26話:エルフの里
【棘鼠】──そう呼ばれる魔物がいる。
小さな草食系の魔物で、比較的に人間の分布図近辺の森にも生息している大人しい生き物だ。二つ名の通り、この魔物は自分の背中全体から鋭い棘を生やしており、それを自衛の手段として用いている。
子供が偶然見つけてちょっかいを出し、その棘で反撃されて痛い目を見るという話は田舎の農村ではよく聞く話でもある。
セタンタは、自分の後ろをぴったりとついて歩くラグナに対して、その魔物と同じ印象を抱いた。ちらりと後ろに視線を送る。
一見すれば、ラグナは平静を保っているようにも思える……だが、普段よりも目つきがやや鋭くなっている。何よりも、放っているオーラが警戒心剥き出しだ。
(何がそんな怖いんだか……)
やれやれと肩をすくめて、セタンタは空を仰ぐ。予想外──セタンタの心中を足るのなら、この言葉が最も正しい。エルフを助けたのは、善意もあるが、大本はラグナに何かしらの経験を与えるというのが目的だった。
ラグナは、好奇心と向上心の塊のような人間だ。二年前のあの経緯からその傾向が若干、鳴りを潜めても生き物の根幹にあるものはそう簡単には覆ることはない。
現にこのサバイバルの短期間の中で、ラグナは己の道の部分を補う意欲は、貪欲といって良いものだった。セタンタは、エルフの修正をある程度理解している。だから、彼らに会うのは、ラグナに良い経験になる。そう思っていたのだが──
(まさかこんな状態になるとは……)
セタンタは、何度目かの溜め息を吐き出した。里へ案内してくれているエルフ達も、ラグナの放っているオーラに当てられているからか終始無言である。時節、ラグナに向けて視線を送っている。しかしそれは、一部のものを除くと、何か妙なことしないかという警戒とそれを制する牽制が含まれているものだ。
ラグナも自分が警戒されているのを自覚しているのだろう。周囲のエルフからの視線に応じてオーラが強まったり弱まったりしている。だが、お互いに率先して何かをすることはないという状況が続く。
だが、その両者の板挟みの立場にあるセタンタからすれば、この【ギスギスとした空間】は、非常に居づらい場所だ。
(早く里に着かねえかなぁ……)
セタンタは、とにかくこの状況の進展を望んだ。里に着けば、ラグナの心境にも何か変化があるだろうと信じて──。
無言のまま、森を進む──その中で、ラグナは周囲の雰囲気が変わったことに気付いた。
「……セタンタ」
「気付いたか?」
「ぁぁ」
ラグナの小さな呼びかけにセタンタは答える。ラグナは、今さっき自分達が踏み込んだ位置を皮切りに、こちらの様子をうかがっていた魔物の気配が消えた事を察知していた。
「もうすぐ里が近いんだろうな」
「何か仕掛けがあるのか?」
「そりゃあな。お前の鼻じゃ気付かんだろうが……この周囲一帯はある香草が生い茂っている。魔物どもは、その匂いが苦手なのさ」
「……つまり、今俺達がいるのは見えない正門って所か?」
「そんな所だ」
セタンタは、ニヤリと笑いながら答える。対するラグナは、警戒心を解く事無くセタンタの後ろから横隣りへと移動する。
やがて、二人の眼前にエルフの里が現れる。
それは、大樹の中を家にしている天然の建物だった。樹木の幹に扉や窓が取り付けられていたり、万が一のまものへの対策なのだろうか、エルフの住人たちは、地上ではなく、頭上高くに取り付けられた吊り橋を経由して歩いていた。
「へえ、実物見るのは初めてだが、中々壮観だな」
「……」
「どうだラグナ、面白いか?」
「ああ、興味深いな……」
ラグナはラグナで、スカハサの館や、かつてみた人間の国での石造りの建造物たちと眼前の光景を比較していた。
「ここまで違うものなのか……」
「ああ、生きてる世界が、違うからな」
「……そうか」
エルフの狩人達は、族長に話を通すのでここで待っていろと言ってどこかへ行ってしまった。
「ふぅ~~。ようやく、一息吐けるぜ」
セタンタは、軽く伸びをして地面に座る。ラグナに座るように促し、ラグナはゆっくりと地面に腰を下ろした。
「で? どうしたんだ?」
「……何が?」
