようなんてするんだ?」
「弱肉強食の世界とは言っても──それが【人】って生き物だからな」
セタンタは、困ったように苦笑いしながらラグナの疑問に答える。
だがラグナは、セタンタが獣人達に向ける表情が、口は笑っているのに、目が一切笑っていない事を横から見てある事を理解している
珍しく、セタンタが怒っているという事を──。
その後も、ラグナとセタンタは一切口を挟まずに事の成り行きを見守る。そんな中、おもむろに、アーロンが閉じていた目を開く。その途端、それまで言い争っていたエルフ達がピタリと静かになる。
「皆の意見は良く分かった。ただ、様々な意見が行き交い少し混乱していよう……幸い、ここには我らの友が居る。彼らの言葉も聞くのはどうだろうか?」
その言葉にざわつくエルフを他所に、アーロンは顔をラグナ達に向ける。
ラグナ達がアーロンと対面したのは、魔物に襲われているフィオーレとアイリスを助けた時以来だ。
その時の彼は、族長としてではなく二人の娘を愛する父親とて──顔に小皺と、温和な笑みを浮かべた優しげな男性と言う印象だった。
だが、今ラグナ達に向ける顔には、その笑みは無く、目にも氷の様な冷酷な意志を感じさせる。
(師匠と同じ──)
その温かさと冷たさの二つを併せ持つ姿に、ラグナはスカハサを思い浮かべる。
そして、それが上に立つ物が持つ意気なのだと理解する。
「ラグナ君、セタンタ殿。良ければ貴方達の意見を聞かせてくれないだろうか?」
「俺達の、ですか?」
アーロンは、首肯してラグナ達の次の言葉を待つ。それに伴い、エルフ達の視線はラグナ達に向けられる。一瞬、気圧されそうになるが踏みとどまり、ラグナは口に手を当てて考える。
(そうは言うが、あらかたの意見は既にエルフの皆が言ってしまった)
生かすか、殺すか──それだけでも極論から言えば二つが存在する。だが、生かすにしろどんな罰を与えるか? 殺すにしろどう殺すか? その意見は大きく分岐していく。
生かすと言って、処罰を行うにしても──
最悪、死に至る過酷な罰を与える。
殺しはしないが厳しい罰を与える。
獣人達を刺激するかもしれないので、罰しない。或いは、与えるが軽いものにする。
殺すと言うが、殺し方にも──
エルフの処刑方に則り、エルフの手で殺すか。
獣人から眼を背けるために、里の外に放り出して魔物に殺させるか。
あくまでも、エルフの手で殺し、その足が付かないように魔物に処分させるか。
(エルフと獣人の関係を、俺は毛の生えた程度しか知らない。だが獣人達の行為は、決して許されるものではない。生かすか、殺すか──)
ラグナは、獣人達に目を向ける。三人は逃げられないように縄で手足を縛られている。顔を隠していた覆面は剥ぎ取られ、素顔はあらわになっている。その顔を俯かせて表情は窺えないが、絶えず顔から滴る汗は、彼らの心境を理解していた。
「意見──と言うには少し違うのかもしれませんが、やはりまず最初に、彼らの言い分を聞いてみるのはどうでしょうか?」
「獣人達の言葉を? そんな物を聞いてどうすると言うのだ」
「それに、こいつらは先程から一切口を開こうとしないのだぞ?」
「その通り、喋らないのでは聞くだけ無駄だ」
エルフ達からの非難を含んだ言葉に、ラグナは首肯する。
「確かに、彼らが皆さんに行った事は、決して許されるものではありません。そのことに対しては、彼らも捕まったときから覚悟を決めているでしょう」
ですが──ラグナは、そう言って言葉を続ける。
「大本の理由として、彼らが何の為にこんな行動を取ったのかが、気がかりに感じました。誰かに命じられたのか? それとも自発的にやったのか? 彼らの対処について聞いてみてからでも良いのでは無いでしょうか?」
「………ふむ。確かに、一理ありますな」
アーロンは、ようやく話を一つ進められると言ったように笑みを浮かべて、改めて仲間達を一瞥する。
「同胞に危害を加えられた……それに関しては、私も許すことは出来ない。だが、その一点に目を向けて皆も頭に血が上っているようだ。まずは、彼らの言葉を理解するべきではないのか?」
「…………」
アーロンの言葉に、エルフ達は言葉を詰まらせ黙り込んでしまう。
彼らの心情をラグナ達は理解していないわけではない──仲間を危険に晒した。それは、ひょっとしたら自分や己の身内がそうなっていたかもしれない危険を持ち合わせていたからだ。
だが、その怒りに任せていては、冷静に物事の深層を究明する事はできない。ラグナ達は、俯瞰して、アーロンを除くエルフ達が大なり小なり怒りに飲まれている事を見定めていた。
何故、彼らは行動に及んだのか?
