18話:森駆ける二つの影
森の中でぶつかる二つの影がぶつかり合っていた。
一つは、黒い髪を刃のように跳ねさせた若い男──髪の毛に混じるように狼の耳を立て生やした男。魔物の毛皮で作った鎧を纏い、その手には槍を構え、障害物の多い森中で、そ巧みに操りながら、猛攻を凌いでいる。金色の目は鋭くなり、相対者への攻撃の機会を窺っている。
もう一つは、金髪に赤い目の少年──黒い衣服に革の鎧を身につけた少年は、その両手にそれぞれ短剣を持ち、男に対して猛攻を繰り出す。剣による攻撃の中に、蹴りなどの体術を挟む事で、相手に反撃の隙を与えない。
防御側は、長柄武器の優位性であるリーチの長さは、距離を詰められているせいで、逆に足枷となる。だが、地形の不利も合わさっているにも拘らず、未だ余裕の表情を、崩す事無く攻撃を、いなし続ける。
攻撃の間隙──一瞬の合い間の中で、男が放つ蹴りが、少年の腹に入った。苦悶の表情を浮かべて後ろに跳ぶも、空かさず受身を取って、倒れるダメージを和らげる。しかし、立ち上がった時には、男は森の奥へ向けて走っていた。
痛みからか、悔しさからか、苦虫を噛み潰した表情を浮かべる少年は、その後を追う。森の中を走り、茂みを飛び越え、時には木の上に駆け上がり、その枝達を飛び移りながら、相手を追いかける。
追う者と追われる者の追走は、追われる者が、森の奥にある拓けた一角に、飛び出したことで終わる。槍と言う武器を、存分に振り回せる広さに加えて、十分に引き離した距離は、自分の領域としては十分だった。
「チィッ!」
おびき出されている事には、気付いていた。少年は、追いつけなかった自分に対して舌打ちをして、標的に目掛けて、木の上から飛び掛った。男は既に槍での迎撃の姿勢を済ませている。
少年は、片方の短剣を男に投げつけた。男は投げつけた短剣をかわし、次の一撃を矛先で弾いた。金属の音と共に、空中に居た少年は、踏ん張りが出来ずに、大きく後ろに飛ばされる。宙で体を翻して地面に着地すると、短剣を逆手に持ち替え、腰に差していた剣を抜く。
にやりと笑い構える男と、大きく深呼吸をして息を整える少年──やがて、男と少年が同時に地面を蹴って、激しい剣戟が始まった。
幾度も金属音を響かせ、激突する──その激しさとは裏腹に、男の表情は顔色一つ変えず、対する少年は、鋭く目を輝かせながらも頬や額に汗を噴き出す。
放たれた突きをかわした拍子に、矛先が地面に突き刺さる。好機と少年は、引き抜かれる前に足で槍の柄を踏みつける。同時に、男の首筋目掛けて剣を振った。
「ふんぬああッ!!」
気合の声と共に男は、少年の足ごと槍を持ち上げた。一撃を繰り出そうとした少年は、バランスを崩し、大きく身体をのけぞらせる。振り上げられた槍は、そのまま凄まじい膂力で振るわれ、横薙ぎの一撃が、そんな少年を鎧の上から叩きつけられた。
少年の足が地から浮きあがり、空中に投げ飛ばされる。背中から地面を転がり、そのまま、動かなくなる。
少年に対して男は、止めを刺すべく距離を詰める。地面を蹴った。距離は縮まり──男が加速に乗った頃、少年が腰から新しい武器を抜き取り、男に向けて引き金を引いた。光と共に、炎弾が放たれ、男に襲い掛かる。
一瞬、余裕の表情が消えてその一撃をかわす男──だが、無理矢理身体をねじった事で、今度は逆に、男の方が体制を崩してしまう。そのタイミングで、少年は、銃と剣を構えて男に向けて走った。銃を撃ちながら足を止めた男に向けて、剣を構える。
男は、歯を食いしばり、体制を戻すのではなく、敢えてそのまま大きく身体をねじると共に。槍の柄尻を地面に突き刺す。そのまま、力を込める事で男の体が、槍を支点にして宙へと舞う。そして、浮かび上がった男の真下を複数の炎弾が、通り抜けた。
苦虫を噛む様に悔しげな表情をするが、少年は足を止めない。狙いを定めようとするが直後に、男が空中で放った回し蹴りが、銃を少年の手から弾き飛ばす。ならばと、少年は剣を両手に持ち変えて、振り上げる。
男は、地に足が着くと同時に、槍の柄を強い勢いで蹴った。蹴った勢いで矛先が地面から抜け、土が高く舞い上がり、少年の目に入る。目潰しによって、動きを鈍らせた少年の胸倉を掴むと、男はそのまま少年を地面へと叩き付けた。少年から大きく息が吐き出される。男は、少年が手放した剣を奪い、少年の喉に突きつける。
両者の睨む様な目線が合った。やや荒く呼吸をする男と、激しく呼吸をする少年──やがて、男が剣を引いて少年の傍らに突き立て、にやりと笑い地面に座った。
「…………クソッ」
少年は、荒い呼吸をしながら悪態をついて目を閉じる。
「相変わらず、むちゃくちゃな動きをするよな……」
「そりゃあ、お互い様だろうがよ」
「セタンタには負けるよ」
