25話:エルフ族
森を走る。二つ目の嚆矢が放たれ、まだ時間はそこまで経過していない。ラグナは、前を駆けるセタンタの背中を見ながら、足を動かす。
「なあ、俺達が行って大丈夫なのか?」
「エルフは、義理堅い。命を助ければそれ相応の態度を取ってくれる……まあ、俺達がついた頃には救助されてたり、最悪手遅れだった時は──冷ややかだろうがな」
「……なら、もう少し急ごう」
「あ、おい!」
セタンタの返しに、ラグナは短く言葉を返して踏み込んだ足に力を込めて飛躍した。セタンタを追い越し、先を進むラグナは森を走ると、前方に人影が見えた。僅かに感覚強化で視力を上げて目視する。
銀髪の長身の女性は弓矢を構えている。そして、彼女に守られる形でその背中に金髪の女の子が隠れている。
見つけた──ラグナは、エルフを見た事は無かったが、その人影の一人が弓を持っている事から、嚆矢を放ったのが彼女であると確信する。
直後、女性が少女を抱きかかえて真横に跳び込んだ。そして彼女達が居た場所に巨大な何かが覆いかぶさった。
枯葉色の体躯は、魔猪や魔王蟲と比較すれば小さいが人から見れば十分大きい。赤い瞳は片方には矢が刺さっており、顎を忙しなく動かしている。背中の翅を激しく動かして宙へと浮き上がると、鋭い鉤爪を持つ太く長い前脚がゆらゆらと動いている。
「セタンタ、あれは何だ?」
「【頭喰蝗】だな。気をつけろ、あいつに捕まったら頭から食われるぞ」
「ああ!」
セタンタの忠告を背中から受け、ラグナは背の剣を掴みながら更に加速する。エルフを横切り、剣を抜くと同時に頭喰蝗へ跳躍する。
突然の増援に驚いた様子で頭喰蝗は、後ろへと退がる。ラグナが放った袈裟斬りは、前脚と中脚を一本ずつ斬り落とす。斬り口から濃い緑色の体液が噴き出す。だが、致命傷に程遠い一撃だ。
「チッ!」
外した──ラグナは舌打ちをして剣を構え直すと足に力を入れる。
「ラグナッ!」
「ッッ!?」
セタンタの言葉に反応して周囲を見渡すと森の奥から凄まじい勢いで突っ込んでくる影が目に入る。
(速いッ!)
前に出ようと力を込めた脚を空かさず横に向けて蹴る。同時に飛び込んできた影は、ラグナが居た場所の地面を抉り取る。
地面を転がり、体勢を整えて自分を襲った影の正体に目を向ける。同じく枯葉色の魔物──頭喰蝗だ。だが、先に相対した物と比較して遥かに大きな個体だ。身体中には幾つものヤが刺さっている。
ラグナの横からセタンタが手に持っていた槍を投げつけた。頭喰蝗は、羽を激しく動かしながら太く長い後ろ足で大きく跳躍して避けると樹木に張り付き、前脚を合わせる仕草をする。
「チッ、よりにもよって【番い】かよ」
「番い?」
「雄と雌、男と女──要するに夫婦って事だ」
「……」
ラグナは改めて頭喰蝗を観察する。
忙しなく動く頭喰蝗の顎は、何本もの刃が何重にもなっているように鋭く大きい見える。魔王蟲の大顎は一本の大剣だとするならあれは、斧だと、ラグナは感じた。
あれで喰い付かれたら骨や内臓ごと一息に食われるラグナは、セタンタの隣で身構えた。
小さい方の頭喰蝗は大きい方に寄り添う様に飛び回っている。
「俺は雌の方をやる。ラグナ、テメェは雄をやれ」
「……どっち?」
「小さい方だ。こういう蟲型の魔物ってのは、小さい方が雄なんだよ」
「そうなのか? 分かった……」
槍を引き抜き構えるセタンタの指示に従いラグナは、雄の方へと狙いを定める。ラグナが動いた瞬間、雌の方がラグナに向けて飛び掛る。しかし、頭部の側面をセタンタの一閃が貫きそのまま地面へと叩きつけた。
「テメェの相手は俺がしてやらあ!」
闘志をむき出しのセタンタの様子を、呆気に取られる二人のエルフを一瞥してラグナは、剣を一度回転して握り直す。そして足の裏から噴出の魔法を放ち、滞空する雄の個体へと正面から突っ込んだ。
対して雄は翅をさらに激しく動かす始める。羽音は更に大きな物となり、周囲を振動させる。
頭喰蝗は雌雄で生態が僅かに異なる珍しい魔物だ。雌は巨体と後ろ脚の膂力を活かして相手に襲い掛かり頭から捕食する。その速度は凄まじく奇襲された生き物はまず助からない。それに対して、雄は長い前脚を用いた上からの奇襲に加える。前脚で獲物を上空へと攫うとそのまま頭から捕食する。その捕食行動が【頭喰蝗】と言う名前の由来だ。
さらに雄の場合は、翅を激しく動かす事で可能とする音速飛行──それによって生じる衝撃波で攻撃すると言う手段を用いる。雄は出し惜しみする事はせずに持てる能力全てを用いてラグナを殺そうとする。衝撃波を纏う雄は、ラグナに向けて突貫する。
