19話:飛翔への探求
草木も眠る真夜中の中で、魔道具が灯す仄かな輝きが、難しい表情をする二人を照らす。
「で? 師匠は、どうする気だ?」
「そうさなぁ……このままでは、よくないと言うのは、分かっている」
弟子であるセタンタの言葉に、師であるスカハサは、腕を組みながら重い声を出す。昨今の師弟の間にある話題は、もう一人の弟子の事で占めていた。
「……お前の目からはどう見る、セタンタ?」
「そりゃ、自慢の弟分だぜ。良く笑うようになったし、腕もめきめき上げてやがる」
「本当に、それだけか?」
「それだけなりゃ良いんだけどな……」
スカハサの追求に対して、セタンタは肩を竦めて息を吐くと、困った表情をする。
「ハッキリ言いますがね、師匠──ラグナの奴は今、【強すぎる】ってのが、俺の見解だ」
「何故、そう思う?」
「こりゃ、俺の考えだから、鵜呑みにはしないで欲しいんですが、まず、あいつは努力をしすぎたって思います。二年前を機に、それがより顕著になったな、っと……」
武器の扱い、戦い方──セタンタは、武芸の師として、ラグナに様々な事を身体に直接叩き込んだ。自身が、ラグナ程の年齢の頃、環境は違ったが、彼と同じく、年長者、或いは、野生の魔物を相手に己の腕を磨いてきた。
だが、ラグナの場合は違う──一時は、壁にぶつかって腐っていた時期はあったが、元来、努力を積み重ねる性質に変化は無かった。そして、壁を乗り越えると、その勢いは、炎に油を注いだ様に増した。そして、その結果の一部が、昼間のあの出来事だ……少なくとも、十歳のラグナが、成獣手前といえども魔猪を、仕留めるとは、彼は思っていなかった。
「多分、今のラグナなら、魔猪如き、相手になりませんぜ?」
「そうか……魔法に関しても、大よそ似たようなものだ。身体を鍛えるか、頭を鍛えるか、そんな程度の違いしかない。」
唸るような声を、挙げて、二人は目を瞑る。無論、二人はラグナを批判するつもりは無い。弟子としても、弟分としても、彼の事は大事だし、努力家としての一面は、褒める部分だと理解している。
だが、ラグナの場合は、それが異常なのだ。普通なら音を上げるだろう程の鍛錬を、強制ではなく、自主的にやっている。その理由を二人は理解している。確固たる目標を抱いている。その為にラグナは、貪欲なまでに知識と強さを求めて、それを手にするべく行動している。だが、そのせいで、二人は、目標達成に努力するラグナに、無理と言って止めることは出来ない。ラグナを傷つける手段など、論外だった。
「また、見当違いな場所にぶつかるのは……正直、見てられねえよ」
「それは無いとは、思いたいが……わしは、全知全能ではない。ラグナの心の底までは読めぬ」
「じゃ、どうするんですか、師匠?」
「…………もう暫く、様子を見る」
セタンタの問いに、長い溜め息を吐いてスカハサは、ラグナの様子を見るという答えを搾り出す。セタンタも、師匠の答えに難しい表情を作りながら、反論をする事はなかった。
*********
翌日、二人の密会を知らないラグナは、一人海辺を歩いていた。潮風の匂いと波の音を聞きながら、身体をほぐす。潮風のにおいと波の音を間近で聞く──それが、ラグナが最近見つけた癒しとなっていた。だが、ラグナは、心を和ませる為にわざわざ、魔物の生息する森を抜けてここに来たつもりは無かった。ラグナは、ここに魔法の練習をするために来ているのだ。
長らく、師匠であるスカハサから魔法を学び、己自身でも基礎である四つの属性の自主練習に励んだラグナ──魔物を相手に戦う事も踏まえて、自分自身にそれなりの実力が身に付いたと自負していた。
基礎を極めたのなら、次は応用を──上位に位置する魔法の練習に加えて、自分で試してみたいと感じた原理を魔法として実現できるかによる実験。広くて、見晴らしが良い場所を探した結果、ラグナは、この砂浜と言う格好の練習場を見つけたのだ。
「さてっと……」
準備運動を終えてから、ラグナは、次に四つの属性を、順次に海に向かって放つ。それを繰り返して、自分の体がほぐれたのを確認し、いよいよ本番に取り掛かる。
