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29話:善の形

戸惑いながらもラグナは、フィオーレに連れられ外出する。久しぶりに外の空気を吸ったラグナは、ほんの少しだけ心が安らいだような感覚を抱く。それでも、ラグナは武器を携行していた。


「外に出てよかったでしょ?」

「そう、ですね……あの──」

「何かしら?」

「……いえ、何でもありません」

 ありがとう──首を小さく横に振り、ラグナは言いかけた五文字の言葉を飲み込む。

その言葉を軽々しく使ってはいけない──ラグナの脳裏にそんな考えが過ぎる。同時に、今の自分にその言葉を使う資格が無い──そう自分自身に言い聞かせる。

 フィオーレの少し後ろを歩き、ラグナは橋の上から下界を見下ろす。エルフの子供達の走り回る姿や、大人から弓矢の教えを受けている姿が見える。


「確か、木の上に橋を架けているのは魔物から身を守る為──でしたよね」

「そうよ。ただ、それは殆どもしもの時のほうが強いわ。普通は魔物達が里を襲う事は、滅多に無いわ」


 里の外は危険な魔物達が生息する。その魔物達が里を襲わないのには、理由がある。

 

一つが里の周囲に植えられた香草・薬草の存在だ。

 魔物の大半は視覚よりも聴覚、或いは嗅覚によって獲物を探し当てる種類の方が多い。そうした生き物は、必然的にそれらの感覚が高いと言える。しかしそれは、決して良い方向にばかりには繋がらない。

 高い、或いは敏感という事は、頑丈と言う言葉には繋がらない──寧ろ繊細に繋がる可能性が高い。

 様々な香草、薬草が生い茂った一帯では、その植物達の匂いが充満する──それも一つの種類ではなく、複数の匂いが何重にも混ざり合っているのだ。

 セタンタの場合、【息を止める】或いは【口で呼吸をする】ことで通り抜けたが【多少の知恵がある程度】な魔物達には、生きて行く上で必要な行為を止めるなどと言う選択肢は浮かばない。

 彼らは、必然的に己の生きるうえで必要な武器を破壊しかねない毒気の充満する領域から逃れる。

 

 もう一つは、単純に需要が低いからだ

 生き物の社会は【弱肉強食】の四文字に尽きる。食うか食われるかの世界にも、多少の群れ(コミュニティ)は存在するが、人種ほどの【もの】を作るのは、同じ人型くらいだ。そんな人型の魔物の代表例である【小鬼(ゴブリン)】【醜人(オーク)】は、総じて魔物内のヒエラルキーでは下位に位置する為、魔境奥地よりも人間達の領域近くの方に生息域が多く分布している。

 里という自分達の巣を作り、そこで安住する亜人種は一見、彼らにとってはカモに思えるかもしれない。だが、彼らは徹底して仲間を守る為に命を惜しまない傾向がある。

そしてそれらは、【連携】と言う群の力となって、個に襲い掛かる。それらが本当に取るに足りぬ数なら一蹴に伏すだろうが、それが全体からとなれば話は変わる。

 何よりも、一人二人倒した程度で、腹が満たされるわけでは無い。

【例外が起こらない】限りは、魔物は人の領域には、脚を踏み入れないのだ。


「だから、里の外に出ない限り、私達は比較的に安全なのよ」

「なるほど」


 以前、セタンタから教わった魔物の知識と似ているとラグナは、心の中で呟く。同時に、エルフはエルフなりにこの森で生きていくうえの独自の知識を発展させているのだと再認識する。それは、エルフの長アーロンの招きを受けた時もそうだった。

 その夜に、何故自分はあそこまで彼に対してあれこれと質問をしたのか──自問自答したが、それは単純に彼の【心の傷】よりも【知識欲】の方がその時に上回ったに過ぎない。


「……」


 ラグナは次に弓矢の教えを受けている子供達に目を向ける。感覚強化で視覚を強化し彼らの手際を見つめる。


「エルフは弓矢を武器としているのでしたね」

「そうよ。子供の頃から親、もしくは自然から学んで身につけるのよ」

「自然に……ですか?」

「ええ、森の風を感じて、木の動きを見て、音を聞いて──どうやって矢を放てば当たるかを知るの」

「感じて、見て、聞いて──自然に学ぶ」


 フィオーレの言葉を復唱し、思考する──難しい言葉のように思えて、ラグナにとってそれは、馴染み深い感覚に思えた。魔物と戦い、或いは狩る事が、彼女達エルフとは違っても、同じように思えたからだ。