ラグナと頭喰蝗の雄──両者が正面からぶつかり合おうとする。その直前、ラグナは腰から銃を引き抜いて風属性の魔弾を一発放った。
攻撃として威力は不十分だが、牽制としては十分だった。僅かに動きを鈍らせた雄の下へと潜り込む。構えた剣は、真っ直ぐ振り下ろす──顎の下から胸を通り腹の中腹に掛けて剣が切り裂いた。
傷口から緑色の体液が溢れ出し、必然的に真下に居たラグナの全身に降り掛かる。それを一切無視してラグナは、そのまま真下を通過するとそのまま空中で身体を翻し足の方向を反対に向けて空中で静止する。
雄は翅を激しく動かしたまま頭から地面に激突する。そのまま何本か木々をへし折りながら転がり、止まったときには脚を僅かに痙攣させるだけだった。
ラグナはそれを一瞥し、セタンタを援護する為に眼下へと目を向ける。
ラグナの増したではセタンタと頭喰蝗の雌と退治している。
対するセタンタは切っ先を真っ直ぐに構え、普段の何処か飄々とした表情から一変した鋭い眼光で雌を睨みつける。
後脚に力を込めた瞬間眼前からセタンタの姿が消える 触角を動かし、獲物の姿を辿り、真後ろに居る事を察知し脚を動かす。だが、雌は身体を動かせない。
既に真正面から受けたセタンタの一撃は、雌の半身を木っ端微塵に粉砕していた。やがて雌も地面に倒れた。
「……すげぇ」
上からラグナはそう呟いた。これまでラグナは、セタンタがと手合わせをする事はあっても、戦うことはなかった。だから、戦っているセタンタの姿を見たのは以外にも今回が初めてだった。
セタンタのやった事は、いたって単純に【真っ直ぐ突っ込んでそのまま突き抜ける】それだけだった。だが、それはラグナの目で見ても殆ど追うことが出来ないほど速く、そしてあの巨体の半身を文字通りバラバラに吹き飛ばすほど強力な一撃だった。
(あれが、戦うセタンタか……)
戦慄を覚えながらラグナは、噴出を解き地面へと着地する。
あれだけの一撃を放っておきながら、セタンタは返り血一つ浴びていない。ラグナは改めて、自分が目標と定めた者が立つ場所の高さを思い知った。
「よし、上出来だな」
「……」
「……おい、どうした?」
「……いや、ただまだまだ遠いなってさ」
「ああ?」
苦笑いでラグナはごまかした。かつての自分だったら、またそれで塞ぎ込んでいただろうが、そういうものを全て理解して割り切るようにしてからは、それほど心が沈む事は無くなったと思うようにした。
「…………ま、良いか。んじゃ、次は……」
答えをはぐらかすラグナにまあ良いと言って、セタンタはエルフに目を向ける。だが、気の奥から激しい羽音が再び響く。聞き覚えのあるその音は、紛れも無く頭喰蝗の
「あいつ、まだ生きてたのか」
「おいおい、きっちり止め刺さなかったのか?」
「死んでると思った」
「ああ、蟲型の魔物はしぶといからなぁ」
魔王蟲も絶命したにも拘らず暫く脚が動いていたのを思い出す。同じ動作をして死んだと勘違いしたラグナの失態だった。それを払拭する為に剣を構えて前に出て、セタンタは様子見と後ろへと下がった。
その僅か後に雄が体液を滴らせて飛来してきた。ラグナは、脚を動かさず剣で迎え撃つ体制をとった。
そのラグナに復讐と言うように飛び掛る頭喰蝗──その喉を一本の矢が貫いた。
「な」
「お?」
矢の放たれてきた方角を見る。エルフの長身の方が、何時の間にか弓矢を構えていた。そして再び、立て続けに二本の矢が連続で放たれ胸、腹を射る。それでも止まらないが──ただでさえ速度も勢いも落ちていた頭喰蝗はさらに失速する。
「へえ、良い援護じゃねえか」
「別に、必要なかった」
言葉を返してラグナは迎撃から止めへと移行する。身体強化で跳び、さらに衝撃に備えて全身を硬化する。構えた剣は片手を柄頭に添えて突きに構え──口の中に剣を押し込んだ。
押し込んだ剣を捻り、命を完全に断ち切る。剣を引き抜き、頭喰蝗の首を掴むとそのまま地面へと叩きつける。再び体液が全身から吹き出る。
「これだけすれば、死ぬだろ」
二歩、三歩下がり体液塗れの剣を構える。 様子を見てそれでも動かないのを見て、今度こそ死んでいると一息吐く。しかし、満足感よりも自身の不徹底にラグナは己自身に怒りを向ける。
「今度からは、徹底的にやらない」
そう呟きながら剣を横に振り払う。刀身にこびり付いている緑の体液が飛び散る。手の平を見ると、その手にもべったりと体液が付着している。
(そういえば、今回は頭から諸に浴びたんだったな……ま、良いか)
水魔法で剣と手だけ体液等を洗い流して背中の鞘に納める。同時に背中から掌一個分の軽い衝撃を受ける。
「……何だよ」
「いや、別に」
