31話:誘拐
アイリスの悲鳴が里全体に響き渡った瞬間──最初に動いたのは、その位置から最も近くにいたラグナとフィオーレだった。特に妹のただならぬ事態に姉は、手に持っていた薬材を投げ捨てて傍に立てかけていた弓矢を掴むと、アイリスの下へと飛び出した。
ラグナも、剣を置いてきてしまった事に舌打ちしながら、彼女の後を追った。
フィオーレの元にたどり着くと、彼女の足元には散乱した薬品が散乱している。中には瓶が割れて中身がこぼれてしまった物もあるが──周囲にアイリスの姿は無い。
「アイリス、何処に行ったの!?」
「…………」
身内が突如姿を消した状況に、フィオーレはパニックを引き起こしている。
そんな彼女の様子を見て、自分まで冷静さを失ったら糸口は見つけられない、とラグナは自身を戒める。
姿を消した妹に呼びかけるアイリスを他所に、ラグナは植物に降りかかっている薬品に触れ、その感触を確かめる。やや粘り気があり、僅かに糸を引く。
(争った形跡は殆ど無く、血の匂いも見当たらない。だとするとやはり──)
魔物の仕業ではない。別の【何か】の仕業であること。そして彼女は、恐らく無事であると断定して薬品を見る。
(子供とは言っても、人一人を抱えていくのならまだ遠くにはいけない筈。なら──)
嗅覚に感覚強化を施し、薬品の匂いを嗅ぐ──透き通るような薬の独特の匂いが鼻を通り抜けて神経を刺激し、頭痛が襲う。
「ッッ~~~ッ!!」
涙目になるのを抑えて、ラグナは周囲の匂いを嗅ぎ分ける。そして自分達の居る位置から西側に向けて遠ざかっていく匂いを察知する。
「あっちだ!」
里の周囲は植物の結界で守られている。そこを抜けられたら追う事は出来ない。誰かを待っていたら間に合わない。
ラグナとフィオーレは、アイリスを助けるために走った。
走るフィオーレの前をラグナは身体強化を施して走る。やがて前方に、怪しい三人組を捉える。そして風に乗って、微かだがアイリスの助ける声が聞こえてきた。
「アイリスッ!」
「ッ、妹を放しなさい! さもないと撃つわよ!!」
弓に矢を番えながらフィオーレは、覆面達に警告する。
こちらに気付いた集団は、アイリスを抱えた者を先に行かせて、二人が剣を抜いて立ちはだかる。
「どうあっても、連れて逃げるつもりかよ」
目を鋭くし、ラグナも腰に差している二本の短剣を引き抜いて構えた。同時に残った二人がラグナ達に襲い掛かる。
ラグナとフィオーレが前衛と後衛に分かれているのに対して、覆面たちは前衛が二人──距離を詰められると、後衛は不利になってしまう──それを見越してラグナは前に出る。それも、フィオーレへの妨害を阻止する為にラグナは、二人を同時に相手する。
「ッッ!」
ラグナは、二人の剣に押される。片方が振り下ろした剣を、片手の短剣で受け止める。するともう一方が、死角から襲い掛かる。それを防ぐ為にフィオーレが矢を放ち妨害する。
(こいつら……結構やる)
ラグナは、フィオーレを守る立ち位置を保ちながら武器を構え直す。
必然的に二対一というラグナに負担の多い戦いだが、フィオーレは状況を見て、的確に矢を放つ。
狩人としての彼女が──妹を助けたいという感情を押さえつけ冷静にラグナを助ける。だが、ラグナとフィオーレに時間は無い。
しかし、余裕が無いのは覆面の者たちも同じだった。アイリスを連れて先に逃げた一人に追いつかなければ、何が起こるかわからないからだ。
同時に、覆面の者達ももたもたしていればエルフの仲間が来て、自分達が逃げられなくなる。時間だけが経過して、四人の中に焦りが生じる。
「──」
その中で、ラグナは大きく息を吸い込む。そして──
「セタンタアァッ!!!」
ビリビリと、森全体に響き渡るような大声を張り上げた。
何事かと警戒する覆面達と、突然の発声に驚き耳を塞いだフィオーレ。
そして、その言葉が放たれた直後──疾風のように何処からとも無くセタンタが姿を現した。
「……」
刃のような目で覆面の男達を睨め付ける。見定めるように相手を見た後、隣に立つラグナに視線を向ける。
「──状況は?」
「相手は三人。一人は先にアイリスつれて逃げた。こっちはやるから──あっちを頼む」
「応」
状況説明の後、セタンタは凄まじい速さで覆面達を抜け、逃げた仲間を追う。咄嗟にその後を追いかけようとした二人の背中に向けて、ラグナが襲い掛かる。
殺気に気付き、剣で防ぐが──ラグナはそれをさらに押し込む。
「セタンタが行けば安心だ。これで余裕を持って戦える」
「貴様ッ……!」
「卑怯何て言うなよな? 女の子を攫った時点で、手前らにその言葉を使う資格は無い」
「このッ……!」
もう一人が横からラグナに向けて剣を振り上げる。しかし、フィオーレの放った矢が衣服を裂いて皮膚を切り裂いた。
「あなた達の相手は、その子だけじゃないのよ!」
傷を手で押さえながら、窺うことが出来ない顔つきから忌々しげに舌打ちが聞こえる。
鍔迫り合いの最中ラグナは、蹴り放って相手を押し退ける。そこにフィオーレが矢を放つ。
覆面達は下がり、剣を構える。増援に追跡を引き継いで貰った事によって、状況は一変する。ラグナはセタンタへの信頼から覆面達の足止めと撃破へ目的を切り替えている。
加えてフィオーレの耳には、ラグナの声を聞いて居場所を察知したエルフの仲間達が近づいてくる足音が聞こえている。
現状不利なのは、覆面達のほうだ。
さらにラグナは、改めてぶつかり合った事で、この覆面達は一対一のセタンタよりも弱い事を読み取った。
(ならこの程度、切り抜けないとなッ!!)