「そりゃ、当然だ。まだまだテメェには、負けられねえよ」
セタンタ──少年からそう呼ばれた男は、当たり前だと言って、笑みを浮かべる。
「ったく、気持ち悪いくらいに急所狙ってきやがって……」
「そういう部分を狙っていったのは、セタンタだろ?」
「確かに、だが──幾らなんでも、そういうところを狙いすぎだな。見抜かれると、攻撃があっさり読まれるぞ?」
「……分かった、気をつけるよ」
「……まあ、あの受身は良かったぜ? 横薙ぎの一撃喰らったとき、跳んで衝撃和らげたろ?」
「避けきれなかったけどな……ってか、踏みつけ槍を持ち上げるのは、無茶苦茶じゃないか?」
「ハッ、悔しけりゃもっとでかくなれよ。ラグナ」
「うっせぇ…………二年前と比べれば、身長伸びたろうが」
わき腹を押さえながら、文句を言うラグナと呼ばれた少年は、半眼のままセタンタを睨みつける。しかし、セタンタは、愉快気に──そして、勝ち誇った笑みを返す。
「ってかな、お前──幾ら刃潰してるからって、あんな勢いで振ったりすれば、あたりゃ骨が折れるし、突けば刺さる時は刺さるんだぞ?」
「よく言うよ、槍なんて突くのが主要の武器じゃないか」
「だから、俺は、薙いで使ってたろうが」
「……ああ、そうだね。音が鳴るくらいのものすごい勢いでな!」
風が鳴るくらいの勢いで鉄製の武器に加えて、槍と言うのは矛先のある先端が重くなるように作られている。そんな武器に、遠心力を込めた一撃を放てば、革鎧の上に加えて、水から跳ぶ事で威力を流しても限界はある。あれは、けっこう、本気の一撃だとラグナは確信していた。
「お前こそ、銃なんか使いやがって、殺す気かよ!」
「何でも好きに武器使えって言ったのはセタンタだろ!」
「限度考えろよ?!」
ラグナが使った銃とは、魔法を付与した魔石に衝撃を与える事で、属性魔法を発動させる、と言う機構を最も、効率的に発揮する為に、ラグナ本人が考えて産み出した魔道具の武器だ。セタンタ自身もラグナが、彼の為にと作ったものを持っている為、その利便性は良く理解している。片手で扱えるサイズで引き金を引くだけで、高い威力の遠距離攻撃を放つ事ができる。弓の様に両手を使う必要が無く、取り回しも良い。武器に精通するセタンタが見て、銃と言う武器は、ハッキリ言って、反則級だった。
「森の中でいきなり飛び掛ってきたり、武器投げてきたりと、お前、何処でそんなの覚えたんだよ」
「え? セタンタ……しょっちゅう槍投げてるじゃん」
「あれは、そういう武器でもあるからだよ」
「別に剣は投げて使っても良いだろ? それに投げたのは短剣だし……」
「いや、だからって、模擬戦で本気で目玉狙うかよ、お前は……」
至極当然と言うような口調で答えるラグナに、セタンタは、あきれた声を出す……そんな態度だが、ラグナにそうするように教えたのは、他でもないセタンタ自身だ。
だが、そんな二人は、こちらに近づく気配を察知空かさず、武器を拾い上げて臨戦態勢を取る。現れたのは、もう何度目の戦いとなる森に住む魔物、魔猪だ。
「大きさからすると、成長期って所か……お前と一緒だな、ラグナ」
「あれと一緒にするなよ。俺のほうが強い──」
セタンタの言葉に対して、ラグナは、少し不快そうに言葉を返しながら、剣を取る。
「俺がやる」
「おいおい、体力はまだ戻ってねえだろ、やれるのか?」
「やれるさ、手を出すなよ?」
「…………はいはいっと」
構えていた槍を担ぐとセタンタは少し後ろに下がる。代わりにラグナは、一歩前に出る形になる。魔猪は凶暴な魔物だ。さらに幼獣と成獣の間でも、ラグナの身体よりも一回りは大きく、巨大な鼻から荒い息を吐き出す。
「おい、武器は良いのか?」
「拾っといて、これだけあれば良いから」
「あっそ……」
完全に魔猪の相手をラグナに任せるつもりで、セタンタは武器を拾い始める。。
跳躍で、あっさりとかわすと同時にその背中に、短剣を投げつける。だが、剣が刺さったにも拘らず、魔猪は、方向転換して再び、地面をこする
「おいおい、全然効いてねえぞ?」
「分かってる。黙ってろ見てろよ……」
魔猪の毛皮は頑丈だ。セタンタが身につけているもののように、軽い攻撃では傷一つ付かない。精々、皮膚に刺さって止まっている程度だろう。だが、ラグナにとっても想定内のことだ。茶化されても、別に気にも留めていない様子で魔猪の様子を窺う。再び、突進が始まる。今度は、ラグナ自身も魔猪に向けて走る。
そして、激突する直前に、ラグナは再び跳んで魔猪に飛び乗る。跳躍の勢いを剣に乗せ、魔猪の背中から心臓部に目掛けて、強引に突き刺した。のたうつ様に暴れる魔猪。それに振り落とされないように、剣と、更に、剣と一緒に、奥へと押し込んだ最初の短剣を掴み、しがみ付く。
(届いてないか……ならッ!)