「他には何かを教わらないのですか?」

「……以前は、教えを受けていたわ」

「以前?」

「そう。ここから森を西に進んでいくと、森を抜けて平原に行けるわ──そこには、獣人族って言う種族が暮らしているわ」


 獣人──その言葉でラグナの脳裏にセタンタが浮かんだのは当たり前の事だ。


「元々、エルフと獣人は協力関係にあったの。その人の戦士から剣とか槍を教わる大人は何人か居たわ」

「あった……今は、違うみたいですね」

「ええ。獣人って一括りに言うけど──彼らは、沢山の種族があるのよ」

「それは初めて聞きました」


 兄弟子の口から聞かされていない事実を知り、ラグナはほんの少し眉をしかめた。しかし、勘違いしないで欲しいが、彼は別に怒りや不満を抱いていない。

ただ知らない事があるという事実が、身近な所にあったことに自分は、まだ兄弟子の事を知らないのだなと思っただけだ。


「お父さんが言うには、獣人同士でごたごたしているそうよ。それで飛び火しないようにお父さんが交流を絶ったの」

「争いが? そうですか……」

「教わった狩人が教えようとしたけど、やっぱり本業の人みたいにはいかないから」


 フィオーレは苦笑いするのに対して、ラグナの感情が揺れ動く事は無い。

なんら不思議ではない。生き物とはそもそも外側の存在とは争う物なのだから……生きているのなら当たり前でもある。ラグナはそう言い聞かせ、ラグナは目を閉じて、頭から考えを打ち消した。


 その先もフィオーレに付き従いながらラグナはゆっくりとエルフの里の風景を見つめる。

 途中、外で他の子供達と遊んでいるフィオーレの妹であるアイリスに見つかるが、彼女はラグナに気付くと顔を赤くして逃げてしまうなどの小さな出来事もあった。それでもラグナは、比較的に穏やかな気持ちで外出していた。


 森と一体化したこの場所は、かつて見た喧騒に満ちた人の空間とは対照的に静かな場所は、ラグナの心に安らぎを与える。元々、クリード島と言う絶海の領域にて、騒がしさとは程遠い世界の中で長らく生活していたラグナにとって、神経を張り巡らす必要の無い世界と言うのは、それだけで彼の乱れた心を落ち着かせる。


(懐かしいな……)


 ふと、心の中でそんな感傷が芽生える。だが、それは無理もない事だった。

ラグナがこの魔境で送ってきた生活は、生きるか死ぬかの二つだけの世界だ。生きる為に命を奪い喰らう事──それ自体にラグナは、微塵の忌諱感を抱いてはいない。ただ、その過程で張り詰めた生死への緊張と集中ですり減らした精神的疲労は、着実にラグナに蓄積してその身体を蝕んできた。

 

 例え、過去の傷が楔になってもその静寂は、ラグナの心に育った地への郷愁と、そこに似た帰る家があるという絶対安寧を抱かせる。そして、フィオーレの人柄は、彼の警戒心を確かに和らげていた。



 それから暫く、二人は無言で歩いた。進んでいるうちに、ラグナはフィオーレが自分を何処かに連れて行こうとしていることが分かった。


「あの、何処へ行こうとしているのですか?」


 ただの素朴な疑問として、ラグナはフィオーレに問い掛けた。それに対してフィオーレは、『もうすぐ着く』とだけ言って足を進める。やがて、進んでいくと一つの寂れた建物の前にたどり着く。

 

「此処は?」

「お母さんの研究所よ」


フィオーレは、その扉の鍵を開けると、ラグナを誘い中に入る。僅かな戸惑いの後、ラグナは罠では無いと言い聞かせて、中に入る。

 建物の中にあるのは、スカハサの持つ機材と酷似した物と、それを囲む様に配置された無数の戸棚に収まった書物の山だ。


「これは……」

「セタンタさんの言うとおりね」


 ラグナは、その風景を見渡した後、小さく笑うフィオーレを改めて見つめる。そして、彼女が発した言葉にこれは兄弟子が仕組んだ事だったと知る。騙された──と言うわけではないかもしれない。ラグナはそう言い聞かせるものの、心の内には複雑なものが過ぎる。それは僅かに険しいとして表情に表れる。