今、ラグナが研鑽する魔法は──空中浮遊の魔法だった。外界と隔離されているが、この島内にも、鳥類に分類される生き物は、存在する。翼と呼ばれる部位を羽ばたかせ、遥か空の上を漂うその生き物達は、ラグナにとって興味深い生き物だった。
その生き物が何故、空を飛べるのか? 魔法を使えば、自身も空を飛ぶことができるのか? なら、どうすれば、それは実現が出来るのか? 書斎の本を漁り、小物を使って実践してみる。魔法の研究において、彼が今までやってきたことと変わりない方法を取り続けた。そして、今日のラグナは、それをいよいよ自分自身の体を使った実演の為にここまで来ていた。
一度、深呼吸して気持ちを整える。落ち着いて、魔法を行使する。魔法の発生点は手足の先──計四箇所。下方に目掛けて、発生した強風が砂を巻き上げる。発生した砂煙から徐々にラグナの身体が浮かび上がる。
「ッ…………」
足場の無い不安定さにバランスを崩しかけ、それを手から発生する風で修正する。実際に自分の体を使ってやるのとでは、簡単には行かないと、ラグナ自身は、覚悟はしていたが……それでも、すぐに体感のバランスを保てているのは、長らくセタンタによって、鍛えこまれた反射神経のおかげだ。無闇に足を動かさずに、やや斜めになった身体を、ラグナは手の風を使って、直立まで持っていこうと、試みる。
だが、思うように出来ない……。今まで感じた事はない、浮遊感と呼ぶ新しい体感がラグナを襲う。脚は地面についておらず、だが、それと共に、その感覚はラグナにとって、なれるのに時間の掛かるものだった。それは、当然だろう……彼は、人間だ。人間は、空を飛ぶように身体を作っては居ない。魔法という超常の力を宿すとは言え、彼のように、ここまで真摯に【空を飛ぶ】と言う事に、力を入れた人間は、歴史の中には、存在しなかった。
思うように体勢を保てない事と、慣れない浮遊感に苦しい表情をしながら、神経を研ぎ澄ませる。そして漸く、ラグナの身体は、地面に対して垂直になる。
そこで、漸くラグナは一息ついた。しかし、すぐにラグナは再び顔を引き締める。彼が目指しているのは、空を飛ぶ事だ。今の自身の状態は飛ぶのではなく、浮いているというのが正しいとラグナは自分の現状を客観視していた。
次は、ここから空を目指す──青空を見上げると、海鳥が優雅に飛んでいるのをラグナは捉えた。
あそこまで行ってみよう──発起したラグナが、自身を支える風の威力を押し上げた。次の瞬間、爆風が巻き起こり土煙が舞う。その中から、ラグナの身体が風に押し上げられて上空彼方へと飛び上がる。
ラグナは、声に出さずに歓喜する。自分の原理は正しかった証明と、空を飛ぶという未知の感覚が、何にも勝る喜びとしてラグナの心中を支配した。
上空向けて放たれた矢の様に飛び上がり、青空を優雅に泳ぐ海鳥を目指すラグナ。そして、手を伸ばそうと思った瞬間、ラグナは徐々に、高度の上昇がゆるくなっていくのを感じた。
「何だ……?」
その違和感は、その僅かな時間の後に顕著になり、そして、海鳥を捉えていた自分の視線が、海鳥から外れて蒼い海に向けられた瞬間、ラグナは確信する。自分の高度が、下がっている事を──。
「まずいッ!」
風の勢いも乗じて、凄まじい落下速度になる、このまま海面にぶつかれば、自分もただではすまない──そう判断したラグナは、海面への激突を防ぐべく、両の手を前に翳し、風を発生させる。それで、減速としようとするが、勢いは殺し切れない。
「くっそッッ!」
どうあっても、激突はまぬがれない──落下の衝撃に備えてラグナは、全身に身体強化を施す。それから間もなく、青い海にやや大きな水柱が上がる。水柱が雫となって海面に波紋を産み出す。そして、海の中から、大の字になったラグナが、浮かび上がった。外傷が無いのは、彼が使った身体強化のおかげだ。
「……失敗か、フェレグスに怒られるな、これは…………」
海面に浮かぶラグナは、青い空を見上げながらそう愚痴る。そんなラグナに対して、海鳥は、慰めなのか、それとも嘲りなのか、鳴き声を挙げた。
魔法を使い、岸に上がったラグナは、水を吸って重くなったローブを、さっさと脱ぎ捨てる。必然的に、ラグナの上半身がさらけ出された。