覆面達は、焦れて攻撃に乗り出す。ラグナは自らに落とされる剣よりも早く懐に来ぐり込み、太ももに深く短剣を突き刺した。
その隙に別の一人がフィオーレに向かう。ラグナは、刺していないもう片方の短剣を投げ付ける。
その刃は脚を切り裂き、バランスを崩して失速する。
その隙を逃さずフィオーレが、二本を放ち、剣を持つ腕と、足を射抜いた。
「ガッ!?」
痛みと共に苦しみ、倒れこむ覆面──足を射抜いた矢は、甲を貫き覆面の身体を地面に縫い付ける。
「このッ!」
仲間がやられた事に激昂したもう一人は怒りに痛みを忘れ、持ち替えた剣をラグナに向けて突き下ろす。
それに対してラグナは、覆面の懐にあるナイフを引き抜き、それで攻撃をいなした──そして、拳を固める。。
『人の急所ってのは、身体の中心に線に沿ってある。殴る、蹴るなら真ん中を狙え』
格闘術をセタンタから学んでいた際に教わった通り──ラグナは、身体強化を乗せた拳を覆面の鳩尾に叩き込んだ。
肺から空気が押し出されたような、苦悶の声を挙げて覆面の膝が崩れる。
空かさず剣を押しのけて、がら空きとなった顎にも一撃を与える。鳩尾を殴られ、顎を打ち上げられた覆面は、そのまま地面に倒れ伏した。
「ッ!……ん?」
ラグナは、直ぐにもう一人へと身構える──しかし、もう一人は、痙攣するだけで動く気配は無かった。
「いったい何が……」
「痺れ薬の効力よ、矢に塗っておいたの」
「……何時の間に」
ラグナは、自分の気付いていないうちに、そんなものを用意していた事に加えて、現にその薬の力によって、身動き一つ取れない状態となっている覆面を見て内心舌を巻いた。
それから僅か遅れてエルフの狩人達が集まり、覆面たちを縛り上げる。
「これで全員か?」
「いいえ、あと一人いるわ。その男がアイリスを連れて行ったわ」
「けれど、セタンタが後を追ったのでもう直ぐ戻ってくるはずです」
その言葉から僅か後に、ラグナの言うとおりセタンタは戻って来た。左脇にぐったりした覆面を抱え、腕にはアイリスを抱かかえている。
「お姉ちゃん!」
「アイリス、良かった──」
無事に保護され姉の下に戻る事ができたアイリスはフィオーレに抱き付く。攫われた間怖かったのだろう、アイリスの目下には、涙の跡があった。
そして妹が無事だったことを実感し、フィオーレも安堵から涙を流した。
狩人も同胞が無事だった事に安堵して和やかな雰囲気になる中、ラグナとセタンタは拳をぶつけて互いをねぎらった。
「流石」
「お前が大声上げて呼んだからな……直ぐに駆けつける事が出来た」
「ただ落ち着いて考えただけさ……あのままだと逃げられる。だから、仲間を呼び寄せた」
「その判断が出来るってのは、簡単だ──だが、それを実行できるかは別なのさ。いい判断だったぜ」
「──」
そう笑うセタンタに、ラグナも笑みを返す──そして、次に縛り上げられた覆面の三人へと鋭い視線を向ける。ぐったりとしている二人と痺れ薬で意識が朦朧としている者。
「こいつら、何者なんだ?」
「さてな──ただ、こいつらが何者なのか。大よそ検討はついてるけどな。お前もそうだろ?」
「……まあね」
人型で、剣を武器にして、身体能力が高い──覆面の者達に近づいて顔を覆い隠す布を剥ぎ取る。
エルフ達やラグナの様に頭部の側面から耳は生えておらず、セタンタのように頭の上から髪の毛に混じるように尖った、或いは、丸い耳を生やしている。
エルフ達は驚き、ラグナは眼を細める。
「やっぱりな……」
確信を得ていただろうセタンタが、腕を組みながらそう呟く。しかし、その声音には、彼には珍しい複雑な感情が入り混じっている事を、ラグナは察知した。
剥いだ布を投げ捨てて、ラグナはセタンタに振り返る。
「セタンタ。やっぱりこいつ等は──」
「ああ。言葉通り──三者三様ってな。種は違うが、この三人は間違いない。【獣人】だ」
「……」
獣人──エルフから見ればかつては交友があった者達が突如、自分達の同胞の拉致を目論んだことに驚きを隠せない様子だ。狩人達はざわめいている。
「……チッ」
ラグナも、同じ獣人であるセタンタとの長い付き合いから、彼らに対するイメージが固まっていた為、こんな形での遭遇に、怒りを隠すことが出来なかった。
苛立ちから舌打ちをし、気絶する三人の獣人に鋭い視線を向ける。
セタンタは、そんな弟分の様子を見て、苦笑いしながら頭を軽く小突いた。
「一先ず、ここに居ても始まらない。族長の所に引き張り出して、こいつらの言い分とやらを聞こうじゃねえか」
「──確かに、その通りだな」
狩人のリーダーもセタンタの意見に賛同し、一先ずアーロン達族長の元に連れて行くことが決まった。