 対するフィオーレは、笑った後にラグナへ頭を下げて謝罪する。


「騙すような事をしてごめんなさい。貴方のお兄さんにお願いされたの」

「それは分かりました……何故、俺を此処に?」

「貴方は本が好きだって教わったわ。だから、此処につれてくれば喜んでくれると思ったの」

「……」


 少し睨み付けた後──その視線を改めてこの空間全体に向ける。そして、彼女に視線を戻す。


「確かに……俺は、本が好きです。だが、これだけの本をどうやって?」

「私のお母さんは、この里で唯一の研究者だったの」

「……何の研究を?」

「薬草を使った薬と──魔石についてよ。ただ、後者については変人扱いされていたけど」

「……そうでしょうね」


 魔法を扱えない亜人種が、何故魔素の研究していたのか、ラグナには理解できない。その時間を前者に向けていた方がもっと効率が良いだろうに──そこでラグナは気付いた。


 何故この建物は、こんなに明るいのか? 外観を見たときに、窓らしき物は殆ど無かったのに──外の明かりだけにしては、こうして建物内全てが明るいのは説明が付かない。


 ラグナは、見開いた目で頭上を見上げた。スカハサの屋敷の様にそこには建物全体を照らす魔道具が吊り下げられており、建物を照らしている。


「何故、此処に魔道具がある!」


 再び、ラグナの中に警戒心が蘇る。後ろに跳び下がる……事をしないのは、エルフ族が弓矢を主要武器としているからだ。それでも、腰を低くし、背中の剣の柄に手を掛けた。


「それは、人間もこの里に住んでいたからよ」


 だが、フィオーレは酷く冷静にその言葉を告げる。


「……なら、どうしてこの里に人間は居ない」

「私が生まれる前に、この里に住む人間は居なくなったわ」

「どうし…………いや、そうか。そうだったな」


 聞こうとして、ラグナは人間と亜人種の寿命の差に気付いて納得する。握っていた剣の柄を手放し、僅かに警戒を解く。


「私の母は人間とエルフのハーフだったらしいわ。そして、人間の父の研究を受け継いでいたと聞いて、今は私が引き継いだの」

「引き継いだ……という事は?」

「三年前に死んだわ。寿命じゃなくて、病気だけど──」

「……そうか」


 言葉を掛けようとして、身内を失った事の無いラグナは何と言えばいいか分からず、ただ短くそう答えるしかなかった。だが、彼にはまだ疑問が残る。


「何故、人間が此処に居たんだ?」


 無理に敬語を使うことも止めて、ラグナは素朴な疑問をフィオーレにぶつける。それに対して、彼女は苦笑いする。


「それは、お父さんが知っていると思うわ」

「……なら、どうして俺を此処に?」

「此処をあなたに見てもらいたかったと言うのがある。セタンタさんに頼まれたと言うのもあるわ。後は──貴方が放っておけないから、かしらね」

「……意味が分からないな」


 自分の事が放っておけない──そんな無償の善意のような感情で、自分に接触しようとする彼女の事を、ラグナは内心で冷笑する。


「そうね、それは否定しないわ」


 自嘲したように彼女は、苦笑する。しかし、小さく『だけど──』と付け加えてから、彼女は告げる。


「それは、決して間違った事じゃないわ」


 お節介かもしれないけど──そう言って、彼女は笑う

 だが、その言葉にラグナは返す言葉を発することができなかった。

否定する事など簡単なのに──それは、ラグナの心に打ち付けられた楔に向けて大きな亀裂を生み出した。

 なぜなら、それはラグナがかつて、自分自身で一人の少女に向けて行った事だからだ。楔の皹が走る。


「……ッ、……」


 ズキリ。ラグナの目頭に痛みのような物が走り、何かがこみ上げて目からあふれ出そうになった。それを止めようとラグナは咄嗟に目を覆い、顔を上へと向けた。怪我を負ったわけでもないのに、痛みが身体を駆け巡る。

 どうして? 何故? 今の言葉がそんなにも身体に痛みとなって駆け巡るのか?

 その疑問は、かつての忌まわしき思い出の記憶が堰を切ったように蘇り脳裏を埋め尽くす。

 そして、最後に助けた少女からたった五文字の救いの言葉を投げかけられた記憶を──。


(そっか、俺……)


 自分がどうして、あんな態度を取ってしまっていたのか──ラグナは漸く自覚した。

 ただ──怖かったのだと。善を行おうと自分の居場所がたった一つしかないのではないのかという恐怖が、怯えとなっていたのだと。

 そして、自分自身であの行動が、間違っていた事なのだと決め付けてしまっていた。だが、目の前の女性が、それを間違っていないと断言した事が、同時に彼の行動を肯定してくれた。


(だから、あの子は……)


 たった五文字の感謝の言葉の意味が漸くわかって──ラグナは涙を流した。


「ねえ、大丈夫?」

「…………いえ、大丈夫です」


 嗚咽で震えそうな身体を抑えて、声を平静に聞こえるように装うことが、今の精一杯だった。だがその短い言葉は、一人の少年の心を救い上げた。


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