細く、しなやかで強靭な筋肉が付いた二の腕。浮かび上がった胸筋と、その下にある綺麗に八つに割れた腹筋とがっちりと付いた背筋が姿を見せる。それらは、普段は服の下に隠れているせいで肌は白いが、厳しい鍛錬の日々を物語る様に、数え切れないほどの傷跡が、彼の肉体に刻まれている。
十歳という年齢は、幼いといえば、まだ幼いといえる。だが、その肉体は、既に歴戦の戦士として完成されていた。
そんな戦士の肉体とは裏腹に、ラグナは冷静に、今回の失敗について振り返る。何故、意図せずに高度が下がってしまったのか? 空を浮かぶまでは成功したのだから、そこから失敗に至る経緯を考えたラグナは、思考を続けて、答えに行き着いた。
まず、ラグナが今回の魔法に使った魔法は風属性魔法の応用【噴流】だった。
魔法としての一般的な使い方は、強烈な突風を発生させる事により、その推進力を利用して。物体を凄まじい速度で、遠方に飛ばし攻撃するという魔法だ。しかし、この魔法を使うよりも、直接、矢を引き絞って放つ方が、手間が早いという点から、この魔法は、大して注目はされなかった。
だが、ラグナはこれが、自分の定めた目標である空中飛行において、効率的なものだと着眼したのだった。四肢の先端から下方に向けて、噴流を発生させる。足から発生する噴流で空中に浮かびあがり、手の噴流は空中でのバランス調整を主体にする。初の試みと試行錯誤の末に、ラグナは、宙に浮かぶ、までは出来た。
なら、何故失敗した? 答えは単純だった。噴流の方向だ。足先だけでは、上空高くには飛べない。だからこそラグナは、手の噴流を合わせた計四つの魔法の同時行使で、それを可能まで引っ張ったのだ。だが、ラグナは、人間であって、鳥ではない。小鳥の様に身体が軽い訳ではなく、腕は翼ではない。羽ばたいて飛ぶことは出来ないし、海鳥や大型の鳥の様に、腕を広げて、気流を掴み、滑降するなどと言う事など出来ない。
さらにラグナは、今回の飛行において、身体を直線状にした。勢いを使って飛び上ったまでは良い。それは、まさしく矢のような勢いだった。だが、噴流の発生源は、手足を下側に向けていた為、下半身の方に全て回っていた。幾ら勢いがあっても、上半身側を支える者が、無かったのだ。
その結果、ラグナが気付かない内に、上半身の重点は、重力の法則に則って、下側に向き、さながらそれは、投げ槍・放たれた矢の様に、ラグナは、曲線を描いて落下したのだ。
この自分のやり方では、垂直にしか空を飛ぶことが出来ないという結論まで、至る事はできる。
ならば、どうするか? 手の位置を変えてみるとラグナは考えた、飛行中は足からの風で移動し、腕からの風で身体を支える。しかし、それぞれの威力が増大させなければならない。或いは、噴流の数を増やさなければいけない。だが、それではあまりにも、燃費が悪いという結論に至り、却下する。
「……となると、これは失敗か」
落胆の溜め息を吐くものの、ラグナはすぐに気持ちを改める。元々、そう簡単に目標を実現できるなどと、ラグナ自身は考えてすら居なかった。失敗と挫折、研鑽と特訓を繰り返す事で改善点・修正点・問題点を見つけて、それを一つずつ潰していく。時には、一から考え直す必要だって出てくる時もある。ラグナは、その経験を味わっているし、一々それを味わうたびに、落ち込む様なその程度の脆弱な精神の持ち主ではない。
失敗は、それはそれで糧になる事を、彼は知っている。それに、これはこれで、空を飛ぶという概念としては間違ってはいない。
この方法での、飛び方の課題は一つ、高度の維持と、着地の仕方だ……一々着地のたびに地面に突っ込む自分の姿を想像して、ラグナは苦笑いする。
脱ぎ捨てた、服を拾い上げると、砂が水気を吸ってくっ付いている。水魔法で、大気から生み出した清水を操る事で、服と自分の体を洗う。最後に、風魔法を発生させて、乾かしてから、ラグナは大の字に寝転がる。目を閉じたラグナの耳に、静かな波の音が、子守唄のように耳に入る。複数の魔法を連続で使用したラグナは、かなりの体力を消費していた。そして、睡魔と言う目に見えない魔物に抗う事も出来ず、彼は瞼を閉じる。
遥か上空を泳ぐように飛び続ける海鳥が、もう一度だけ鳴いたのを耳にし、ラグナは静かにうたた寝を始めるのであった。
ラグナの空の飛び方…想像する時は、アイアンマンの飛び方を思い浮かべてください。




