22話:人外魔境 その1
魔物達は、人間の地方側から見れば、奥に進む程に強くなっていく。これは、食物連鎖にも関係している。長らく自然の中で生きる魔物達は知性の優劣に差はあるものの、『自分達がどうすれば生きながらえるか』という理性・本能に沿ったこの一点においては十分な理解をしていた。
そんな彼らにとって、最も未知な生態系を誇るのが、『人』と言う存在だ。
魔物達から見れば、人とは『群れで行動し、巣の中で繁殖する惰弱な生き物』と言う弱者の部類に位置づいていた。
だが実際の人は、他の生物が重きを置かなかった武器を持っていた。武器を作る、壁を作る、罠を仕掛ける、作戦を練る。魔物達の中には群れと言う集団で狩りを行う魔物達も居るが、それにも限界はある。人の場合はその点は、その何倍も優れている。それは、人が持つ形のない強みだった。だが、それ故に、人という種には、己が強いと錯覚するものも居る。
人は弱いのに手強くて、自分達の縄張りに土足で入ってきて挑んでくる存在。食う・寝る・繁殖すると言う生物の本質に沿って生きる魔物達から見て人という存在は──
【食物連鎖の序列を無視して戦いを挑んでくる。返り討ちにしても、腹を満たすのには、個々が小さすぎるし、他の固体が復讐にやって大挙してやって来る、相手にしても割に合わない生き物】と言う見解だ。
だから、強力な魔物は『わけの分からない生き物』と、それらが暮らす領域をなによりも嫌った。そんな生き物を相手するよりも、強さとそれに見合った体格を誇る獲物を屠り、食べた方が割に合う。だから強い魔物達は、奥地に鳴りを潜める事にして、代わりにその強い魔物よりも比較的に弱い魔物が人の住居の近くに住処を追われ、さらに弱い生き物が人の縄張りの近くに縄張りを築く他なくなる。
そして、比較的に弱い魔物達が食料を求めて人間の住処に入り込み、その過程で魔物と人間の殺し合いに発展する。魔境を始めとした全地域に存在する、魔物の生息の分布図──人間と魔物の関係だ。
魔物達の生息域の中でも最大の魔境の森の一角で、ラグナとセタンタは野宿の準備に取り掛かっていた。
「戻ったよ」
「おう……あったか?」
「なるべく選んできたけど、これでいいのか?」
「どれどれ?」
一人用の寝床を組み立てていたセタンタの元に、ラグナが木の枝を拾って戻って来る。
セタンタは、受け取った枝の状態を一つ一つ確認するのに対して、ラグナはセタンタが組み立てているものを一瞥する。
「言われたとおり、乾いた枝を選んできたけど、枝なら何でも良いんじゃないのか?」
「いいや。湿気ったやつは、火が付き難いから苦労するんだ。いきなり爆ぜたりと危険も多いからな」
「成る程。セタンタが建ててるのはなんだい?」
「獣人種達が使う建物だ。木製の柱で支えて、革の壁で周囲を遮断するから……まあ、布団に包まれば寒くはねえぞ」
セタンタは小石で作った囲いの隣に枝を大きさで分けて置きながら、セタンタは答える。
「北方地域にある魔境の夜は、毛布に包まっても寒いからな。お前も凍え死にはしたくないだろ?」
にやりと笑いながら、セタンタが取り出すのは木の実の様な物体だった。
「それは……何だ?」
「クロマツの実だ。こうして開いてるのは、乾燥しきってるから着火材になるんだ」
「……火を起こして魔物達が寄って来る事はあるのか?」
「無くは無い。基本的に、魔物は、割に合わない事はしないからな……それでも、例外は起きる時はある。俺の時みたいにな……」
「……」
