21話:新たなる旅立ち
『魔境に行ってみないか?』
スカハサからそんな提案をされてから二日程が経過した夜──ラグナは、自身のベットの上で寝そべる。
師に提案された言葉が、ラグナの頭の中で何度も再生される。
魔境──大陸部の北部一帯を占める。森林地帯から始まる巨大な魔物の生息領域の事だと、フェレグスから聞いた事がある。そして、セタンタの口からはそこが、彼の生まれ育った場所でもあるとも聞いた。。
単純な興味もある
自身をより高みにのし上げる良い機会になると思う
何か新しい発見があるかもしれないと期待もある
好奇心・向上心・探究心──ラグナの心中には、この三つが存在している。行ってみたい。これは嘘ではない。行きたい──と言うのも嘘ではない。
だが、何かがそれを押し止め、どうしても一歩が踏み込めない。その何かを、ラグナは理解できずに居た。
何が、自分の決定を鈍らせるのか? 何が答えに引っかかるのか……。ラグナ自身は、師匠の提案に対して、まず最初に、良い機会だと思った。
フェレグスからどんな場所か教わっている。未知の空間としてもそうだし、兄弟子の生まれ育った地だということに大いに興味が湧いていた。今まではそこに行く機会が無かったが、師匠の口から、そこに行ってみる気はあるかと問われた時──ラグナは、『はい』と答えかけ、その後に口を噤んでしまった。
『……まあ、直ぐに決めろとは言わない。ゆっくり考えろ』
スカハサの言葉で、ラグナは解放される。答えが分からなかったのではなく罫──答えようとして、答えられなかったそんなラグナの様子に気付いたのか、気付かなかったのかは、ラグナ本人に図れることではない。ただ、与えられた時間を有意義に使おうと考え続けた。
(師匠の提案は悪い事ではない……むしろ、良い提案の筈なのに)
自分は首を縦に振る事ができずにいる。どうしてだ? 考えても考えても、彼の頭の中は円を描く様に同じ所に行き着いて抜け出す事ができない。
何故、自分はあの時答えを直ぐに出せなかったのか──そして、今も出かけている答えを塞き止める何かの正体が分からない事に、ラグナは、うめき声を上げながら頭を抱える。それでも、考えはまとまらず、今度はベッドの上で転がりまわった。
「おいおい、なに獣みたいなうめき声出してるんだよ、うるせえなぁ……」
扉の向こうから聞こえて来た声に、ラグナはすぐさま飛び起きる。扉を開けて入って来た兄弟子は、ベッドの上で、正座をしている弟弟子に対して呆れた視線を送る。
「セタンタ!? 何で……」
「どうもこうもねえだろ……お前は何時から怪物になったんだ?」
「別に、怪物になった覚えはない。ただ、考え事と言うか、悩み事と言うか……」
「何だよ、それならこの兄弟子が聞いてやろうじゃねえか」
「……それが、俺にもわからないんだよ」
「ハア? 何だそりゃ、分からねえのに悩み事って……」
「そういう反応だよなぁ……」
訳が分からんと言うセタンタの反応を見て、ラグナは当然だと思いながら、事の成り行きを話した。セタンタは、それを黙って聞き──聞き終えてから、難しい表情をする。
「成る程な……確かに、それはお前個人の問題だから難しいな」
「俺自身でも、何故、『行きたい』って言えなかったのか分からないんだ……」
「そうさなぁ……まあ、言えるのはあんまり多くねえが、俺は聞いてお前のそれは、悩みとはちょっと違うって感じたな」
「……どういうこと?」
腕を組みながら、難しい表情をするセタンタから発せられた言葉に、ラグナは眉をひそめる。
「いやな、悩みとか考えってのは──結局、答えを出すってのが前提なんだ。だが、お前の場合は、既に頭の中は結論も答えも出てるんだろ?」
「ああ、まあ、そうだな……」
「なら、それは悩みじゃねえな。ハッキリ言えば、お前の中の【何か】があって、お前はその正体を、見つけようとしているんだと俺は思うぜ?」
「……それは、悩みとかにならないのか?」
「違うな。確かに似ているが……絶対に違う」
断言されたラグナは、潜めていた眉をさらに深める。
「なら、俺はどうすればいい?」
「それは…………うん、こればっかりは、自分自身でどうにかしないと分からんな。つーか、そもそも本人の心の持ちようだから、他人じゃ難しいな」
「セタンタは他人じゃないだろ?」
「……ハハハッ、ありがとな」
沈黙して、セタンタは笑った。心の中で『そういう意味で言ったつもりは無いがな。』と思う一方で、セタンタは弟弟子の言った言葉が、純粋にうれしいものだった。
しかし、直ぐに真面目な表情へと戻りラグナを見る。
「心当たりはあるのかよ?」
「自分で分かってたら苦労なんてしないだろ?」
「そりゃ、確かにそうだ」
二人は仲良く腕を組んで考える。暫く考えて──セタンタが先に組んでいた腕を解いた。