片手剣では、背中から魔猪の心臓には達しない……ラグナはそのまま、金属製の魔法を展開させる。柄を通じて、刀身が魔法に反応し、形状を変える。細く伸びた刀身が内臓を切り裂き、心臓に突き刺さる。それを示す様に、傷口から血が噴き出し、魔猪は、叫び、より強く暴れる。やがて魔猪は、そのまま地面に倒れ伏した
倒れた魔猪からラグナは飛び降りる。その顔は、傷口から噴き出した血がべったりとこびりついていた。
「お前、えげつねえな」
「何が?」
「いや、何でもねえ……」
セタンタは、衣服の袖で返り血を拭うラグナから、魔猪へと視線を移す。まだ成獣に育ち切ってはいないとは言え、ほぼ無傷で仕留めた魔猪は、島内でも、凶暴な部類だ。硬く針の様な赤黒い毛皮で覆われ、二本の長い牙、短くも太い四本足に支えられた巨躯。筋肉の鎧に覆われた魔猪を、飛び乗る際の勢いに合わせていたとは言え、奴の体を貫くのは不可能だ。だからラグナが、身体強化を行使しているのは分かる。それでも、二年前のラグナなら太刀打ちすら出来なかっただろう。それを、たった二年で──しかも、無傷で仕留めるラグナの成長速度は、ハッキリ言って、異常だった。
(あれから二年半か──)
武器をどう扱うか? 狙うのなら何処を狙うか? 相手に隙を生じさせるのにはどうすれば良いか? 相手に隙を作らないならどう動けばいいか? セタンタは、言葉で教えるのが苦手だ。だから、身体を動かす事でその身体に、直接教え込んでいた。
六歳の頃に、走る・跳ぶ・登る・飛び移る・飛び降りる・受身を取る・殴る・蹴る・投げると言った体術を叩き込み、八歳から剣術・弓術を加え、この二年の中にさらに槍術・斧術・短剣術を足した。日に日に過酷になっている筈だが、ラグナは、それらを、乾いた砂が水を吸うように吸収していった。
余談だが、この直接身体や頭に叩き込む教え方と言うのは、二人の師匠である、スカハサとも良く似ている。
才能と言うものを、セタンタは信じていない。獣人であるセタンタにとって、強さがあるのは、生まれ持っての当然の事だったし、人間であるラグナが、自身や師匠に追いつくために死に物狂いに陰日向で、努力をしていた事は知っている。だが、ラグナの場合は、その努力をしすぎたと感じさせる程だった。それこそ、二年前のように模擬稽古を通じて、笑って相手が出来ない場面も、生じる程だ。
(自分の事を僕なんて呼ばなくなったよなぁ、コイツは……)
何時からか、ラグナは自分の事を『俺』と呼ぶようになっていた。心境の変化なのかもしれない。以前と比べても、ラグナがまとう雰囲気には、確かな違いが感じられた。それを、漠然としか、感じる事は出来ないが──セタンタには、それが良い事なのか悪い事なのか、分からなかった。
「セタンタ? セタンタ、何してんのさ、運ぶの手伝ってよ」
「お? おう……」
仕留めた魔猪を担ぐラグナの言葉にセタンタは武器を持ってその後を追いかける。恐らく、自分達の師匠も、弟弟子の心の内の事を勘付いていると信じて、セタンタは、自身の考えを心中奥底へと沈めた。
※組手稽古です。
※摸擬戦です。