最後に寂しげな声音で言い足したセタンタの言葉に、ラグナは言葉を返せなかった。自分が産まれるよりもずっと昔に、セタンタの部族は魔物達の襲撃で、彼だけを残して全滅したと彼の口から聞いている。掛ける声が見つけられなかった。
そんな、ラグナの様子を知ってか知らずかセタンタは、今度は棒の先端を木の板に当てて両手でこすり始める。
「それは、何をやってるんだ」
「火種を起こしてるんだ。こうする事で、小さな火種を生み出してから、クロマツの実に移すんだ」
「ふぅ~ん……………………」
興味深い事にラグナは、セタンタの行動を観察する。
だが、暫く見ていてもセタンタの手元に火種が起こる様子は無い。セタンタの表情も、何処と無く険しくなっていく。ラグナは、手をクロマツの塊に翳すと小さな火球を生み出してぶつける。小さな火球がクロマツの実に燃え移り、炎となるラグナ達を暖めた。
「おまっ……俺が火を起こしてるんだからもうちょっと待てよ」
「いや、それ時間掛かるし……魔法のほうが早いだろうから」
「なら、始めから使えよ」
「そういう方法で炎を生み出すって言うのが、興味深かったから暫く見てただけだよ」
「だから……ああまあ良いや。お前はそういう奴だったな」
初めて目にする物事に対しては、まず最初に観察から始める弟分の性分を知っている。セタンタは、それ以上の文句を言うことはせず、頭を掻いて溜め息を吐く。火起こしの道具を放り投げて、炎の中に小さな枝から放り投げていく。そうしていく内に炎は勢いを増して黒い煙を立ち昇らせる。煙が立ったのを見届けてから、セタンタは火に土を掛けて消してしまう。
「何で消したんだ?」
「あくまでもこれは分かりやすい目印だ。炎よりも煙を上げるのが目的だったからな」
「成る程、この煙は目印なんだな」
「そういうことだ」
立ち昇る煙は見通しの悪い森の中でも目立つ。見失っても煙の臭いはセタンタの鼻で概ね分かる事を理解して、ラグナは納得の表情を浮かべる。
「ラグナ。自然の中で、炎を野ざらしにするのは最大の禁忌だ……もしもその火が何処かに燃え移ったら、あっという間にそこは火の海になる。覚えて置けよ?」
「分かった気をつけるよ」
「良し、んじゃあ、気を取り直して狩りに行くか。こういう時は、やっぱ肉だろ。森の中なら魔猪もそうだし、角兎も居るからな」
「角兎?」
「魔物の種類さ。頭から一本の角を生やした奴だが……小さくてすばしっこい上に、肉食で凶暴な奴だ。群れで動いてたら、大人の魔猪でも一匹殺すくらいだからな」
「魔猪を、ねえ……あの、魔王蟲だっけ? あれは食べられるの?」
「お前、マジで言ってるのかよ」
「食べられないの?」
「幾らなんでもあれを食おうと思う奴はいねえよ。考えても見ろよラグナ」
セタンタは改めて魔王蟲についてラグナに教える。
大きく長い黒紫の甲殻に覆われた体──無数の槍のように鋭い黄色い脚。赤い頭の先端には、大きな顎と触覚が伸びて迫ってくる。あの異様な姿を想像するラグナは──
「もう一度聴くぞ……あれを食いたいか?」
「…………いや、止めとく」
神妙な顔つきで、再度問いかけたセタンタの言葉に、首を横に振りながら答えた。
そのまま、獲物を求めて森の中を散策する。道中でセタンタは、自生している香草や薬草をラグナに教えては採集していく。ラグナは、その様子を見て時節、周囲の様子を観察しながらセタンタの後ろを着いて歩く。
ラグナは最初──この森そのものは、クリード島のものとは大差ないと感じていたが、よくよく観察していると、森の違いが分かってくる。
ラグナの目から見て、魔境に自生している樹木は、クリード島の場所よりも深く、大きなものが多いと判断した。