「なあ、ラグナ。お前自身は、行きたいって事で良いんだよな?」
「ああ。そうしたいって俺は思ってるよ」
「なら、分からない事に時間を割くのは一旦止めて、お前がやりたい事にとりあえず『はい』って言えば良いんじゃねえか?」
「……それで良いのかな?」
「良くはないだろうな。だが、お前のそういう真面目な部分は悪い事じゃない。だが、それにばかり時間割くのは無駄だと、俺は思うぞ?」
セタンタの言葉を受けたラグナは一度視線を彼から外して考える。やがて、晴れた表情で再び彼に笑いかけて見せた。
「それもそうだな。そう割り切れば、何だか喉に詰まってたものが取れた気がするよ」
「良かったじゃねえか。まあ、俺みたいに考えなしなのは悪い部分だろうけどな」
「それを自分で言うのかよ」
笑いながら自虐するセタンタの言葉に、ラグナは苦笑いで言葉を返す──そして、セタンタの笑いに釣られる様にラグナも笑い始めるのだった。
きっと時間が解決也、切っ掛けを与えてくれるとラグナは割り切る事にして、翌日──ラグナは、スカハサの提案に対して返事を答えた。
それから数日後──カーテン越しに、朝の日差しが差す中でラグナは、自室で旅支度をしていた。
革鎧を着込み、その上に旅装束を羽織る。背中にはセタンタから譲られた剣を差し、腰には背の剣を手放した時に備えて二振りの短剣に加えて、銃を背中に差した。
「…………」
準備を終えたラグナは、最後にまたしばらくは帰る事が無いだろう自室を一瞥し、扉を後にした。
スカハサ自身も、まさかここまであっさりと、行きたいと答えるラグナの姿には、戸惑っただろう。
だが、本人が行きたいと言うのなら、好都合ともいえた……日程を決め、それまでの間もラグナは、武器の手入れなどの旅支度をしながら、普段の鍛錬尽くしの日常を重ねてきた。
「お?」
「え……?」
廊下で部屋から出てきたセタンタと会う。魔猪の黒い毛皮で作られた鎧に、剣と槍を差していた。
「……へえ、中々様になってるな」
「セタンタ──その格好は、森に行くのか?」
ラグナの姿を一瞥し、セタンタはにやりと笑う。それに対して、ラグナは怪訝な表情を浮かべて彼に尋ねる。それに対してセタンタは、思い出したような表情を浮かべた。
「ああ、言ってなかったな。今回の魔境には俺が同行する話になったのさ」
「……それは、セタンタが俺の部屋に来たときにはもう決まってたのか?」
「……」
ジト目で尋ねるラグナの視線に、セタンタは、顔を逸らしてピューピューと口笛を吹いてみせる。そんな兄弟子の姿に、あきれたような溜め息を吐いて──そして笑みを浮かべた。そして、ラグナはセタンタの横に並び立つ。
「んじゃあ、行くか」
「ああ!」
二人は廊下を進み、玄関を出る。そこにはスカハサとフェレグスが待っていた。フェレグスは二人に気付くと一礼し、スカハサは笑みを浮かべる。
「来たな」
「師匠、お待たせしました」
「うむ。よく似合っているぞ。ラグナ」
「ありがとうございます」
スカハサからの賛辞に、ラグナは礼を言う。一方でセタンタは、自分も褒めて欲しいように服を見せる。
「おぉい師匠、俺も良いだろ?」
「はいはい、お前も似合っている似合っている」
「扱い雑ッ?!」
ショックを受けたような反応を示すセタンタだが、スカハサとフェレグスはスルーする。ガクリと肩を落とすセタンタだが、ラグナだけはその背中を叩いて励ます。
「大丈夫だ。俺もセタンタの格好は、良いと思うよ。何時も通り」
「素直な弟弟子の言葉が嬉しいぜ」
「いい歳の男が見苦しい事をするな」
そんな弟子の始終に、スカハサは呆れた様子で肩を竦める。そんな光景を一歩はなれた位置から眺めていたフェレグスは、小さく──しかし、珍しく声を出して笑った。
耳ざとくそれに気付いたスカハサは、視線を後ろに控えているフェレグスに向ける。
「珍しい事もあったものだな。お前が本心から感情を出すなど」
「申し訳ありません。ただ、かつてと比べて懐かしくも思いまして──」
「セタンタの時もそうですが、ラグナ様も加わったこの場所が、とても暖かい場所だと思いまして──」
「ふっ、そうか……そうだな」
そんなフェレグスの言葉に彼女は、納得して同調しながら懐かしむような視線を。自身の教え子である二人に向ける。だが、その目には僅かな哀愁が宿っていた。
「さて、何時までもそんな茶番をやっているつもりだ?」
やがてその感情を吹き消すように手を叩いたスカハサは二人に注目させる。茶番といわれて、肩を竦めるセタンタと苦笑いを浮かべるラグナは、彼女の前に並び立つ。
「ラグナ、先に言っておくが、魔境にはこの島に暮らしている魔物よりも強く凶暴なものが多数生息している。十分に注意しろよ」
「はい、分かりました」
「セタンタ、お前もだ。ラグナのこともお前がしっかりと見ろよ」