何時、彼らはこの行動を思いついたのか?
どうやって、彼らは此処までやってきたのか?
獣人達に聞きたい事は、山ほどあった。
ラグナとセタンタ、エルフ達の視線を受けても尚、顔を上げる事の無い獣人達──そんな彼らにセタンタが近づいていく
「セタンタ?」
「大丈夫だ。手心は加えねえし、殺しゃしねえよ」
ラグナの呼びかけに振り返る事無く、手をひらひらとさせるセタンタは、獣人の前で屈みこむ。そして、中央に居る一人の腹に目掛けて拳を打ち込んだ。
「ぐッ!?」
突然の出来事に他の二人はおろか、アーロン達も騒然とする。ラグナだけがエルフ達に手をかざして静止を促す。
腹──それも鳩尾を殴られた獣人はたまらず屈んで小さくなる。だが、それを許さないと言うように、セタンタは髪の毛を引っ張り上げ強引に面を上げる。
「おい……何時まで甘ったれたつもりだ?」
「ッ……」
「テメェ等は負けたんだよ。この世界で負けるって事が何を意味するか……。仕掛けたくせに知らないとは言わせねえぞ?」
「…………」
凄みを含んだセタンタの言葉に、今度は純粋な恐怖からか獣人達は黙り込んでしまう。
セタンタの思惑は分からないにしろ──彼なりの考えがあると見て、ラグナは止めには入らない。
「正直に答えろ。でなけりゃ殺す──誰かの指示か? テメェ等の判断か」
「…………や、宿無し風情に答える言葉は無い」
「ああ。そうかよ……」
セタンタの拳が、今度は頬を打ち抜いた。口から白い歯が一本飛び出して床に落ちる。それと、獣人の身体が倒れ伏したのは同時だ。あれでもまだ本気ではない──ラグナはそれを見破るが、同時にセタンタが怒っている事を読み取る。
「弱肉強食の世界で温情に縋るとはいい度胸じゃねえか……弱くて肉になった野郎が、次に粋がった事するなら容赦なく殺す。幸い、後二つ口は、あるみたいだからな」
ぎろりとセタンタは残る二人に鋭い視線を向ける。仲間が突如殴られた事に驚き顔を上げていた二人はその眼光と諸に目を合わせてすくみ上がる。
そのまま倒れて、痛みに震える者の胸倉を掴み上げる。拳を突きつけてセタンタは、普段の口調を続ける。
「さあ、もう一度聞くぞ? 一か? 二か? どちらか答えるだけの簡単な質問だ。答えによっては次の内容も変わるけどな」
「ヒッ……」
「お前らは何でこんな事をしたのか? 一、誰かの指示か? 二、自分達の意思か? さあ、答えろ……」
「ぉ、俺達は……ッ────」
「……………」
恐怖に負け、言いかけた言葉を飲み込んでしまう。その沈黙の後、セタンタは無情な宣告と共に拳を引いた。
「……時間切れだ」
【殺す】──明確な意思をこめた拳が放たれようとした瞬間、後ろからラグナがその腕を掴んで止める。
「──ラグナ?」
冷たい意志を宿したセタンタの目が、ラグナに向けられる。だが、それに対してラグナは、無表情で見下ろす。
「殺しはしないって言ったよな? それに殺すのなら、その拳を叩き込むのは俺達の役目じゃないはずだ」
「…………」
再び静寂──その僅かな後、セタンタは舌打ちをして獣人を解放した。ラグナは、アーロンを一瞥し、元の位置に戻る。
騒然と静寂を繰り返して、再び静寂が包み込む中で、アーロンは改めて咳払いをする。
「獣人の諸君。私としてもな、愛娘を危険に晒された事に内心では腸が煮えくり返っているのだ。このまま何も言わないのなら、私は君たちを殺す事に決定する」