嗅覚では、この場所が湿り気が強いのを感じた。巨木の枝達が太陽を遮断しているせいだ。セタンタが見つけた場所はそんな森の中でも数少ない日差しがあたる場所であった事を思い出す。
「何か面白いものでもあったか?」
「そうだな……強いて言うなら、こうして新しいもの全てを感じるのが面白いかな」
「それなら良いが、気をつけろよ──ここは人が踏み入れた事のない場所だ。どこから魔物が襲って来るかはわからねえ。茂みの中、木の上、木の中、或いは土の下から襲い掛かってくる事だってある」
「……森の中に亜人は住んでいるのか?」
「ああ。エルフって言う種族だ……だが、こっちから何かしなければ、襲ってくる事はねえから安心しろ」
「そうか…………分かった」
「…………?」
セタンタは違和感に抱いた。今までのラグナだったなら、エルフ族に興味を抱いて、根掘り葉掘り聞いてくると思っていた。だが、そんな予想を裏切ってラグナは、それ以上言葉をつむぐ事はなかった。
しかし、そういう時もあるのかと、それ以上追求するのは止めてしまう。
「──待った」
前を歩くセタンタが足を止める。そのまま身を屈める様子を見たラグナは、彼に倣い身を低くしながら隣に並ぶ。セタンタが指差した前方には、五匹の魔物が居た。黄色の毛に覆われ、丸く長い耳を生やした小さな魔物。そして、その魔物の額には、槍の矛先のように鋭く真っ直ぐな角が生えており、赤い瞳がギラギラと輝いているのが見える。
「あれが、もしかしてさっき言っていた角兎か?」
「ああそうだ。獲物を見つけると複数で突っ込んで相手を突き殺すんだ。それからその肉を食うのが、あいつらの狩りの仕方だ」
「……魔猪みたいに弓矢があんまり効かない訳じゃないだろ?」
「まあな。角は鋭いが、身体は柔らかい。此処からなら十分仕留められる……やるぞ」
「分かった」
二人はそれぞれ弓矢と銃を構える。セタンタは、矢を番えて引き絞る。ラグナは、銃がぶれない様に構えながら。引き金に指を掛ける。両者はそれぞれ別々の獲物に狙いを定める。二人の視線の先では、角兎達が狙われている事に気付いていなかった──
そんな角兎の一体の首を、セタンタが放った矢が貫いた。突き刺さった矢は急所を貫いて、角兎の命を奪い取る。
残る四匹が、仲間の異変に気付く──そして、その四匹の内の一匹に向け、ラグナは引き金を引き、銃口から飛礫弾が放たれる。
刃のように鋭い形状の飛礫が、角兎の頭部に目掛け突き刺さる。硬い頭蓋を砕いて、脳に直撃を受けた角兎は即死だった。
残る三匹は、息絶えた二匹を置いて、奥へと逃走する。その内二匹が同じ方向へ、もう一匹は別方向へと逃げた。
一匹だけになった角兎の後ろ足を矢が射抜いた。足を損傷しながらも見えない敵から逃れようとする。直後に放たれた飛礫弾が頭を撃ち抜き、二匹同様に命を奪った
二匹は逃がしてしまったが、三匹を仕留めたラグナ達は、その場で立ち上がる。
「二連続で頭撃ちか……この距離からよく当てたな」
「まあね」
セタンタの賛辞に、ラグナは苦い笑みで返す。確かに、ラグナ自身の実力だったなら、彼はそれに対して素直に笑っただろう。だが、実際──ラグナ自身は、自分が少しズルをしていると認識していた。
【身体強化】の応用により生まれた強化魔法【感覚強化】と名付けられた新魔法だ。
体内の魔素により筋肉組織を活性化させる。皮膚そのものを硬化させると言う概念で構成された強化魔法について、ラグナは、それらを視覚や聴覚などに施せばどうなるかと言う発想に至っていた。