「分かってるって……あっちについても、任せてくれよ」
「……あっち?」
「ああ、気にすんな、こっちの話だから──」
聞きなれない言葉にラグナは反応を示すが、セタンタ達には、はぐらかされてしまう。釈然としない雰囲気を醸し出しながらも、ラグナはそれ以上は詮索をしないことにした。
そして、準備を終えた二人に対して、スカハサはかつてと同じ異門を生み出す。違うのは、その行き先だけだった。
先にセタンタが中へと入っていく。次にラグナが入ろうとするが──直前で足が止まってしまう。
「ッ……?」
本人も無意識に止まってしまったのだろうか、自身の足を見下ろす。足は僅かにだが、小刻みに震えていた。足だけではない。手の平もかすかに震えている。
そして、突如──ラグナの脳裏に、時間をかけて忘れさせた筈の、かつて経験した忌まわしい記憶が蘇る。
「ラグナ? 大丈夫か?」
スカハサもそれに気付いたようでラグナに問いかける。頭によぎった嫌な記憶を、思い切り首を振る事で振り払ったラグナはスカハサに向き直り笑顔を見せる。
「大丈夫ですよ。【直ぐ】に戻ってきますので、待っていてください」
そう言いながら笑うラグナは、振るえる足を無理やり前に踏み出してセタンタの後を追うように異門の中へと飛び込んだ。
異門をくぐると森のど真ん中だった。一見すればそこは──クリード島の森の中と大差ないような場所とも、ラグナには感じ取れた。ラグナは背後を確認する。異門は既に小さなものになっていて、やがて消えてしまった。
「ここが、魔境?」
「ああ──その筈だぜ?」
槍ではなく腰の剣に手を掛けながらセタンタはラグナの疑問に答える。ラグナも背の剣に手を掛けて周囲を警戒する。魔物達は何時・何処から襲い掛かってくるか分からない。 やがて、辺りに魔物の気配がない事を確認すると──警戒を解いたセタンタが改めてラグナと向き合う。
「どっちにしろ、当分の間はサバイバル生活になる。その点は留意しろよ?」
「分かってるさ……」
荷物の中には、魔猪の肉で作った干し肉などの保存食もあるが、そればかりでは生きていく事はできないので、狩りをしなくてはいけないという確認だったが、ラグナ自身もそれは理解している。
「後はそうだな……睡眠は重要だが、寝ずの番は二人じゃきつい。だから、時間おきになるから覚悟して──」
言いかけたその瞬間、近くの空で木に止まっていただろう鳥たちが一斉に羽ばたいた。それに反応して、何かが近くにいる。空かさず二人は武器を抜き放ち構える。
やがて茂みを吹き飛ばしながら現れたのは黒毛の魔物──クリード島にも生息している魔猪だった
ラグナは直ぐに臨戦態勢に入る。仕留めれば今日の飯にもなるからだ。
「待て!」
だが、それをセタンタが手で制する。
「何で──ッ!」
抗議しようとラグナだが、現れた魔猪は自分達を素通りして走っていく。
「え?」
ラグナは困惑した。魔猪は雑食の凶暴な魔物。それがラグナが魔猪に対して抱く評価だ。だが、その魔猪が自分達にも目も暮れずにまるで何かから逃げるように自分達を無視して横を走り抜ける姿など、予想外の光景だった。
一体なぜ? そう疑問に思った矢先、魔猪が現れた方角から別の何かが飛び出した。それは、先を逃げる魔猪に目掛けて飛び掛った。それは、魔猪の背中に喰らいつくと、強引にそれを引き倒して身動きを封じる。そのまま長いからだで巨躯に巻き付くと、無数にある槍のように鋭い足を何本も魔猪の肉体に突き刺した。魔猪は、悲鳴を上げるが動きを完全に止めてしまっている。そしてそれは、喰らいついた場所から咀嚼を始める。
肉を食いちぎる音と体液の飛び散る音が、ラグナの耳に入り嫌悪感を抱かせる。
「セタンタ、あれは、何?」
「あれは【魔王蟲】だ。この魔境の森に生息してる肉食系魔物の一種類で、普段はもっとじめじめしたところに隠れてる。だが、腹が減ると、ああやって活発に動いて他の魔物を襲って食うのさ」
黒紫色の殻の様なものに覆われたその魔物は、自分と同等の大きさの魔猪を長い身体で完全に覆い隠してその肉をむさぼっている。
「だが、あれでもまだ、成長途中の代物だから笑えねえな」
「……仕留めるのか?」
「いいや、食ってるうちは害を加えない限りは何もしてこない。今の内に離れるぞ。」
「分かった」
不気味な塊に背を向けてセタンタと共にその場所から離れる。
セタンタの後ろを着いて歩くラグナの口元が小さく釣り上がる。突然訪れた驚愕もあったが、新しい道との遭遇した好奇、そして強い魔物がいるという結論は、ラグナに大きな期待を抱かせる。
ここでなら、もっと俺は強くなれる。島の魔物に対して少し不足を感じていた彼には、この環境は渡りに船だった。自分の中の突っかかりの正体はさておき、ここで多くに挑み学ぼうとラグナは自身の決意を改めた。