「とぼけんなよ。移動してる時お前の態度だよ」
「…………」
そう言われて、ラグナは眉間にしわを寄せる。口を開こうとして──しかしその後、言葉を発する前に閉口する。それを繰り返すラグナの表情は非常に苦々しいものだった。
結論だけ言えばラグナは、セタンタの問いに無言を貫いた。だが、その様子を見たセタンタは、怒りとではなく珍しいと言う感覚を抱いた。
ラグナは、セタンタを尊敬しているし信用している。同時にセタンタもラグナを弟分とであり、自慢の弟子として信頼している。互いに言葉に出さずとも、両者は互いに全幅の【信】を寄せている。兄弟であり、【信友】と言う間柄だ。
だから、ラグナはセタンタに隠し事はしないし、セタンタもラグナに隠し事はしない。それでも何かを隠すのはそれ相応の理由があると割り切れる程だ。
だが、今回──何故、ラグナがエルフに対してあそこまでの警戒心を抱いていたのか、本人は答えようとしない。否、セタンタはラグナの様子を見て答えないのではなく──かと言って、答えるつもりがないのでもなく、【自分自身でも答えがわかっていない】という事を察した。
「…………ごめん」
やがて、ラグナが絞り出すように発した言葉は謝罪の言葉だった。
「何がだ?」
「自分でも、あれは良くないってわかってた。なのに、どうしても抱かずにはいられなかった」
「……何でだ?」
「………………わからない」
「……そうだろうな。てめぇのさっきの状況見れば分かるぜ」
「ごめん」
「俺に言うなよ。謝るなら、エルフの連中に言え」
「…………善処、する」
歯切れの悪い言葉で、ラグナはそう言った。それから間もなくして、エルフの使者と名乗る男女が戻ってきた。族長が直に礼を述べたいというので連れて行くと言う。ラグナとセタンタは立ち上がり、里の中央にある、一際大きな樹木へと向かう。
その道中、ラグナ達を頭上からエルフ達が好奇の視線を送る──それを受けてラグナは、やや警戒心を抱いた。それにセタンタは小さくため息をついた。
そこは、エルフの城とも言える建物だった。大樹の中に建てられた壮麗な佇まいは、ラグナ達を圧倒する。使者に案内され、二人は一室に連れて行かれる。そこでは椅子に座る三人のエルフが待っていた。
「あれ? あんた……」
先に中に入ったセタンタは、その三人を見て、中央に座るやや皺のある男性が族長だと判断した。そして左右にいるのは、森で助けたエルフの姉妹であることを確認する。
重臣とかならとにかく、何で彼女たちが? 疑問に抱くセタンタだが、ラグナに後がつっかえていることを促されて一先ず中に入る。
「恩人であり客人を立たせたままなのは忍びない。どうぞ我々に気にせず座ってください」
「じゃあ、失礼します」
エルフの族長の声に従い、ラグナとセタンタは椅子に腰かける。対して、エルフの三人が立ち上がる。
「改めてエルフの里にようこそ。私は、エルフの長を務める【アーロン】と申します。この度は、我が娘達を助けていただきありがとうございます」
「娘?」
セタンタが左右の姉妹に目を向け、この三人が親子である事を察する。
「長姉の【フィオーレ】です。妹の【アイリス】共々、重ねて感謝を──」
「……」
銀髪の長髪を後ろで一本に結っている女性──姉のフィオーレは父親に倣って、丁寧に会釈をする。アイリスと呼ばれた金髪の少女──妹は、少しもじもじとしている。
「アイリス、ちゃんとお礼を言いなさい」
「!!」
「あ、ちょっと!」
フィオーレに促されるも、アイリスはそのまま姉の後ろへと隠れてしまう。顔を少し出してセタンタ……どちらかと言えば、ラグナに視線を向ける。
「ご、ごめんなさい。普段はちゃんとお礼を言えるのに……」
「ああ~気にしなく良いですよ。俺は獣人のセタンタと言います。こちらは弟分のラグナ──すでに聞いていると思いますが、【宛無し】って奴です」
「…………」
セタンタが応対し、ラグナは軽く会釈をする。
(セタンタ……意外と、丁寧な言葉遣い、それなりに出来るんだ)
無言の裏側──心の中で、セタンタがいつもの口調ではなく、比較的に丁寧な言葉を使っていることに驚きながら──。