アーロンの僅かに怒気を含んだ冷たい言葉に、ビクリと三人は震える。
「だが、正直に我々の問いに答えると言うのなら──ある程度の譲歩は、しようではないか。先ほどの問いも含めて、答えてくれるかな?」
「…………」
セタンタの隣に並んだ後、小さな声でラグナはセタンタに尋ねる。
「さっきの──もしかしてわざと?」
「……さてね」
怪訝の表情で問いかけるラグナに対して──セタンタはニヤリと舌を出す。
「腹が立ったし、お前が止めなければそのまま殴り殺してただろうさ」
「そりゃ、俺がああいった手前で、俺達が手を下したら駄目だろ?」
「だが、お前は止めに入った。明確な死って言うのを認識すれば、あいつらの口も少しは軽くなるだろうさ……おまけに、俺の脅迫に半分乗っかる形で、エルフの長は少しの譲歩を作った。誰だって、死ぬのは嫌だからな」
笑うセタンタの顔を見るラグナの表情が、深みを増す。
殺すと言う意思はないのに、殺そうとする事が出来るセタンタ。
殺したいと言う感情を、押さえ込み立場と併せてそれを自在に引き出すアーロン。
「……怖いな」
「どっちが?」
「どっちもだよ」
(だが、だからこそ強いのだろう)
ふぅ──と、ラグナは溜め息をついてからほんの少しだけ、口元を上げる。
「では、君たちはいつからこの考えを思いついた」
「…………三日前からだ」
アーロンは、セタンタが最初に投げかけた問いではなく、別の問いからぶつける。
やがて、獣人の一人が恐る恐る口を開く。
「他に仲間は?」
「居る」
「君達を含めて何人だ?」
「六人だ……俺達が実行犯。残りは、退路の確保と、失敗したときの伝令役だ」
「…………ふむ」
アーロンは、再びエルフ達だけで話し合いを始める。ラグナも先ほどの言葉に引っかかりを感じた。伝令役がいると言う事は、更にその後ろに何者かがいると言う事だ。
セタンタの方に視線を向けると、彼は無言のまま、目を鋭くさせていた。
「では、何の為にこの行為に及んだ?」
「…………エルフの協力を得る為だ」
答えていた獣人の歯切れが悪くなるのを、ラグナ達は聞き逃さない。
「……では、最後の質問だ。それは誰の指示だ?」
「ッ、そ、それは…………」
最後の質問──そして最初にぶつけられた質問になった瞬間、さらに歯切れが悪くなり沈黙する。
アーロン達は次の言葉を待つが、一向に彼らの口から言葉は出てこない。
沈黙の後──誰の声も発せられない中で、ノックの音と共に狩人のリーダーが入ってくる。その顔は、困惑の色が浮かんでいる。
「何事だ?」
「は。そ、それが──」
他の物に聞かれるのは不味い話なのだろう。狩人は、アーロンの耳元で何事かを伝える。その言葉を聞くに連れ、アーロンの表情も困惑が浮かび上がる。
「むぅ…………」
「いかが致しますか?」
アーロンは考え、ラグナとセタンタの方を向く。
「ラグナ君、セタンタ殿。よければ、お二人にも会ってもらいたい者が居るのですが──」
アーロンの問いに、ラグナ達は顔を見合わせる。
「構いませんが……一体、誰に?」
「私にも分かりかねているのですが……【獣の王】と名乗る者に、です」
「獣の王?」
ラグナは、初めて聞く言葉に首を傾げる。おそらく獣人についてだろうと思い、セタンタの顔を向くと、目を鋭くするセタンタの顔があった。