ラグナは、その応用方法についてスカハサに相談し、彼女の監修の元で研究を行った。感覚──基、神経は肉体と比較して、遥かに脆く繊細なものだ。加減を間違えれば、強化どころか逆に損傷を与えかねなかった。その危険性と向き合い、検証を積み重ねた末に、生み出すことに成功した。
感覚や意識そのものを強化することで出来るそれは、意識や五感の覚醒だった。
聴覚であれば、より遠くのものが聞こえる。嗅覚であればより匂いに敏感になる。そして、今回の視覚の強化の場合は、遠くのものがより鮮明に見える事だった。
ラグナは銃を構え、狙いを定めると同時に魔法を発動させ、一匹を仕留めた。そして、セタンタが仕損じた二匹目の際に、ラグナは、視覚に加えて意識そのものを覚醒させた。一時的な超集中状態になったラグナの視界は、あらゆるものの動きが、ゆっくりに見える。
そしてラグナは、セタンタが仕損じた三匹目の動きを読んで止めを刺したのだ。。
「まだ、実践向きではないんだよな……」
だが、問題点は多い。発想は良いと、スカハサは認めていた。しかし、根本的な問題として、神経と感覚は、非常に脆弱だ。付与の加減を間違えれば逆に損傷する危険上、別の魔法と併用して扱うのは、編み出したラグナ自身でも至難の業だ。
感覚強化の魔法は、確かに強力だが、それだけしか使えなくなる使いどころの難しい魔法だ。編み出した魔法は、問題点が多く、自分自身も完全に使いこなせていないこの力をラグナは誇ろうとは思わなかった。
「何か言ったか?」
「いいや、何でもないよ……」
ラグナが自嘲気味に笑いながら呟いた言葉は、セタンタの耳には届いていなかった。
その夜──兎の丸焼きを食べたラグナは、セタンタに促されてテントの中で眠りについていた。テントの中で小さく上下に動く毛布の塊の様子を見ながら、セタンタは火の番と寝ずの番をする。
炎を見ながらセタンタは、数日前の事を思い出す。ラグナが魔境へ行く事を決心した翌日の事を思い出す──セタンタは、スカハサに呼び出されラグナに内緒で、ある指示を受けた。指示を受けたセタンタ自身もスカハサの真意は測りかねていた。何故今になってラグナを彼に合わせようとするのか? そもそも、彼に合わせろというのなら何故、彼の住む近郊ではなく離れたこの場所へと繋げるなどと、こんな回りくどい事をするのかが分からなかった。
弱まって来た炎の中に薪を放り込む。炎を見つめるセタンタの視界の隅に、こちらの様子を窺う魔物の視線を見た。魔物の視線はセタンタではなく、その向かいで眠るラグナに向けられている。
「…………」
セタンタは傍らに置いた槍に手を添えながらその視線を見る。魔物の視線がセタンタに移る。魔物の目と、煌々と輝く金色の目が交差する。僅かな視線を交わした後、魔物は奥へと去って行った。それを見届けたセタンタの目から輝きが消える。元に戻った目は再び、炎へを見つめる。
「竜の所に連れて行け、か」
顔を上げ、北の方角を見る。
その遥か先にある山脈に住む魔物達の名は【竜種】。強さと知性を兼ね備えた大陸最強の生物。
曰く、その鱗は鋼を超える。
曰く、その翼の羽ばたきはあらゆる有像を吹き飛ばす。
曰く、その吐息は街一つを消し炭に変える。
栄誉と恐怖の象徴とされる、神代から存在する古の魔物。
「あんたの口から直接言えば良いだろうに……ったく師匠っていうも難儀なものだよな」
セタンタは乱暴に後頭部を掻きながら、自分たちの師が抱える窮屈さに同情のような、哀れみのような独り言を呟く。それを見守るように、空に浮かぶ三日月は、下界を見下ろしていた。
人外魔境の旅路はまだ始まったばかりだった。