「……お前、今すげぇ失礼なこと考えなかったか?」
「いいや」
セタンタの指摘に素早く切り返してラグナは、閉口してしまう。
「しかし、亜人が人間を連れているなど珍しい……それに、随分と御若い様子」
「事情があるんでね……若いってのは否定しない。ラグナは、今年で十一歳になる筈だ」
「え!?」
驚きの声を挙げたのはアイリスだった。驚きの表情のままラグナを見つめる。
「……俺が十歳なのが珍しい、ですか?」
「あ……ッッ!!」
何がそんなに珍しいのか、煩わしいと言うような冷淡な口調でラグナはアイリスに疑問をぶつける。その疑問で我に返ったのか、アイリスは再びフィオーレの後ろに隠れてしまう。しかし、その後もチラチラとラグナを見る。
(……ははぁ~ん、成程ね)
何かを察した様子で、セタンタはラグナを見る。
「……何だよ? セタンタまで」
「ラグナ、亜人は長寿な分──体の成長が遅いんだ。あの子もあんななりで、お前よりニ倍か三倍くらいは、生きてる筈だぜ?」
「知っている……」
「そうかよ」
(ただ、それでもあの子は見た目の年齢とそう変わらないってのは、知らないよな。幼い女の子が、自分と宗年齢の変わらなそうな男の子に助けられる……ああ、こりゃ好印象になるだろうよ)
しみじみとしたお面持ちでセタンタは何度も小さく頷く。それにラグナは訳が分からず、気持ち悪いと思って僅かに距離を置いた。
気を取り直して、セタンタはアーロン達──正確にはアイリスに目を向ける。
「しかし、助けた時にはそのお嬢ちゃんもいたが、エルフは収穫に年端もいかない少女を連れてくのか?」
「いえ、そんなことはありません。エルフは本来弓矢を一人前に扱えるようになってから収穫への動向を認められます」
「……」
ラグナは、エルフ達に見えない様にセタンタを小突く。
「どうした?」
「収穫って何?」
「ああ、エルフで言う狩りみたいなもんだ」
「我々、エルフは自然と共に生きる種族です。故に自然の中に生きる生き物全てを同胞と見ています。故に外に出向く者達の事は、狩人と呼びますが【同胞を殺す】狩りではなく、同胞と自然の恵みを分け分け合う【収穫】によって食物を集めています」
「ッ!?」
セタンタが答える──筈だった言葉がアーロンの口から放たれた。ラグナは、驚いた表情をアーロンに向ける──彼はにこやかな表情をしていた。
「驚かれましたかな? しかし、我々エルフの耳は千里先の足音を聞き分け、蜘蛛の糸を射抜く目を持つと言われております」
「それは……本当なのか?」
「誇張ですよ……しかし、遥か太古にはそんな芸当をするエルフが居たのかもしれませんが……とにかく、我々エルフは聴覚と視覚に優れた種族です。この距離での小声は聞き逃しません」
それを示すようにアーロンは自身の耳を動かして見せる。ラグナは溜め息を吐いた。
「つまり、貴方達は肉を食べない……と言う事ですか?」
「その通りです」
「なら、何故弓矢を使う?」
「生き物の中には肉を食べるもの達が居ます。彼らから、身を守る為の手段の一つです」
「……それでも肉は食べない、と?」
「骨や牙、皮などを素材として頂き、肉は自然に委ねます」
「そうなん、ですか──」
「他に、何か気になる事は?」
「……では──」
それから、ラグナはアーロンにエルフについて様々な事を聞く。生活について、種族について、家の造り、風習──様々な事を訪ねた。それに対して、アーロンは真摯に応えた。
それは、普段のラグナの姿勢そのものだと、セタンタは安心した様子で眺める。
ラグナの質問攻めが終わった頃──アーロンは一つの提案を切り出した
「どうでしょうか、暫く此処に滞在してみませんか?」
「え?」
「それは名案ですね。是非そうさせてもらいます」
ラグナは一瞬戸惑い、セタンタは即答した。
「冷静に考えろ、こういう羽を伸ばせるときってのは、羽を伸ばすのが大事だ」
「……」
「決まりですな。我が家にてゆるりと旅の疲れを癒してください」
「ありがとうございます」
「……」
ラグナは、セタンタに倣って静かに頭を下げた。