叩いた張本人からは飄々とはぐらかされてしまう。睨み付けるような視線を送った後、ラグナは一息を吐いて再びエルフの方を向いて彼女達を見る。
弓を持った女性の方は、後ろに少女を庇うようにこちらの様子を窺っている。ラグナの印象は、一見は自分のような人間と大差ないと思った。ただ、髪の毛から飛び出した耳は、人間種のものと違い長く鋭いものだという程度──。人間と大差ないその容姿は、ラグナが思っていたよりもずっと人間に近く、疑問を生じさせる。
「なあ、セタンタ。彼女達がエルフでいいんだよな?」
「ああ。森人族とも呼ばれてる自然の住民だ」
「……そうか」
ラグナは一歩近づこうとしてセタンタに制される。いきなり何だと思ったが、セタンタの目つきが鋭くなっている様子を見て、周囲の気配を探る。自分達を囲むような敵意と殺気を感じて、再び背の剣に手を伸ばす。
「……これも、エルフか?」
「大正解。奴らの弓矢は百発百中──しかもご丁寧に囲い込んでくれてるぜ」
「笑み浮かべて言う台詞じゃないだろ、それ……どうする?」
「暫く待つ、そうすりゃ平気さ」
「本当かよ……」
言い返しながら、ラグナは、いつでも剣を抜けるように構える。
二人を囲む敵意と殺意が徐々に濃度を増して行く。いつ何処からヤが飛んできてもおかしくない。
「待ってください、我が同胞よ。彼らは敵ではありません」
そんな中でエルフの女性が声を張り上げた。
「頭喰蝗に襲われていた私たちを助けてくれたのは、この者達です。弓を収めてください」
……
…………
………………
「……殺気が消えてく?」
「な? だから言ったろう?」
向けられてきた殺気達が消えていく。セタンタがやけに自慢気味な表情をするのに、ラグナは、『何か腹立つ』と思いながら、剣から手を離す。
殺気が消えた代わりに四方から姿を見せたのはエルフの男女達──やはり、全員がラグナと姿形が大差なく、即頭部から生えた耳が長く鋭い程度だ。
助けを求めたエルフの女性は、少女と共に仲間の女達の手を借りて立ち上がる。一方でラグナ達に対しては、リーダー格らしき戦士然とした男が前に出て口を開く。
「我らの同胞を助けていただき感謝する。加えて、事情を知らずに無礼を働いた事を謝罪する」
「……」
「え? おい」
ラグナはセタンタの背後に隠れ、無言になる。
セタンタは、ラグナを見下ろすが、自分を盾にして微動だにせず、黙り込んでしまった弟弟子の様子に、やれやれと溜め息を吐く。仕方ないと、セタンタはエルフの男に申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「ああぁ。まあ気にするな。あんた達は義理堅い種族ってのは、知ってるさ」
「平原の獣人族──それに、隠れているのは、人間種の子か」
「俺の弟弟子だ。まさか、殺そうなんてしねえよな?」
「……いや、同胞を助けた恩人に手を出しはしない。それが例え、人間であっても……な」
「そうかい。なら安心だ」
セタンタは、肩を竦めながら苦笑いする──一方で、ラグナは自身に向けられた僅かな敵意を見逃さず、さらに深くセタンタの背中に隠れる。
「見たところ、【宛無し】か……我らは恩には恩で返す。良ければ、我が故郷にて旅の疲れを癒したらどうだ?」
「セタンタ、宛無しって?」
「訳ありで種族から離れて行動してる奴らの事さ……正直、あまり意味では使われない」
「…………」
ラグナは、言葉を発する事はせずにセタンタを見上げた。ただ、言葉には出す事無くセタンタに訴えかける『断れ』と──。ラグナへと視線を落としたセタンタはその意図を汲んだのか、葉を見せて笑ってから、エルフの男へと再び顔を向ける。
「ああ、願ったり叶ったりだ」
「ッッ!?」
『おい!』──睨みつける視線でラグナはセタンタを見上げる。しかし、今度は一瞥もされず、代わりに頭を手で押さえられてくしゃくしゃと乱暴になでられる。
「駄賃の換わりにそこに転がってるのは、あんたらに譲る……好きにして暮れや」
「……そうか、不要と思うのなら、喜んで我らでいただこう。里に帰るぞ!」
頭喰蝗の亡骸を運び始めるエルフの戦士達を横目に、ラグナとセタンタは、リーダーの男の後ろを着いていく形で彼らの里へと向かう。
セタンタの少し後ろを着いて歩くラグナは、後ろから兄弟子を恨めしそうに睨み続けた。
ヘッドイーター 別名【頭喰蝗】
雄は飛行能力に長けており、獲物を発達した前脚で攫い捕食する。
雌は地上戦に長けており、後ろ脚からの跳躍で一気に相手を襲いかかる。
見た目はバッタとコオロギを足して二で割って人間の子供位の大きさです。
名前については、【おしりかじり虫を危険な生き物にしてみたら?】と考えて思いつきました。




